思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

差別社会

2005年09月09日 | Weblog
今回のアメリカのハリケーンの記事を日々見るに付け、アメリカの差別社会の深刻さを実感するようになった。

建国は、欧州から迫害や貧困を逃れた人々が築いてきた国である、新聞でも書いてある。
おそらく当初は博愛平等の理念に満ちた雰囲気があったのだろうが、奴隷売買の歴史なんかもあって、今や白人が異人種を踏み台にする支配社会に変貌している。

自由と平等の標語は、今やアメリカを象徴しているとは思えない。
支配と差別の国である。
古代の奴隷制社会に近い状態ではないのか。
ギリシャローマの社会も3Kの仕事はすべて奴隷が担当して、一握りの市民が政治と芸術にうつつをぬかしていた。

アメリカは「車がないと生活できない国」と聞いていたが、車さえ持てない人々がたくさんいると聞いて認識が完全に覆ってしまう。
その言葉は、支配階層にとっては真実だったのだ。

私の無知ゆえの過剰反応なのか。
アメリカの豊かさとは、何の豊かさなのか。
ブッシュが醜くく見える今日この頃である。



憐れまれる

2005年09月09日 | Weblog
柳澤圭子氏の著した般若心経の現代語訳についての対談の再放送があった。
(この件は以前にも書いたような気がする)
改めて観音様のようなお姿に惚れ直した。
彼女は既に70歳近い人と思うが、30代で既に将来を嘱望された生命工学の科学者だったが原因不明の病に倒れ45歳で研究室を退いた。
診察の結果、異常が認められないので、いろんな中傷もあり相談できる人もなく苦しみ死を決意したこともあった。

病気は原因不明のまま悪化し続け生死の境を彷徨い、現在はある抗欝剤が効果を発揮しようやく車椅子で短時間なら外出できるようにもなった。
数々の著作を発表し続けているという。
車椅子で外出中はいろんな人が声をかけてくれると言う。
その中で着飾ったご婦人が「大変でございますね」とねぎらいの声をかけた。

その時に、「あ、私憐れまれているんだ」と感じてとても嫌な気がしたそうです。
誰でも「あわれまれる」というのは悲しいもので嫌なものだと思う。
特に彼女は才能と美貌を与えられた人物。
テレビに写る現在の姿も神々しいほどの美しさだ、若かりし頃の美貌は推して知るべし。
当時、最後の生き甲斐を求めて宗教、仏教の教え特に般若心経に関心を持って関連する本を読み漁っていた。

そして自分が抱いた感情について考えた。
たまたま自分がその瞬間にそこにいたからそんな感情を持った。
そこにいなかったらそんな感情は持たなかっただろう。
そしたら、そんな感情は拘るほどの意味がないではないか。
色即是空。
般若心経の真髄だそうです。

科学者だから粒子が登場します。
宇宙を構成する原物質というか最小単位に近いものです。
あなたも私も木も花もすべて粒子によって成り立ち、常に変化しながら宇宙の中に包まれ宇宙を構成している。
あなたは同時に私でもあり同一の宇宙である、従って憎しみも悲しみも苦痛も存在しないということ、らしい。
生まれたばかりの赤ちゃんの心境に近いもの、と解説の坊さんもいっていた。

分かったようで分からん。
それにしても才能に恵まれて優れた人って、凡人とはかけ離れた何かを持っているなあ、とつくづく感心してしまう。

番組の冒頭で彼女は
「私は科学者です。宗教は必ず科学で解き明かせる日が来ると信じています」
という意味のことを言っていた。
神の存在を証明するというのか、あるいは信じる心を科学で解き明かすというのだろうか、これも良く分からないが意味深い言葉に聞こえた。