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経済を根幹で支えているのは「需要」であること……ケインズ経済学

2022年11月17日 | インポート


実は、私は高校生のころからマルクス主義(弁証法的唯物論)に傾倒してきたのだが、経済の原理的理解に関しては、現代資本主義社会の本質を知る上でケインズ経済学の方が分かりやすいと考えている。



 マルクスは、ヘーゲル弁証法を継承し、それを逆立ちさせた。どういうことかというと、ヘーゲルは、最初に超自然=絶対精神=神が存在し、それが神と現実世界に分離し、対立し、長い歴史のなかで淘汰止揚されて、再び絶対精神に立ち戻るプロセスが宇宙=人間存在の本当の意味だと指摘した。



 つまり、ヘーゲルは、最初に唯心論的世界があり、それが否定されて唯物的世界に至り、再び否定されて唯心的世界に立ち戻るという進化発展、生成消滅の原理を示したのだが、マルクスは、全体をひっくり返し、最初に物質だけがあり、そのなかに精神が誕生して、進化発展し、やがて再び物質的世界=唯物論に還る……という唯物弁証法を提示した。

 ヘーゲルが神から始まって現実的、物質的世界を生み出し、最期は、再び神の世界=絶対精神に戻ると言ったのに、マルクスは、物質から始まって精神世界=神が登場し、最期は再び物質的世界に戻る、「アンタは逆だったんだよ!」とヘーゲルに言ってのけた。



 まあ、こんな形而上学など学ぶ価値はないと私は思うが、ヘーゲル・マルクスの弁証法の最大の功績は、すべての存在は、進化発展し、やがて退化消滅する原理を明らかにしたことだ。事物現象は、生成し、進化発展し、衰退し、そして滅亡するという形而上学を示したのだ。



 これが、なんで革命的だったのかというと、それまでの神学的世界観やデカルトのような機械的唯物論世界の価値観では、事物現象の変化は認めても、生成も衰退も消滅も理解できなかった。

 デカルトから出発した近代資本主義は、衰退消滅という言葉を知らなかったので、資本主義社会は、永遠に続く……つまり、資本主義は衰退せず、消滅もせず、未来永劫、発展することしかありえないと、大半の人々が信じ込んでいたのだ。

 それを、「違うんだよ、資本主義も国家も、生まれた以上、必ず衰退し、死滅するんだよ」という原理を示してみせたことが人類精神史における革命であった。



 今の、原子力をはじめ、あらゆる科学的価値観も、デカルト的唯物論から抜け出せないまま、この地球上に生物の存在を危機に陥れる放射性廃棄物や、産業廃棄物をどんどん蓄積しても、資本主義の繁栄は揺るがないと信じ込んでるトランプのような人物ばかりだが、本当は、これほど利己主義に突き動かされて地球を汚しまくって痛めつければ、人類どころか全生物が、自業自得で滅亡してしまうということを弁証法が教えている。



 「弁証法智者」とは、人間は思惟による存在であり、人間活動の生成と発展、衰退と消滅、つまり人類滅亡の原理を理解できた段階で、イデー=絶対精神の領域に到達できるということを知る者のことなのだ。

 人間というものは、一人残らず、イデーに到達するプロセスこそが存在の理由である。人は絶対精神に到達するために、無数の人生と輪廻転生のプロセスを与えられている。逆に言えば、我々が無数の転生を経てイデーに到達したとき、物質的存在の意味を失う。



 ここで、それを前提にしたマルクス主義経済学の原理にかすかに触れる。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6



 マルクスは、商品の価値はその生産に費された労働の量によって決まる、という古典派経済学の労働価値説を認めた。そして、労働力の概念を用いて「剰余価値説」を打ち立てた。

 資本家と労働者の間で売買されるのは労働ではなくて労働力であり、資本家は労働力を使って賃金分を越える価値を生み出す。

 その超過分である剰余価値こそ資本の利潤の源泉=資本主義の本質であることを明らかにした。



 マルクスによれば、商品は二つの価値、「使用価値」と「交換価値」を持っている。

 これは、文明草創期においてはまったく同じ重さの価値なのだが、「商業と金融」の生成によって、交換価値が使用価値を上回ってゆく。

 交換価値とは、使用価値と剰余価値を足したものだ。これが、商業と金融のシステムを通じて膨らんでゆき、商人と金貸しの懐を、必要以上に豊かにする仕組みが、資本主義の本質である。



