ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔アキレス腱断裂  日誌〕 11月16日~22日 抜糸まで

2006年12月08日 | 身辺雑話
2006年11月16日
3F北病棟、入院中の部屋は362号室。
長い廊下奥の二人部屋が我が病室となる。 
アキレス腱入院2日目。
朝夕の 抗生物質入りの点滴がはじまる。
術後の痛み止めと胃薬錠剤は曜日ごとに分かれたプラケースを使っての自己管理となる。
検温、血圧測定、朝食、回診と午前中は、けっこうあわただしい。
回診のとき、ベット上にゴムマットを引いて左足のギブスにノコギリカッターを入れた。
アキレス腱の箇所を四角い「覗き窓」の状態にして、消毒をやりやすくするため。

 入院で家に帰れない当面の不都合さを、あれこれ考える。
パソコンを通じての交友メールのチェックなど、どうするか。
株価チェック、ブログ起稿は無理。
農園と菜園作業は当面絶望。
犬の散歩をどうするか。
なついてきた孫娘も立っては抱けない。これも辛い、情けない。
 自転車にも当分乗れそうもない。自転車は自動車がない我が家の貴重な交通手段だが、それが長期間奪われることになる。
あれも、できない。これも無理となると気分は重くなる。

ただ、Eメールは必要に応じて、自分の携帯にも転送してあったので、アドレス登録してある人にはパソコンメールが使えないことを知らせることができた。
ただ毎日のパソコンメールの方は、スパムを入れて1日、80~90本入ってくるので、この消す作業をどうするか。
カミさんのあーちゃんはスイッチの在り処さえわからない人だから操作メモを渡しても、まったく心もとない。
ところが窮すれば通ずで、今回、小3のマゴが助っ人として活躍してくれた。
私のメモを読んでもらって、PCの立ち上げからメール削除までの、てほどきをあーちゃんに教えてくれたとあとで聞いた。メール不要削除の方法はパパのやることを見ていたらしい。
マゴは家に遊びに来ると時々、パソコンゲームをやっているから馴れていたのが、もっけの幸いとなった。
犬の散歩はあーちゃんに任せる。
時間や回数は人間さまの都合に合わせるよう指示。
いまやお家の一大事なのだから、お犬さまにも相応の我慢をしてもらう。
農園作業は酒天皇のひとりSさんの好意に甘えることにする。
農園も菜園も追肥はあるが、葉物野菜の収穫が中心になってくるのでラッキーな時期とはいえる。
とはいえ、霜よけのトンネルなど一部残っている作業もある。

 トイレなどの車椅子利用は、昨日からの運転で馴れた。
 午後、あーちゃん、嫁さんのミキちゃんと孫娘のカナが来訪。
病室ベッド、私のパジャマ姿、足に巻いてあるギブスと異様な空気を感じてかマゴ娘のカナちゃんはおびえた表情を浮かべていた。
彼女たちが帰ると、行き違いで、娘も顔を見せた。
 
夕刻、1Fの治療室でリハビリ開始。
足のマッサージ、並行棒を使っての筋トレ、松葉杖の使い方など。
 血圧は80台~130の範囲。
 リハビリ室の外から空手のM館長の目があった。見舞いにきたが、私がいないので降りてきたらしい。

 11月17日
「起きて半畳、寝て一畳」の病床ベッドの世界でなにができるか。
15年前に自転車で自損事故を起こし3日間入院したことがあったが、そのときは日頃できなかった禁煙に成功した。
失うものがあるなら得るものを、と今回も思う。
「老いたら子に従え」をもじって「老いたら碁にしたまえ」と言った裁判官がいた。
自分のセカンドステージの夢のひとつにも将棋・碁三昧の生活があった。
いままで「脳トレ」を兼ね、犬の散歩の際に、ラジオ英語講座を聞いていたが、これもノート付きでマジメにやってみよう。
囲碁と英語のふたつの「ゴ」の片鱗を学ぶ機会としてはどうだろうか。
腱トレ、筋トレ、脳トレを組み合わせ「起きて半畳の世界」で試してみよう。六十の手習いということばもある。

