監督: 黒澤明
出演: 原節子、森雅之、三船敏郎、久我美子、千秋実、志村喬
『白痴』、観ました。
沖縄から復員して来た亀田は、癲癇性痴呆性で白痴だと自ら名乗る
純朴な男だった。青函連絡船の中から亀田と一緒になった男に赤間という
者があった。赤間は、政治家東畑の囲い者、那須妙子にダイヤの指環を
贈ったことから父に勘当されるが、その父が亡くなったので家へ帰る
ところだった。亀田は札幌に着いて、狸小路の写真屋に飾られた妙子の
写真を見せられ、その美しさにうたれる――。
かのフェデリコ・フェリーニは、この『白痴』を観て感激し、後(のち)の
『道』を作るに至ったという。いや、『道』以外にも、『青春群像』に影響を
与えたであろうカーニバルのシーンとかもあって、その功績は計り知れない。
惜しむらくは、当初4時間25分あった“完全版”は現存せず、2時間45分の
“短縮版”しか残されていないこと。今回、オイラは黒澤明BOXに付属した
“完全版の脚本”と平行しながらの鑑賞となったが、その完成度の高さを
実感し、ますますもって失われたプリントを観たくなった。もしもだが…、
仮にあったとしたら、『羅生門』や『生きる』に並ぶ“黒澤初期の傑作”として
名を連ねていたかもしれない。改めて、この作品の悲運を呪うとともに、
あまりにも惜しい作品だと思う。
思うに、黒澤映画の特徴は、《対比(コントラスト)》に重きを置かれて
組み立てられている。『羅生門』では‘真’に対しての‘嘘’、『七人の侍』では
‘侍’に対しての‘農民’、『生きる』では‘生’に対しての‘死’、『野良犬』では
‘善’に対しての‘悪’、『天国と地獄』では‘富’に対する‘貧’――。そして、
その構造はこの『白痴』も同じだ。冬の北海道、“白の世界(=汚れていない
無菌状態)”を背景に展開される“人間の醜い諸悪”とのコントラスト――。続いて、
裏と表、善と悪、愛と憎しみなど、個々の人が持つ“二面性”よるコントラスト――。
更には、映画登場人物の構造が、‘亀田’に対して‘それ以外の人物’からなる
コントラスト――(いや、厳密にいえば、赤間の、痴呆の母親だけは亀田の
方に属するが)。つまり、ここで対比されるのは、‘聖なるもの’に対しての
‘諸悪のもと’――不安、差別、嫉妬、妬み、盗み、欺瞞(ぎまん)、へつらい、
裏切り、虚栄心、自尊心などだ。この映画の秀逸さであり、黒澤の凄みは、
それら諸悪の対象を、 ドストエフスキーの文学としてではなく、あくまで
映画のフィルターを通し、“映画の映像表現”でもって見せてくる点だ。
〈不吉〉の予兆を漂わせ、亀田の脇を走り去る黒く大きな馬車の鈴――。
〈死の恐怖〉に怯え、覗いた先にあるショーウィンドウの包丁――。パーティで
割られた高価な壷の〈虚栄心〉――。夜のカーニバルでは勇ましく見えたのに、
あくる日には貧弱な姿に変貌した雪像の〈二面性〉――。窓の外の吹雪とは
対照的に、ピアノの音が流れる“穏やかな室内”。それは、亀田と一緒に
いることによって保たれる綾子の〈心の平穏〉だ――。緻密に計算された
道具の使い方から、ナイフに当てる光の反射角度まで、その研ぎ澄まされた
映像に思わずゾクッとした。また、那須妙子、亀田、赤間、綾子に香山を
加えた五人の関係を、時や場所に応じて形を変化させ、常に三者一括りの
トライアングルで捕らえていく男女の構図も見逃せない。その強烈な
キャラクターの面々しかり、それらを効果的に見せていく大胆な構図しかり、
黒澤の演出なくしてはありえなかった作品だろう。
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