鉄道模型・色差し三昧

精密な模型製品だからこそ、色差しを施しませんか?
より、魅力を引き出しましょう。
お気に入りができますよ。

仲ノ町

2024年02月23日 | 来た! 見た! 乗った!
調子まで行ってきたときの話しの続きです。
間が空いてしまいましたが。

銚子電鉄の仲ノ町駅で降りたのは、初めてでした。
銚子駅からひとつめ、充分に歩ける距離です。

知人で、この駅の見事なジオラマを作ったひとがおりました。

銚子電鉄の本社や車両基地がある駅です。
プラットホームは狭いですが。



折しも留置中の車輌は、伊予鉄を経由してきた元京王5100系。


撮れるときに撮っておきましょう。


駅を出ますと、公道から車両基地が見えます。
南海がいますね。


これは、京王時代から変わらぬ台車。
もちろん、輪軸は交換されています。


南海と京王の並びだ~などと喜んできました。


銚子方には、元営団地下鉄銀座線の車輌が。
車籍は無いはずですが、入換用に活用されているようです。


京王と南海と営団と。


このように眺めると、銀座線の車輌は小さいですね。

京王時代を彷彿とさせる並び。
瞼に焼き付けておきました。


10日ほど前の記録です。
南海電車の新たな活躍に期待します。







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お出かけ 銚子電鉄まで

2024年02月11日 | 来た! 見た! 乗った!
お出かけしてきました。
暖かい一日でした。


総武本線の終着駅、銚子です。
ご存じの方も多いであろう銚子電鉄に乗ってきました。


年度内に引退が決まっている2001編成が、今日は運用に入っていました。
元の京王帝都2010系、再会までに30有余年の月日が経っていました。


連結面のあたり、こんなに丸みがあったっけ?
記憶とは当てにならないものです。


上段窓は、引っ掛け式で開けられました。サッシに小穴があります。
今では固定されているようですけど、これは記憶どおり。


小学校に上がるころ、ステンレス磨きだし無塗装処理の網棚が、とても新しく見えました。
色褪せたな。


製造以来60年以上、よく頑張ってきました。
もういちど乗る機会があって、なにより。


がらがら開くドアも、また佳し。


春キャベツを眺めつつ。



終点の外川まで。

春だよりと保存車801。

この駅の雰囲気は変わらないね。

塗り直しはされているようです。


外川漁港まで歩いてきました。






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飯田線を乗り通して(その26 さらば213系)

2022年08月09日 | 来た! 見た! 乗った!
16時12分、天竜峡発の225M列車は、無事に終着の茅野に着きました。


いつもかどうかは判りませんが、ワタシが乗ったときには豊橋からの511M列車も同じ編成でした。
途中の天竜峡で一時引き上げたとはいえ、この車輌に8時間くらいお世話になったのです。
振り返ればあっという間ですが、名残惜しいですね。


豊橋で朝日を浴びていた電車が、茅野で夕日を浴びています。


JR東海の大垣区に所属する車輌です。


車体の車番表記の撮っておこう。
また乗れる機会があるとは、限りませんから。


折り返しは、平岡行きになるようです。
終着の平岡には21時47分に着く222M列車ですね。
11時33分に通ったところに戻るころには、そんな時間です。
飯田線は長いなぁ。


跨線橋を渡るとき、この電車の屋根が見えました。


待ち合わせ時間が半時間ほどありますので、途中下車。


東京方には、こんな古びた跨線橋があります。


ちょっと由来は判りませんでしたが、明らかに古い鉄橋を転用したもの。
欄干が低いのでちょっと怖いですが、一見の価値はあると思います。


16時20分発の「あずさ44」号が、足下を駆け抜けていきました。


東口側には、保存機があります。
簡易線へも入れるタンク機関車C12ですね。
あわせて、どうぞ。


さて、16時45分発小淵沢行き1536M列車が来ました。
これに乗り、帰路につきます。


まだ発車待ちの平岡行き222M列車。
これで213系は見納めです。
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飯田線を乗り通して…(その25 さらば天竜川)

