赤い水性の部屋

あくまでも赤い水性個人のページですので、吹奏楽とは関係ない内容もあります。みなさんのコメントをお待ちしています。

実感

2020年06月30日 | Weblog
 いつ雨が降ってもおかしくないどんよりとした厚い雲の浜松市です。気がつけば6月が終わり、2020年も上半期が終わりました。本来であればオリンピックイヤー、開幕直前といったところでしたが、今年の前半はコロナ一色でしたね。

 休校明けて1ヶ月、学校の方では授業は進み、期末試験が近づいてきました。休校中は、学習が進まず試験ができないんじゃないかとか、試験範囲を自宅での課題にして課題テストとして中間試験をやろうかとか、インターネットの環境が同じではないので公平性に欠けるとか、いろいろと問題点が指摘されてきましたが、なんとか1ヶ月、期末試験ができる状態になったと思います。東京など都市部では、まだまだ段階的な地域もあるでしょうから、日本全体で平等生、公平性を考えると、まだちょっと・・・といったところでしょうか。

 今回の問題について議論を聞いていて思ったのですが、やはり小中高で気にするポイントが違うと思いました。まあ、生徒、職員の健康安全という点は同じなのですが、学習そのものの遅れは気にしますが、おそらく小学校の先生は試験範囲が終わらないということは、最初には考えないと思います。試験ができないと成績はどうするんですか的なことは高校の先生が一番この発言でましたね。
 これが面白くて、授業で評価、評定をしている小学校、授業と試験の両方で成績をつける中学校、もちろん授業で評価していないわけではないのですが、試験で成績をつける高校、実技教科や実習教科は少し別でしょうけど、違いますね。僕なんかは、授業をしっかり確保するために、定期テストなんてやめて各教科で行えばいいじゃんと思ってしまう。

 前回、生徒指導に関して小中高の違いを書きましたが、教科指導でも、ちゃんとした学力とか、力をつけるといった時に、その話し合いをしても、その力の定義がみんな違うので、なかなか難しいのです。それによって、良い授業というのが変わってしまい、昔、若い時に研修ということで、高校の国際科の授業参観をした時に、事後の研修会で「いやあ、今日の授業は・・・でよかたですねー、あの時のあれは・・・」と高校の先生は満足げに話し合っていましたが、その時我々は、いったい今日の授業の何がよかったのか、ただの講義録画を生徒が黙って見てるだけじゃん・・・と思ったのを思い出しました。逆に、小学校の授業や活動を見て、「あんなのワイワイガヤガヤやって活動してるけど、全然わかってないじゃん」という意見も出るでしょう。
 どちらにしても、難しいのは、本当に主体的に取り組んでいるのかが客観的にわかるのか、理解していると確認する方法、その理解したことを生かしているかという点。

 楽器も同じですね。上達が実感でき、客観的な評価をわかりやすく得られるコンクールというのはの、うまく利用すると励みになる、つまり以後の動機付けにつながります。
 コンクールも試合も試験も、いずれにせよ、学習者である児童生徒が学びを実感できることが一番なのではないのかなぁ。

学校って

2020年06月29日 | Weblog
 6月の最終週の月曜日、梅雨とは思えないほど、とてもよいお天気の浜松市です。

 さて、コロナ休校があけて1ヶ月が経ち、学校も通常に近い活動になっていますが、皆さんの地域、学校はどうでしょうか?いろいろなことが通常に戻ると、そのぶん他のことでもう戻らなかったもの、戻ってこないものにフォーカスされます。一番は学校行事や部活動でしょう。浜松では中学校は修学旅行や宿泊訓練のような野外活動(林間学校、臨海学校)など、メインとなる行事を行うことができませんでした。小学校でも6月は運動会を開催する所が多く、やはり中止となりました。また、部活動についても、各部とも大会や競技会が中止となりました。

 高校の先生となって入試の面接をするようになったのですが、「中学校生活で一番思い出に残っていることはなんですか?」という質問では、ほとんど、もう8割以上でしょうか。
 「はい、修学旅行です。私は実行委員として・・・」
 「はい、体育大会では応援リーダを務め、集団をまとめ・・・」
 「部活動の最後の大会では・・・結果よりもその過程を一緒に過ごした・・・」
 「合唱コンクールでは、はじめは・・・でしたが、だんだんと・・・」
 これらは全て授業以外のことで、今思い返してみると、中学校3年間でがんばったことや思い出に残ったことを語ってくれていました。学校生活を通じて体験したことを、自分の学びや気づきにしっかりとフィードバックされていました。
 休校分の授業を取り戻すということもそうですし、今後も色々と中止や縮小された中で学校生活が送られると思います。また、中には、今まで当たり前だったことがなくなってみて、「あー、これでもできるじゃん、今後もなくせばいいよね」など、今回のことでなくなる学校の文化、習慣もでてくるかもしれません。部活動短縮、縮小のガイドラインも一気に進むでしょう。

