峠おやじの「たわごと」

峠、自転車、キャンピングカー、野菜、園芸、時事ネタなどをぼやいてます。

母の転居記録4

2022年07月31日 | 

今まで母の部屋は20年間暮らしていたのとチョー物持ちが良いため、同じものが分散してアチコチにある状態だった。

特に郵便物は20年間全部残っていたし、切手は昭和30年代のお年玉切手まである始末だ。

 

そういう諸々を転居日までに少しづつ運んだ。しかし車(リーフ)に載せられるものは少ないし、

生活しているとタンスや冷蔵庫などの大物は運べない。

それにまずは新しい施設に移るのを優先したかったので、転居日当日は最低限の生活ができるよう

身の回り品だけ持って移動してもらった。

冷たいものが欲しいだろうから冷蔵庫も祖母が使っていたポータブルのものを当座のリリーフとして持って行った。

とりあえず、その日は物珍しいのもあったのか大人しく移ってくれた(~_~)

 

今まで使っていた中型の冷蔵庫は新しい部屋に持っていきたいし、タンスも数個持って行きたい。

また使わない洗濯機やタンス、ベッドなども運ぶために後日レンタカー(ハイエース)を借りた。

それで不用品を粗大ごみや電化製品リサイクルなどに出しに行き、とりあえずキープする大物は自宅に持ってきた。

中型冷蔵庫と数個のタンスはは母の部屋に運び込んだ。

 

次に膨大な物品やその他の家具の移動である。

長尺物はキャンピングカーで運ぼうということで3日間かかって大方のものを運び出した。

キャンピングカーのドアから入らないもの(タンス、ロッキングチェアなど)は前にレンタカーで移動してある。

タンスの引き出し一つ分以上あるカセットテープは母の希望で新しい施設に持って行ったが、たぶん聴かないだろうなあ。

他のものは、とりあえず全部自宅に持ってきた。5日目は前の部屋の掃除などをして明け渡しをした。

 

この間、毎日のように新しい施設にも通い、母の顔を見てきた。3日目までは毎回

「私はいつ帰れるね」

と新しい施設に慣れてない様子だったが、4日目ごろから何も言わなくなった。

おそらく新しい生活に慣れてきたのだろう。

そりゃそうだ。食事も部屋に持ってきてくれるし、お風呂や薬の面倒もみてくれるのだから・・・

 

しかし、自宅に持ち帰った母の物品には往生こいている。

20年以上ある郵便物、切手や熨斗袋、紙袋などが

4個あるファイルボックスの引き出しあちこちから出てきて呆れるばかりである。

3個までは整理したが、大型のあと1個とその他もろもろの大部分は放置してある。

ボチボチ整理しようと思っているが、先述した発熱外来やコロナの4回目接種など、

諸事が重なり、落ち着いて取り組めない状況が続いている。

 

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母の転居記録3

2022年07月22日 | 

大失敗に終わった第一弾。新築物件なりの魅力があったのに、それが母にとって独り住まい的な怖さを感じさせてしまったようで、完全に作戦ミスだった。

そんな顛末をケアマネさんに報告。すると、一緒に紹介してくれた別の物件の方も空室があると教えてくれた。

 

じつはそちらの方が新築物件より近く、土地勘も断然優れているところだったので、連絡をして早速見学に行ってみることにした。

既に60人ほど入居している施設で2~3室あいているとのことだった。

 

色々な対応は新築物件と大差はなかったが、コロナ対応でレクリエーションなど休止しているそうなのと、

通常の施設が食事は食堂でとなっているのに対し、ここは部屋食対応にしているそうだ。

老人施設のクラスター対策としては究極の方法かもしれないと思った。

 

部屋食は病院の個室とか高級なホテルでないとお目にかかれない代物だし、動きたがらない母を説得する最高の材料だ。

善は急げで、数日後に母を連れて見学した。最大の売りは「部屋食」。いまどきこんなところはないよと強力にプッシュ。

母はその後も何度かグズグズ言っていたが、ある程度強引に転居計画を進めた。

 

今までの施設にも転居先をほぼ決めたと報せ、新しい施設と今までの施設の担当者、ケアマネさんと私たちと母との打ち合わせ会を行った。

新しい施設の担当者から母の介護・健康状態などを聞き取りされ、今までの施設の担当者からこれまでの経緯などを報告され、

転居しても大丈夫とゴーサインが出た。この会議を経て新しい施設との契約をして、入居日が決まった。

 

20年以上過ごした施設から転居するのを母は色々なセレモニーで感じているようではあったが、

最後まで転居するのは他人事のように思っているようだった。

それでも母の気持ちを手探りし、今までの施設からの最後通牒をちらつかせたり、新しい施設がどんなに良いか吹き込んだりして、

「新しい所に引越しするのだよ。」

とちゃんと言いながら、入居日までを過ごした。

 

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コロナ?

