テレビ東京の番組「ナゼそこ?」で「秘境で暮らすスゴイ人SP」というのをやってました。
(いまなら上記サイトで無料配信をやってます)
「ポツンと一軒家」など秘境や山奥が大好きな私が見逃すはずはなく、録画しました。
するとその中の一場面で、雪の峠に藁葺家屋が映りました。
「木の芽峠や!」
峠の茶番が居住される、ポツンと一軒家です。私は1999年、20年以上前に訪れたことがあります。
画面にあるように築550年以上、人が住む日本で一番古い家とのことです。
この家屋の主は前川永運さん、80歳。おお、まだお元気だったのですね。
囲炉裏端で何やら食べておられます。
手元を見るとクルミを割って次々に口へ・・・
室内がマイナス1度にもなる峠では、これが冬を乗り切る栄養源なのだそうです。
確かに脂肪分はあるし貯蔵性もあって良い選択でしょう。
お腹がくちると前川さんは奥に行き、お宝を見せてくれました。秀吉にもらった茶釜。
「開運!なんでも鑑定団」から出品依頼があったが、高額鑑定になると泥棒に狙われるから断ったそうです。
何で秀吉から貰った茶釜があるの?
ということで、驚くべきご先祖の話が出ます。
平重盛が36代前の先祖だというのです。重盛は清盛が後白河法皇を監禁しようとしたとき父親を諫言するような実直な人物でした。惜しいことに清盛より早逝したため平氏の没落を早めました。そして源平合戦に敗れた平家がこの地に流れ着いたというのです。
そういえば私が会った時のお話では
『「ワシは桓武天皇の末裔や」「源氏ですか?」「いや、平氏の方や。壇ノ浦で滅ぼされたが、落人部落のように隠遁せず名前を変えて生き延びたのや。ウチは平清盛からの直系で福井に落ち着いてから
織田町の宮司をしていた。そしてその弟筋に当たるのが
織田信長なんや」
「そして戦国時代に朝倉との戦いに敗れてここ木の芽峠付近にまた名前を変えて逃れてきたのだが、次に信長が朝倉と戦って浅井の裏切りに遭ったときには
秀吉らが逃げるのを手助けした。そして秀吉が柴田勝家を滅ぼした時に秀吉がここへ寄って家系図を見て主家筋と驚き、金ヶ崎の戦いの尽力などに感激して、もう一度武将に戻るか自分の部下になってくれと頼んだそうだがご先祖様はどちらも断ったので秀吉は金の茶釜と戦陣釜をくれたのや」』
ということでした。
目の前は木の芽峠という街道の通過点。明治天皇も休んだとのこと。
先祖が宿場を開いたとかアナウンスされてましたが、私が聞いた時は
「関ヶ原以後は家康の息子
結城秀康の客分になり、
木ノ芽峠の
茶屋番兼関所役として福井藩の扶持米を貰って江戸時代を過ごした。」
とのことでした。
そういえば
当ブログで5年前にも紹介しました。そのときはNHKの新日本風土記での放送でした。番組の中で若いうちは継ぐのがイヤで各地を転々としていたけれど父上が倒れたので跡継ぎに戻ってきたと語っておられました。また息子さんが敦賀までは戻ってこられたとのことでした。今はどうなんでしょう?仮に継がれるとしても前川さんがお元気なうちは入られないでしょうね。
テレビ東京の番組「ナゼそこ?」(いまなら左記サイトで無料配信やってます)
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