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来年の食糧危機に備えて

2022年11月01日 | インポート




 すでに何回も書いていることで申し訳ないが、今、一番大切なことが来年への備えであるという問題意識から、再びブログに取り上げたい。

 来年には、太平洋戦争以来、約80年ぶりの食糧危機がやってくるのは、ほぼ間違いないのだ。



 しかも、今回は、巨大震災と小氷期、それにニューデール以来の大恐慌、ロシアの悪魔的暴走と、たくさんの超苛酷な要素が重なっている。

 これでロシアが、EMPにサルマトやポセイドンを欧米日に撃ち込んできたなら、地球全体が放射能と火災粉塵の暗黒に閉ざされ、信じられないくらいの人々が死んでゆかねばならない。

 それも、おそらく数年間は恐怖と残酷の現実が続き、深刻さが拡大すると予想するしかない。まさに人類存亡の危機といえるほど「手塚治虫世界」になってしまっているのだ。



 今、我々がやるべきことは、来年からの悪魔の数年間に対する備えである。

 食料と寝場所、暖房、子育てを確保しなければならない。それを政府や自治体に頼れるか?

 今の政権というか、議員や官僚、役人、経営者も含めて、ほとんどが、ぬくぬくした座布団に座って果報を待つことしか知らない苦労知らずの無能な連中ばかりだ。



 彼らは、「子供たちの未来を確保する」という、人として一番大切な責務を理解さえできず、自分の座布団を暖めることしか思いつかない心の貧しい連中なのだ。

 今、ロシアの戦争が日本にも及び、我々に究極の戦乱と苦難が待ち構えていることさえ理解できていない。

 我々日本人が、やがて大戦中のガダルカナルやインパール作戦に匹敵するほどの地獄に堕とされようとしていることすら気づいていないのである。



 大半の人々には、今から数年以内に、日本でもウクライナのようにミサイルが飛び交い、やがて核戦争に至る運命が見えていない。

 だが、私には見える。すでに20年以上前から見えていた。中国やロシアのような独裁政権を放置すれば、必ず戦乱の社会がやってくると確信していた。

 やがて、日本社会には遺体が散乱していても、それを片付ける人さえいないほどの凄まじい光景がやってくる。

 だから、私は中津川市の山深い過疎の村に引っ越した。大都会には絶望しか残っていないからだ。



 まだ、日本がバブル期のように発展を続けると、夢を見ている人たちに語る言葉はない。夢を見たままあの世に行ければ幸せなのだ。

 むしろ、何が起ころうとしているのか現実を認識し、具体的な対策を講じて運命を待つ人々の方が残酷だ。

 それは、太平洋戦争の絨毯爆撃に逃げ惑う恐怖の再現なのだから。いったい、どこに逃げたらいいのか? 何をしたら生き延びられるのか?



 太平洋戦争以来、日本人には、たくさんの試練がやってきた。私が物心ついてから、伊勢湾台風が来た。

 雨戸を閉めても雨風が吹き込み、「堤防が決壊する」と伝令が来た。必死になって一階のモノを二階に上げた。凄まじい風が吹き荒れ恐怖の一夜が明けると、翌朝は、まるで別世界になっていた。

 家の周りは膝下まで浸水し、それは一ヶ月も引かなかった。隣町には水死体が浮いていた。小学校は避難民に占領され、階段で授業が行われた。

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 阪神大震災の前夜、まるで熟したトマトのような月が現れた。アマチュア無線には、凄まじいノイズが出ていて、聞こえるはずのない奈良や大阪の会話が名古屋で聞こえてきた。

 空には幾何学的な菱形模様の雲が一面に現れた。そして神戸が壊滅した。

 私は、それを見て、地震予知のグループを結成した。



 東日本震災の半月前には、瑞浪の病院の窓から、地面に沿って折れ曲がったような「清姫の帯」が現れた。そして2万人が死んだ。

 私は、若い頃から反原発を志し、80年には放射線取扱主任免許を取得していて、たぶん福島第一か若狭原発群が巨大事故を起こすだろうと予想していたが、実際に起きた事故は、私の予想をはるかに上回っていた。



