鉄道模型・色差し三昧

精密な模型製品だからこそ、色差しを施しませんか?
より、魅力を引き出しましょう。
お気に入りができますよ。

編成表から~キハ58系を組み込んだローカル列車

2018年04月07日 | あの列車を作りたい…編成表から
仕事帰りの電車で寝過ごすと、ひと駅戻ろうとしてふだん縁が無い時間帯の上り電車に乗ったりします。
見慣れている区間のはずでも、日は暮れていますし車内は空いています。
まったくの別世界。

自分の知っている世の中は、狭いです。

さて。
キハ58系のリニューアル製品が発売されたようで…。
すぐに飛びついて買うということはしませんが、なんとなく気になる。
で。
ちょっと、むかしまとめた資料をめくってみます。

国鉄のディーゼルカーらしく、他形式との混成になっているものを集めてみました。
何れも再掲です。

水郡線です。
キハ40系、20系との混成です。


廃止された大社線で、キハ58形のトップナンバーを見かけました。
なぜ、撮らなかったんだろう。


奈良や亀山近辺では、通勤型のキハ35系との混成もありました。



四国では、急行編成には協力型キハ65系が組み込まれることが多かったのですが、
ローカル列車では、思い出したかのように1~2輌混じっていたりします。



塗装の変更が始まったころの大糸線。
同じキハ58形でも、印象が大きく違いました。


皆さまそれぞれの作品に活かすのは構いません。
ただし、その作品をどこかに発表されるばあいは、ご連絡ください。
無断転載は禁じます。


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編成表から~50系客車最末期の播但線 そして、今年の目標について

2017年01月07日 | あの列車を作りたい…編成表から
ときおりお見せしている編成表ですが…

これを、本にまとめることができないかなぁ…という相談を、あるところにしました。

illustratorで版下を作ればいいよ。
そんなお返事をいただきまして。

勉強しますよ。
ブログの更新間隔が開くかもしれませんが。

そうそう、複製と転載は禁じます。
しかしながら。
これをヒントに、作品を作られるのは構いません。
むしろ、インスピレーションのお役に立てるなら大歓迎。
ただし、発表される場合は、引用元(ここですよ)を明示してくださいね。
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飯田町発着の紙列車

2016年08月10日 | あの列車を作りたい…編成表から
日本が発祥の柔道ですが、オリンピックの放映を見ていると、
実にいろいろな国から選手が集まってきていることが分かります。
とくに1回戦、2回戦あたりだと、言うのもなにですが、レベルとしては高くない選手もいます。
それでも、その国の第一人者です。
そしておそらくは、その国で最も柔道が好きなひとりでありましょう。
それが、おもしろい。

ワタシは、柔道は高校時代の体育の授業で少しかじっただけですが、
見ていて思わず、声をかけたくなります。

さてと。
飯田町貨物駅の話しも、そろそろ尽きてきました。

ワタシが撮った紙列車の最後は、同じく1997年2月22日の富士行き3463列車でした。
空車のはずです。


歩き慣れた飯田橋・市ヶ谷間、新見附で待ち構えます。
飯田町駅での入換を担当するDE10形の牽引でした。


じりじりするくらいゆっくりとした速さで、走り去ってゆきました。


で。
撮らなくても、メモしておいてよかったなぁ、という記録を。
皆さまのイマジネーションの素となれば、嬉しいですね。
なお、そのまま他へ発表される場合は出典の明記とご一報を。

東北線大宮駅で見た長大編成。
貨物時刻表で調べたら苫小牧始発で驚いた、という記憶があります。
これが、青函トンネルを抜けてきたのかぁ。
途中駅で増結された車輌もあるかもしれませんが、不明です。
回送車の区間も、メモはなし。


こちらは新宿駅での記録。
中央線の上りホームと下りホームの間に1本中線がありまして、ここに停まっていました。


もうひとつ、新宿駅で。
列車番号が違いますが、運転時刻が近いですから、同じ性格の列車とみて間違いないと思います。
日によって、編成の長さが違いますね。


この紙列車は、模型で再現したいと思ったことがあったのですが、未だに果たせていません。
こちらは10年前の色差しの記録ですが、進捗なし。
ちょっと、模型製品の貨車の高さに疑問があって調べたこともありました。
されもこれも、むかしばなし。
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編成表から~485系国鉄特急色の記録

2016年06月25日 | あの列車を作りたい…編成表から
雨上がりの夕方のこと。
会社の近所の公園で、子どもたちが遊んでいました。
小学校3~4年生くらいかな。

男の子ふたりと女の子ひとり。
よく見ると、泥だらけ。
と、思ったら…。

水たまりに敷石か何かを投げ込んで、しぶきを上げさせて遊んでいるのでした。
洗濯が大変でしょうねぇ…。
どっぽ~ん!

どっぽ~んといえば、イギリスのEU離脱による世界経済への影響ですが…。
どうなるでしょうね?

