鳥飼玖美子氏は昔から私の尊敬する英語の先生のお一人です。英語学習で多くの示唆を得られる方で、本書はその通訳論です。同時通訳の場で問題となるさまざま状況を紹介し、その解決策や異文化コミュニケーションの難しさなどを指摘します。
そして、実際に起こった歴史的誤訳のようなものを特集した一冊です。
副題は 「原爆投下を招いた誤訳とは!」 となっていて、まるで “通訳が訳を間違えたことによって、あの原爆が落とされたのだ。それが歴史の真相である!” とでも主張していますね。
この話、お聞きになったことがありますか。実は私はどこかで聞いた記憶があり、しかも鳥飼氏の著作ということで、興味を持って本書を手に取りましたが、まことに残念ながら、その問題にはほんの少ししか触れられていません。(もうこういう派手な宣伝文句が内容と異なっていることが少なからずあり、正直、不愉快ですね。もう鳥飼せんせい!)
しかも、本書のそのわずかなところを読んでややがっかり。それによると…
当時の首相、鈴木貫太郎がポツダム宣言を 「黙殺する」 と言ったのを、通訳が「ignore(無視する)」 と訳し、それが連合国側には “拒否する” という意味に取られてしまって、原爆投下を招いた。
もし黙殺を 「ignore」 ではなく “give it the silent treatment” (だまってやりすごす?) とでも訳しておけば、原爆投下も避けられたかも知れないというのです。
う~ん、それはどうでしょうか?いくらなんでも…という気がしませんか。
まず “黙殺する” という言葉自体、そもそも強い言葉ですよね。国語辞典 (大辞泉)で、“黙殺” を引くと、“無視して取りあわないこと” となっています。
一方 “ignore” を新オックフォード英英辞典で引くと、 “refuse to take notice of or acknowledge ; disregard intentionally” (関心を持ったり、認めることを拒む ; 意図的に無視する )
ですから、黙殺する を ignore とすることは、全く誤訳じゃないと思うのですが…。ちなみに今度は手元にある数冊の和英辞典で 『黙殺する』 を調べてみると:
deliberately ignore (故意に無視する)
treat with silent contempt (無言の侮蔑をもって処理する)
pass with silence (黙ってやり過ごす)
completely ignore (完全に無視する)
ignore with contempt (軽蔑して無視する)
take no notice of (注意を払わない)
turn a deaf ear (聞く耳を持たない) などなど、
やはり ignore よりむしろ強い言い方の方が多いようです。ですから、このことは通訳のせいなどではまったくなく、あえて言うなら、黙殺という強い言葉を使った、鈴木首相の発言に問題提起をする内容だと感じるわけです。何か問題がすりかわっている印象です。
ところが、私は、『聖断』 を読んで、鈴木貫太郎の卓越した政治力に畏敬の念さえ抱いておりますので、原爆投下の責任をとても鈴木首相の会見のせいにする気にもなれません(笑)。
以下が目次です。
序章 誤訳はなぜ起きるのか 第1章 歴史を変えた言葉 第2章 外交交渉の舞台裏 第3章 ねじ曲げられた事実 第4章 まさかの誤訳、瀬戸際の翻訳 第5章 文化はどこまで訳せるか 第6章 通訳者の使命 |
つまり歴史上の誤訳というのは、もちろん取り上げようとすればあるのですが、ややあげ足取りの印象です。善意に解釈すれば、通訳という仕事は目立たないが、場合によっては国益さえ左右しかねないのだからがんばれ!という一冊かと思います。
実際、歴史的誤訳から離れ、英語や翻訳についてのエッセーはおもしろく読めました。これから通訳になろうという方、英文学部に進学しようという方なら参考になるところが多いでしょう。
同時通訳ではないのですが、“誤訳” を扱ったものでは、『誤訳をしないための翻訳英和辞典』 の方がおススメです。
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よく彼女の著書を買って読みました。
確か留学などをせずにあれだけの英語力をつけられたのではなかったでしょうか。
彼女に憧れて、高校生の時、クラスの担任に「私も通訳者になりたい」と言ったら、「お前には無理。教師にでもなれ」と即答されました。
教師にでも・・「にでも」って、どういう意味?
