赤い水性の部屋

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人は・・・変わってゆくのね

2020年06月24日 | Weblog
 今日もいいお天気の浜松市です。6月の梅雨の晴れ間って、明るい日差しで風も心地よく、気持ちがいいですね。7月になると、なんとなく、こっちの方が梅雨じゃないかって思うような、ダラダラした日が続きます。

 6月といえば静岡県は中部日本吹奏楽コンクール県大会があります。昨年は本当、もやもやしましたが、今年は新入部員すら確定していません。どうなることやら。
 さて、中日コンクールのたびに思い出すのですが、教職を応援するこのブログ、今回はそのことについて紹介します。何度も繰り返しますが、教職は素晴らしい。

 2年目のことです。まだ採用試験に合格していないので、講師として赴任した二校目の学校、前の学校以上に不良ばかりの、まあ、本当にワルい学校でした。正直この学校が好きになるのは時間がかかりました。生徒とまともに話ができない、授業に行きたくないって、こういうことなんだと今でも覚えています。
 一緒に赴任したのは、浜松で最も有名な吹奏楽指導者の大先生。学年も同じです。クラスにも授業に行かせてもらいました。だいたい学校にいない(笑)で、校外への補導・見回りや交番に行っているので、給食や学活にもほとんど2年6組に行っていました。クラス経営、生徒指導についてはまた改めて紹介したいと思いますが、今回は、そんな大先生の赴任から生徒との初対面、地区大会銅賞が、どのようなことから始めて、県優勝をするバンドになるのかを目の当たりにしてきた経験を少し紹介したいと思います。

 忘れもしない初日、24人の2、3年生の前で自己紹介とお話をします。『どうせやるなら日本一』と、黒板にデーンと書いて、「この子たちにはちょっと長いんじゃない?」と思うくらい、長々と語ります。当然、そういうのに慣れていない子どもたちは飽きてきます。中にはあくびをして、体をもぞもぞして、「はぁ〜」という表情を出す子もいます。今思えば、すでにこの時から生徒に対決を申し込んでいたのですね。対決といっても対立、ぶつかる対決ではなく、「お前たちを俺は変えるぞ!」という気迫をぶつけて生徒の心の中に波紋を送り込んでいました。

 学校生活の指導どころか、非行、人間関係、いじめ、孤立など、様々な問題を抱える中でスタートした吹奏楽指導。「明日の生徒集会で演奏する校歌を練習しよう」と演奏してくれた校歌のひどさは、今でもワースト3に入るレベルで、なかなかこれを下回る演奏には教師生活23年、お目にかかれません(笑)
 とまあ、毎日ちょっとずつ、大先生のもとで新入生の楽器決めや個人練習、パート練習を一緒にやらせてもらい、だんだん吹奏楽部として形になってきました。こうなると、どこの学校にもセンスの良い子、勘の良い子、真面目に取り組む子、やっぱり頑張れない子、変わっていく周囲に対して抗い、離れていく子など、様々な表れが見えてきます。それでも大先生は初日と変わらないエネルギーでグイグイと進めていきます。
 そして、2ヶ月後の中日コンクール。初めての出場で、保護者にも「こんな大会があるので、出てみましょう。この大会は出場団体を新聞で紹介してくれる、子どもたちにもきっと励みになるものになります。」と、どこまでもポジティブです。何もかもが初めてですので、まあ、とにかく言われた通り、演奏してみた、教わったことだけを必死にやったという感じです。なんといっても、自由曲は『バラの謝肉祭』ですから(笑)・・・結果は2位の準優勝!
 その後のバンドの成長は、静岡県内であれば皆さんご存知、自分もこの13年後にこのバンドを指導するようになるとは、この当時は思ってもいませんでした。

 大会の結果よりも、もっと驚いたのは、その後の生徒の変わりぶりでした。生徒会で活躍するものが出てきました。授業の作文、生活体験文では、みんな部活動のことを書き、市の文集で代表に選ばれました。そして一番印象に残り、この後の僕の教員人生に影響を与えたであろうことがありました。
 その大会が終わり、生徒一人ひとりに声をかけた大先生、この日はひとまず片付けて解散しました。僕も戸締りを確認して帰ろうと思ったところで、ある生徒が「先生、ちょっと良いですか?」とやってきた。この生徒、非行や不登校でもないのですが、当時、物静かな暴力的でない生徒がナイフをもつとかいうことで社会問題にもなった、表に出ないが最も危険な生徒・・・ということでカウンセリング的なケアを必要とされている生徒でした。当時はまだスクールカウンセラーというものがありませんでしたね。その生徒は、部活とは関係ない、何を思ったのか、ひたすら色々と話してくれました。ほとんど誰かの悪口と文句と不平不満(笑)・・・
 遅くなったので、「家はどこ?そこまで送ってくよ」と、まあ、今となってはこれも問題なのですが、本人も嫌な顔せず一緒に下校。「あ、ここでいいです」というと、最後に「先生、ありがとう、優勝とか・・・そういうの、関係ないって思ってたから」と言って帰っていきました。まあ、この後もこの子にはケアが必要ではあったのですが、まだ23歳の若手教員には、生徒の中で何が起こっているのか、この時にはよくわからず、「優勝ちゃうで、準優勝やわ」というのが精一杯でした。

 何でもいいのですが、自分の得意分野で子どもたちの中にグイグイ切り込んでいく先生はとても魅力があります。そしてサッカー、バスケ、野球、柔道、テニス・・・部活動だけでなく、学校行事、生徒会・・・もちろん授業や進路指導。
 「優勝したい」「こういうことをしたい」という自分の思いを自分のものでなく、生徒にその思いをのせて、生徒がその思いを実現させていく過程で生徒が育つ。優勝や達成という結果と同時に、それ以上の何かを生徒に与える大先生たちに囲まれた教職生活のスタートが今になってとても大切だったのだと思えてなりません。教職は素晴らしい。


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-08-20 05:48:57
久しぶりに読み始めてまとめ読みしてますが、これちょっとささりました、、、
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