 児童・生徒のみなさんが、これまで自然に体験してきた、そして意識か無意識かはわかりませんが、「思い出に残っていることは・・・」「一番学んだことは・・・」といっていたことが、別の形で現れることを期待しています。
 今は、「コロナ禍によって当たり前だと思っていた・・・が・・・で、改めて・・・と気づきました。」という学びが得られるのかもしれませんし、今年の面接ではこういった答えが多くなるのではないかと思います。しかし、学校というのは、入れ替わりが早く、3年経てば何事も伝統になってしまいます。何かをするのも伝統ですが、何もしないのも伝統です。
 今の若手がベテランになる頃、いやひょっとしたらあと数年で、「昔は・・・だったらしい」という時代がやってきて、「昔は修学旅行とかさぁ、生徒が2泊も宿泊するのを引率したんだよ、今考えるとあり得んよね〜」という、以前紹介した「昔はこれ全部手書きだったんだよ〜」のレベルでの会話が聞かれるのかもしれません。

 「私が学んだことは、銅の参加と還元についてです・・・」という学びと、先に紹介した学びが違うものであることを児童生徒たちはしっかりとわかっていて、答えていたのだと思います。どんな時代になっても、学校とはこの両者の『学びの共同体』であってほしいと思います。

うぬぼれるなよ、小僧

2020年06月25日 | Weblog
 雨がパラつく浜松市です。梅雨真っ只中といった空模様です。少し早めに家を出る、バスを1本早くするなど、上手に出勤、登校しましょう。

 さて、教職を応援するこのブログ、ここのところ、たくさんのアクセスをいただいています。やはり教職は素晴らしい。今日は、学級づくり、生徒指導、生徒理解について少し書いてみましょう。

 生徒指導というと、悪いことをした生徒をキツく叱るというイメージでしょうか。また、高校では問題行動に対して規則があり、それに合わせて罰則や処分をすることを言います。まあ、これは義務教育ではないので、入学前に「違反をしません」という誓約書も書きますし、違反をしたら処分されます。
 義務教育の場合は、そういった面もないわけではありませんが、基本的には罪を憎んで人を憎まず、生徒が今後良くなるようにサポートするという、生徒指導というよりは生徒支援に近いのかもしれません。中学の先生からすると、高校の生徒指導は冷たくて画一的といい、高校からは、あんなの指導になってないと、これだけではありませんが、飲み会の度に喧嘩になるほど、意見が分かれます。
 また、小学校と中学校も同じで、小学校の先生に言わせると、中学であんな風に生徒の気持ちを無視して頭ごなしに怒るからとか、あんないい子がダメになったのは中学での指導が・・・といわれたり、逆に、中学からは、小学校の時にきちんとやらないから中学で荒れるとか、中学の問題はだいたい小学校まで遡るとか、あいつのどこがリーダーなのかわからん、ただ担任と相性が良かっただけで、あいつ、全然ダメと、まあ、意見があったためしはありません。

 幼稚園、小学校、中学校、高校とどの先生もその時のベストを児童・生徒に対して支援、指導をしていますが、この指導がうまくいくと、どうしても我々は指導の成果とか、俺が育てたとか思ってしまいます。まあ、これが仕事のやりがいであり、教師の喜びであるので、これはこれで重要な要素なのですが・・・
 実は、これ、よく言えば、生徒が段階に応じて成長しているということです。悪い言い方をすると、生徒が教師に合わせてうまくやってくれているということです。子どもたちの方が変化していて、それぞれの指導にうまく対応してくれているのです。生徒の方が大人という、隠れ学校アルアル。
 「うちのクラスの課題は、いかにしてマコっさんの暴走を止めるかだ」という名言を残した学級委員がいました。また、「おい、お前の学校で一番ハバきかせて勝手やってるヤツは誰だ!」と、近隣の中学の不良に絡まれたうちのクラスのワルどもが「一番好き勝手やってるのは・・・マコっさんかなぁ・・・」と答え、後日「周りから『さん』付けされてる、すげぇヤバイ奴がいるらしい」と地区のワルの間で探されたことがありました(笑)