 新約聖書に、イエスが市場でパリサイ人の金融=金貸しが利息をとること……を見て「マムシの子ら」と激怒し、殴り込みをかけるシーンがたくさん出てくるが、ユダヤ教では、「利息をとってはならない」つまり、「剰余価値を作ってはならない」と定めているのに、パリサイ人が銀行業務を通じた剰余価値で膨れ上がってゆく姿を見て怒り狂ったわけだ。

 この意味で、イエス・キリストは、最初のマルクス主義者だったといえるかもしれない。



 マルクス主義は、結局のところ、剰余価値を適切にコントロールできる労働者階級の権力=共産主義が人類を救うことになると結論づけるのだが、残念ながら、マルクスは、人間組織が膨れ上がり、権力と組織内差別の構造性が成立することで、共産主義権力が特権階級化し、かつてのソ連邦や、今の中国共産党のような独裁権力の利権共同体に変化して、差別の下層を搾取する強固な構造に至る必然性を理解できなかったと私は考えている。



 これに対し、ケインズは、社会革命を主張したわけではないが、マルクス経済学から多くを学び、自らの視点で、経済活動の原理を明らかにしている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BA%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6



 ケインズ経済学の根幹は、需要である。

 経済は、需要によって成立する。古典経済学=セイの法則では、逆に供給によって経済活動が定まると考えられた。

 「ものを作って、商品が生みだすから、売れて金が儲かる」ことが経済であるというのが、初期資本主義の価値観だった。



 これに対して、ケインズは、

「違うんだよ、あれが欲しい、これが欲しいという欲求が商品需要を生成し、これに答えて商品を生み出すことで経済が始まる」

 とその本質を明らかにした。

 フリードマンや竹中平蔵の現代新自由主義は、ケインズを否定し、古典経済学に立ち戻って、「資本家が商品を作ることが経済を作る」という価値観に回帰しているともいえる。



 これは、恐慌=不景気になったとき、そこから脱出するための方法論に決定的な違いが出る。

 ニューデール大恐慌からの回復をめぐって、ケインズは、「需要を生み出すため、底辺の労働者階級に購買力を与える」施策を提起した。

 しかし、当時の資本家たち(共和党)の大半は、労働者を富ませることは、奴らをつけあがらせることだ……と決めつけ、大反対した。

 ルーズベルトはケインズを評価し、社会投資(財政投資)=「労働者の仕事を作る」、「銀行の貸出金利を引き下げる」という政策を実現しようとした。



 結局、資本家たちの強硬な反対姿勢のため、ケインズの提案はうまくゆかなかったが、そこで、ケインズは「戦争が究極の需要を生み出す」と大統領に吹き込んで、太平洋戦争に誘導した。

 日本軍を暴走させ、偽旗作戦の真珠湾攻撃で戦争に誘い込んだ背後には、ケインズらの思惑があった。

 結局、この作戦は大成功し、戦後(1950年代)アメリカは史上最大の繁栄に至った。

 アメリカの歴代政権が戦争に執着する事情は、これが景気を支える本質=需要を生み出すからである。



 同時代、第一次世界大戦で敗北したドイツは、最悪の不況に陥り、国民は貧苦を極めたが、ヒャルマル・シャハト経済相は、アウトバーン建設という巨大な社会資本投資によって、労働者の仕事を作り出すことで、彼らを富ませ、ドイツ経済の需要を劇的に飛躍させ、見事に経済を再興させてみせた。

 これも、「需要こそ経済の本質」というケインズ理論の正しさを証明している。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%8F%E3%83%88



 シャハトの経済政策の要は、労働者に対し、国家が直接、賃金を支給したことだった。

 これは、支給途中に企業を介在させると、必ず竹中平蔵のような「中抜き野郎」が登場して、労働者に金が行き渡らないからである。

 「貧しい労働者が直接、豊かになること」が経済復興の本質だったのだ。



 こうした「需要が経済を作る」というケインズ理論からすれば、最悪の選択が消費税導入である。

 消費税こそは、消費罰金税であり、需要抑圧税なのだ。これで自民党が30年前から行ってきた消費税のせいで、日本経済が沈没したまま復帰できないことの本当の理由を理解することができる。



 実は、岸田政権も含めて、自民党は、竹中平蔵の新自由主義屁理屈を信奉し、未だに100年前の「セイの法則」に固執して、「大企業を富ませることで、商品を供給しやすくすれば景気が回復する」

