鉄道模型・色差し三昧

精密な模型製品だからこそ、色差しを施しませんか?
より、魅力を引き出しましょう。
お気に入りができますよ。

あるスーパーマーケットの裏口

2018年08月29日 | 記録 程久保と高幡と
出勤途中の路上で、ちょっと夏痩せしていそうなスズメを見かけました。
かなり小柄でしたから、巣立って間もない幼鳥かもしれません。
夏から秋にかけて、充分に食べて冬に備えてほしいなぁ。

さて。
半月ほど前に、京王線高幡不動駅近くで撮影した、あるスーパーマーケットの建物です。
搬入のための、裏口ですね。

この建築物、ワタシが小学校に上がる前からあります。
ということは、築45年くらいか?
初めてエスカレーターに乗った記憶が、このお店です。

当時は、この手前の道路がメインストリートで、ここにお店の入り口がありました。
20年ほど前の区画整理で、メインストリートが画面奥手に移り、店舗は増築してそちらが入り口になりました。

よくよくみれば、往時の意匠が残っています。
個人的には、ちょっと嬉しくて撮ってきました。

まぁ、ひと様から見れば面白くもなんともないと思います。

ついでに。
高幡の消防署。
これも、ワタシの就学前からあります。


模型にすると、小柄でまとまりがいいかな?


火の見ではないようですが。


カタチは変われど、赤い消防車は今日も待機しています。
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寒かった早春の記憶 1995年3月26日の百草園、平山城址公園あたり

2017年04月04日 | 記録 程久保と高幡と
今年の春は、なかなか気温が上がりませんね。
桜が咲くのはいつだろうと気をもんでいらっしゃるひとも、多いと思います。
梅の開花は順調だった気がするんだけどな。

週末、むかし撮った写真をスキャナーで取り込んでいました。
その中に、3月下旬に浅い雪が残っている写真がありましたので、いくつか。
表題のとおり、1995年3月26日の撮影です。
また、色調など補正をしてあります。

この日は、東府中で撮ったのが始まりなようです。
なぜ、この駅に行ったのかは覚えていません。

発車する下り高尾山口行き。
行先表示幕が、ややずれていますね。

百草園も、地面は塗れていました。

6000系は、スカートの取り付けが始まったころです。

下り京王八王子行きは5772ほか。

約半年後、この車輌は中間に封じ込められ、5000系最後の1編成となります。

当時、5722編成と組んでいたのは5717編成でした。

空いていますね。
両先頭車は、一畑電鉄の5000系として再起を果たします。

急行電車が通過します。

20年後には中間車に改造されてしまう8752です。

上り新宿行き。

いまいち活用できなかったような5扉車6773。
のちに4扉化かいぞうという大手術を受けます。

今でも活躍する7000系。
もっぱら各駅停車用だった時代です。

この編成は、のちに中間車を増備し10輌固定編成となります。

平山城址公園まで来ましたら、残雪がありました。

さきほどの5717が折り返してきて、新宿へと上ります。後ろは

下り特急京王八王子行きは8763。

「みどりの高尾山」号として、フルラッピングされて活躍しています。

6712編成も、折り返してきました。

この編成は、帯が2色化されることなく廃車されています。

前パンタが特徴的だった6451。

この付近、現在では住宅で埋まっています。

6721と編成を組んでいました。

こちらは、まだスカートが取り付けられていません。

上り急行を撮って、おしまいです。

京王線の沿線に、まだかろうじて水田があったころの記憶です。
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高幡不動の駅前は狭かった

2014年12月05日 | 記録 程久保と高幡と
懐古趣味には走りたくないのですが。
なんとなく、後ろ向きでしょ?
もっとも、前だけを向いているのもどうかとは思います。

バランス感覚だよ、などと判ったようなセリフを吐くのも嫌だけど。

ええと。
20年ほど前の高幡不動駅前の写真が出てきました。
1994年10月16日というメモがあります。
ちょうど参道の前にバスが停まっています。
この塗装のバスを撮りたかったのかもしれない。

バスの背景に建つ「后会館」は、現存します。
レコード屋さんは無いけれども。
画面左の5番のバス乗り場は、日野駅行き。
ファミリーレストランと書かれた食堂では、バターラーメンを食べた記憶があります。


以下、1995年11月12日の撮影。

区画整理と再開発に伴い、駅舎の改築が始まっています。

仮囲いのあった部分には、定期券の発売窓口などがありました。
「后会館」の外装が変化していますね。

タクシー乗り場の背後、シャッターの下りたところは饅頭屋ではなかったかな?