 私が生きてきた期間だけでも、大量死が幾度となく繰り返された。だが、これから起きようとしていることは、たぶん太平洋戦争さえ足下にも及ばないほどの恐ろしい事態であるような気がしている。

 それは、生き残った者たちが、死んだ者を羨むような世界のビジョンだ。

 まだ実際に起きていないのだから、「被害妄想」と決めつけられても仕方がない。

 しかし、それは起きねばならない。私には、それしか見えないのだから。



 どう備えたらいいのか? それを考えてみよう。

 生きてゆくために必要なものは、水・食料・眠れる場所・連帯できる人である。これだけあれば、あとは、時間をかければ、いくらでも復活させることができる。

 何よりも大切なことは、人々の連帯であり、利他主義思想だ。



 これも繰り返し書いてきたことだが、未来を見通す力のある人なら、とっくに地方の過疎地に移住するか、共同のダーチャを作って自分たちの畑を確保しているだろうと思う。

 私は20年前に、それを実行したが、残念ながら、うまくは行っていない。しかし、この20年で学ぶべきことは多く、たくさんの知恵を身につけることもできた。

 偉そうなことを言える立場ではないのだが、恥ずかしながら、ほんの少しだけの知識を書き残しておきたい。



 何よりも食料だ。食料の流通が止まったなら、どうやって食べていったらいい?

 それを自分たちで作り出すしかない。天明飢饉で、秋山郷の住民は全員が餓死した。津軽の人々は、仲間の遺体を食べて生き抜いた。

 松浦武四郎は、空海が開いた高野山を再現するため、大台ヶ原を開こうとした。

 まだ江戸時代、小氷期の中だ。ほとんどの作物は実らなかったが、馬鈴薯と蕎麦と稗だけが実った。



 だから、これから小氷期に向かうであろう我々が頼るべき作物は、何よりも馬鈴薯、蕎麦、稗、そして暖かさが残っているうちなら甘藷である。

 だから、せめて、馬鈴薯・甘藷・蕎麦の生産方法だけは学んでおかねばならない。



 これは、今朝の私の畑だ。



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 自力で山を開墾した畑は約80坪あるが、この8年ほど、私は間質性肺炎によって、まともに体が動かず、まるでゴミ屋敷のようになっていたが、やっと少しずつ回復してきて、畑も復活させることができるようになった。



 ずっと、毎年、馬鈴薯を少しずつ作っていたが、草取りの体力がなくて、草に覆われた畑では、ろくな作物ができなかった。

 間質性肺炎の罹患者が畑仕事をやろうとすると、まるでジャイアント馬場とブッチャーの戦いのように、息切れと戦いながらゆっくり動くしかない。

 草を一本抜くたびにハーハーと息を切らして、辛い思いをしなければならない。



 新型コロナ禍で間質性肺炎の後遺症を患っている人たちも同じ思いだろう。「毎日が、まるでジャイアント馬場のプロレス試合みたいだ……」と。

 しかし、それでも必死になって動いていれば、毛虫が這う程度の速度ではあるが、それ以上後退せず、ほんのわずかずつ回復させることができるのだ。

 上の畑は、耕運機が壊れたので、すべてスコップ一本で耕作した。もの凄い重労働だった。



 あれほど辛い思いをしたのに、今年も甘藷がろくにできなかった。せいぜい中程度の芋(紅アズマと安納芋)が数十個しか収穫できなかった。後は、ツルボケによる細い芋ばかり。

 普通の人が甘藷を栽培して芋が肥大せずに失敗する原因の大半がツルボケと、草取り不足によるものだ。



 私の畑で芋が大きくならない理由は、

 ① 10年前に入れた大量の鶏糞が、いつまでも残ってチッソボケ=ツルボケを起こしている。肥料は入れていないが、チッソ過多になったままだ。

 ② 雑草取り方が不十分であること。

 ③ 芋類に一番必要な肥料はカリウムなのだが、それがまったく不足していた。芋畑には土の一割くらいの草木灰を入れておく必要がある。

 ④ やはり、数年前に入れた石灰が残り、PHが高すぎた。芋は微酸性の5前後がよい。



 甘藷の大敵は肥料過多だ。普通の作物を育てて、肥料をたっぷり入れた畑では茎葉が茂るだけのツルボケを起こして甘藷は太らない。甘藷には連作障害がない。だから肥料を入れない甘藷専用畑を確保しなければならない。