 体の成長も大きいのですが、心の成長も大きく、今まで考えなかったようなことや気づかなかったことに気づく年ごろです。それゆえに、感じやすく、傷ついてしまいやすい時期でもあります。もちろん個人差があり、みんなが同じではありません。
 思い出してみてください。中学になった時、すごく大人になったって思いませんでしたか?大人になったって一番背伸びしたい年ごろなのかもしれません。

 新しい学校に行ったり、新入生と出会ったときによくやるのですが、「ねぇ、頼んでいい?」とか「これって、みんなだけでできるかなぁ」、「ねえ、教えて」というと、思いのほかうまくいきます。ベテランの先生はそれが上手です。前回のように、大先生で、圧倒的な力と魅力でグイグイ引っ張って影響を与えるインフルエンサーのような先生もいますが、このように、じわじわ生徒の中に浸透していくタイプもいます。もちろん、先生の数だけタイプがあります。どうすれば自分の個性が受け入れられ、生徒がそれに合わせてくれるかが、指導が浸透するかどうかのポイントなのかもしれません。

 我々が指導していると思っていても、児童・生徒の方が、それを支援してくれていると感じないと、指導にはならないのです。相思相愛というと言い過ぎかもしれませんが、信頼関係は重要ですね。教職は素晴らしい。

人は・・・変わってゆくのね

2020年06月24日 | Weblog
 今日もいいお天気の浜松市です。6月の梅雨の晴れ間って、明るい日差しで風も心地よく、気持ちがいいですね。7月になると、なんとなく、こっちの方が梅雨じゃないかって思うような、ダラダラした日が続きます。

 6月といえば静岡県は中部日本吹奏楽コンクール県大会があります。昨年は本当、もやもやしましたが、今年は新入部員すら確定していません。どうなることやら。
 さて、中日コンクールのたびに思い出すのですが、教職を応援するこのブログ、今回はそのことについて紹介します。何度も繰り返しますが、教職は素晴らしい。

 2年目のことです。まだ採用試験に合格していないので、講師として赴任した二校目の学校、前の学校以上に不良ばかりの、まあ、本当にワルい学校でした。正直この学校が好きになるのは時間がかかりました。生徒とまともに話ができない、授業に行きたくないって、こういうことなんだと今でも覚えています。
 一緒に赴任したのは、浜松で最も有名な吹奏楽指導者の大先生。学年も同じです。クラスにも授業に行かせてもらいました。だいたい学校にいない(笑)で、校外への補導・見回りや交番に行っているので、給食や学活にもほとんど2年6組に行っていました。クラス経営、生徒指導についてはまた改めて紹介したいと思いますが、今回は、そんな大先生の赴任から生徒との初対面、地区大会銅賞が、どのようなことから始めて、県優勝をするバンドになるのかを目の当たりにしてきた経験を少し紹介したいと思います。

 忘れもしない初日、24人の2、3年生の前で自己紹介とお話をします。『どうせやるなら日本一』と、黒板にデーンと書いて、「この子たちにはちょっと長いんじゃない?」と思うくらい、長々と語ります。当然、そういうのに慣れていない子どもたちは飽きてきます。中にはあくびをして、体をもぞもぞして、「はぁ〜」という表情を出す子もいます。今思えば、すでにこの時から生徒に対決を申し込んでいたのですね。対決といっても対立、ぶつかる対決ではなく、「お前たちを俺は変えるぞ!」という気迫をぶつけて生徒の心の中に波紋を送り込んでいました。

 学校生活の指導どころか、非行、人間関係、いじめ、孤立など、様々な問題を抱える中でスタートした吹奏楽指導。「明日の生徒集会で演奏する校歌を練習しよう」と演奏してくれた校歌のひどさは、今でもワースト3に入るレベルで、なかなかこれを下回る演奏には教師生活23年、お目にかかれません(笑)
 とまあ、毎日ちょっとずつ、大先生のもとで新入生の楽器決めや個人練習、パート練習を一緒にやらせてもらい、だんだん吹奏楽部として形になってきました。こうなると、どこの学校にもセンスの良い子、勘の良い子、真面目に取り組む子、やっぱり頑張れない子、変わっていく周囲に対して抗い、離れていく子など、様々な表れが見えてきます。それでも大先生は初日と変わらないエネルギーでグイグイと進めていきます。
 そして、2ヶ月後の中日コンクール。初めての出場で、保護者にも「こんな大会があるので、出てみましょう。この大会は出場団体を新聞で紹介してくれる、子どもたちにもきっと励みになるものになります。」と、どこまでもポジティブです。何もかもが初めてですので、まあ、とにかく言われた通り、演奏してみた、教わったことだけを必死にやったという感じです。なんといっても、自由曲は『バラの謝肉祭』ですから(笑)・・・結果は2位の準優勝!
 その後のバンドの成長は、静岡県内であれば皆さんご存知、自分もこの13年後にこのバンドを指導するようになるとは、この当時は思ってもいませんでした。