さて。
世界経済の動向にかかわらず、道楽話し。
思い立って、485系特急型電車の記録を数点。
手書きですが、読めますよね?




ワタシの手元には、12輌編成が1本います。

KATOの旧製品ですよ。

色差しをしたのは十数年前かな。

これの話しは、いずれ機会のあるときに。
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編成表から~マニ50形の編成記録

2015年12月11日 | あの列車を作りたい…編成表から
長男の通う高校で、体育館を建て替えることになったそうです。
耐震基準の引き上げもありますからね。

この体育館前には、立派な杉の木が植わっていました。
校樹だったそうです。
ところが、重機の邪魔になるそうで、あっさりと伐られてしまいました。
哀れです。

さらに哀れなことに…。
旧館の解体も終わり、プレハブの現場事務所も建ったにもかかわらず、
一向に工事は始まりません。
なんでも、施工業者が決まらないという噂。

もしや…。
基礎杭の問題かな?

さて。
KATOからマニ50形を単品で発売という発表がありました。
TOMIXの製品化は1980年でしたから、36年目にして競合製品が現れたことになります。
どんな仕上がりの製品になるか、気になりますね。

ワタシのメモから、マニ50形を連結した列車などの記録をまとめてみました。
いずれも、実車が活躍していた時代、すなわち国鉄があったころの記録です。

禁無断転載。
個人で楽しまれるならば、ご活用くださいね。
雑誌などで発表されるときは、事前にコメントの記入と出典の明記をお願いします。


字が汚くて、申し訳ありませんでした。
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京王帝都5000系狭幅車の編成記録

2014年07月24日 | あの列車を作りたい…編成表から
模型では、冷房無しの時代の車輌をいろいろと作っているくせに、
日々の通勤で冷房無しだなんて、考えられません。
車輌によって効きが違うこともあるので、どれがいいだのと気にしたり。
送風の良しあしで、心地よさが違ってくるような気もします。

で。
冷房付きの電車の到着を今か今かと待つ帰宅時のホーム。
列の後ろのほうで、女の子の話声が聞こえてきました。
「浴衣、着てみるの?」
「DVD見ながらやってみる!」
「がんばってね」
だって。
おぉ。
そんなDVDがあるのですね。

さて。
週末発売と聞く、鉄道コレクションの事業者限定製品に合わせて、
実車の記録を、掘り起こすことができました。
狭幅5000系、5701~5706編成の記録です。



読みにくいとは思うのですが。
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編成表から~キハ181系の編成記録

2010年09月04日 | あの列車を作りたい…編成表から
引退迫る、
そしてKATOからの製品化が決まった、
キハ181系の編成記録をピックアップしてみました。
例によって無断転載、商業目的の利用はお断りしますから、よろしく。
これを基に特定ナンバーで模型を作りたいというひとはどうぞ。

まず、四国編。
両親が四国高知の出身ですから、高松運転所に配置されていたキハ181系には馴染みがあります。

国鉄時代の高知行き「南風」。
この時期の土讃線は、まだ特急よりも急行のほうが本数が多かったのでした。

キロ180-103は、四国向けの車販準備室付き。

JR四国になって、塗装変更があらかた終わった時期。
色が飛んでいて判りにくいかもしれませんが。

すでに、キロ180→キロハ180形への改造はすべて終了しています。

四国のキハ181系の最後の記録。
多度津駅で廃車待ち留置の様子です。

現役だったころには考えられなかった編成ですが、これで本線を走ったことはないと思います。

では、山陰編。
食堂車付きの「やくも」を記録したかったなぁ。



20年以上前の「はまかぜ」です。
智頭急行開業前は、大阪・鳥取間の最速ルートが播但線回りでした。

智頭急行線が開業し「はくと」が走り始めたので、「はまかぜ」の需要が減ったのです。
いま、8輌編成が走ったら大騒ぎでしょう。

数年後。
播但線で客車列車が最後の活躍をしていたころ。

向日町持ちの5輌編成。

同じ日の米子持ち6輌編成。

この当時は、2所で受け持っていたようです。

山陰西部で走っていた「おき」。

キハ180-18は車掌室付きに改造された車輌で、他のキハ180形よりも定員が減っています。
これは「おき」が1976年にキハ181系化されたときに、グリーン車なしの編成が生じたため用意されたもの。
グリーン車を組み込むのであれば、車掌室はキロ180形にあるそこを使うわけですから問題は起きません。
当時は、グリーン車なしの特急列車といえば「いしかり」と「おき」の1往復くらいのもの。
車輌需給の関係だと思います。

さいごに、ワタシが見た極めつけの珍編成。
間合い運用とは思いますが、国鉄時代末期の快速列車。
4輌編成で、サービス電源3基もあるいっぽう、便洗面所は1組だけ。
座席定員の3輌分を下るでしょう。

たしか、最後尾のキハ181-49は車側の白灯が点いていた記憶があります。
エンジン停止の表示ですね。
故障車の回送を兼ねていたのかもしれません。

最近10年は、実車を見ていないなぁ。
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編成表から~カヤ24形式の記録

2009年12月18日 | あの列車を作りたい…編成表から
17日夜に放送されたNHK番組「クローズアップ現代」は、
先日廃止されたオリエント急行を取り上げていました。
パリからイスタンブールへの直通は30年も前に廃止となっているのですが、
運行区間を縮めながらも今日まで生きながらえてきたのでした。
ワタシは録画しましたが、再放送はあるのかなぁ?