2022年08月02日 | 来た! 見た! 乗った!
天竜峡発茅野行き225M列車は、辰野15時42分発です。
2分停車している間に、乗務員がJR東日本の社員さんに替わります。

発車して、間もなく天竜川を渡ります。
千代~天竜峡間以来、だいたい3時間半ぶりですな。

このあと岡谷駅に着く手前でもういちど、天竜川は渡ります。
ですが、そちらでは車窓から川面はほとんど見えません。

川岸~岡谷間です。
谷間が広がりつつありますね。
列車は諏訪平に入ってきました。
天竜川の水源は、岡谷駅にほど近い諏訪湖の釜口水門です。
間もなく、お別れです。

朝方、浜松駅手前で渡ったな。
昼前には佐久間あたりでも渡ったなぁ。

15時55分、岡谷到着。
このまま列車は、中央東線を茅野まで直通します。

岡谷~下諏訪間の横河川が、フォッサマグナが通っているところでなかったかな。
この画僧は、その近辺。


下諏訪~上諏訪間では、諏訪湖の湖面が見えます。
213系の転換クロスシートから望む機会も、あとわずかかもしれません。
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飯田線を乗り通す(その24 とうとう辰野へ)

2022年07月25日 | 来た! 見た! 乗った!
4か月前の旅行記です。

15時17分、伊那松島に到着です。
豊橋起点187.1km。
辰野まであと残り8.6kmですが、ここで8分停車。

せっかくですから、途中下車します。
駅前通りに出ましたが、こんなに坂があったっけ?
人の記憶というのは、曖昧なものです。


少し行けば、三州街道に出ます。
まだ古い建物が残っていかなと気になりましたが、ちょっと時間がありません。
駅に戻りました。
駅本屋はワタシが学生のときに建て替えられたものです。
あれから30年経っていますね。


ご存知のとおり、伊那松島には機関区がありました。
機関区という組織は国鉄時代になくなりましたが、その後も車両基地としての機能は活きています。


とはいえ、貨物列車が廃止されて機関車の常駐もなくなり、寂しくなりました。
定点撮影ではありませんが、1991年と比べると建造物が減っていますね。


上り天竜峡行き218M列車が着きました。
そろそろ発車です。


こんな山並みが見えてくると、伊那谷もそろそろどん詰まりです。
いやはや、乗っているとあっという間だな。


中央道が交差します。
数年前まで、年にいちどくらい高速バスでここを越えていました。
バスの車窓から見下ろす飯田線の線路は、一直線な単線。
今回は、下から見上げます。


羽場から伊那新町へ。
伊那谷で、天竜川が車窓間近に見える区間は、さほど多くありません。


右の車窓には、国道が並行しています。
ここも、よく車でも通った区間だけに、ちょっと愉しくなってきました。
架線柱が映り込もうと、気になりませんよ。


15時37分、宮木到着。
豊橋起点194.6km、終点辰野まであとひと駅です。
その辰野はJR東日本の管理駅ですから、JR東海仕様の駅名表示は、ここでお別れ。


そして、街並みの中をぬうように1.1Km走って、定刻通りに辰野に着きました。
豊橋から195.7km、7時間39分の旅路です。
表定速度は25.6km/h。
とはいえ、あっけなく。
そして、めまぐるしく。

列車は乗務員の交代で2分停車ののち、発車します。
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飯田線を乗り通す(その23)

2022年07月22日 | 来た! 見た! 乗った!
仕事先で、今年初めてセミの声を聞きました。
猛暑と戻り梅雨という今年の気象のせいなのかもしれませんが、
かなり遅く感じます。
地球上における昆虫類の絶対数が急減しているという話しも聞きますので、
気がかりでもあります。