忘れるものです。

駅前広場の舗装は、つぎはぎだらけです。

画面左に見えるカメラ屋さんのさらに左に、立ち食いソバがあった記憶が。

駅前広場の全景です。

遠景のマンション以外、写っているすべての建物は姿を消しました。
件のファミリーレストランは、すでにありません。
定点観察をすると、面白いだろうな。

古びたタクシー屋さんがありまして。

いつか模型にしたいと思いながら、撮ったような気がします。

もっと撮っておけば…とは思うものの、当時デジカメはありませんからねぇ…。

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高幡不動に行ってきた

2014年12月01日 | 記録 程久保と高幡と
高校時代の友人と飲むために、八王子まで行ってきました。
そろそろ忘年会のシーズンですからね。
道中、高幡不動に立ち寄り。

いつものように往復には京王線。
スピード遅くなったよなぁ…。
大規模更新を終えた8000系に乗ることができました。

ドア窓の形が微妙に調和を乱すのは、新京成8800形と同じ現象です。
がっかり。

中間封じ込めの運転室を、完全に客室とした注目の車輌。

行っちゃった。
観察記は、また次回にでも。

今回は、多摩動物公園行きには乗り換えません。

階段なしで2番線から乗り換えできた時代もあったのにな。
この時間帯は2番線を使わないダイヤになりましたので、何とか改善を。

高幡のお不動さんに久しぶりに。
15年くらい、間が空いてしまいました。

育った町です。
なじみの門前町です。
知っている…はずの参道。

むかしは、この道を路線バスも通りぬけていました。
いつも、車でごった返していたな。

区画整理で新しい駅前道路ができました。
一方通行になり、歩きやすくはなりました。

夕方なので、人影は少ないです。
通った古本屋がないのは、残念。

重要文化財の山門です。

この雰囲気は、好きだな。
でも、こんなに提灯並んでいたっけ?

参拝。
境内、こんなに狭かったっけなどと思ったり。

なんといいましたっけ、煙を浴びるやつ。
子どものころ、愉しかったこと思い出しました。

奥にも、足を運ぶ。


紅葉、盛りは過ぎたようですが。

日が暮れてきたので、画像は冴えません。

図書館にも、行ってきましたよ。

私が小学6年生くらいのときにできた建物です。

公共図書館として、日本で初めて建築学会賞を取ったのではなかったかな?

階段ホールが印象的で、いつか模型でも作ってみたい建物のひとつです。

自動ドアではなかったけど。


館内の書棚は、いまも変わりありません。
落ち着く。

市民ではないので、借り出せないのが残念でした。

そろそろ、閉館の時刻です。


お隣の消防署も、ついでに撮影。

こんなに小さかったっけなぁ。

このあと、八王子に向かいました。
帰りに乗った8000系の話しは、次回にでも。

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ふるさとばなし

2014年01月29日 | 記録 程久保と高幡と
月曜日に、小学校時代の友人で集まって飲んでいました。
小さな同窓会、というところですね。
なかには、卒業以来会ったことのなかったひともいまして、
それこそ、33年ぶり。
いやはや、顔と名前が出てきません。

仕事も、
住所も、
かかえている子どもの年齢も、
みな、ばらばらです。
ひところ、同じ校舎にいた連中が散っていき、
それぞれに生き抜いてきて、
たまたま縁があって再会。
不思議なモノです。

とうことで、育った町の電車の写真をまとめて再掲。
あおうそう、時系列はめちゃくちゃですよ。

ま、こんな駅です。

雑木林の多い、丘陵地を切り開いた住宅地が、我々のふるさとでした。
最近は高齢化が進んでいると聞きます。

動物公園への行楽客を運ぶためにひかれた線路ですから、
人出に備えて駅のホームの幅が広いのです。

大学も移転してきましたから、学生の利用も多かったのですが、
昼間は閑散としていました。
並行してモノレールができてしまったので、今は四六時中閑散としています。

モノレールの駅が景観にマッチしているとは…

…いまだに思えないんだけどなぁ。

駅前には、丸いポストがありました。
2010年5月には、まだあった。

背景に写っているパステルカラーの駅舎も、解体されてしまいました。
もっとむかしは、シックな山小屋のような配色だったのですが。
ふざけているとしか思えなかったのも、思い出です。

この支線は、ほぼ全線が山肌に沿って走ります。
山というよりも、丘陵地なのですが。

ともかく、ぐねぐね。

アカマツとクヌギの林です。

そうです。
カブトムシやクワガタが捕れます。
マムシに注意するよう、言われました。

東京近郊でありながら、緑濃い路線です。

「小天狗」って、たしか、学生向けの雀荘です。
いまもあるのかな?

