鉄道模型・色差し三昧

精密な模型製品だからこそ、色差しを施しませんか?
より、魅力を引き出しましょう。
お気に入りができますよ。

さようなら 新京成の桃色タヌキ

2020年01月16日 | 記録と記憶……実車あれこれ
今週火曜日14日をもって、新京成の8518編成が運用を離れました。
新京成8000系というと電車は、前面のスタイルから誰が名付けたか「くぬぎ山のタヌキ」。
1978(昭和53)~1986(昭和61)年にかけて6輌編成が9本登場しましたが、徐々に減少。
1編成だけが、現行のピンク色の塗装を纏っていました。

2019年7月17日


ワタシが最後に出会ったのは、今年1月10日の夜のこと。


最後に乗れたのは、先月12月27日の朝でした。


曇った窓ガラスが、冬の朝のラッシュアワーを物語ります。


12月25日には、帰宅する時間に乗っていました。
前面を撮ったのは、これが最後です。


昨年11月ごろに、新京成では行先表示に駅ナンバーの並記を始めました。
ところが、この編成だけは更新されませんでした。
ですから、次期廃車候補かなぁ…とは思っていたのです。

2019年11月26日


ピンクの車体に磨き出しの切り抜き文字。
この車番も、見納めが近いなと感じたのでした。

2019年11月26日


日々利用する路線ですが、いざ撮るとなると、仕事帰りばかりです。

2019年11月8日


もう、反対側のホームに現れるともありません。

2019年5月24日


見慣れた電車が消えるということは、寂しいものです。
ついこの間まで、まだまだ元気だと思っていたのですが。

2018年6月30日


残るタヌキは、僅かに1匹。



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例年のお出かけ 郵政博物館の展示から郵便車のことを感じ取りたい(その3)

2018年10月17日 | 記録と記憶……実車あれこれ
郵政博物館での企画展から、パネル展示を少々。

なかなかうかがい知ることのできない郵便車の車内について、パネル展示もありました。
マユ36120形はのちのマユ33形で、1937(昭和12)年製。
マユ3414形はおそらくマユ34形のうち郵政省所有の1~4のことで、1938(昭和13)年製。
区分棚の上に明り取り用の窓が設けられたのが特徴で、写真でもそれが判ります。


車内で作業をしている写真というのは、かなり例外的な存在と聞きました。
通信の秘密を守るため、というのが理由だそうです。
だから、貴重な写真かも…と思いながら。


郵袋を数えている写真もあります。
数えることは、仕事の基本ですからね。


スカイツリータウンという土地柄のためか、東武鉄道の郵便電車についてもパネル展示がありました。
新旧混結が愉しい東上線電車。
後ろは、3000系更新車ですね。


先ほどの国鉄の長距離列車に比べると、取扱量が違うなぁ…という気がします。


乗務している職員の数も、少なそうです。


これも、東武鉄道の郵便荷物電車。


小さいながらも、区分棚はきちんとしたモノが載せられていたようです。
明かり窓が無いので、暗そうに見えますね。


郵政博物館ですので、鉄道を扱った切手についての展示もありました。
その中には、見たことがある図柄の原板がありました。
切手の寸法に比べると原板は大きいので、ちょっと愉快です。


こちらは、モンゴルの記念切手。
世界の鉄道シリーズ、みたいなものでしょうか。
赤いけれども、新幹線がいます。


リベリアの記念切手には、どう見ても1号機関車が。
とすれば、世界の鉄道事始め、のようなシリーズかな?
着物姿の女性と並べて、国柄を出そうとしたデザインのようです。


新幹線は、ハンガリーの記念切手にもありました。
こちらは、ちゃんと青くなっています。
展示位置の照明の都合で、よく撮れませんでした。


なお、来る10月27~28日には、有数のコレクター諸氏による鉄道切手のコレクション展示も予定されているそうです。
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小田急7000系LSEお名残り乗車(後篇)

2018年07月07日 | 記録と記憶……実車あれこれ
ワタシの住んでいるあたりは、何事もなく平穏です。
地震はありましたが、さほど危ないものでもなく済みました。
いやはや。
被災された方々には、お見舞い申し上げます。
創作や復旧に当たられる方々には、頭が下がります。
平穏であることに、感謝。