携帯へ折り返し激励メールが次々と入ってくる。
Tさんからは現在、秩父巡礼中とのこと。四国巡礼に2回も行っての
今の彼の健脚がうらやましい。
竹馬の友カッチャンからは西那須近況を添えての激励があった。
千葉で陶芸工のN先輩からは、快気祝いの頃、大作品を完成させてくれるとの約束で、楽しみだ。
新潟のFM局へ出向重役のNさんからは自身の健康状況にも触れながらの気づかいが文面にあふれていた。
親友のMからは、以後連日のようにやりとりがあった。
メール各通は落ち込みそうなこちらの気分を盛りたててくれた。
消灯は午後9時。
夜は長い。

11月18日
テレビはニュース、NHKの朝ドラ「いもたこ」以外はめったに見ない。
ラジオの英語講座が面白い。
聞く、書く、読む、からだの三感をいっしょに動かすから、理解が深まるような気がする。電子辞書も役立つ。
 今日も空手のM館長がバナナとリンゴを持って見舞いに来てくれる。
武道家として半月板の損傷もある体験と毎日欠かさないストレッチ、筋トレ、それから道場での稽古ありようなどを聞く。
この館長とは20年前にいっしょにテニスを始めた仲だ。
館長、いまでは地域のシニア大会でも優勝する一方、組手の空手の型では県大会準優勝の実績もある。

隣りのベッドに福田さんが移送してきた。
建設会社の営業所長を勤め、リタイアしたがいま腰が痛く、歩くとしびれる。激痛が走るということで入院したとのこと。
娘一家がそろって来訪。
今日の リハビリ。
足のマッサージ、膝の屈伸、脚の開閉、松葉杖の使い方、並行棒での腕の筋肉トレなど。
松葉杖は左足は使えず杖と右足の3点方式で歩くので、車椅子に比べて数段不便だ。
椅子に腰掛けるとき、接着までの距離感がつかめず少し怖い 。
汗をかき下着を取替える。
体も拭く。あーちゃんとナースさんが手伝ってくれた。
 夕食が済むとあっと云う間に消灯時間となる。
ナースさんたちの夜勤は2名体制で4~9人の患者にあたる。
仮眠は2時間程度で、翌日は非番。
夜勤専属勤務のナースさんもいるらしい。
月5回程度の勤務とか。
この病院、親切で好い印象のナースが多い。
整形外科病棟はいま、半分の着床率とみた。

11月19日
血圧は80~126。だいたい、70台から130台におさまっている。
体温は少し低く36度前後をいったりきたり。
毎回の病院食は薄味、量も少ない。
おならが家で食べる時よりよく出る。
毎食ごとに人参、もやし、ゴマなどが食べやすく工夫されて配食されている。
市民農業大学での飲み会仲間3人組が見舞いに来てくれる。

 国際女子マラソンを見るが高橋尚子ことキューちゃんは雨中に散って3位。
息子一家も顔見せる。「詰め碁」など棋書3冊を差し入れてくれた。

深夜、「すみません 看護婦さん 動けない。お願いしま~す」の大きな声で目覚めた。
隣の2人部屋からの女性の声だ。
「どうした! 大丈夫か」とガバッと蒲団を跳ね除け、駆けつけようとして苦笑した。わが身もそう簡単には動けない。
あとで聞いたところによると、車椅子の操作ミスでなにかをひっかけてしまったとのこと。
昼日中、リハビリを兼ね松葉杖で、廊下をいったりきたりしていると、いろいろな話が飛び込んでくる。
頚椎を痛め足に響いて歩けない人、椎間板ヘルニアの人。事故の重い後遺症の人などなど。
自宅を離れた夜の異境には、さまざまな悩みを抱えたそれぞれの闇がある。

11月20日
親友のM夫妻が見舞いに来てくれた。
カーテンで仕切られた隣りの福田さんと話す。
腰痛は業務と深い関係があったらしい。
建設資材を支店などに届けるために走った距離は月に3万キロ。
長時間の走行は同じ姿勢を保つから当時から腰部は痛んだという。
事務職に移って激痛が襲ったがガマンしていた。
今日の診察では、「こんなになるまでほっとく人はいないだろう」と医師に言われたとのこと。
ヘルニアと同じで脊椎部位に損傷があるらしく周囲の神経に響いて脚にビンビンと響くらしい。
造影剤を投与検査があるとのことで、「怖いがしようがない。寝たきりになったらなんのために定年を迎えたのかわからんもんね」と言っていた。
本日のリハ。
脚挙げ5秒=並行棒を使っての筋トレ。
座卓の模式を使って起居の動作と蒲団に寝るまでの動作訓練。
松葉杖で付き添ってもらっ病室まで戻る。

