My Library

気まぐれ読書・映画・音楽の記録。本文に関係のないコメントについてはご遠慮させていただきます。

河野裕子・永田和宏「たとへば君」

2011-09-14 | 詩、短歌、俳句

── 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が(河野裕子 絶筆)
2010年8月、乳癌で他界した歌人河野裕子と、科学者にして歌人である夫、永田和宏。
出会いから妻の死まで、四十年に残した相聞歌380首とその折々のエッセイや肉声で辿る夫婦の軌跡は、圧倒的な感動を呼ぶ。

── たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか(河野裕子 21歳)

学生時代の激しい恋、子育てに体当たりでぶつかる若き日々、
かけがえのない家族への思い、夫婦間の葛藤や孤独・・・
すべてを歌にしてきた2人に、2000年、妻の乳癌発病という思いがけない出来事が起きる。
癌を公表し、闘病をも包み隠さず歌っていくことを決意する河野。
しかし、絶え間ない再発の不安の中で、平然を装い今まで通り仕事に打ち込む夫に、
妻はいつしか精神のバランスを崩していく。

壮絶な時間を乗り越えた夫婦に、2008年、乳癌の再発・転移が知らされる。
しかし、残酷な事実を前に、2人の歌はさらに哀切な美しさを増していくのだった。

── 一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため (河野裕子)

── 一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ(永田和宏)

「河野裕子は文字通り最後の日まで歌を作り続けた。
寝ながら、横にあるものになんでも歌を書きつけた。ティッシュペーパーの箱、薬袋、などなど。
そして、いよいよ鉛筆を握る力がなくなると、何の前触れもなく、話をするようにして、歌の言葉を呟いていたのである。
慌てて、その場にいる家族の誰かがそれを口述筆記する。
そんなふうにして、紅が書き、淳が書き、私が書き写した」
(巻末エッセイ「残された時間」より 永田和宏)

最後の瞬間まで、最愛の夫と家族を全身で愛する歌人であった妻と、そのすべてを見届けた夫。涙なしでは読めない感動の記録。

 

出会いから亡くなるまでの43年の記録。

短歌という、言葉の宝石に閉じこめられた思いが、胸をうつ。

夫婦のありようや、子どもを身ごもった女の感情。実感のない母親という立場。河野さんの歌は、恋愛して、結婚して、家庭に入って、子どもを産み育て、成長してまた、二人になっていく、夫婦の歴史を綴っている。

お互いに、思いを寄せることもあるが、すれ違いであったり、喧嘩したり、感情的な女性の一面と、母性という女であることを意識した夫への思いと。また、共同生活を営む夫婦のありよう。誰しも、共感するところがあるからこそ。揺り動かされるのだろう。

一般人と大きく異なるのは、お互いに「歌人」として、互いの想いを短歌に残した事でしょう。

こうして、死後に出版された「たとへば君」を読ませていただいて。短歌や俳句の世界だからこそ、私たちの日常が、こんなにも、想い。想い。一瞬一瞬で成り立つのだなと、ただ、流されていく時間の重さのようなものを感じました。

後半からは、涙が止まらない。

ノンフィクションだからこそ。

お二人の人生。そして、家族の歴史が詰まった一冊に。

言葉に出来ない自分の想いを重ねながら。

日々を、大切に。いま。を感じながら。生きていくことを楽しみながら苦しみながら。例え、一日一日が、なんの変化のない日々であろうとも。今日の風を、雲を、花を、季節を感じながら、自分と自分の周りの人々とより良い関係で過ごしたいとおもう。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