さて。
早くも1週間が経ちました。
小田急ロマンスカーLSEのお名残り乗車。

再掲です。

このフォルムが、ロマンスカーでした。
とくに鉄道に興味がなくとも、いちどは乗ってみたい展望席のある電車。
そのインパクトは、忘れられません。

これも、再掲。

黄色い矢印のあるところが、展望室の上にある運転席に上がるためのハッチと梯子です。

梯子は、こんな感じでした。


通路を挟んで反対側は、ただの台になっています。
後に見えるのが、乗客の乗降用のドア。


展望室の天井は、ややドーム状の間接照明になっています。
模型では、ここまでは作れないけれども。


再掲ですが、一般客室の天井。


車掌室は、通常の床面にあります。
すぐにホームに降りられるようでなくてはなりませんからね。


車内側は、こんな感じでした。
貫通幌の形も、わかります。


乗客の乗降ドアは、内側が青く塗られています。
80年代のおしゃれ、という感じもします。


乗降デッキには、編成の案内図がありました。


開けられるトイレの窓に、奇妙な懐かしさを感じます。


ちょっと窓が汚れているのが、残念でした。


帰りも、あっという間に新宿に着いてしまいまして。
お客さんを降ろすと、すぐに折り返しのための車内整備が始まります。


妙に暑いな、と思ったら、床下の抵抗器でした。
この系列は電気制動で、回生制動を採っていません。
最近の電車では感じる機会の減った、廃熱でした。


かくして、伝統的なカラーを纏った特急電車に別れを告げてきました。

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ふなっしー電車 新京成8816編成

2017年08月24日 | 記録と記憶……実車あれこれ
これが来ると、気が抜けるのです。


とにかく、騒々しくて。


でも、乗るたびに撮りたくなります。


時間がありましたので、1輌づつ記録しておきました。
京成津田沼方の先頭車8816-1。

もともと中間付随車だった車輌ですが、8輌から6輌に編成を短くしたときに運転台が取り付けられました。
したがって、他車とは側面の方向幕の位置が異なります。
まぁ、ふなっしーの騒々しさの前には、どうでもいいことです。

3輌目8816-2。

中間車に貼られたステッカーは、基本的に同じ順序のようです。
まぁ、ふなっしーの前では、どうでもいいことです。

2輌目8816-3。

もともとパンタグラフの無い中間電動車でしたが、編成短縮時に搭載しました。
したがって、他車とは異なるシングルアームパンタです。
まぁ、目の前にすると、どうでもいいことです。

4輌目8816-4。

弱冷房車です。
したがって、側ドア上部には花飾りのようなステッカーがありません。
まぁ、どうでもいいことですね。

5輌目8816-5。

車内についてはとくに装飾はなく、他車と変わりありません。
乗ってもスペシャル感が無いのは、残念至極。
この電車が来ると、記念撮影をするお客さんも多いのです。
どうでもいい…とはちょっと言い難いところ。

6輌目8816-6。

この編成の運行予定は、電鉄のホームページにも載っています。
ご参考までに。

寝そべっているこ奴を見るたびに、頑張ろうと思えてきます。

不定期で、車内アナウンスをふなっしーがしているそうですが、まだワタシは聞くことができていません。
朝晩のラッシュ時では、無理なのでしょうかね?

運行は9月30日までの予定だそうです。
ご乗車は、お早めに。
期間延長、してくれないかなぁ。
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画像を整理していたら 総武快速線113系の記憶

2017年04月09日 | 記録と記憶……実車あれこれ
土曜日は、春の小糠雨です。
傘を差していても、どうやっても濡れるやつ。
出かけた次男が、ずぶぬれになって帰ってきたのでした。

吹き込んでくるのは、この季節だからかな?
風の強い一日でした。

で。
塗装できないとなると、なんとなく模型を作る気力が湧かず。
むかしの写真を取り込んでおりました。

総武快速線の113系を撮ったものが数葉ありまして、お目汚しです。

これまた春の小糠雨、錦糸町で留置中の編成はクハ111-1437以下の編成。

1999年3月25日の撮影です。

いつも日中は電車が留置されています。
撮りやすいようにも思うのですが、手前の柵が邪魔ですね。
サロ110-1256、1999年3月26日。

長大編成を目に焼き付けておこうと思ったときの1枚。
半年先に引退が迫っていたころでした。

平井~新小岩間を走行中の久里浜行きはクハ111-1504、1999年4月1日。
もう、乗れませんね。

ちょっと狭いボックスシートですが、ワタシはわりと小柄なので、さほど苦はなりません。

クハ111-1036は元冷房準備車だったので、扇風機操作スイッチを外した跡がありました。
1999年6月7日です。

よく知られたゾロ目ナンバー、クハ111-1111。

1999年4月30日、錦糸町。

昼下がりの発車待ち。
朝ラッシュ時のような混雑時には、吊革が少なかったので辛い電車でした。
日中なら、座席が多くてありがたかったのですが。

クハ111-1504、1999年5月13日の津田沼です。

まあ、いろいろな思い出があるから、模型を作るのですよね。



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合造客車を調べていますけども

2016年12月05日 | 記録と記憶……実車あれこれ
「肺炎じゃないの?」
かみさんに言われて、内科に行ってきました。
半月以上、咳が止まらないですから。

レントゲンも撮りまして、その心配はないね、と。
「きれいな肺ですよ」
そう言われてきました。
「タバコはお吸いになります?」
「吸わないですけど」
うん、きれいですと仰ったあとで、どんな確認なんだろう?