この本は、私も読みましたが、やっぱり私には通訳者は無理だとわからせてくれた一冊でした。(笑)
鳥飼氏は確か留学なさっていましたよね。
留学せずに英語力をつけた方は、戸田奈津子さんでしたっけ?
ごめんなさい。津田塾の方かと思いますが、津田梅子さんが英語の達人になった。留学しているので、日本にいながら達人の域に達した人々を紹介した『英語達人列伝』には載っていない、そこのところまでしかわかりません。
http://blog.goo.ne.jp/tokkun-book/e/3c64847651dafd3e5cbd6fc5a5dfba01
それにしても、本当によく勉強されていますね。そういう方にコメントいただけるのは大変光栄です。
私個人は、20年以上、受験英語と関わっておりますので、 “同じレベルの内容” なら、話すより、書く方がずっと易しいです。英語をコミュニケーションの手段として使うというより、読解の対象としてきましたので。
つまり、こう申し上げてご理解いただけるかどうか…、日本の難関大学と呼ばれるようなところで出される受験英語の読解レベルは相当高く、仮に平均的なネイティブの18歳が読んでも理解できないレベルの英文まで読み解くことを要求されます。
そんな、例えば哲学的な高尚な内容を会話にすることは、学問的な領域しかありませんから、“同じレベル”なら、読み書きの方がずっとラクなんです。
きっと、その大学の先生もそれに近いことを実感され、例えば “自分は専門書まで読めるし、論文も英語で書けるのに、実生活では小学生との会話すらままならない。 会話力の貧弱さを補うには、小学校から慣れるしかない” という単純な発想ではないかと推察いたします。
生徒は、というか最近の日本の若者全体の英語力の特徴は逆のようです。話したり、聞いたりすることはできても、読み書きが苦手です。少なくともTOEICなど国際的な英語のテストの結果ではそうなっています。
文部科学省がきっとくだんの先生のような意見を取り入れて、会話中心の英語力を指導した結果だと思います。
ただ、実態は会話力が上がったというより、読解力が落ちたというのが現実で、全体的な日本人の英語力はかなり低下しているというデータがあります。本書の著者もどこかでそれを指摘されていたと思います。
その通り、とうなずいております。
「iginore」の一言を原爆投下と結びつけるのは、それまで双方に充満してきた敵意という歴史的事実をそれこそ「ignore」する、愚かしい広告代理店のコピーライター(!?)が売れんかなの一心で大袈裟に取り上げた結果だと思いますが・・・
しかしそれに近い「意図的誤訳」は、欧米のメディアを読んでいても頻繁にお目にかかります。
以前にも記事に書いたのですが、共同通信東京支局のエリック・タルマジという記者は、日韓問題では徹底して日本を悪意に表現した欧米メディア向けの英文記事を書く常習犯です。
良い例が靖国神社を「Shrine for war criminals」と訳しているのです。これでは靖国礼拝を犯罪視に誘導しているようなものです。
私自身は思想を問われれば平和主義者で、決して右寄りではありませんが、こういった日本への誤解を海外でまき散らしているエセジャーナリストがのうのうと取材を続けていることに、いたく憤慨しています。言論の自由のはき違えです。
政治・外交に関連する方々やジャーナリストは、翻訳の際にはゆめゆめ自己の思想をさしはさまないように、徹底公正を期してもらいたいものです。
(ブログは個人の日記だから、この条件はignoreですが・・・)
長い眼で見たら、筆者にはかなりのマイナスかと思うのですが、どうでしょう。
新聞、雑誌の意図的訳となると、これは普通の読者にはほとんど、発見不可能でしょうね。読者どころか編集責任者たちは、承知しているのでしょうかね。
ジャーナリズムの世界はまったく無知ですが、玉石混交なんでしょうね。