 という、とんでもないピンボケのゴミ理論に洗脳されたままであり、消費税を廃止すれば、たちまち日本経済が劇的に回復するにもかかわらず、それがまったく見えないのだ。

 ここで、現在見える経済評論家のなかで、数少ないマシな人物である加谷珪一の今朝の記事を紹介する。



また負担増なの…? 盛り上がる「増税議論」、所得税・消費税じゃなく、まず「法人税」を上げるべき理由 現代ビジネス 11月17日

  https://gendai.media/articles/-/102225



 政府の税制調査会で消費増税を求める意見が相次いだり、立憲民主党の枝野幸男前代表が「消費減税の公約は間違いだった」と発言するなど、増税に関する議論をあちこちで耳にするようになってきた。

 このタイミングで増税が取り沙汰されていることの背景には、防衛費増額問題と年金制度改革がある。消費増税以外にも様々なプランが検討されているようだが、増税について議論するのであれば、最初に手をつけるべきなのは法人税だと筆者は考える。



 2022年10月に行われた政府の税制調査会では、参加した複数の委員から「10%のままでは日本の財政が持つとは思えない」として消費税の引き上げについて議論すべきとの意見が相次いだ。

 人口減少と少子高齢化が進む中、社会保障費の増大は不可避となっており、財源確保の手段として消費税の引き上げを検討すべきという考え方である。



 政府・与党の一部から増税に関する意見が出てくるのは特段、珍しいことではないが、今回は野党から似たような議論が出ているという点で、従来とは大きく状況が違っている。



 冒頭の枝野氏の発言は、あくまでも消費減税の公約が間違ったという内容であり、増税を訴えたわけではないが、税収確保の手段が必要という点では、一種の増税論と考えてよいだろう。

 枝野氏のみならず、同党の岡田克也幹事長もテレビ番組において、今後の財源確保の手段として、累進課税の強化や金融所得課税の強化などを打ち出した。



 野党からも増税の議論が出ているというのは、日本の財政がいよいよ厳しくなってきたことの裏返しと見てよいだろう。だが 実際に増税ということになると政治的なハードルが高いのはもちろんのこと、景気に対する逆効果など検討しなければいけない課題は山のようにある。



 それにもかかわらず、増税の議論が持ち上がっている理由は主に二つである。ひとつは防衛費の増額問題、もうひとつは年金財政の悪化である。



 政府は中国などの脅威に対処するため、防衛費の増額を検討している。NATO(北大西洋条約機構)では、GDP(国内総生産)の2%以上を目標としており、日本でもこの数字がひとつの目安となっている。

 だが増額分の財源について増税するのか、他の歳出を削るのか、あるいは国債で賄うのかについては決着が付いていない。自民党内の一部からは、国債発行については慎重に判断すべきとの声が出ており、これも増税論が浮上するきっかけのひとつとなっている。



 年金財政もいよいよ厳しくなっている。現時点において年金加入者の支払に対する受取という観点で見ると、支払った金額の約2倍を受け取ることができる(国民年金で40年間、満額の保険料を納め、10年間、年金を受け取ったと仮定)。自己責任で貯蓄運用しただけでは、貯めた金額の2倍の金額を手にするのは困難であり、この給付水準は税による補填があって初めて成立する。



 日本の年金は現役世代から徴収した保険料を高齢者に支払う仕組みなので、少子高齢化が進み、高齢者の比率が上がっていく以上、税金からの補填を増やさなければ年金水準を維持できないのは明らかである。



 所得税の増税は非現実的

 もともと消費税は、増大する社会保障費をカバーする目的で導入されたものであり、消費増税を訴える人たちは、その流れで税率アップを検討している。だが、日本経済は30年にわたってゼロ成長が続いており、とりわけ個人消費は致命的な水準まで落ち込んでいる。ここで消費税を増税すれば、消費に対してさらに大きな逆風が吹くのは間違いない。



 本来、税というのは政府支出を通じて最終的には国民の所得となるので、増税された程度で景気が失速することは通常はあり得ない(実際、欧州は日本よりも高い税率であるにもかかわらず景気はまったく影響を受けなかった)。それにもかかわらず日本において消費増税が困難であるというのは、日本経済の状況が著しく悪いことの裏返しでもある。



