ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔身辺雑話〕菜園日記 10月1日~10月10日

2006年10月17日 | 身辺雑話
20061001
菜園作業用のデータベースを作ってみた。
 これはA4型2穴式ファイルを使って、いまままでの市民農業大講座の内容や本からのメモをすべて、「あいうえお」索引式のものに作りかえたもの。
電話帳方式で必要なところが引き出せる。
使い勝手優先、作業用優先のデータベースとして菜園前の物置内に収めた。
情報はストックでは意味がない。使って意味が生まれると、このところ痛感するものがある。
 午後から小雨続く。
 秋刀魚を塩を強めにした酢締めとし、大アジも3枚におろして刺身とする。
 格好の肴となった。
 鮭の白子は酒蒸しにした上で冷やして食す。レモンをかければアンキモに食感が似ていて珍なる酒肴になった。

20061002~1003 板室温泉、那須野で遊ぶ
黒磯で幼馴染のかっちゃんと会う。
 雨中、あーちゃんと3人で板室温泉近くの幸乃湯へ。
 この温泉、少し変っている。
 玄関脇には磨製石でできた巨大な男根が祭ってあり、その前に賽銭箱が置いてある。
子宝祈願の意図か。
 温泉の長い廊下はすべて畳となっているから、スリッパ不要で掃除もし易い。
 露天風呂は修行僧が使うような打たせ湯が三条に分かれて、上から、ざあざあ流れてくるから野趣にあふれていて豪快だ。
 内風呂脱衣所にあった掲示には
「覗くのは罪です。絶対にのぞかないで下さい。」とあった。
 どう覗くのかを考える。
 洗い場の石鹸置きの細長いタイルに上るとタイル越しに、女湯が覗けるということらしい。
 この張り紙がなければ、そんなことは考えなかった。
罪な掲示板だ。
 ここは小学校の建物を連想させる湯治場風の長い宿。
 誰も来ない夜の大広間でかっちゃんとあーちゃんと3人で昔話に花が咲く。
 ジッタンの母親は隣家の娘のかっちゃんをわが娘のように可愛がり、のちにジッタンと同居して嫁のあーちゃんにしきりに思い出を語っていた。
だから、あーちゃんにとってもかっちゃんはひとごとではなく旧知の間柄のように思えるらしい。  
翌日は晴れて板室温泉界隈を散策。
 ここ一帯は下野薬湯と称されている名湯とのこと。
 美術品を見せてくれる保養とアートの店が看板の「大黒屋」という旅館の庭先でコーヒーを楽しんでいると、庭先にヤマガラがしょっちゅう来て餌をついばみはじめる。
 宿のご主人が餌をまくとかれらが、次から次に手乗りになっているのには驚いた。
幸乃湯から2キロほどの板室温泉は那須連山の西端に位置している山あいの静かな温泉場だ。
 温泉街の奥にあって、5分ほど上った山道の上に板室温泉神社があった。
 「身変り 悪病神叩き出し像」という木がたっていて、下に置かれている木棒で思いっきりこの像をぶっ叩くと悪病退治になるし、ストレス解消にも効果があると説明書きがあった。
どうぞ叩いてみてとあったが、叩いてはみなかった。
 伊勢参り・万博記念という小さな碑もあった。
 この温泉場から、当時の万博へ行ったことは大変なことだったのだろうか。

那須野ヶ原にあった青木周蔵別邸を訪ねる。
青木は明治・大正時代の外交官。
1996年に発生したペルー日本大使公邸占拠事件で、127日間の人質生活を体験した青木盛久さんは周蔵のひ孫に当たるそうだ。
 別邸は、ドイツ風の瀟洒な建築で重要文化財となっている。
 この周辺の木立は深く、翌檜の大樹がすばらしい。(写真 周蔵別邸前の並木道)
この那須野には明治維新後の薩長高官の別荘が多い。
 松方、山縣、乃木、大山(従道)の別邸があるとのことで、機会あれば次回巡回してみたい。
 黒磯まで送ってもらい、帰路は順調に乗り継いだ。

 20061004
 歯医者に行こうと思ったら家の前に車が止まって岩槻の旧友M夫婦が降りてきた。
萩・津和野旅行から帰って、そのお土産を渡しに寄ったとのこと。
 これから奥さんの御母堂が腰を痛めたのでそのお見舞に栃木へ車で行く途中との話だった。
 奥さんはわが菜園の様子を見ていたが、このブロッコリーはカリフラワーではないかと指摘された。
 いやはや、赤面の思い。
双方の苗の区別もわからない市民農大生では情けない。
 午後、農園にでかけ白菜、ダイコン、ニンジン、ブロッコリーに追肥。 娘の孫がタケシの「大変なことになりますよ」が口癖のテレビ番組予告を見て「朝や昼に酒やビールを飲んでいると・・・」の場で、これはジッタンに、すべてあてはまるからママ電話して!と言ったとのこと。 小学3年生が、わが身を心配をしているかと思うと、これから彼の前では少し慎もうかと思う。
 サッカー「ガーナ戦」を見る。
負けはしたが押し気味の流れで、面白かった。