 大会の結果よりも、もっと驚いたのは、その後の生徒の変わりぶりでした。生徒会で活躍するものが出てきました。授業の作文、生活体験文では、みんな部活動のことを書き、市の文集で代表に選ばれました。そして一番印象に残り、この後の僕の教員人生に影響を与えたであろうことがありました。
 その大会が終わり、生徒一人ひとりに声をかけた大先生、この日はひとまず片付けて解散しました。僕も戸締りを確認して帰ろうと思ったところで、ある生徒が「先生、ちょっと良いですか?」とやってきた。この生徒、非行や不登校でもないのですが、当時、物静かな暴力的でない生徒がナイフをもつとかいうことで社会問題にもなった、表に出ないが最も危険な生徒・・・ということでカウンセリング的なケアを必要とされている生徒でした。当時はまだスクールカウンセラーというものがありませんでしたね。その生徒は、部活とは関係ない、何を思ったのか、ひたすら色々と話してくれました。ほとんど誰かの悪口と文句と不平不満(笑)・・・
 遅くなったので、「家はどこ?そこまで送ってくよ」と、まあ、今となってはこれも問題なのですが、本人も嫌な顔せず一緒に下校。「あ、ここでいいです」というと、最後に「先生、ありがとう、優勝とか・・・そういうの、関係ないって思ってたから」と言って帰っていきました。まあ、この後もこの子にはケアが必要ではあったのですが、まだ23歳の若手教員には、生徒の中で何が起こっているのか、この時にはよくわからず、「優勝ちゃうで、準優勝やわ」というのが精一杯でした。

 何でもいいのですが、自分の得意分野で子どもたちの中にグイグイ切り込んでいく先生はとても魅力があります。そしてサッカー、バスケ、野球、柔道、テニス・・・部活動だけでなく、学校行事、生徒会・・・もちろん授業や進路指導。
 「優勝したい」「こういうことをしたい」という自分の思いを自分のものでなく、生徒にその思いをのせて、生徒がその思いを実現させていく過程で生徒が育つ。優勝や達成という結果と同時に、それ以上の何かを生徒に与える大先生たちに囲まれた教職生活のスタートが今になってとても大切だったのだと思えてなりません。教職は素晴らしい。

これが若さか・・・

2020年06月23日 | Weblog
 すっきりと晴れて気持ちの良い朝を迎えている浜松市です。梅雨の中休み的な晴れ間っていいですね。半袖の夏服と肌を通過する風が心地よいです。

 さて、このブログ、教職を目指す学生さんや若い教員向けに応援するつもりで書いているのに、いつのまにか業界に長くいるうちに見えてきた矛盾点に毒を吐くような形になってしまうという、僕の悪い癖が出てしまったので、今回は、教職は素晴らしいということについて触れて行こうと思います。
 先に断言しておきます。教職は素晴らしいです。そして、当時は意味がわからなかったのですが、今回紹介するように、若い時ってその時にしかできない指導があって、これは羨ましい。

 大学を卒業して縁があって赴任した最初の中学校、1年3組の担任として、本当に毎日が楽しかったです。今でもどこに戻りたいかといえば、ここですね。クラスには浜松の有名ピアニストの今ちゃんも番号順4番でいました。この頃は、吹奏楽指導者になろうなんて思ってもいなかったですねぇ。

 今思えばメチャクチャで、クラスもグダグダなのですが、とにかく楽しかったです。日曜日には、みんなで弁天島へ釣りに行ったり、山の方まで車で行って、川で泳いだりしていました。今なら問題になってますね(笑)
 夜に、一緒にラーメン屋に入り込んで喋りながらラーメン食べたり、家庭訪問でもないのに勝手に家に上がり込んで普通にグレてチンピラみたいになった兄貴としゃべったりしていましたねぇ。
 「先生よぉ〜、弟、イジメられないように頼むな〜、まあ、そんな奴いたら俺がぶっ飛ばしにいくけど」とか、「こいつにだけはしっかり勉強して欲しいから、先生、しっかり教えてやってくれよ、俺みたいになっちゃうから」とか、笑える反面、親心、兄心は誰でも一緒なんだと、若いながらに思ったし、どの子にもその後ろにいる親兄弟、生活のバックグラウンドがあって、それ抜きには生徒指導ができないということを、なんとなく身につけたんだと思います。
 当時は学校が荒れている時で、授業を抜け出したり教師に向かって反抗して暴力を振るったりすることが常態化していた学校でしたが、こういうふうに接していると月曜日からクラスや授業が本当にうまく行って、金曜日になると「先生、今度土曜か日曜、どっか行こう!○○も行きたいって言ってるで誘っていい?(だいたい不良)」と言われることが多かったです。田舎じゃないですよ、浜松市内のど真ん中の学校です。

