★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

人生を輝かそう

2020-08-07 | 日記

何がある訳でもないのに

何となくウキウキ、ワクワクすることがある。

 

「見えない未来」を不安ばかり募らせていたときもあった。

いつの間にか、

同じことでも違った気持ちでいられるようだ。

もちろん時には不安になるかもしれない。

でも、今はそれも何だか楽しみだ。

 

歳をとっていくのは

細胞の面でしょんぼりすることがあるけれど

精神面ではラクになって楽しくなっている。

 

そうは言っても、なかなか学ばないので

何度も繰り返すことも多いので時間がかかる。

そんな要領の悪さも含めて自分だと認めはじめたけど・・・

 

時間がかかったとしても、きっとよくなる。

人生は沢山の経験ができるのだから

いろいろチャレンジしていこう。

 

周りのことを気にかけている暇はない。

周りを大事にするように、自分も自由に楽しむこと。

 

 

 

 

 

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今朝思ったこと

2020-08-06 | 最近おもうこと

今朝、散歩しながらフッと感じたこと。

 

これからは、もっと「こころ」で物事を見ていく

必要があるのだと言うこと。

 

今までは「頭」ばかりよく使っていた。

本当にフル回転だったと思う。

仕事、過去のこと、未来のこと、人のこと

何でもかんでもよく考えているものだ。

 

子供の時も

「頭を使わないと馬鹿になる」

とか言われたような気がする。

頭を使って効率よく勉強して

良い学校や会社にいくことが今も良いと思われている。

良い学歴でその人自身を評価する部分は今も根強い。

学歴イコールその人の本来の賢さ、

人柄の素晴らしさに結びつけるところがあった。

だから、会社に入るにあたっても

学歴や学校名も大事になってしまう社会だ。

面接よりまず最初に学校名で判断されたりする。

 

 

それくらい、「頭」で物事を見て判断してしまう

世の中に生きてきた訳だ。

でも、そんな時代は変化してきている。

遅かれ早かれ難しいことになっていくのだろうと思う。

 

「運よく」自由な波に乗れる環境の人もいるかもしれないし、

まだその構造の中にいて制限されてしまう人もいるだろう。

もちろん、「そんなの綺麗ごと」と言ってしまうこともできる。

 

私は「こころ」で見ていくことを選択できる環境に

「運よく」今あるので、

これからはスイッチを入れ替えて

もっと「こころ」で物事を見ていこうと思う。

 

 

 

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自分と言う苗木を育てる

2020-08-05 | ちょっと、ひとりごと

人生で起こる大きな分岐となるような

物事はあらかじめ決まっているのだろう。

ただ、「大まかな道」ではないかと私は思っている。

その中で枝葉が色々あるような感じ・・・

 

そこに意味付けをするのは個々の自由だ。

最近の私は、そこにもしかしたら意味などなく

単に起きているだけなのかもしれないと

思うところがあるのだけれど・・・

ただ、その起こった物事によって

考えたり、感情が動いたりして

また何かの選択をしていくきっかけになる。

 

だから、「意味」と言うより

「機会」としてあるのではないかと。

 

ある小さな木の苗があるとしたら、

その木の枝葉、成長は

自分次第で豊かにすることが出来る

そんな風に思っている。

 

自分の「見方」、「考え方」

そんな個々の捉え方で、

機会に対してどう対応していくかが

自分の人生に反映されていく・・・

 

自分と言う「苗木」は変わらない。

それをどう成長させるかは

やはり自分が出来ることで

その「苗木」が本来持つ力を最大限活かし

美しいものにすること・・・

それに気づけるのは自分自身であり

どう世話するのかも自分自身だ。

 

 

 

 

 

 

 

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きれいごとはいらない

2020-08-04 | 最近おもうこと

人気商売の芸能人などは

いかに好かれて人気を出すかが仕事上必要だ。

 

ビジネスも人気を出すため

多くのコメントを書いてもらう対策や

人気のある動画制作者などに

お金を支払って宣伝してもらったりなどする。

 

会社や社会でも力のある人に

媚を売って好かれようとする人たちは多い。

もしかしたら、子供に好かれようと

子供が求めるままになる親もいるかもしれない。

小さな時からそんなことを覚えてしまったりする。

 

教育者や政治家なども、そんな風潮や人々も多く

また逆に、人気で評価しようとするところも問題だったりする。

 

評価する側がビジネスとして有効かばかり考えても

そこから良いものは何も生まれないし

稚拙になっていくばかりだ。

 

そして、評価されることを恐れれば

求められるように好かれることだけに必死になる。

内容やそれぞれの先のことよりも自分に下される今の評価が大事だ。

中にはいじめや収入に繋がったりと死活問題になるならなおさらだ。

 

好かれることよりも

「そこにある真意」を私たちが見ていかなくてはいけない。

1人1人が成長しなければ奥深くを見る目も育たない訳だ。

 

 

もしかしたら、今の自分には分からないことも

何年もした後、「違う目」を持った時に何かが見えるかもしれない。

また、逆に「違う目」を持った人が

違う見方をしてくれるようになるかもしれない。

 

 

今の私が思うのは

今日より明日、ほんの少しでも「深くを見ることのできる目」を持てるよう

自分を常にリセットし、「新しい目」で自分の真意で動くことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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枠をつくらない

2020-08-03 | 最近おもうこと

誰かのようになりたいから真似しよう、目指そう

誰かがこう言っていたから同じようにすれば大丈夫

そんな風にやっていることがあると思う。

でも、その人の言っていたやり方と言う枠に

自分をはめることにもなってしまう訳で

誰かのエネルギーの域を目指そうとしてしまう。

 

もう、そんな風にしなくても

自分流を見つけていけばいいような気がする。

 

誰かのようになろうとしなくても

誰かの真似をしなくても

自分が思うやり方が自分の世界を作っていくし

そんな、自由で枠を作らないことがいいのじゃないか・・・

 

自由に可能性を開いていけばいい。

 

何が正しく、何が間違いもないのだから

単に自分流を見つけていけば

自動的に行く方向へ流れていく気がする。

無理に何かをしたところで変化は起こらないような気がする。

 

それなのに自分から率先して自分の枠を設けるなんて

自分の可能性を潰してしまうのことにもなりかねない。

 

自由にいつも新しいことへ向かって

チャレンジすることを楽しめばいい。

 

 

 

 

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