新型コロナ禍を2019年末から見続けてきて感じたことは、現代医療を代表する人たちが、ワクチン問題について、「科学を錦の御旗にしただけの官軍」であり、彼らの知的レベルは、想像以上にひどいと思うしかなかった。
あんなものは科学ではない!
何より、哲学が見えないのだ。宇宙・地球・生命・人生といった巨視的視点がどこにもなかった。
だから、ワクチン副作用(副反応)問題について、あらゆる情報を総合して、合理的な判断をできる専門家が極端に少ないことに驚愕させられた。
メディア出てくる自称専門家のほとんどが、科学・医学の持つ本質的な弱点を踏まえて病気を見ていない。
それは「医療」という巨大な産業の利権を守ろうとする立場でしかなかった。医療産業というのは、私には一種の宗教にしか見えない。
医療は、真実を担保するフリをしているが、実は違う。医療の利権に寄り添った相対的真実にしがみついているだけだ。
私は若い頃から医療を信じていない。だからクライミングをやっていて骨折しても医者にかかるのが嫌だったので、現在は4カ所も偽関節があるほどだ。
ただ救急傷病治療だけは、さすがに100年以上の経験則累積が生かされていて、大衆の役に立っているとは思う。私は「金がかかる」ことで躊躇したのだが。
だが、成人病や私のような間質性肺炎、内臓疾患に関しては、医者など信じていたら命がいくつあっても足らないと思う。
医療は、医療産業の利権のために存在しているのであって、病気を治療し、患者を健全に戻すために存在しているのではないと痛切に思い知らされ続けてきた。
本来、「治療」というものの本質は、患者が本来持っているホメオステーシス=生体恒常性維持機能を補助するだけのものである。
だが、大半の「医療」が、「医者の腕前を患者に見せつける」こと、ホメオステーシスを否定し、「診断・投薬・手術」だけが医療のご本尊だとの決めつけを前提にしている。
これは明治維新に導入されたドイツ医学の悪弊を引きずっているものではあるが、近代資本主義の制約=利権優先思想から、一歩も前進することができないでいる。
私は、自分が2014年に間質性肺炎=肺線維症(IPF)を発症し、さまざまな医療情報を調べて、自分が一般には五年程度の余命しかない難病にかかったことを知った。
毎日、呼吸音にブツブツバリバリと異音が出て、わずか6段の自宅の玄関前階段でさえ、まともに上がれなくなり、あらゆる作業が呼吸の苦しさから困難になることで、家はゴミ屋敷と化した。部屋の中もゴミ箱そのものになった。
だが、私は若い頃から放射線生物学を学んでいたので、間質性肺炎の医療プロトコルを調べて、確定診断が、X線CTと肺穿刺生検を必須条件にしていることを見て、「医者にかかれば殺される」と確信し、さまざまな文献を調べて、「呼吸トレーニング」で自家治療することにした。
X線CTは、被曝量が30ミリシーベルトを超えるのが普通で、主治医が変わるたびに新しく撮影しなおすし、肺穿刺は、背中から太い針を肺に射し込んで細胞を採取するものだ。これはタテマエ上、ステロイドの種類を定めるために必要だとされる。
だが、私は肺炎で弱った肺細胞への30ミリシーベルトの被曝が、どのような意味を持つのか知っていたし、母親が肺生検によって極度に悪化したことも見てきた。
非常の多くのIPF患者が、肺生検後にサイトカインストームを起こして急性増悪で死亡していることを知った。
また、ほとんどの医師は、「医療放射線被曝は被曝ではない」と勝手に決めつけていた。
私は、電離放射線の細胞レベルの影響を理解していたので、医療現場の放射線に関する鈍感さ、無知蒙昧に呆れかえっていた。
とりわけ、日本産科学会による「胎児に対する100ミリシーベルト以下の被曝は何の影響もない=被曝閾値論」という声明について、激しく憤っていた。
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12746436469.html
私の病気に対する哲学は、すべての病気はホメオステーシスによって回復させるべきであり、投薬や手術は原則回避するというものだ。医療の本質は、ホメオステーシスを補助するリハビリテーションでなければならないと考えていた。
だから、間質性肺炎で地獄を彷徨いながらも、私は、毎日必死になって呼吸トレーニングと免疫増強対策を続けた結果、平均的な延命期間である5年を超えて8年目になっても、まだ死なないでいる。
現在は、相当に呼吸機能が回復してきて、ゴミ屋敷だった我が家も、徐々に普通の景観に戻りつつある。
毎日の歩行も、以前のような地獄の修練ではなくなり、歩く楽しさを感じられるようになってきた。回復を実感できるようになっているのだ。