2022年07月21日 | 健康

昨日の10時半頃、訪問看護の方から電話がかかってきた。

「今日訪問してみたら、お母さんが熱は平熱なのですが、喉が痛く体がだるいと言われます。

こういう場合、念のために発熱外来を受けられることをお奨めします。」

 

そんなもの初めての経験なので妻が詳しく聞いてみると、

同じ病院でも違う窓口へ電話し、車の車種・車体カラー・ナンバーを報せておいて

指定の時間に病院の発熱外来指定の駐車場所で待っていてくれとのこと。

 

病院の受診はいつも我々夫婦が付き添うが、今回は濃厚接触者になる怖れがあるので

付き添いは最低限ということで、妻だけが付き添うことになった。

私は昨日の午後に眼科受診の予定にしていたし・・・

 

早々に昼食をかきこんで妻は出かけて行った。

私は眼科の受診時間15時30分よりだいぶ前に着くように自転車で出かけると受付開始の5分前だった。

すでに車が1台横付けしていたが、私が入口前に立つと慌てて私の後ろに並び、さらに2人がその列に加わった。

ちょっとビックリである。午後から受診は比較的空いているとのネット情報のせいだろうか?

 

時間になって受付したあとからも来るわ来るわ、受診患者は瞬く間に20名ほどになり、待合室のベンチは一杯になってしまった(~_~)

受付1番の私が検査・診察を終えて待合室に戻ってもさらに患者が増えていたので、スタッフが折り畳み式のベンチを2つ置きに来たほどだった。

10年前にできた新しくて評判の良い所だからか、この混み具合はちょっと異常かもしれないと思った。

 

眼科が終わり、16時頃に帰宅しても、まだ妻は帰ってなかった。ラインで聞いてみると、

「鼻から検体を取るのは終わっているが、結果待ち」

とのこと。さらに、

「医師の診察もあるので時間がかかる」

ということで結局18時頃に帰ってきたかな。

 

診察されたのは若い、見たことのない先生だったそうで、結果は陰性。良かったぁ\(^o^)/ 

もし陽性だったら妻も濃厚接触者で家庭内別居を強いられる可能性があったわけだし、入居施設にも迷惑をかけることになる。

孫たちと会うのも1週間以上空けないといけなくなるし、色々と問題が起きるところだったので、ひと安心である。

 

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母の転居記録2

2022年07月19日 | 

母が入っている自立型老人施設から匙を投げられたので、

新しく入れてもらえる施設を探さなければならない。

 

むかし祖母が入っていた老人施設は自宅にも近くて良かったし、今もその施設はあるが、都合よく空いているとは限らない。

なにより母は自分から転居するとは絶対言わない。自分で探して入った施設だし、20年以上住んでいれば愛着もあるし、

生活パターンもわざわざ変えようとはしない。そこで私たちがこれぞと思う施設を探してから説得することにした。

 

ただ、どこが空いているかわからないので、お世話になっているケアマネさんに紹介してもらうことにした。

はじめに紹介して貰ったのはグループホーム型の施設を数ヶ所。パンフレットを貰ったその足でアポなし見学に行ってみた。

住所をナビに入れ、立地や外観を見て不便と感じてパスした所、

見学はしたものの何か手狭な感じがしたので名前だけ書いてきたものの、うちの母には向かないなと感じた。

 

次に紹介して貰ったのが介護付き有料老人ホーム。こちらも数ヶ所。なかでもオープン前で入居者募集中という所があった。

いま母が入居している施設もオープン3ヶ月目に入ったので新しいところの方が気持ちが良かろうと思ったからである。

見学希望の申し込みをしたら見学会の日にちを報せてきたのでその日に行ってみた。

 

