前回につづいて、「選択と集中の罠」と題して、10月1日の科学技術政策研究所主催のシンポジウムでの僕の発表の続きです。
これは、今までのブログで何度も出したスライドですね。人口当たりの高被引用度論文数の国際比較では、日本は世界で21番目に甘んじており韓国よりも下ですね。台湾は日本の1.5倍もあります。
下のグラフはは、上記の21か国において、国民1人あたりのGDP(購買力平価換算)と、人口当たりの高注目度論文数の相関を調べたものです。両者は有意の相関を示しています。つまり、論文数はおおむねGDPに比例するということ。ただし、どちらが原因で、どちらが結果かということは、よくわかりません。
日本の国民一人あたりのGDPは、この21か国の中では17番目で、大したことはありませんね。実は、国民一人当たりGDP(購買力平価換算)の日本の順位は24番目なんです。カタールとか、ブルネイとか、アラブ首長国連邦といった産油国が上にくるんです。
GDPと論文数が概ね相関することは、論文数も国力の応じて多くなるということですから、皆さんもなるほど、と思われたかもしれませんが、ただし、一人当たりGDPが日本と同程度の国の中で、あるいは多少低い国も含めて、日本の論文数は最低なんですね。これがいただけないですね。
なぜ、そうなるんでしょうかね?
下の図は人口当たりの政府から大学への研究費を示したものですが、一部の国しか調べてはいませんが、日本より多く論文を産生している国では、やはり、多くの研究費を大学に出していますね。論文数は金次第ということを想像させますね。
論文数は金次第ということを、僕に確信をさせたデータは下のデータです。これも、今までにブログで何回かご紹介しましたが、台湾と日本の政府支出研究費と論文数を比較したデータです。
下の左の図は、日本と台湾の政府支出研究費の推移を示した図なのですが、日本は数年前に台湾に追い抜かれています。右の図が論文数の推移ですが、研究費が追い抜かれたころに、論文数も追い抜かれています。
なお、総務省が公表している日本の研究費は、国立大学への運営費交付金をすべて研究費とみなして計上しており、それをブルーの線で示してあります。しかし、それは、現実にはありえない話であり、OECDでは運営費交付金を案分して、その一部を研究費として計算しており、こちらのほうが実態に近いと考えられます。それが緑の線で示されています。
いずれにせよ、日本の国民一人あたりの研究費は台湾に追い抜かれており、それは、国立大学の運営費交付金をすべて研究費として使ったとしても追いつかない規模になっています。
日本の論文数が停滞しているとはいっても、もう少し詳しくみると、大学群によってずいぶんと違うことがわかります。下の図のように、国公立大学は停滞しているのですが、私立大学は右肩上がりなんですね。
私立大学がそれほど影響を受けずに、国公立大学が影響を受けたことから、2004年の国立大学法人化が何らかの影響を与えたことが考えられます。公立大学も、その多くが法人化されました。
法人化それ自体は、大学の裁量が増えて良い面もありましたが、法人化と時期を同じくして実施された種々の政策が論文数に悪影響を与えた可能性があると思います。
先ほど論文数は金次第といいましたが、お金のことを申しますと、国立大学の運営費交付金の削減が要因として浮かんできます。公立大学も、財政難の地方公共団体では交付金がかなり削られたと聞いています。私立大学の助成金も削減されているのですが、国立大学の場合は、予算に占める運営費交付金の割合が私学助成金に比較して格段に大きく、同じ%の削減でも、国立大学への影響が大きいことが考えられます。
下図は2000年を基点とした論文数の推移を示しています。私立大学は右肩上がりですが、地方国立大学と公立大学の論文数が低迷していることがわかります。旧帝大と2番手の大学はその中間ですね。
これは、地方国立大学ががんばってこなかったからということでは決してありません。
法人化後は各大学の基盤的運営費交付金が削減される一方、競争的資金が増やされています。基盤的運営費交付金が削減されると、国立大学の研究機能が低下し論文数は減少しますが、上位大学は競争的資金を獲得して、ある程度研究機能を回復することができます。しかし、地方国立大学では、競争的資金を獲得することは通常は困難であり、毀損した研究機能を回復できないのです。
公平な条件で競争するのならまだしも、最初から大きく差のある大学間で競争させられるわけですから、地方国立大学が不利になるのは当然です。これは公平な条件のもとに競争させることによって効率化を図ろうとする「競争原理」というよりも、人為的に勝ち負けを決める「選択と集中」の結果であるといった方がよいでしょう。
下の左図は、文科省の資料からとりましたが、米国、英国、日本での研究機関間の研究費の傾斜を示したカーブです。日本が最も急峻ですね。日本は昔から大学間の「選択と集中」をけっこうやってきた国なんですね。
下の右図は、日本の研究機関間の研究費の傾斜に、論文数と被引用数の傾斜を重ねあわせたものです。論文数と被引用数の傾斜の方が、研究費の傾斜よりも穏やかですね。これは、研究費あたりの論文数や被引用数が地方国立大学の方が多いことを示しており、ある面では地方国立大学は研究効率の良い研究機関であるといえるのではないでしょうか?