「免疫増強対策」というのは、「体液(血液・リンパ液)の循環こそがホメオステーシスの本質である」という考え方から、毎日8000歩、歩いて、ふくらはぎの運動によって下腿に貯まった血液を心臓に送り返すことで、循環系の活性化を図ること。
ビタミンD食品を摂取し、日光に当たること。それに入浴などで体を温めることで、循環の活性化に寄与させることだ。
これは同時に認知症の治療手段でもあった。
だから、新型コロナ禍が出てきてからも、ワクチンは邪道であり、免疫に依存する対策がけが正義であると考えてきた。
私が新型コロナに感染したなら、たぶん数日で死ぬ可能性があった。しかし、私はワクチン副作用で殺されるくらいなら、感染死の方がマシだと考えていた。
たぶん、実際には、数百回も微量感染していたと思うが、交叉免疫によって無意識に撃退していたと思う。極微量感染は、むしろ免疫のため必要なものと考えていたので、手を洗う事も適当だったが、飛沫感染はウイルス量が多いと考え、マスクだけはしていた。
おかげで、2020年から、風邪らしい風邪にはかからずにすんだ。「毎日歩いて体液を循環させる」という基本対策の指標は間違っていなかったと思う。
だから、毎日歩くための森林公園をコロナ禍で閉鎖する対策の陳腐さに辟易させられたが、私は早朝5時から歩いて7時までに上がるという時間帯で、閉鎖を無視してきた。
これに医師が文句をつけなかったことで、ますます医療に対する不信感が募った。
結局、私が感じたのは、現代医療の新型コロナ禍への姿勢を見て、ワクチン最優先、遮断、閉鎖、非接触という対策には、医療の最後の砦、本質であるホメオステーシスへの理解認識があまりにも不足し、医療体制の利権を守ろうとする発想しかない、偏狭、矮小なものということだ。
私の考えでは、医療の本質は、ホメオステーシス=体液循環の手助けでなければならない。投薬と手術の前に、やるべきことがあるだろう……。
今の医療は、医者という特権階級の利権のための宗教的洗脳とさえ言ってもいい。そこには、本当に病気を撃退し、患者を治療するという意思も見えないのだ。
それは、統一教会のような「この世の問題は、すべてサタンの所業」と決めつけることと、どう違うのかと問いたい。
InDeepの岡氏が、良いブログを書いているので紹介しておく。(一部抜粋引用)
医師から一般の人々まですべてを貫く「医療の宗教化」は、医療教育でのマインドコントロールから始まる。そしてその歴史 2022年11月15日
https://indeep.jp/obey-to-all-modern-medicine/
無気力の原因はひたすら、
「あまりにも多くの人々が、意味の無い理不尽に服従している現実」にあります。
権威やディープステートなどの「上」のほうからの圧力に絶望しているのではなく、「それに素直に追随する人たち」に少し疲れています。
(伊丹万作『戦争責任者の問題』より)
> 「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。 (indeep.jp)
また「新たな(ものに見える)支配階層が出てくるだけ」だと思われます。そして必ず、再び支配には「健康」が使用されるはずです。後述しますが、世界は何百年もその医療支配のために邁進してきました。
2020年に世界中でコロナによるロックダウンが始まり、日本でも緊急事態宣言という名の準ロックダウンが始まった頃、「なぜこんな医療戒厳令が許される?」とは思いました。
まるで感染予防と関係のないさまざまな理不尽(マスクとか消毒とか社会的距離とか)を準強制される中で「意味のないことに尽くさなければならないのなら、単に悪い宗教だろ」だと思っていました。
[記事] 「健康という宗教」が世界中に拡大する中で強行された医療戒厳令。今や、医療と健康概念は神であり宗教となっているという現実 In Deep 2020年10月5日
https://indeep.jp/medical-martial-law-enforced-as-the-religion-of-health-spreads/
この医療戒厳令という表現からは、「医療システムそのものが悪い」というような響きにも聞こえるかもしれないですが、そういうことではないです。
ではなぜ、日本でも、あるいは他の国でも、あの戒厳令政策に大部分の医師たちまでもが従い、ましてや、ワクチンさえ多くの医師たちが奨励したのか。
ほんの少し合理的に考えればわかるようなことに対して、なぜあのようなことになったのか?