 部活指導も、当時はサッカー部の副顧問として主に大会や練習試合の引率をしていました。顧問の先生はもうベテランで指導力があり、数学の授業も上手で、人柄もよく、本当に「すごいなぁ」と思っていました。当時サッカー部は不良の軍団みたいな、まるでスクールウォーズみたいな部だったのですが、大学を卒業したばかりの僕から見ても、土日の練習試合ごとにチームが良くなっているのがわかりました。
 その先生と、「そういやぁ、あいつ、・・・で、・・・なこと言ってましたよ。」というと、「へぇ〜、あいつ、そんなこと言うんだ。俺には絶対そういうこと言わんのに。やっぱ若い先生は信用されていいなぁ〜。また聞いてやってよ、俺らみたいなのは、ガミガミ怒るしかないからさぁ」と言われました。確かにその子はちょっと暴力や教師に対して反抗的な子で、基本的には「うるせえ」しか喋らないような子でしたね。
 また、クラスにワル代表みたいな子がいて、その子と母親を呼び出して指導したときには、そのワル代表の部活顧問の先生も立ち会ってくれて(おそらく、「大丈夫かいな、ちゃんとやれるのか?」と言う監視だったと思う、今思えば)、生徒と保護者を帰した後、「トクマスくんの指導ね、・・・で・・・だけどさ〜、まあ、若いわ!いいね、若いって。俺も戻りてぇ〜」ってよく言われました。職員室で他の先生にも「先生、いいね、廊下歩いてると生徒から寄ってきて声かけてくる。俺なんか、みんな隠れて逃げてくもん。若いってずるいわ〜それだけで、うまくいくことが山ほどある。」とよく言われていましたが、その当時はその武器の威力がわかっていませんでしたねぇ。
 この頃から、個で指導するのではなく、それぞれのキャラクターや年齢、性別、キャリアを生かしてチームで子どもを見守るということを身につけさせてくれた初任校に感謝です。

 バレンタインの時に、学年で一番問題の女子から校門の外でチョコを渡されたり、靴箱に学年1位の女子からのチョコが入っていたりして、すごいライバル対決だったのも今となってはいい思い出です。この前、そのワルの男の子が「先生じゃん!」って声かけてきたのは、バレーボールの大会の決勝で応援に行った時。子供が出場していたらしい。「お父さんと違って真面目になって優秀な選手でよかったね。」と言ったら、「それを言わんでくださいよ〜」と、まあ、時間が経てばこんなもんです。

cost-cost-costの結論が出ました

2020年06月22日 | Weblog
 梅雨空の月曜日、雨の浜松市です。土日は晴れたので、まあ、よかったですね。新入生の生活もそろそろ学校の中に溶け込んできた頃ではないかと思います。

 さて、『学校にはコスト意識がない』ということをテーマに先週から色々な面から考えてきましたが、決定的だと思ったことを今日は書きたいと思います。
 コミュニティスクール構想、ギガスクール構想・・・など、今流行のカタカナ計画、学校を地域に開放して連携を図り、地域で子供達を育てるとか、インターネットを利用して生徒が登校できなくても学習の遅れがないように勉強ができる工夫、大人数の教室でも全員が見やすく、わかりやすい映像や生きた教材として資料を提示できる・・・まあ、話だけ聞いていればいいことしかありません。

 地域の方がこれについて協力してくれるというので、それはそれでありがたいのですが、問題はその手前にあって、これらの計画を話し合おうと、担当教師や教頭先生(の場合が多い)が集まります。まず準備委員会を立ち上げる・・・の前に準備の話し合いが始まります。
 企業経験がないので、正しいかどうかわからないのですが、本当はここで、どんなスタッフが何人必要か、それに伴い場所(部屋、オフィス、支店)をどこに出し、いくらお金がかかるのか、経費や予算を立て、それが最終的にどういった利益をもたらすのかを考えます。利益がないのであればこの計画は無効です。もちろんこの計画自体は赤字でも全体が社会貢献やイメージ戦略として、最終的にプラスであれば、それはオッケーになります。
 そして、まあ、最初は応援スタッフを派遣して、軌道に乗れば、現地の雇用やアルバイト、派遣社員とともに新しい部門をやっていくのが普通の手順ではないでしょうか?