ときには、こんな電車も走りました。
半年間の期間限定。

当時は、ラッピング電車って珍しかったですね。

並行する都道には、桜並木が続いていました。
見事でしたよ。
一抱えほどもある、立派な樹になっていました。
モノレールを作るために道路を拡げるから、という理由であっさり切られました。
移植するとか、新たに植えるとか言っていましたが、
すべて大嘘だったようです。

右上に見えるのが、我々の通った小学校です。
教室の窓からは、電車は見えませんでした。

雪も、降ります。

翌朝になると、坂の登れなかった車がたくさん、ふもとに路駐してあったり。

お買い物は、ひと駅乗って。

いや、自転車で行くことのほうが多かったです。
帰りは必ず、上り坂。

ここに行くとすべてが揃う、そう信じていた時期があります。

いつかは、みな、巣立つのですよ。

近代建築だったんだけどなぁ。


いまも、折り返し電車が走っています。

短いワンマン運転ですけどね。

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本を買って、京王電車の思い出話し

2013年02月27日 | 記録 程久保と高幡と
発売から数日が経ちましたが、買ってきました。
ワタシが育った町の電車、京王線の緑色の電車たちの本です。

さすがに、左に写っているような旧い電車は見たことないけど。

2600系の項目で、高幡不動駅1番線に佇む晩年の2610以下4輌編成の写真があります。
もうね、感涙モノです。
なぜなら、小学校1~2年生のあいだ、毎朝乗った編成だからですよ。
詳しくは…本を買ってくださいな。
いちどだけ、頼まれて作ったことがあります。
いつかは手元に残したい1編成。

どうでもいいことですが、背景に写っている高幡の街も懐かしいものです。
「ハイマート高幡」なんて、あったなぁ。
ワタシが小学校に入るころまででは、高幡不動駅前でいちばん背の高いビルでした。

再開発により解体されていまいましたが、その直前1996年11月の撮影。
1階にあるパン屋さんで、よく「1斤半の食パン」を買っていました。
ローカルネタで、申し訳ないけど。

京王ストアも、建て替えられています。

1975(昭和50)年秋の開店だったと思うけど。
線路に平行するこの道路は今もありますが、バス停は移動しています。

今から思うと狭い、駅前広場でした。


もう1点、時刻表。

先週の金曜日から、ダイヤが変わっていたのですね。

本線と動物園線との直通列車が、激減しました。
じつに、休日朝の下り急行1本だけというありさま。
上りの直通急行は、無くなってしまいました。

1993年4月。

1994年5月22日、以上2点再掲。

平日朝に新宿から下ってきていた直通快速も、ドコへ消えたやら。
寂しいなぁ。

ふるさとは遠くにありて想うモノ…

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DAXとナイトZoo

2011年08月07日 | 記録 程久保と高幡と


高校時代の友人と、多摩動物公園に行ってきました。
今月の土日は、夜8時まで開園時間を延長しているのです。
日が暮れて、活発になったトラを、初めて見ました。
ただねぇ…。
案外、人出がありました。
動物たちは、さぞかし落ち着かなかったことでしょう。

携帯からの投稿です。
1、2枚目の画像は、ちょうど多摩動物公園駅に来た京王の検測列車。
これについては、また改めて。

3枚目は、多摩動物公園内のキャンドルの演出。
クジャクを形どっています。
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人だかりを見に…「ありがとう6000系フェスタ」

2011年02月27日 | 記録 程久保と高幡と
日曜日朝の京王線新宿駅。

手前が3番線、準特急高尾山口行き。

次発急行多摩動物公園行き。

最近は乗らなくなったせいですが、急行というと白地に赤文字の種別幕というイメージがあります。
緑地の種別幕は、どうも落ち着きません。
なんだか、準急か快速のような気がするのです。
ワタシだけでしょうけれど。

小一時間で多摩動物公園駅です。
ワタシの育った駅です。
帰ってきましたよ。

7202編成が待っていました。
次期専属車かな?

すでに、人だかり!

コアラ来日直後の喧騒を思い出します。

「6000系ありがとうフェスタ」でのグッズ販売の列。

昔は、広場の真ん中に大きなセコイヤが植わっていたのですが。
キリンのモニュメントとデハ2410保存車もありました。

ともかく、広場いっぱいに人の列。

30年前なら、帰りの切符を買う人で広場が埋まったものです。
手前の程久保川の玉石垣なら、その時代を知っているはず。

閑散とした現在の多摩動物公園駅しか知らないひとには想像はつかないと思いますが、
臨時改札だって、降車専用ホームだってあったんだぜぇ。

まぁ、最近では見ることのない人出でした。

撮影会場にやって来る6022編成を待つ人々。

人々!


構える人々!!