[記事] マインドコントロールを増大させるもの In Deep 2022年11月9日
https://indeep.jp/unconscious-self-hypnosis/
お医者様は、基本的には全員が大学の医学部を卒業してから医師になりますが、
「医学部というのは、軍隊でいう軍人養成システムになっている」
という大きな現実があります。
熱が出たら解熱剤、ガンに対しては抗ガン剤、感染症の予防にはワクチン。そうならざるを得ない。
これは、そのお医者様が良い人だとか素晴らしい人物だということとは関係のないことであり、現代医療者の養成所で訓練を受けた人々は、教わったことに従うしかないという現実があります。
「マインドコントロールは、時間の経過と共に自己暗示が加わる催眠状態となるため、その催眠を解くことが大変に難しい」
と書かせていただいていますが、大多数のお医者様たちも同じだと考えざるを得ません。
マインドコントロールが解かれるとき
もちろん、世界中のお医者様には、その呪縛や催眠から解けた方々がたくさんいらっしゃいます。その方々は、どのようにそこに至ったのか。
たとえば、アメリカの小児科の医師であったロバート・メンデルソン (1926-1988年)さんという方がいます。現代医学を非常に厳しく糾弾していた方で、原題が『医療異端者の告白』という著作を 40年くらい前に出しています。これは、邦題で「こうして医者は嘘をつく」として日本語で出版されていますが、原題のほうが好きですので、そちらでご紹介しています。
この方は「現代医学は悪しき宗教」だと著作の最初で述べていました。2017年の以下の記事でご紹介したことがあります。
[記事] 「現代医学は悪しき宗教」と40年前に述べた異端医師の懺悔 In Deep 2017年2月26日
https://indeep.jp/book-confessions-of-a-medical-heretic-by-robert-mendelsohn/
しかし、このメンデルソン医師もまた、「若い時には、現代医療を本気で信仰していた」のです。この著作『医療異端者の告白』の最初の章である「告白」という、普通の本でいう「はじめに」というような部分ですが、そこに、メンデルソン医師がどのように宗教の呪縛から解放され、暗示から目覚めたのかの経緯が書かれています。
ロバート・メンデルソン『医療異端者の告白』より抜粋
私は現代医学を信じない。いうなれば、医学界の異端者である。本書を書いたのは、一人でも多くの人に現代医学の呪縛から逃れてほしいと願うからだ。とはいえ、私は最初から異端者だったわけではない。それどころか、かつては現代医学を心から信じていた。
医学生だったころ、ジエチルスチルベストロールという合成ホルモンの研究が周囲で行われていたが、私は深く考える努力を怠っていた。現代医学を信じ切っていたからだ。
この薬を妊娠中に服用した女性から生まれた子どもたちのあいだに、20年ほど経って膣がんや女性器障害が多発することになるとは、誰が予想していただろうか。
研修医だったころ、未熟児に対して酸素療法が行われていたが、私はそのときも疑いを抱かなかった。最新の医療設備を誇る病院でこの治療を受けた低出生体重児の約9割に弱視や失明という重度の視覚障害が発生していたにもかかわらず、である。
一方、医療水準が劣る近くの病院では、この病気(未熟児網膜症)の発症率は1割以下だった。
この差について医学部の教授たちに質問すると、「設備の乏しい病院では正しい診断法がわからないのだ」という答えが返ってきた。私は教授たちを信じた。
未熟児網膜症の原因が高濃度酸素の投与であることがわかったのは、それから1、2年後のことだった。……私はそれでも現代医学を信じつづけた。
その後、私は研究グループに加わり、科学論文の作成に取り組んだ。テーマは「未熟児の呼吸疾患に対するテラマイシンの使用」だった。私たちは論文の中で「この薬には副作用がない」と主張した。当然だろう。副作用が現れる前に論文を書いたからだ。
じつをいうと、テラマイシンだけでなくすべての抗生物質が未熟児の呼吸疾患にあまり効果がないばかりか、テラマイシンを含めてどのテトラサイクリン系抗生物質も数千人の子どもの歯を黄緑色に変色させ、骨にテトラサイクリンの沈着物を形成することを確認している。
私はなおも現代医学を信じつづけた。