 学校ではどうでしょう?まず、何かの計画をうけ、その準備を教頭先生(が多い)が始める。何人かの先生が呼ばれる。ちなみに、教頭先生には管理職としての校長の補佐、職員の勤務の管理監督、学校設備の管理監督、授業や生徒指導などの通常業務があります。他の先生も担任、授業、校務分掌と呼ばれる担当の仕事、生徒会や部活動があります。その業務から新しい計画担当に変更というのであれば話はわかるのですが、その仕事は残したまま、新しい仕事が加わるのです。
 どういうことかわかりますか?営業の人が営業をしたまま新しい支店の準備で出店計画やデベロッパー部門をやります。それまでの担当顧客(学校でいうと生徒、クラス)へのサービスは同じです。生産ラインでネジを回している作業員(学校でいうと授業、部活指導)をやっている人が勤務時間が終わった後に新しい事務所の机やコピー機の準備をする・・・という具合です。もちろん、学校なので、その分の給料は出ないです。8時15分から16時45分の勤務時間は、1時間目から6時間目の授業をやるという設定で、ただでさえ今はその前から生徒会行事や生活指導、挨拶運動、登校指導、放課後は補習や部活動、生徒会活動を、いくら早くても6時くらいまで行っています。その後は本来授業後に行うはずだった翌日の授業準備をしなくてはいけません。

 結局、新しいことを導入したいと思って、実は簡単に導入できるのが学校です。なぜかというと、人的補充や物的補充、予算的な補充をしなくても、新しいことは全部先生がやってくれるからです。定額働き放題なので、これはとても便利です。民間にこれをお願いしたらとんでもないコストがかかります。つまり・・・
 
 学校にコスト意識をもたれては困る

 という、今回ずっと扱ってきたテーマの答えがここに出ました。自分も納得しました(笑)

COST(過去分詞)

2020年06月20日 | Weblog
 土曜日になりました。昨日の午後から雨が止み出して今日は少し晴れ間も見えていい週末になりそうな浜松です。学校の方は、クラブ活動や補修授業など、校内に限定されてではありますが活気のある学校に戻りつつあります。

 さて、学校のコスト意識について、ずっと書いてきていたので、土曜日でお休みするつもりでしたが、もう一つ書こうと思います。実は、この話題を書こうと思ったきっかけなのですが、僕の結論を言いますと、

 「学校はコスト意識がない」のではなく、「学校はコスト意識をもつのが難しい」

 ということです。本当は「もてない」か「もってはいけない」または、「もつ必要がない」か迷ったのですが、うまく表現できないのですが、とにかく、学校ではコスト意識をもつことが難しいのです。

 例えば、こんな話があります。学校のICT化によって全教室にプロジェクターと電子黒板(10年以上前に各学校1台配備されましたが、ただの掲示板になってるか、部屋の仕切りになってますね、どこの学校も)または、スクリーンなどを配置という計画があるようですが、これがどうやら、品が不足で工事がなかなか進まないという話を聞きました。
 どうにも納得がいかないのが、アマゾンや楽天で在庫ありで小型の高性能の、しかも聞いている予算より断然安い製品が並んでいるということです。「アマゾンでザクッと8万〜10万くらいのを5台ずつ買ってけばいいじゃないですか」と、気軽に言ったら、「備品はそうやって買えないのよ」というお答えが返ってきました。そうなのです、公費といって、要するに税金から来る予算は、使い方に決まりがあって(でないと、部屋に私物とか高級美術品とかゴルフクラブとかドラマのようなことが起こってしまう)、ネットや割引品は買えず、カタログの提出や見積もりなど、まあ、とにかく、定額給付金なんて問題にならないくらいめんどくさい手続きがあります。定価で買うので、うまくやればその半値くらいで買えそうなものでも、定価で買わないといけないです。某マスクの配布もそうなのですが、予算は使い方が重要で、使い道は、使い方が(ルールに)合っていればいいのです。