さて。
4か月前の飯田線乗車記。
伊那北を出ましたので、あと少しです。

田畑駅です。
東京の田端と表記は違いますが、読みは同じですね。


車窓に見える浸水危険区域。
標高が3.2mということでは、もちろんありません。
近くを流れる天竜川の平水位と比べた値でしょう。


季節は3月です。
今の時期なら、まったく違った色彩のはず。


北殿駅。
そういえば、乗り降りしたことなかったな。


木ノ下駅。
こんもりした木陰は、木下神社の社叢です。
三州街道、のちの国道153号に面したお社です。


15時を過ぎ、3月の陽は傾き始めています。
振り返りながら望む、遠ざかる西駒の山並み。
学生時代、下宿から毎日眺めた山並みです。
これを見るためだけに飯田線に乗ってきた、と言っても大袈裟でないような。
逆光気味で、無理矢理に撮ったような車窓風景ですが、ワタシにはとっておきなのです。
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飯田線を乗り通す(その22 伊那市、伊那北)

2022年07月07日 | 来た! 見た! 乗った!
ほぼ、ひと月の間、ブログが停まりました。
お久しぶりです。
いろいろありまして間が空いたわけですが、
あまりに空きすぎると、再会するまでがおっくうになってきます。
そうこうしている間に、梅雨が明け、猛暑が続き、そして台風崩れ。

再掲です。
伊那市駅。


駅前は、こんな感じでした。
1997年2月の撮影です。
駅前のバスは、JRバス高遠線。
現在も運行している路線ですが、この春からは駅前には乗り入れなくなったようです。
雰囲気は変わったのかな?


降りる間もなく、列車は発車します。
30年の学生時代と比べて、駅前はあまり建て替わっていないように感じました。
どうなのでしょう?
上の画像と比べようにも、ちょっと画角が違うようです。


何度となく通った踏切です。
それだけで、嬉しい。


小沢川を渡ります。
滝のような急流とはこのような川のことを云うのだ、と当時感じたことを思い出します。


このあと、入舟の踏切を越えます。
ここも撮りたいと思ったのですが、タイミングを逃しました。
路地裏みたいなところを数十秒走ると、伊那北に到着です。
ここの踏切も、よく渡りました。
背景の坂道が広くなっているようです。


ここでも停車時間はわずかです。
降りる間は取れませんでした。
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飯田線を乗り通す(その21 伊那市まで)

2022年06月05日 | 来た! 見た! 乗った!
自宅のバルコニーで、ヒマワリなどを育てています。
だいぶ大きくなってきました。
5月の天気が良くなかったせいか、アサガオの生育は遅れ気味です。

さて。
飯田線茅野行き225M列車は、駒ヶ根を14時40分に出ました。

駒ヶ根の市街地にある、おそらくNTTの電波塔です。
とくだん、ご紹介するようなモノではありませんが、学生時代いつも見慣れていたもののひとつ。
なんとなく、再会が嬉しくて。

14時47分、宮田。
反対側の車窓も、無理して撮ろうとしてます。
きょろきょろ、落ち着かない客ですな。
見慣れた風景が嬉しいだけです。


14時49分、赤木。
行政区域は、伊那市に入りました。
心の中は、ぱたぱたしてます。


学生時代に、このあたりで撮ったものをひとつ。
1991年5月です。


14時56分、下島。
線路に沿って、旧道が。


車でも何度も走ったし、
路線バスでも乗り通したし、
いちどは歩き通したこともある道です。
窓ガラスの反射が映り込んでいますが、そんなことはワタシにはどうでもいいのです。


きょろきょろ、ぱたぱたしているうちに15時00分、伊那市到着です。
以前は、ホーム上に立ち食いと弁当の売店、水車のモニュメントがありました。
それらは姿を消していまして、更地です。
寂しいものです。
それでも、コンクリート造りの重厚な上屋や、駅員さんの姿などは相変わらずでした。
帰ってきた気がします。

旅程の都合で、途中下車はできません。
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飯田線を乗り通す(その20 中田切川)

