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気まぐれ読書・映画・音楽の記録。本文に関係のないコメントについてはご遠慮させていただきます。

根深誠「白神の四季~クマゲラの棲む森」

2009-11-01 | 新書・社会

1983年、天然記念物クマゲラの生息が白神山地で確認されて以来、著者は日本自然保護協会の行なう調査行に毎年参加した。最近でこそ林道が利用できるが、当時は雪山を越え沢を渡渉してのクマゲラ調査は苦労の連続であった。クマゲラのカラー写真16枚を収めたこの貴重な写文集は汗の結晶である。

晴れた日の陽気にまどろむ残雪の山々で、芽吹き始めたブナの樹冠を春風がわたってゆく、そのやさしいのどかな雰囲気が私は好きだ。陽は燦々と輝き、寒くもなく暖かくもなく、適度に乾燥した風の肌触りが幸福感を誘う。あと一週間もすれば山々は新緑を迎えるのだが、それまでの間のこのころの季節は、芽吹きの樹冠が透けて、遠くなるまで雪山の広がりを見渡せる。

まえがきから、その見たままの自然描写に。改めて、北方の自然の豊かさを感じずにはいられない。クマゲラの営巣地のブナ林から立ち上る朝日、樹冠の緑が逆光をうけて透けて輝く。様々な野鳥の声に蝉時雨。

人が自然を見つめるとき。開発と保護について、自然だ環境だと、人間か自然かと問う人々に。

自然環境は、人間の為だけのものではないと。今求められているのは、「人間も自然も」の、矯正、共存の視座だと。

~未来の社会や人類の存続を考えればこそ、自然環境は、個人や地域や国家や民族などの思想・文化・利害にとらわれることなのい、子孫にまで伝えられるべき共有財産。人間中心の産業社会のあり方が自然環境の破壊をもたらし、その結果、人類の未来が危ぶまれているという現状認識が欠落している。 

白神の「春」~山の幸~ブナの山々に薫風吹き渡り若葉が繁り、山菜の恵。

「夏」天狗岳山頂から眺める、ブナの樹海。追良瀬川の対岸の白神山塊の峰峰が連なり。木々の一本一本、沢筋にかかる瀑布、岩壁の色彩がくっきりと、陽は輝き、キアゲハの乱舞。ニッコウキスゲのさく夏山。渓流のイワナ釣り。岸辺のキャンプ。

「秋」~河原のキノコパーティー。亡くなった友のこと。豊かな山の秋の陽光の温もり、絶え間なく流れ続けるせせらぎの音。そよ風は枯れ葉を浸けた樹冠を揺らし、枝先から離れた枯れ葉は風にのって流れていく。風が耳元をかすめて吹きすぎるその音に耳を傾ける。~自然からのメッセージ。ブナ木立は、晩秋の季節にふさわしい裸木のシルエットを描き出し、寒々とした空に、寡黙を表現している。

「冬」・力量~冬枯れのブナの木立の隅々まで陽がさし、樹肌、敷き詰められた枯れ葉の表面までも光っている。森が透けて、遠くの山々を一望する。尾根筋、沢には親切が。初冬の淡い逆光の中で、山々は息を潜めたかのように静かだ。霧氷~冬の晴れ間の霧氷は幻想的。落日~寒気凜冽。時々刻々と微妙に変化し、森の一部分をスポットライトで照らし出す。

春夏秋冬の景色に息をのむ。私は、自然に尊敬と畏怖の念を抱いているので、山も海も、絶対安全な夏の時期しか近寄らない。けれど、いつも遠くに見える、山、身近な海を。安全な場所から見守っている。

人と自然が共存すること、それは、人と人との融合でもないだろうか。環境問題にせよ、自然を愛する人々が山に入り、ゴミを捨てたり、荒らすような山菜や高山植物の盗掘など。少し考え方が違えば、その行為の意味するところは、あまりにもかけ離れている。根深さんは、静かに、自然から受けとったメッセージを私たちに飾り気のない見たままを言葉にしている。白神からのメッセージ。多くの人々に伝わるとよいと思う。



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