私は扁桃腺、胸腺、リンパ節の病気には放射線治療が有効だと信じていた。実際、教授たちは「放射線の照射はむろん危険だが、この程度の線量ならまったく無害だ」と言っていた。私はその言葉を信じた。
しかしその後、「まったく無害」な線量でも、10年から 20年後には甲状腺に腫瘍を発生させるおそれがあることが判明する。
数年後、現代医学がまいた種を刈り取る時期が到来した。そのとき、かつて放射線で治療した患者たちのことが脳裏に浮かんだ。その中の何人かが甲状腺に腫瘍を患って戻ってくるのではないか。その思いにさいなまれた。
なぜ私に頼るのか。あなたたちをこんな目に遭わせたというのに。私はもう現代医学を信じない。
「何度でも信仰を信じ続ける」
ことが繰り返された後に、「自分は、今まで医者としてあまりに多くの被害を患者さんたちに与えていたことに気づいた」とき、それはもう何度も何度も、しかも数多くの子どもたちに多大なダメージを与え続ける中で、「ようやく気づいた」のでした。
「なぜ私に頼るのか。あなたたちをこんな目に遭わせたというのに」
というのが、「告白」です。懺悔の部分です。
その後、メンデルソン医師は、医師でありながら現代医療を批判し続け、強固な「現代医学界の異端」として知られるようになり、その一方で、小児科の開業医として、数多くの子供たちを救い続けて人生を終えました。
このように「気づく」ためには、もちろん根底に「良心」が必要です。
マインドコントロールが深い場合は、「自分は悪いことをしている。しかし、それでもこれは医療的に正しいんだ」という無意識からの訴えが、その良心を抑え続けますが、「良心が逆転したとき」、精神が解放される道筋が示されます。
あるいは、日本の医学者で、胸腺ではない場所で作られる T細胞 (胸腺外分化T細胞)の発見などで世界的に著名だった安保徹さんの体験も似ています。安保徹さんは現代医学の多くの部分を承認できないという部分で、メンデルソン医師同様、日本の「異端」でした。
安保徹さんが、医師の石原結實氏(著作)と対談した際に以下の安保さんの発言が出てきます。太字はこちらで入れています。
安保徹さんと石原結實医師の対談より
東北大学を卒業した後、青森の県立中央病院で2年間、内科の研修医をやりました。「父のように患者さんを治し、世のため人のために尽くそう」と理想に燃えていました。
でも、夢は無残に打ち砕かれました。私が勤務していた間、15人のガン患者さんを担当しましたが、一生懸命に手を尽くしても、次々に亡くなっていくのです。生還率はゼロでした。
ほどほど治る患者さんも混じっている環境なら、「たまに亡くなるなら仕方ない」と割り切ることもできるのですが、15人が 15人とも、バタバタと亡くなっていく。強い抗ガン剤を使う結果、あっという間に弱っていくのです。
あまりにも、みんながみんな、具合が悪くなって死んでいくので、「ああ、これはダメだ」と思いました。
自分の無能力にさいなまされ、患者さんへの慰めの言葉も見つからないような状況で、私は絶望し、最後には無気力になってしまいました。
「こんなことを続けて、本当に病人を救えるのだろうか?」と、現代医学に疑問を抱いたのはそのときです。
同じような体験をかつてされた、あるいは現在されている医師の方は数多くいらっしゃると思います。つまり、
> 一生懸命に手を尽くしても、次々に亡くなっていくのです。
という部分です。
医学部では「これで治る」と教わった方法で患者さんたちと向きあった若き安保さんが直面した現実でした。
安保さんの場合は、これ一発で「良心が勝った」のだと思われます。15人の死を前にして。
もちろん実際には、メンデルソン医師や安保さんのようになる医師の方の方が少ないのが現実ですが、それはお医者様の良心の問題ではなく、「マインドコントロールが深い、あるいは暗示が強いため、そこから抜け出すのが不可能な状態」
になっているだけだと思われます (悪意のある医師も少しはいらっしゃるでしょうけれど、全体としては良い人たちが多いはずです)。
これはおそらく、多くの方の場合で一生抜け出すことができないと思われます。
くどいようですが、これはそのお医者様の良心や精神や性格とは関係のないことです。どれだけ良い人であるかということではないです。
医療の規定が現在のようになったのは、180年くらい前の 19世紀のようです。