科研費あたりの論文数を計算しても、地方国立大学の方が上位大学よりも高い値を示しており、研究効率が良いことを示唆していると思います。
さて、僕の専門の臨床医学の論文数の話に移りましょう。
概ね、全分野の論文数と同じような結論になるのですが、若干臨床医学特有の結果も出ています。下図は、臨床医学の論文数が日本だけ停滞していることを示しています。
下図は、世界平均を1とした場合の相対被引用度を示していますが、日本の臨床医学はほんとうに情けないですね。ずっと0.8のままで、世界平均に達していないんですからね。
中国も0.8くらいで日本とほぼ同じです。
他の分野ですと、中国には数では負けるが、質ではまだ負けていない、ということも言えるかもしれないのですが、臨床医学の場合はそれが言えませんね。
大学群別にみると、同じように私立大学は右肩上がりで、地方国立大学が低迷をしています。
台湾の大学は日本の旧帝大や地方大学をどんどん追い抜いていますね。
臨床医学の有名な学術誌に掲載される論文数も、日本は激減をしています。
大学群別では、地方国立大学の落ち方が激しいですね。その前の時期には、地方国立大学は急速に論文の質を高めて来たのに、刀折れ、矢尽きたという感じのカーブを描いています。
ほんとうにかわいそうな地方国立大学です。
下の図は臨床医学と基礎的医学の論文数が相関することを示しています。地方国立大学は、左下の象限に多くあり、私立大学は右上の象限に多くあることがわかりますね。
論文数は研究者数(常勤教員+博士課程大学院生数)と非常によく相関をします。つまり、論文数は人の数。そしてお金、ということになります。
研究者あたりの借金の償還額とか手術件数といった、診療の負荷と論文数の相関をとると、下の図のように、有意の負の相関をしめしました。臨床医学の教員は、教育、研究、診療という3つの仕事をしているので、診療の負荷が大きくなると研究時間が減少して論文数が減るんですね。
これは、法人化の時に、経営改善係数などのルールによって、病院への運営費交付金が大幅に削減されたことの影響もあります。その分、病院の収益を増やす方向に圧力がかかりますからね。また、同じ時期に導入された新医師臨床研修制度によって、大学病院の若手医師が減少したことも影響しています。つまり、金と人と時間の減少の結果と考えられます。
これは、文科省の科学技術政策研究所のデータですが、(研究者数×研究時間)が法人化前後で減少したことを示しています。上位大学ではそれほどでもないのですが、地方大学で大きく減少し、その分論文数も減少しました。先ほどの診療負荷が論文数にマイナスに作用するというデータと一致するものです。
以上の論文数の分析から推測される、日本の研究面の国際競争力の低下の要因をまとめると、次のスライドのようになります。
さて、これまでの僕の発表は、今までブログでも何回かご説明してきたことですね。次回は、「選択と集中の罠」について、いよいよ佳境に入っていきますよ。
(このブログは豊田の個人的な感想を述べたものであり、豊田の所属する機関の見解ではない。)