モノレール開通以来、めっきり通り過ぎる学生も減って、
地元住民が通るだけの小道が埋め尽くされました。


電車が来まして、撮影会が始まりました。

お祭りだね。

楽しそうです。

車内にも入れます。

まだ信じられないのですが、この1番線に6000系が入線する機会はこれが最後でしょうね。
平日の通勤快速や休日の急行…。
数えきれないほどたくさんの6000系が、この地点で停まったものでした。

暖かい、早春の一日でした。

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旧友に会いに・後篇

2010年12月01日 | 記録 程久保と高幡と
早や12月ですね。
毎年、そんなことを言っているような気がしますが。

去る28日、中学時代の友人に会いに、高幡不動まで行ったときの記録、続編です。

笹塚から快速電車に乗ると…、
快速と言いつつ、隔駅停車くらいのマメさで停まる電車ですが、しばらくすると調布です。
ただいま、地下化工事の真っ盛り。
フェンスやら仮受けやらが目立ちます。
殺風景といえば、殺風景。

画面左手の出発信号機に大きくて白い☓印があるのは、
左側へ伸びる相模原線が本線に先駆けてATC化されているため。
本線は、来年でしたっけ?
過渡期の光景です。

八王子方から準特急が到着。

じつは、ここで撮ったのは初めてです。

多摩川越えて、高幡不動。

車庫を越える跨線橋に行ってみました。

周辺にマンションなどが立ち並び、ずぶんと狭く感じられるようになりました。
20年、30年前と比べての話しですが。

すっかり様変わりした(20年前と比べての話しですよ)高幡不動駅ですが、
自分にとっては懐かしいモノを発見。

通学路として、通算で5年くらい潜り抜けた地下道です。
当時は、歩道と車道に分かれていましたが、いまは歩行者専用。
でも、相変わらず、狭い。

入換中の2010系とか、よく見たなぁ。


駅ビル側は、一見、地下駐輪場の入り口のようですが、れっきとした公道です。


駅前広場。

以前は、バスの待機場になっているあたりに銀行が建っていました。
15mくらい、セットバックしたことになります。

それでも駅舎が大きくなったので、昔に比べて広くなった気がしませんでした。

降りるたび、よその惑星に来た気がする高幡不動駅前です。

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昭和48年のこと

2010年10月07日 | 記録 程久保と高幡と
引退したお釜の話しの続きです。

1973(昭和48年)年製です。

昭和48年といえば、ワタシは保育園児です。
うちは男3人の兄弟でしたから、ワタシが高校生になったころに1升炊きの炊飯器が入りまして、
お役御免となりました。
のちに、一人暮らしを始めるときに復活、結婚してからもそのまま。
親子2代に渡って、子どもを育ててきたお釜です。

その昭和48年
通園バスに乗る日々が始まりまして、ワタシの世界が広がり始めます。
動物公園線に沿った道を進み、浅川という川を渡っていくのですよ。

ちょうど高幡橋を架け替えていたころで、毎日の工事中を見るのが楽しみでした。
架け替えによって、南詰めにあった京王線との立体交差化がなされ、踏切が無くなりました。

そこで『国土画像閲覧システム』から、昭和49年の高幡不動周辺。
こちらの画像の左上側を抜粋。
ほぼ中央に見えるのが、京王線の高幡不動駅。

曲がりくねった浅川に白くて大きな橋が架かっていますが、これが建設中の高幡橋。
その右側の細い線が旧橋で、元の画像をみると踏切待ちの車の列をなしていることが判ります。


当時の動物公園線は、2600系が専従車。

なんか変な顔の電車でねぇ。
板棒組み立て式台枠という、やや毛色の違う台車を履いていました。

本線は5000系が主力。
もちろん7輌編成で、特急はぜんぶこれ。
6000系は6連で、急行用だった気がするなぁ。
先頭車はすべて分散クーラー車でした。


後年の撮影でスカート付きですが、イメ-ジ画像ということで。
ちなみにこの6712号車はまだ製造されていません。

当時、お買物と云えば高幡の「忠実屋」か高幡台団地の「青楓チェーン」。
「青楓」のある団地の73号棟は11階建て。
日本一の高層建築物だと信じていました。

耐震基準に満たないとかで、最近になって取り壊されています。
泣けるなぁ。

高幡不動駅前でいちばんの高層建築物は、「ハイマート高幡」。
モダンな建物だと思っていたのですがねぇ。

1997年ごろ、区画整理に伴い姿を消しました。
この画像は、解体直前。
背景に見えるマンション群は、撮影の2~3年前に建ったばかり。
それまでは、辺りを見下ろすようなビルでした。

京王ストアは、まだありません。
空き地になっていて、京王帝都バスの転回場として使われていました。

小学生のころ巨大に見えたこのショッピングセンターも、もっと大きな駅ビルに建て替えられています。

以上、ほとんどの方にはどうでもいいような思い出話でした。
お付き合いくださり、ありがとうございました。

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