見学会の日なので食事の見本や茶菓子などを食べさせてくれたり、田んぼの向こうに川岸の桜並木が見えるなど

自然豊か(ど田舎)な環境にあり、私が30年以上前に営業で走り回っていた地域で土地勘もある。

母もそのあたりに遊びに連れて行ったことがあるのでいいなと思った。

 

しかし転居させる本人がウンと言わなくてはならないので、後日見せに連れて行った。

見学会の日とは違い、留守番の職員がいるだけで、静かではあったが母は

「あんな人がおらん寂しいところは怖いであかん。」

と完全に拒否。

「すでに7室予約が入っているし、まだオープン前やから誰もおらんだけやよ。」

と言っても、怖い怖いと聞く耳持たず。

 

挙句の果てに

「ウチに帰りゃいい。」

とのたまう始末。

 

おうちコールには、

「ウチに来ても手すりはないし、3時間くらいすると施設に帰りたいと言うがね。」

で論破するのでいいけれど、

こうして第一弾は大失敗に終わった。

 

 

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母の転居記録1

2022年07月17日 | 

また1週間ブログに穴を空けてしまった。

というのもこの1週間、母の転居をやっていたからだ。

 

母は20年前に自立型老人施設を自分で見つけ、入居した。

隣にある大病院が経営しているのと館内の大浴場が温泉なので決めたと言っていた。

自立型施設なので生活支援を受けるようになったら退去という条件だった。

当時は70代だったので自分で車も運転するし、お風呂もひとりで入浴できた。

 

5~6年前、車の運転に周囲からクレームが付くようになり、

施設の指導で免許返納(更新せず)し、車も売却した。

代替手段で自転車を所望されたが、脚が弱っていてペダルを上げることすらできなくなっていた。

電動式のサポートカーも検討してみたが、本人が全く乗り気にならないのでボツになった。

 

結果、今まで自分で買い物や外出していたのが全く動けなくなった。

それからか急激にいろいろ衰えが目立つようになった。

若干の認知や、杖つき歩行から押し車歩行へと変わっていった。

 

脚が弱ってきたことから、楽しみだった温泉風呂にもひとりでは入浴禁止とされた。

部屋のお風呂はあっても入っていないようなので、デイサービス利用を推奨された。

はじめ隣の病院のデイサービスに行ったが、母があそこは嫌だと言うので、デイサービスの施設を変更した。

 

変更した施設もはじめのうちはなんとか行っていたが、そのうち頻繁にキャンセルするようになった。

本人任せだと無理なのでデイサービスへの送り出し(入居施設の玄関まで)を毎回するようになった。

だから週2回の行動制限を私たちもかけられることになってしまった。

 

デイサービスは12時50分に迎えに来るのだが、母は昼食が済んでも食堂から戻ってこない。

部屋は鍵付きなので私たちは勝手に入れないし、放かっておくと12時45分になっても出てこない。

それから部屋に戻って着替えを用意して玄関に行くとお迎えの車を待たせてしまうことになる。

 

そこで11時50分に電話して食事に行かせ、12時半に玄関に行って待ち構え、

5~10分経っても出てこなければ毎回のように職員さんに呼びに行ってもらうようになった。

そうして部屋に戻っても母はベッドに転がり込んで寝ころがってしまう。

 

「もうお迎えが来るよ」

「週2回お風呂に入らないと、ここから退去だよ」

などと、毎回なだめすかせて玄関まで連れて行くのだ。

 

しかし、2~3ヶ月前に施設から最後通牒が来た。

「ふだんから朝食は欠食されてますが、最近昼食や夕食もたまに欠食されることがあります。

このままでは健康状態が管理できませんので、面倒をみてもらえる施設に変わられることをお勧めします。」

 

母は昔から朝食は食べられないと自称していたが、1年前から急に痩せてきたのもあって、主治医からは補助飲料を処方されていた。

20年以上過ごした施設だからできるならずっと住まわせたいけれど、その施設から匙を投げられたら致し方ない。

転居する施設を探すことになった。

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月光園鴻臚館の食べ物

2022年07月08日 | たべあるき

有馬温泉、月光園鴻臚館の食べ物である。

チェックインしたときにテーブル上に置いてあるウェルカムお菓子。

空きっ腹でお風呂に入ると、いろいろ弊害があるため糖分とお茶などの水分を体内に入れてから入浴することは理にかなっている。

 