ということで、ブルートレイン。
短い電源車、カヤ24形を組み込んだ編成の記録を探し出してみました。
Nゲージでは、とうとうKATOからも製品化されましたね。
16番でも、カツミが十数年ぶりに再生産しています。

年代順に4例いきましょうか。
まず、新潟・大阪間寝台特急「つるぎ」。

配置区などから、
カニ24はカヤ24の、オハネ2531と7はオハネ24形式の、オハネフ2524はオハネフ24形式の誤記だと思います。
トワイライト塗装のEF81形も、いつしか20年になるのですね。

大阪・東京間寝台急行「銀河」。

PF牽引のカヤもあったのです。

大阪・青森間寝台特急「日本海」。

JR東日本車とJR西日本車とが混じっているかも?

上野・青森間寝台特急「出羽」。

今日の「あけぼの」のルートで走っていました。

こうやって見ると、牽引機は様々ですね。

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編成表から~続・DE10牽引の列車の記録

2009年08月28日 | あの列車を作りたい…編成表から
昨日に引き続き、DE10形が牽引する列車の記録を探し出してみました。
ワタシが実見したものだけですkら、事例集としては偏りがあります。
あしからず。

北海道のDE10形と云えば、釧網本線の貨物列車ではないかと思います。
重連が牽く石油タンク列車。
斜里から釧路へ行く列車ですから、空荷かもしれません。

気動車特急ファンのかたは、「オホーツク5号」にも注目を。
電源を積まないキハ183-500形とキハ184形がペアになっている例です。

宗谷本線の上りコンテナ列車。
たしか、旭川での記録ではないかと思います。
塩狩峠を越えてきたところですね。
DD51形との異形式での重連。
もちろん、総括制御をしています。

コキ60000形は、国鉄時代の末期に不足気味のコキ50000形を補うべくコキ5500形の台枠を延長したという珍車。
キハ40形は、まだワンマン改造されていません。

スキーブームのころの大糸線。
関西からの臨時列車「シュプール号」は、北陸線経由で大糸線に入ってきました。

客車列車3本立て。
いまとなっては、豪華に見える顔ぶれです。
プッシュプル運転となっているのは、白馬で機回しができなかったから。

最後にご紹介するのは、長岡のDE10形。
急行「能登」が客車だったころ、
牽引していたEF62形は直江津口の間合い運用で貨物列車を牽いていました。
その列車を見に行ったときの記録です。
わずかな距離の列車なのですが、直江津で機関車を交換、ラスト区間だけDE10形が牽いてたのです。

化成品タンク車による専用列車です。
いちいち形式と用途が判るなら、あなたは立派な貨車マニア。

汎用機関車ですから、いろいろな列車を牽いていたのですね。

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編成表から~DE10牽引の列車の記録

2009年08月27日 | あの列車を作りたい…編成表から
夕方、仕事場を出たら涼しいのに驚きました。
例年なら、クーラーの利いた社屋を出た途端に、蒸し暑さにまとわりつかれるのですが。
ぎょっとするくらい、涼しい夏です。
もっとも、これから暑さがぶり返したならば、それはそれで文句を言うのでしょうけれどもね。

さて。
DE10が発売になっておりますので、記録を掘り出してみました。

スキャンしたわけですが、読みやすく取り込むのは難しいですね。
手書きのものだからでしょうか?
色を鮮明に残せないのがもどかしいところです。
皆様方の想像力で、補ってくださいませ。

国鉄時代末期の四国の例です。
この当時、客車列車はすべて50系になっていました。

青い荷物車マニ50形は、東京南局汐留駅の配置です。
南国高知から、四国の脊梁山脈を越え、宇高連絡船に乗り、
山陽・東海道と日本のメインラインを東上するのです。

こちらは、JRになって浅いころの四国の記録。
連絡船から降り立った深夜の高松駅での記録です。
ちなみに、宇和島行き急行「うわじま1号」は、夜行列車です。

コンテナ車は、すべて4個積み改造後のコキ5500形。
車掌車が2か所に組み込まれていますから、途中で分割する列車かもしれません。

姫路・和田山間の播但線は、四国に比べると編成が長いですね。

DD51形に混じって、DE10形も運用されていました。

最後は、東京都区内の例。
板橋駅で、貨物営業をやっていたころの記録です。
すでに赤羽線ではなく埼京線になっていますが、こんな列車もありました。
池袋・板橋間だけがDE1形の牽引です。

黒いトキは、東武鉄道のトキ100形。
再現してみようというひとは、いますか?

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