ええと。
休日のたびに、だらだらと調べ続けていることがあります。
国鉄の合造客車の数の変化が気になる。

たとえば、こんな客車です。
オハニ30形とか。

オハニ61形とか。


客室と荷物室などが合わさった車輌で、編成のアクセントになる存在ですね。


このオハニ61形などは400輌以上が作られています。
のちにディーゼルカーや電車に置き換えられたとしても、ちょっと数が多い。
マニ60形などの全室荷物車に改造されたから短命ではなかったのだけど、改造された車輌のほうが多いのです。
不要な形式を量産したとは思えませんが、10年経たずして大半が改造されたのですから、減少ぶりが気になる。

配置表から、配置数を抜き出しました。

Nゲージ量産製品を通じてわりと知られている形式に、地色をつけてあります。

なぜ、これだけ減ったかな。
表計算ソフトのありがたいところで、あっという間にグラフができました。

だから?

形式数が多すぎるので、整理整理。

オハニ61形の減少っぷりが際立つようなグラフができました。
だから??

電車化、気動車化に伴い数を減らしていることは言うまでもないのですが、
そもそも、これだけの大量な数を、どのように運用していたのかが、わかりません。
ローカル線のすべての列車に、1輌づつ組成されていたのかなぁ。

各車の履歴を追いたいのですが、ちょっと数が多いですよ。





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編成表から~スユニ50形の編成記録

2015年12月13日 | 記録と記憶……実車あれこれ
高校生のころですから30年くらい前のことですが、よくSF小説を読んでいました。
登場人物は、いとも気楽に宇宙空間へ飛び立つのですよ。
そして、ごくごく簡単に、地球に帰ってくる。

ソユーズで日本人宇宙飛行士の油井さんが帰ってきました。
直前のTV番組では、同じくソユーズで帰ってきた若田さん曰く
「窓の外で金属が燃えている」だとか。
「パラシュートが開くと、遊園地の乗り物みたいにぐるぐる回転する」とも。
それは、ただ単純に落っこちてきているだけのように思えます。

打ち出すときも、大変ですよね。
発車時刻は秒単位の精密なものだし、天候が悪いと延期するし。

いずれ、気楽に地球外との往来ができる日は来るように思うのですが、
そのときには、笑い話のような昔ばなしになっているのでしょうね。

さて。
セット売りとはいえ、スユニ50形も完成品が発売されます。
どんな記録を残したっけな…。

調べてみました。
ごくわずかです。
北海道の実例も目にしたかったな。
同じく禁無断転載です。

完成品が出れば、よリ編成のバラエティーは増やせます。
いっぽうで、少しづつキットの出番が小さくなってきました。
キットは見向きもされず、売れ行きも落ちる…などということになりかねません。
それはそれで、さびしいことです。

【お知らせ】
編成表の記録を載せた記事だけで、カテゴリをまとめました。
これで、いくらかは検索が楽になるはずです。
お楽しみください。
なお、個人での利用に限ります。
雑誌などで発表されるときは、事前にコメントの記入と出典の明記をお願いします。
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「京王れーるランド」の平成生まれデハ6438

2013年10月20日 | 記録と記憶……実車あれこれ
「京王れーるランド」でいちばん新しい展示車輌は、デハ6488。
1989(平成元)年に製造された車輌ですから、つい昨日のことのような。

解説を読んでいると、この車輌20年くらいしか活躍の期間がなかったようです。
あっという間に9000系に置き換えられてしまいました。

探していたら、現役当時の写真が1枚だけ…。

この写真、クハ6870です。
左側のちょこっと写っているのが、デハ6420のちのデハ6438。
旧い「K.T.R.」の銘板を記録しておこうと思ったときの1枚で、1994年ごろの撮影。
高幡不動駅1番線に停車中ですから、多摩動物公園行きの臨時列車かもしれません。

ちょうどこのあたり…って、なんとも中途半端な写真しか撮っていませんな。
あまり熱心ではありません。

台車のブレーキシューの立体感が面白くて撮ったのです。
外幌付きのまま展示されているのも、わかります?

その台車。


この白線の目印、本来なら高さが揃うはずです。

ずれているのは、空気ばねに籠められているはずのエアーが抜けているためで、
これに気がつくと
「あぁ現役ではないんだな」
さびしくなります。

主抵抗器、これにも側面にスリットがありました。
裏側も見てみたいな。


断流器。
ベークライトのような色の付いている部分を、誤解していたかもしれません。


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こんなことも、おもしろい

2013年09月30日 | 記録と記憶……実車あれこれ
彼岸花の咲いている季節ですね。
あの花は、いきなり咲くので毎年驚きます。
おそらく、急に茎が伸びてくるんだろうなぁと思っているのですが、
毎年毎年、咲く直前まで忘れているので、
確かめようがありません。
どうしたものか?