 前回話題に出した紙の費用。これを完全に半分にできたとして、それを図書室の本にあてて児童生徒に還元するとか、各教室の蛍光灯をLEDに変えてあげるとか、地味なところではトイレの改装、網戸の張り替え、教室の掲示板のクロスの破れを修繕する、エアコン導入とまではいわなくても各教室に扇風機を家電量販店で大量購入して割り引いてもらうなど、一般人なら誰でも考えつきそうなことですがこれができません。
 学校経営にも民間のエッセンスを取り入れようということで、民間人からの校長の登用が少し前に流行りましたが、町工場だったら、半分で済むようになった経費で従業員に1000円でも給料やボーナスを増やしてやりたいと思う経営者の皆さんが多いと思います。しかし、紙をなくし、チョークをなくし、LED化して光熱費が安くなった分、従業員、つまり教職員の給料に充てることはできません。それどころか、蛍光灯の交換も教職員がやっています。おそらく、民間人校長になられた方は、「なんだそりゃ、そんなのどーでもいいじゃん」と何度も思ったことでしょう。

 私費で公費を賄ってはいけない。これはわかります。
ああ、そうか。「じゃあ、教室の花を担任が買ってきて飾るのは処罰されるのか?」「生徒の学習帳につける赤ペンの花丸や合格シールを買って使用することは違反なのか?」ということになるので、学校には地味に「使用していいですよという赤ペン」や文房具が事務室の隅に、気づかれないように置いてあるんだね。そうか、僕らは支給品があるのに自主的に別のものを使っているんだね。それなら問題ない。

COST(過去形)

2020年06月19日 | Weblog
 昨日からの雨で梅雨本格といった感じの浜松です。やっと金曜日になりました。休校があけて、なぜか以前よりも金曜日・・・というか、土曜日が恋しくなってるような気がします。

 さて、前回より、「学校にはコスト意識がない」と言われるのがどうしてかを扱っています。今日は少し違った、コスト意識について話してみましょう。
 多くの生徒が楽しみにする修学旅行。中学の京都奈良の研修、だいたい2泊3日で一人5万円くらいでしょうか?今はどうなんでしょう。まあ、内容は本当に盛り沢山で充実した体験、見学地、今はホテルもいいホテルで、ほんと充実しています。しかしちょっと別の観点で見てみます。修学旅行では交通機関の予約やホテルの予約、体験先の予約などは、旅行業者を通じて行います。全国にある有名な業者から地元の業者まで様々なのですが、業者の観点から考えたいと思います。
 例えば、浜松市は遠州灘(太平洋)沿岸から長野県境まで、本当に広いです。車で移動すると3時間くらいかかります。しかし、そういった地域にも当然学校があります。また、そういった地域は児童生徒の数も少ないです。これは、学校の統廃合の一つの理由だと思うのですが、学校行事や授業がうまくできないのです。

 コスト意識、業者の観点で考えてのことなのですが、ズバリ、「こんな少ない人数でこれだけのサービスでは割りに合わない、しかも、入札でより安くとか言われるし、そんな入札、落とすなよ」というのが業者の本音でしょう。例えば、授業で絵を書くことになった。スケッチブックを生徒分購入したいとなっても、市内であれば200冊、ドーンと配達して、「マイどー!」と景気のいい話なのですが、山間部では2冊を片道2時間半かけて配達に行く。「宅配便にしてくれよー!」「アマゾンで買ってくれー」って業者は言いたいでしょう。半日つぶれてしかも学校販売は儲けが少ない設定でスケッチブック2冊の売り上げなんて、そりゃGDP下がるわな。

 学校の先生というのはそもそも給料が一定ですので、100人相手でも1人相手でも同じです。それがいいところでもあり、どんな環境でも質の高い、親身な指導、誰もが同じように指導が受けられる公教育の恩恵を受けられるのです。したがって、1人でもいれば校長先生、教頭先生、そして9教科の先生が配置されますので、一人で公務員11人です。ざっくり平均年収500万で計算しても、顧客一人に対して5500万円の人件費なんて、それこそ民間企業だったらその支店は撤退でしょう。ゆえにそういうところに税金を投入すればいいとなるわけで、私学や量販店は田舎にはできないのですが、その発想は学校にはないので、学校に関わる業者はその狭間で苦しいのだと思います。

 それでも子供たちにとっては一生の思い出になる修学旅行、毎日の楽しい授業、「今日は学校でザリガニの絵を描いたよー」と力いっぱい画用紙に描かれた作品を掲示してそれを眺めるキラキラした顔。こんな景色はこういった苦労をなんとかして解決している学校現場の努力の成果なのです。

 

COST(原形)

2020年06月18日 | Weblog
 今日は曇り、今にも雨が降りそうな曇りで、昨日までとは違って梅雨らしい空の浜松市です。梅雨後半戦といった所でしょうか?

