My Library

気まぐれ読書・映画・音楽の記録。本文に関係のないコメントについてはご遠慮させていただきます。

加藤哲太郎「私は貝になりたい」

2009-02-18 | 新書・社会

昭和33年、フランキー堺の主演でテレビドラマ化され、戦争責任・犯罪とは何かを日本人に問いかけ、強い衝撃と感動を与えた『私は貝になりたい』。
普及の名作はその後、映画化、テレビ化が繰り返されている。その原作(題名・遺書)となった加藤哲太郎の巣鴨獄中手記「狂える戦犯死刑囚」や「戦争は犯罪であるか」等と共に獄中から家族に宛てた手紙22通を収めた本書は、今なお古びることのない昭和史の貴重なドキュメントであり、戦争の実態をを白日の下に曝した人間の真実の叫びである。


『けれど、こんど生まれかわるならば、私は日本人にはなりたくありません。二度と兵隊にはなりません。いや、私は人間になりたくありません。牛や馬にも生まれません、人間にいじめられますから。どうしても生まれかわらねばならないのなら、私は貝になりたいと思います。貝ならば海の深い岩にへばりついて何の心配もありませんから。何も知らないから、悲しくも嬉しくもないし、痛くも痒くもありません。頭が痛くなることもないし、兵隊にとられることもない。妻や子供を心配することもないし、どうしても生まれかわらねばならにのなら、私は貝に生まれるつもりです。「狂える戦犯死刑囚」より

 

上記の文は、加藤さんの出版物の中のフィクションです。

この文面が映画やドラマでは、主要な骨格をなしているようです。

 

手記の中で、実技演習と称し、無抵抗の捕虜の八路兵を槍で突くシーンは衝撃的であり、その中に誤って連れてこられた少年が「助けろとは言わぬ。もう一度、調べてくれ」叫んでも、目隠しされ、突き殺される一瞬の前まで「八路でない」と叫び、最後に「お母さん」と言う言葉をのこし…。

残忍にも、進んで槍を突いたAは最高学府を卒業し、その大学の助手である自然科学者なのである。

農村ののどかな風景と異様な情景がこの不気味な侵略戦争のありよう。

 

戦争は人を発狂させる。死ぬか生きるかという切羽詰まった時、あらゆる価値が転倒し、気の小さい、一応教養のある人までが大それた事をやらかすのだ。

 

「戦争は犯罪である」という言葉をくり返しても、罪なくして殺された人は生き返ってこない。

罪を戦争に返して、あとは知らん顔する。けれど、この知らん顔すること自体が、罪の意識あればこそではないか。冷静に考えてみて、罪を犯したと思えばこそ、知らん顔せざるをえなくなるのだ。

 

この本の半分は、B級戦犯として捕らえられていた間に家族に宛てた手紙であるので、加藤さんが実際に経験された戦争の記憶は多くは語られていません。

獄中で、改めて、戦争をどう捕らえたか、戦時中は敵国の捕虜収容所の所長としてそして、戦後はBC戦犯として、獄中でどういう待遇を受け、どのように状況であったのかが理解できる。

 

何度も映画になった原作は、当初、制作会社と加藤さんの間で、著作権紛争となりその経緯も資料として掲載されている。

今、中井正広、仲間由紀恵で、公開されているので、すこし、興味を持ち手記を読んでみました。

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