さてさて。
休日の午後に、久しぶりのGMキット。

いやはや、ペーパー掛けしていたり、パーツを探していたりしていたら、
あっという間に一日が終わってしまいました。
間があくと、よくありません。

それよりも。
最近、車歴表の作成に凝っています。
資料が充実してきまして。

盟友、下諏訪君の尽力によるところ大です。

とくに調べていることは2点。
その1。
千葉県内に配置されたことのあるディーゼルカー。

1960年代の房総半島が、ディーゼルカー王国だったことはよく知られています。
これが、1960年代後半から70年代内前半にかけて、
主要幹線が電化されて大きく変容していくのですが、
そこで生じた疑問が、余剰となったディーゼルカーはどこに行ってしまったんだろう?

その2。
4扉通勤型のプロトタイプ、72・73系電車。

調べていくと、経年20年少々で廃車になってしまった車両があんがい多いのです。
これに比べると、103系も201系も205系も、寿命が長いですね。
背景としては、
吊掛駆動であったという動力性能もさることながら、
ドアー幅が1000mmであり、その後の101系遺構と比べると300mmも狭く、
ラッシュ時の乗降に時間がかかったという車体構造上の問題が大きかったのではないかと、
思われるのです。
1972年ごろから本格的に廃車が始まったかと思うと、
わずか5年ほどで1000輌余りが姿を消してしまったその縮小の歴史を、
わかりやすく説明できたらいいなと、考えているのです。

さらに調べると。
房総地区のディーゼルカーを地方選区に追いやったのは、
電化時に投入された72・73系電車であることがわかってきます。
続々と投入される103系に押し出された72・73系電車であることが、
新たに電化された地方線区の旅客輸送を支えたのです。
似たような構図は、御殿場線や中央西線、呉線でも描けそうです。

となれば。
103系を投入
  ↓
地方線区を電化し72・73形電車を投入
  ↓
東北、山陰、九州地区などにディーゼルカーを転属
  ↓
蒸気機関車の廃止、旧型客車の置き換え
などの説明ができそうです。

もうちょっと、研究してみたいところです。

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目蒲線時代の東急7200系

2013年03月24日 | 記録と記憶……実車あれこれ
先日、今年初めてのヒバリのさえずりを聞きました。
春になったのですね。
張りのあるその声を聞いていると、それを実感します。

ヒバリは、草原を棲みかとする野鳥です。
自宅の近所で公団が建て替えている最中なのですが、
規模が大きいので何年もかかりますから、途中の土地が草原になっているのです。
だから、やってくるらしい。
何年か先に建て替えが終了してしまったら、あの声は聞けなくなってしまうのでしょうか?

さて。
鉄道コレクションとして、東急7200系が発売されたと聞きます。
おぉ。
車内の天井が高いのが気持ちのいい電車で、わりと好きな系列でした。
また、いろいろとバラエティーに富んでいまして、
目蒲線時代の末期に興味を持って調べたことがあります。
中間封じ込めの先頭車に、前面の赤帯があったりなかったり。
側面の行き先表示幕があったりなかったり。

というわけで。
目蒲線7200系の編成をまとめておきました。
←クリックすると、大きくなるはず。さらに拡大してくだされ。

いくつか写真も、載せておきます。
いずれも、2000年6~8月の撮影です。

デハ7211-デハ7204-デハ7210-クハ7504という編成の蒲田行き。
←やはり、大きくなるはず。
4輌すべてが運転台付きという編成です。

デハ7204には、前面の赤帯があります。

屋上の列車無線アンテナも、残っています。

別の日の撮影ですが、デハ7210とデハ7204の連結面。

デハ7210には、赤帯も列車無線アンテナもありません。

クハ7504は蒲田方。

パイオニア台車はずですが、見えませんね。

中間封じ込めの先頭車を車内から見ますと…。

デハ7208からデハ7206を見通します。

デハ7206からデハ7208を振り返ると…。

広幅貫通路を狭めてあるわけです。
まだ池上線で走っている7600系で、この形態を見ることができますね。

クハ7507-デハ7207-デハ7259-デハ7209による目黒行き。

編成パターンは同じです。

クハ7501-デハ7301-デハ7212-デハ7201による目黒行き。

ちょっと判りづらいですが、手前から2輌めのデハ7301は中間車です。

中間車デハ7302。
左はデハ7208、右がクハ7508。

目黒方から2輌めが、弱冷房車でした。

クハ7508はTS台車に更新されていたそうな。

ちゃんと撮っておけ、と。

方向幕付きの車輛は、少数でした。
目黒で発車待ちのデハ7351。


拙い記録ですが、どなたかの参考になれば嬉しいです。

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