2022年06月04日 | 来た! 見た! 乗った!
自宅のPCの調子が悪くなってきました。
寿命かなぁ。

さて。
飯島、田切と北上してきまして、中田切川を渡ります。
田切のオメガカーブとして知られる撮影地ですね。

中田切川が刻んだ深い谷を越えるために、上流側にぐるっと迂回します。
速度制限が40キロくらいかと思われる急カーブの線路です。


こんな感じですね。
これは1991年5月の撮影。


中央アルプスを背景に中田切川を渡るという構図が、飯田線写真の定番のひとつです。
ワタシでも、このくらいは撮れました。
お天気に恵まれたっけな。


2022年3月に戻りまして、車窓から白い河原の中田切川。
それだけ、土砂の移動が激しいということでもあります。


ぐるっと谷を迂回するところを上流側から眺めると、こんな光景です。
こちらは1991年10月。
西から東を望み、背景には南アルプスの山々。

いまこの構図で撮ると、背景に伊南バイパスの長大橋が入るのではないかと思います。
明治から大正にかけて地元資本が鉄道を建設したときには、
作りたくても作れなかった直線的ルート。
潤沢な道路予算を見せつけられるような橋です。
自家用車の流れに取り残されながら、電車は谷を刻んで走ります。

まぁ、バイパスができる30年も前から、飯田線は完敗でしたけど。

14時26分、駒ヶ根到着。
14分の停車です。

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飯田線を乗り通しながら(その19 伊那本線)

2022年05月28日 | 来た! 見た! 乗った!
寄り道的なお話し。

30年くらい前に発売されたキットです。
ご存知のかたも、多いでしょう。


箱の裏面が、ジオラマの台紙としても使えるようにデザインされています。
これを見るだけでも、わくわくしてきますね。


バスの営業所のキットですが、路線バスのキットも1台付属しています。
当時のミニカーモデルにあわせて1/144スケールで制作されたキットです。
最近のバスコレクションと比べると、ひと回り大きくなります。

で。
キット説明書のうち、バスの部分。

伊那バスです。
飯島駅行きです。
学生時代に見覚えのあるバスですよ。

キット付属のデカールです。

説明書のイラストにある「旧道経由」の文字は、●●。
印刷の限界だったのでしょうね。

さて、飯島駅行きの伊那バスです。
30年以上前のことですが、飯田線に並行するバス路線がありました。
辰野~伊那松島~伊那市~宮田~駒ヶ根~飯島、とまったくの並行路線です。
その路線が、伊那本線です。

1987(昭和62)年の時刻表です。
バスターミナルで配布されていたものから、抜粋。

辰野~飯島で1時間40分ほどかかります。
飯田線の電車より、20分前後かかりますね。
伊那市近辺では、日中60分間隔ですので、わかりやすいダイヤです。
△印は休日運休ですので、日曜日に飯島まで行くバスは5本です。

1990年6月25日改正ダイヤでは、日中70分間隔になりました。
飯島まで行くバスは3本だけ、しかも全便休日運休です。
そのころ国の補助制度が変わり、鉄道に並行する路線では補助金の要件が厳しくなりました。
その影響を受けたものです。

キット付属の方向幕が、レアものになってきました。

1992年7月21日改正で、馬見塚~飯島駅前間は、廃止となりました。
馬見塚は、伊那福岡駅の近くです。


その後も伊那本線は段階的に縮小され、2008年に廃止となりました。
路線は各市町村のコミュニティバス路線に再編されましたが、
通しで乗り通すことはできなくなりました。

と思ったら…。
一部区間ですが、2017年に復活していたそうです。
箕輪町、南箕輪村、伊那市の3市町村にまたがる区間で、通しの運行が復活。
「伊那地域定住自立圏」の取り組みのひとつとして、実証実験として再開したと聞きました。
とりあえず初めの5年間は越えたようで、末永く続くことを期待しています。
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