ここで出たのは「月ノ輪」。

兵庫県三木市の明月堂というお菓子屋さんが製造し、月光園が販売者になっている。

どちらもお月さまが入った社名なので、それにあやかったお菓子と言える。

見た目は東海地方の「なごやん」そっくりだが、中の餡はもっとミルクっぽい味がして格段に美味しい。

さて、お風呂も済ませ、夕食である。

ここは部屋食。すべてのプランが部屋食ではないようだが、予約してくれたのは部屋食のプランだった。

季節の果実酒は梅酒。

風呂上がりの生ビール1杯をサービスされていたので、下戸の私は少しだけ回っていた。

 

先付は下のようなもの。鱧は兵庫県では定番。茄子麩は色分けされた麩がナスの形をしている。

八寸は焼き魚としての鰆はどう料理しても美味しい。

蛸は柔らかいのは良かったが、味は煮物風でイマイチだった。

ホオヅキの下に鮭の手毬寿司が隠れていた。

お造り。鯛、鮪、蛸、神戸牛などが並んでいた。

蛸については自分の意識の中では烏賊のような記憶になっているのが不思議である。それだけ柔らかかったということだろうか?

椀物である。味はしっかり覚えていない。

この中では湯葉と梅の味しか記憶になく、若鶏とか茄子や冬瓜があったのかと驚いている。

 

こんな前半戦だったが、みんな美味しい美味しいと舌鼓を打っていることも確かである。

後半戦は焜炉。神戸牛の鉄板焼きである。

たれ三種は写し損なったが、塩・レモン・焼き肉のタレだったと記憶している。

神戸牛だけに評判どおりの美味さだった。たれは甲乙つけがたいところかな。

揚げ物ではペコロスがちょい謎だったが、小玉ねぎだそうだ。どれも美味しくいただいた。

写真にあるタコさんウインナーのようなものは花葛切り。葛を海苔で束ねて揚げたものだった。

仕上げのご飯とみそ汁。関西なのに赤だしなのが珍しい。

香之物。縮緬じゃこは甘辛く煮た佃煮。ご飯のお供に最適。白菜の一夜漬けもいい味。

赤だし汁。珍しい牛蒡入り。滑子(なめこ)もトロトロしてるし、粉山椒のピリッと感が味を引き締めている。

デザートは果物。スイカと何だっけ?一週間も経つとズイブン忘れている。

上に乗っかっているのがドライトマトとか・・・

あかん、思い出せん(~_~)

 

朝食である。

やはり部屋食なので朝風呂に行っている間に整えられた。

朝食の定番、鮭の焼き物が嬉しい。また出汁巻き卵も微妙な甘さで美味しい。

サラダだが、オニオンスライスが主体となっている。

私ゃ、食べられない唯一に近いものがオニオンスライス。加熱したオニオンは大好物なのに生ではダメなのだ。

ところがこのサラダは途中までオニオンとは気が付かなかった。漬けてあるドレッシングがよほど美味しかったのだろう。

次はイカ刺し?そして煮物、ヒジキとガンモがあまり好きではない。海苔は朝食の定番。

湯豆腐。可もなく不可もなく・・・

味噌汁は合わせ味噌か?大き目の椎茸あり。

最後は漬物。梅干しとタクワン。ど定番。

フルーツもオレンジとパイナップル。これまた安定の定番。

というわけで、食べたものをほぼ全部紹介してみた。

久しぶりのホテル。女房殿たちにはお据え膳で楽しんでもらえたようだ。

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有馬温泉、月光園鴻臚館

2022年07月05日 | 旅行

先週の金曜・土曜と有馬温泉に行ってきた。

草津PAの記事のとおり、娘夫婦と泊まりに行った。

下の地図にある月光園鴻臚館である。

ホテルの客室側を滝川が流れており、川をはさんだ対岸には別館の游月山荘と温泉の源泉があって、

屋根付きの橋を渡ってふたつのお風呂に入りに行く。

もちろん、鴻臚館にも大浴場と露天風呂はあるのだが、戸外に出る感じが風雅なのである。

 