 学校はコスト意識がない・・・と言われるのを耳にするのですが、いまいちピンときません。なぜかというと、別に無駄遣いをしているつもりはないし、無駄遣いどころか、あちこちの予算がなくて、必要なものにすら遣えないと思っているからです。それはある意味正しいわけです。

 でもって休校中に「あー、こういうことか」と思ったことをいくつか紹介していきましょう。やはりなんといっても学校は、髪は少ないのに紙の多いこと。印刷室に行くと、いわゆる「裏紙を利用しましょう」のような張り紙があり、そこには印刷に失敗したのだけれど、裏面が白いプリントは授業のメモ用紙や計算用紙、学級便りなど、重要ではないが使用される紙に活用されます。これだけ見ると、「おお、コスト意識あるじゃないか」と思うのですが、問題はその前で、休校中は授業がなかったので、印刷室を使う必要がないのですが、なんと、全学年、全教科が課題を印刷して配るということで、まあ、出るわ出るわ、ミスプリントの山。裏紙置き場に置き切れないほどのプリントがつまれ、うちのクラスの学級日報『さんま通信』の紙はこれでしばらく困らない。
 全校生徒が1200人で、1教科3枚〜5枚、これが少なくとも5教科ですので、膨大な量です。そもそも、Googleドライブでもなんでもいいのですが、フォルダに入れて生徒が自宅で受け取ればこの紙と印刷の時間、印刷ミスした紙の廃棄、置き場所、印刷機の稼働など、ああ、これがコスト意識か・・・と。

 時間と場所もコストですよね。僕たちって、勤務時間(前回のブログ)が決まってて、給料も固定なので、時間と場所に関しては意識低いのかもしれません。

 

勤務時間

2020年06月17日 | Weblog
 今日も薄曇りに晴れ間がのぞいている浜松市です。風が冷たくて気持ちいいですね。まだ水曜日です。週の半ばですがここを乗り切って週末にむけていきましょう。
 
 さて、学校で働くというのは、一般の方からすると特殊のように感じられるのでしょうか?僕としては、というか、普通、誰もが小中学校、高校を経て、まあ、大学へいったとして、そのまま学校で働くわけですから、逆に変わらないという印象です。浜松市だけで教職員が4000人くらいいるんだと思いますが、労働者人口にしてどのくらいの割合なのでしょう?漁業、農業、林業などの第1次産業の数と実際にどちらが多いのでしょうかね。

 我々にとっては、学校は学校であると同時に職場であります。よく、先生方だけ職員室にエアコンがあってお茶飲んでてずるいと、生徒に言われますが、まあ、生徒目線ではそうでしょう。しかし、保護者まで同じようなことを仰る方がいるのには参ってしまいます。ここは職場ですから、職場にエアコンとか湯茶の用意がないってヤバイっしょ。休憩時間は仕事をしないので、本当は昼休みは休憩スペースで飲食をしたりタバコを吸ったり、テレビを見るなど、一息つくことができるのでしょうが、ここが学校の厳しい所、お昼休みは生徒の委員会や打ち合わせ、補習や追試、生徒面談など、働き者っぷりを発揮してしまう先生という悲しい職業病。
 小中学校の先生に至っては、給食の準備、消毒から配膳、片付け後の清掃、残飯の整理など、最近はアレルギーのことで最悪の場合、児童生徒の命にかかわるので、まさに戦場で1日の中で一番忙しい緊張感のある時間帯です。
 この時間はお昼休憩の時間なので、これは労働ではないということになっています。教職を目指す皆さんを励ますこのブログの趣旨とは反してしまうのですが、これが労働ではないということに、受け入れができない人は、教職を辞めないと、おそらく病気になってしまいます。

 法律で8時間労働の場合は、2回休憩を取らなくてはいけなくなりました。そこで、学校現場はどうしたかというと、8:15〜16:45で休憩を45分とし、7時間45分の勤務になっています。小中学校は登校の関係で、8:00〜16:30の場合が多く、やはり同じく7時間45分の勤務なので、休憩は戦場に行く間の45分となります。(従ってこのブログも勤務ではない時間に書いています)
 
 まあ、実質在校時間は何も変わっていないので、勤務時間が短くなって、時間外労働が計算上、増えたというのが実態だったのですが、コロナ休校のおかげかどうか、3、4、5月の時間外勤務は激減し、「労働環境に改善が見られる」という報告が出るんじゃないかとドキドキしています。