 20061005
ジョイフルでブロッコリー苗10本購入。
 午後から雨、降り続く。
昭和20年6月、安藤鶴夫さんからの父宛て書簡をご息女で作家の安藤はる子さんに書留で送る。
 先日、歓待を受けたかっちゃんに古典落語CD5枚送る。
眠れぬ夜があれば誘眠剤代わりとしてすすめたもの。
 
20061006  
朝から風交じりの強い雨。 記録的な雨量になるとTVのニュースが伝えている。
 南極オゾン層に史上2番目の大きさの”穴”が開いているとのニュースも気になった。
傘が壊れそうになる、どしゃぶりのなか、徒歩で図書館へ。
 杉戸町の歴史講座初日。
 会場はリタイア組も目立ったが、おばはんの顔も交じり30人の定員席はほぼ満席。
 住んでいるこの町の古代史は町史編纂委員会の人が講義してくれたが満足のいく講座だった。
 地元小学校校長のNさんがまた教育委員会に戻ってこの講座を企画したらしく、帰りに挨拶を交わす。
 Nさんの講義は市民農大の授業での「江戸の農」を聴講したし、また小学生への昔遊びを伝えるイベントにも協力していたので一応、顔見知りの間柄となっている。

【 「落語家論」 柳家小三治 新しい芸能研究室】を読む。
 1980年代の民族芸能を守る会に寄稿したエッセーを集めたもので、小三治から見た談志、円楽、小朝らの芸風とか落語の味の論評はまったくなし。
これでなぜ「落語家論」なのか期待が散った。
小三治は常に注目していた上手い噺家だけに、談志ばりの突っ込んだ「論」があるのではとおもっていたのだが残念な読後感だった。

 孫娘のカナちゃんを預かり、その後来た息子たちと夕食を共にする。 アジ2匹を下処理してあって焼き魚にしたが、幼稚園の孫2人がペロリと平らげた。
 魚に目がないとのこと。
 アジのあらをツボ抜きという方法で引き抜く技を実技してみる。
まあまあ、うまくいった。
 鶏の黒酢いため、イカとキュウリのいためものを酒肴に作ったが息子には好評だった。

 20061007
 昨日の雨、秩父地方の総雨量は午後8時で284ミリだったとのこと。 朝の犬との散歩でも舗道側の葦原にもかなりの水が溜まっていた。近く埋まってしまうという大池も、今日は、満々と水が張っていた。
いつもより鴨も多かった。
 菜園もオクラが数本倒れ、育っているカリフラワー苗も土もゆるんでいる。
 レタスにもかなりの泥がついた。
 夕刻、テニス仲間の酒宴を駅前の居酒屋「ひろた」で行う。

20061008
朝の犬との散歩。 農道垣根のムラサキシキブの紫の色の実がこぼれ、地面を染めていた。
 秋冷の中、富士山を初見。
ブロッコリー苗16本を購入して植える。
雨で延びた孫2人の幼稚園運動会に出向く。
ビニールシートの観客席が強風であおられ、グランドは砂塵が舞う中で時折散水しての競技が続く。
 でも、ちびっ子たちは、ふだんの練習通りの力を発揮していたようで元気いっぱいだった。

 20061009
多摩丘陵のよみうりランドで労組主催の「家族交流会」に息子一家と娘の亭主、小学生2人も参加。
2台の車で出かける。
 ランド内のすべての乗り物はワッペンを貼っていれば乗り放題ということになっているが、参加会費は格安。
組合費からその差額を埋めるサービス還元のイベント企画は26年前から続いている。
あの頃は「触れ合い園遊会」としてランド内にあった釣堀で魚を釣ったり広場でミニ運動会も行っていた。
 この企画案は小生が出して、いま報知新聞のK社長が労組委員長だった時に実現した。
 あれから四半世紀の歳月が流れた。
 若い書記さんお二人も銀髪霜をの髪型になっていてびっくりしたが、相手もこちらを見て一層の老け顔となっているから、さらに驚いた様子だった。
出向先でいっしょだった先輩や、同期定年のK、技術者のH君などに合う。

20061010
晴れ。 午前中テニスをして昼飯後に少し午睡。
 本日の菜園作業。
 雨の泥土で汚れたレタス葉を如雨露を使って洗い下にモミガラを敷く。
 ナスの跡地を畝って牛糞、苦土石灰をすきこむ。
聖護院、カリフラワー、ハクサイ、人参、水菜などに追肥。
 スイカの跡地にイチゴ苗を植えつけるためのに準備。
ヒマワリ、朝顔を抜く。種から育てて長い間よく咲いてくれた。
メキャベツがアブラムシの影響か少し元気がない。
 周囲の田んぼの稲刈りは終わっているがほぼ2万坪の空き田が視野に入ってくる。
 富士山も薄く見え出した。
 安藤はる子さんから丁重な返信をいただく。
涙して父親鶴夫氏の若い日の書簡を読んだとの事。
 ヨガ帰りのあーちゃんを待ってサイデリアで孫たちと食事。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