川向うに行くには館内からエレベーターで橋まで降りる。

橋は障子張りの窓、天井と足元のほのかな灯りが落ち着いた開放感を醸し出している。

対岸まで進み、「游月山荘(ゆうづき)」の看板がかかった建物に入る

鶴の湯、亀の湯があるのだが、鶴の湯は修理中とのことで、亀の湯を夜・昼と男女交代で使用していた。

大浴場でもそうだったが、無色透明の湯と赤褐色の湯とふたつ浴槽があった。

泉質はナトリウム塩化物泉で、舐めるとしょっぱかった。

 

また夕方入浴した後の時間帯では毎日17時00分~19時00分の間にビールを一杯無料サービスしてくれる。

特典はしっかり享受させてもらった(*^_^*)

 

源泉は川の上流側にある。橋から河原を見た写真だが、昼と夜ではこんなに感じが違う。

游月山荘から川岸を歩く。ぼんやりとライトアップしてある。

川にかかる橋がなかなか素敵である。

源泉は男女別になっていて、大きめの露天風呂である。

風呂は薄暗く、赤茶けたお湯、風呂のわきに小さな祠など、

源泉らしさが満喫できた。

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草津PA

2022年07月03日 | リーフ

久しぶりに温泉にお泊りしに行くことになった。

娘夫婦と一緒に行く。思い出してみると子供夫婦とは初めてのことだ。

そういえば私たちは若いころ、両親(双方の、別々に)と一緒によく温泉に行った。

数えてみると私の両親とは5回以上、妻の両親とも2回以上は・・・

 

うちは3人子供は育てたし、現在父の享年にまで達しているので、

この年で子供夫婦と温泉旅行が初めてというのは

「恥ずかしながら」「やっと」「寂しい」とか色んな感情は出てくる。

 

ただ子供たちは私たちのように親と同じ街に住んでないので、それぞれの家に行くのが旅行のようなもの。

それに孫が3歳に達してないので、一緒に旅行とは簡単に企画しにくかったところもある。

長い前置きはこれくらいにして・・・

 

母のデイサービスへの送り出しを済ませてから西へ向かう。

電気自動車リーフの航続距離では少なくとも一度は急速充電しなくては辿り着けない。

高速充電ナビで検索すると草津PAには急速充電機が3台あるので間違いなく狙い目である。

下の写真でも機械の両側で2台充電できるし、奥にある黄色い充電機でも1台急速充電できる\(^o^)/

この新しい充電機を写してみた。機械の両側から充電コードが伸びている。

機械の裏側には充電カードをかざすコントローラー?がある。

そして充電機には充電状況を表示する画面が2画面ある。

光の反射で見にくいことこのうえない。

経過時間、瞬間充電電力(アンペア、kwh)とか現状の充電パーセンテージとかが表示されている。

 

それらを眺めているのも面白いけれども、35度を超えた猛暑日。

戸外で待つのは自殺行為なので一番上の写真にも写っている建物に入ってみた。

高速道路のPAやSAの所々にあるシャワーステーションである。

私らが見学に行った時にも履物が4つあったので結構利用しているみたいだ。

お約束の自販機は当然として、その横にコインランドリーがあるのに感心した。

 

右側にも椅子があって休憩スペースになっているし、エアコンも効いている。

この建物、PAの売店・トイレと少し離れた場所にあり、

建物の隣にトイレもあるのでここだけでも十分時間はつぶせる。

 

その後、娘夫婦を拾って西宮名塩SAの充電機が空いていたので、もいちど充電した。

女性陣のソフトクリーム充電に寄与したので良かった良かった。

 

肝心の温泉編は別記事に・・・

 

翌日、帰りも草津PAで充電するつもりだった。

しかし娘夫婦の近所の日産ディーラーで充電してしまったので蓄電残量に余裕があった。

そこで草津をパスして多賀SAを狙った。

ところが昨日はauが大規模通信障害を起こしていたらしく、充電ナビがきちんと表示してくれない。

そのあげく多賀は調整中の表示になった。また次の養老SAは充電待ちが発生している様子が読み取れた。

 

そこで高速道路での充電をあきらめ、関ヶ原ICで降りて岐阜市の近所の日産店をターゲットに変えた。

池田温泉へのトンネルを経由して、充電機が2台あるお店に到着。すでに18時半になっていた。

お店が閉店しているので目の前のショッピングセンターで買い物などして時間をつぶして帰宅した。

 

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