 では、現時点で消費増税の選択肢は考えづらいとすると、所得税はどうだろうか。

 日本の所得税は累進課税になっていることが知られており、以前よりも度合いは低くなったものの、最高税率は45%に設定されている。

 高額所得者は半分近くが税金で持っていかれてしまうため、日本は一般的に金持ちに厳しい国と認識されている。最高税率そのものは諸外国も同水準のところが多いが、日本の場合他国にあるような控除や節税制度が存在していないため、給与所得で最高税率に該当する金額を稼げば、かなりの額の税金を徴収されてしまう。



 日本では、年間2500万円以上を稼ぐ給与所得者は全体の0.3%にとどまる一方、この層からの税収は全体の35%以上を占めており、高額所得者の負担が大きい。これ以上、税率を上げてしまうと、法人化などを通じて給与所得を減らしてしまう可能性が高く、実効性には疑問が残る。



 一方で、限りなく無税に近い状況となっている年収500万円以下の層(年収に対する所得税率は1.8%以下)に増税すれば相応の効果が得られるだろうが、これを実現するのは政治的に不可能に近い。



 「金融所得課税」はどうなのか?

 金融所得課税の強化も似たようなものである。岸田政権は発足当初、再分配を強化するため金融所得課税強化を打ち出したが、すぐに撤回に追い込まれた。その理由は、増税の対象としていた人たちが、当初想定していた層とは違っていたからである。



 金融所得課税は、株式や債券の配当に対する課税を、現行の20%から引き上げるというものである。株や債券を持っているのは富裕層なので、金融所得課税を強化すれば富裕層への増税になるという理屈だったと思われるが、現実はだいぶ違っている。

 欧米各国と異なり、日本の超富裕層の数は著しく少ない。申告所得ベースでは、日本において配当で1億円以上の収入を得ている人は数千名しかおらず、ここを増税しても獲得できる税収はたかが知れている。



 しかも、企業の創業者で株式を上場させたような超富裕層は、たいていの場合、資産管理会社を通じて株式を保有しており、個人が直接保有するケースは少ない。法人が株式を所有している場合、金融所得課税は法人税を通じて調整されてしまうので、増税の効果はほとんど得られないだろう。



 加えて言うと、株式を保有している人の大半は富裕層というよりも、実は中間層というのが現実である。株式を保有する中間層について具体的に説明すると、現役時代にコツコツと貯金し、退職時に株式投資を始めた高齢者である。



 こうした人たちは、配当収入を得てはいるが、年金が主な収入源であり、年収は高くない。

 このような低年収で高齢な株式保有者は全体の7割を占める。彼等はあくまで小額投資をしているだけなので、税率が上がれば即座に株式を売却するだろう。そうなれば株価は下落し、期待した税収も得られない可能性が高い。



 法人増税なら税収増と成長を両立できる

 一連の状況を総合的に考えると、増税について議論するのであれば、法人税を対象にするのがベストであると筆者は考える。



 よく知られているように、日本企業は内部留保(しかも半分以上が現預金)を溜め込んでおり、本来、行うべき先行投資を行っていない。企業というのは、運転資金については借入れなど間接金融で調達し、設備投資や研究開発の資金については、直接投資で調達するか内部留保を充当するのが基本である。この資金を使わずに遊ばせているというのは、企業としての責任を果たしていないばかりか、日本経済が低迷する元凶のひとつにもなっている。



 安倍政権の発足以降、政府は3度も法人減税を行っており、日本における法人税の表面税率はかなり低くなった。優遇税制もたくさん存在しており、大企業を中心に過剰な支援を受けているところも多い。

 法人税を元の水準に戻すとともに、先行投資を促す税制改正を組み合わせることで、税収増と設備投資の拡大、そして経済成長の3つを同時に実現できる道筋が見えてくる。



 増税について議論するのであれば、まずは法人税のあり方について検討するのがスジであり、こうした議論がないままに消費増税の話だけが進むのであれば、それは安易な税収確保策に過ぎない。

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 引用以上



 これ以上、論評の必要はない。自民党が経済原理を理解できない理由は、「セイの法則」を作ったアメリカ金持ち学者と同様、金持ち目線でしか経済を見られないからであり、「貧乏人に金を与えるなんて、とんでもない」と、財政投資=労働者に需要資金を供給することの意味がまったく理解できない差別意識が頑強に政策に浸透しているからなのだ。