11月22日  抜糸
「英語は副詞だ!」岩切 良郎 (明日香出版社) を廊下歩行訓練の隙間時間を使って読み続ける。
ジッタンとは、ほぼ同年齢の著者で、「文法なき語学は壮大な無駄」と勇ましい。長く洋書業界で働いた人でロシア語が専門だった人らしい。
午後からは 加藤正夫の「明快・基本手筋」(日本放送出版協会)も読んでみる。
手筋の問題はできたり、できなかったりするが間違ったのには「正」の字と日付を記して後日にもう一度やってみる。
ミスをする解答には、同じ回路をたどってしまう悪しき思考パターンがあって、これを矯正しないと棋力はアップしないだろう。
テニスの壁打ちと同じで反復して練習、身につける以外にない。

あーちゃんとの連絡は携帯Cメールが便利だ。
長年の夫婦だから、ことば短くても用件は通じる。
携帯電話の文化についても考える。
1999年の暮れにiモードが生まれたと記憶している。
新聞社から出向した会社はNTTの技術者が多くニューメディアと称したキャプテンシステムをどう今日につなぐかを模索していた社でもあった。
だからiモードの立ち上げからニュース配信、ジャイアンツの試合中継、株価通知システムなどのプランを双方で考え実現した。
あれから7年の歳月が流れた。
携帯といってもまだ10年に満たない通信の文化だが、もはや手放せない。
あーちゃんが胃切除で大手術をしたのは今から26年前。
当時は携帯もメールもないから北池袋の病棟の電話を軸に双方が連絡を取ることじたいも大変だった。
携帯メールで連絡がとりあえることのいまの便利さと貴重さを実感する。

回診があってベットで抜糸となる。縫合跡は縦に10センチほどだった。
「一週間後の29日が退院だね」と担当医師に言われたが、その後の長期戦を覚悟していたから、歩行訓練での数日間のリハを申し出た。

本日は二十四節気の「小雪」。そのイベント食が夕食にあった。
おでん、混ぜ飯、味噌汁、インゲン人参の胡麻和えに混じってプリンを加工した「雪」があった。
室内は一定温度に保たれ快適であるが、じかの季節感はまるで感じることができない。
イベント食の心配りがありがたかった。
新聞を読むと斉藤茂太さんが鬼籍入りとなっていた。享年90歳。
この人の「笑って大往生」などエッセー類は面白かった。

隣りのベッドの 福田さんとカーテン越しに四方山話。
福田さんのご尊父は将棋をよく指し、栃木では県10傑には入る腕前だった。
その父上が食べることそのものを忘れることが多くなって痴呆症が心配された。
気晴らしに自衛隊の航空ショウに連れていったが、その夜から異変がはじまった。
裸になって箪笥の隙間などに身を隠す。
どうしてそんな狭いところに隠れることができるのかと思ったそうだ。
だが、そうした場所をみつけてはそこに潜む。
ときどき隊長になって息子の福田さんを叱責、時に怒鳴る。
航空ショーが引き金になって戦時体験が戻り、ご尊父は兵隊になってしまったのだという。
その父上を看取り、母を看取りしているうちに定年を迎えて、今回の病室入りになったという。
脊髄検査のため造影剤を使って調べたい、手術する可能性も示唆されたという、ことばも重く感じられた。

リハビリのあとシャワーを使う。
アキレス腱の左足はギブスを濡らさないために脚にビニールをぐるぐる巻いてガムテープで抑える。
テニス仲間のTさんが、なぜか生餃子を差し入れて見舞ってくれる。
 義兄夫婦やあーちゃんの姉妹夫婦がそろって見舞ってくれる。
夕方、テニス帰りのメンバーがどやどやと見舞いに来た。
あの日から、各人念入りにストレッチをしているとのことで、怪我の功名にはなっている感じだ。
「この冷蔵庫はなんのため。アキレス腱だから小ビール缶だったら別に冷やしてもいいんじゃないか」などと半ばマジメ顔で言うのもいたが、さすがに断る。
ともかく今日は抜糸ができた。
リハと3トレでこれからの日々をやっていこう。




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