1832年に英国医師会が設立され、1847年に米国医師会が設立された頃からのようです。
ユースタス・マリンズさんという…まあ、いわゆる陰謀論系と呼ばれる著作を多く書かれている方の『医療殺戮』 (原題は「注射での大量殺戮」)という著作には、医学界が、それまでのホメオパシーから、対症療法等が中心のアロパシーに変わっていったことについて以下のように書かれています。
アロパシー医学 vs ホメオパシー医学
設立当初から米国医師会は、アロパシー医学(対症療法、病気の症状を押さえることを主眼に置いた医学で、現代医学の中心的な治療法)を治療の基本とした。
アロパシーは公認の医科大学で訓練を受けた医師が行う治療で、外科手術と投薬に極端に依存する治療法であった。
…そして、医学界が指定する治療法、あるいは標準的で正式な治療法に従わない医学は、どのような医学に対しても、敵意をあらわした。
19世紀の医学校では、「ホメオパシー」医学(同種(同毒)療法、健康な人に疾患を起こさせる薬物をごく少量投与する治療法)のほうが広く普及していたが、アロパシー学派はホメオバシーに対して強力な敵対活動を始めた。
このような方向に進むよりさらに以前、今から 500年以上前に、英国のヘンリー八世の署名で制定された「1511年法」というものがあり、この頃から、「国が制定する免許を持った医師だけが医療を許可される」という方向が決定付けられたようです。
日本はずいぶんと後になってからだったかもしれないですが、結局は全世界が「統一された医学の方向に組み入れられた」のが現代です。
白衣の呪縛
「白衣」というものを医師が着用する理由については、いろいろと説明されているのかもしれないですが、「基本的には特に合理的な意味は見出させない」ことも事実です。
メンデルソン医師は、「白衣は、医師の権威の象徴である」と明言していましたけれど、だからこそ、自らは着用しなかったようですが、実際、日本においても、精神科医や神経内科医も含めて、医師と名のつく方々はほとんどの方が白衣を着て診療、治療してらっしゃると思います。
ふと、常にピエロの格好をして子供たちの治療にあたっていたアメリカのパッチ・アダムス医師などのことを思い出します。
パッチ・アダムス医師も極めて優秀な人物だったのですが、その理念である「笑いで人を治す」という行為が大学の医学部上層部から咎められ、退学について争う学校裁判にまで発展します。パッチ・アダムス医師については、ずいぶん前にブログで書かせていただいたことがあります。
「着用するものと医師の権威」
というのもまた、数百年前から医療界にはあったもののようで、これもまた異端中の異端の医師といえる 16世紀の医師パラケルスス (1493年 - 1541年)は、当時の医師たちに対して、批判的な以下の言葉を残しています。
これは、1908年に、ルドルフ・シュタイナーが講義で述べたパラケルススの言葉です。
南欧の医者たち、モンペリエ、サレルノ、パリの医者たちは栄光にあこがれ、人を軽蔑したいと思っている。それなのに、医者たち自身は何も、ものを知らないし、何もできやしない。これはおかしいんじゃないか。
医者のおしゃべりな口も、豪奢な服装も、患者をごまかす技術にすぎない。浣腸したり、下剤をかけたり。
それでも死んでしまったら、あらゆる手段を尽くしたんだから仕方ない。医者たちは偉大な解剖学に通じているという。それなのに、酒石が歯に引っ掛かっているのを見落とす始末。
医者は、何を解剖し、何を見ているのか。医者は、糞尿と付き合うけれど、目が二つしかないので、目の前の体がよく見えない。ドイツの医者は一生懸命、カッコウみたいに覗く。
そうやって、いろんなものを見るけれど、昔のほうがかえってよく見えていた。糞尿と腐肉に囲まれて窒息しそうだ。医者が患者を連れていくのは、葬儀場だ。
[記事] 子どもがみんな解熱剤でやられてしまう In Deep 2022年8月27日
https://indeep.jp/antipyretics-kill-children/
中世のヨーロッパで「神などは存在しない」と叫べば火刑に処されたのと同様に、現代医療の根幹である対症療法を否定すれば、火刑……にはならないでしょうけれど、家計には響くかもしれません(粋なダジャレはいいから)。
非常に長いので、はしょりました。原文をお読み