 ただし、肥料がいらないといっても、カリウムは必要だ。だからリン・カリ肥料や草木灰を大量に入れておく必要がある。カリウムを吸収するとき、わずかだがチッソも必要になる。



 甘藷は苗が高い。だから、収穫後の茎葉は必ず越冬させて来年に使うようにする必要がある。私は、収穫後、すぐに畝に深く入れて、表面を防寒し、来年に芽を出すようにしてある。

 白い寒冷紗の下には黒マルチがあり、細い芋や茎を深く埋めて、発根させるようにしてある。

 これが、うまくゆくかは来年にならないと分からないが、室内でも茎ツルを、保温箱に入れてたくさん保存してある。



 芋畑には、近辺の雑草を燃したり、竈で木材を燃して煮炊きした灰を、たくさん入れておく必要がある。甘藷・馬鈴薯を育てるために竈が必要なのだ。

 私は竈を二台作ってある。材料は、耐熱セメントと赤土を混ぜて、シュロ縄などの繊維や針金クズなどもたくさん混ぜる。

 上には五徳穴と煙穴を作る。煙突があれば最高だ。



 馬鈴薯は連作障害がある。連作すると、線虫障害などで、芋が矮小化し、病気にかかりやすくなる。

 また石灰を多用してあるとソウカ病にかかりやすくアバタ芋になってしまう。肥料は鶏糞でもいいが、鳥インフルエンザ以来、石灰分が非常に多いことを頭に入れておかねばならない。

 トウモロコシや菜花、キャベツなどと三年輪作をして、畑の畝を換える必要があり、日光消毒をする必要もある。



 私の畑は、10年目くらいから、害虫とウイルス病のオンパレードになった。これも未熟肥料を入れすぎたせいだ。マメに草取りをしていないと、虫が湧きやすい。

 米ぬか、油粕など有機肥料や鶏糞は、必ず長期間堆肥にして腐熟させる必要がある。

 化成肥料なら腐熟の必要はないが、作物がまずくなるのと、ミミズが減って、土が硬くなり良い畑にはならない。



 蕎麦や稗を作りたいが、土地が狭く、芋の方が効率的だったのだが、いずれ作らねばならなくなると考えている。

 芋は我々の救世主である。甘藷と馬鈴薯を上手に作れるかが、生き延びる鍵になるように思える。



 なお、安価な雑木林を購入して、自分で畑にするときは、ユンボでもない限り、チェーンブロックを使って雑木を引っこ抜く。根を抜くのは大変な重労働で、可能ならば2~5トンのチェーンブロックとタコ金具、鉄パイプが必要だ。

 1トン程度では、小さな木の根を抜くのも大変な作業になってしまう。



 抜いて、畑地に変えても、数年間は作物がうまく育たない。草が大量に生えるようになれば大丈夫だが、枯れたとき火薬のように爆燃し、火災が起きやすいことを覚えておく必要がある。農地は一朝にしてできるものではない。

 私は100坪の林を畑に変えるのに、100本くらいの頑強な根を抜く作業が必要だった。

 

何よりも大変なのが、動物対策だ。

 芋畑の最大の敵は、ネズミと猪である。100坪の芋畑にイノシシが入ると、家族を連れてくるので、数時間で壊滅させられる。

 このため、畑の周囲をワイヤーメッシュで囲み、さらにカモシカや鹿が飛んで入るので、1.6m以上の獣害防止ネットで囲む。

 アライグマやハクビシン、狸の侵入は、金網でも防げない。ワイヤーメッシュの下側に防草シートを貼り付けておく。



 獣害用電柵は、電線に草が触れると漏電して、電池がすぐに上がってしまうので、結局、ワイヤーメッシュを使うしかない。サルがいるときは、ネットの最上部に電柵をつける。

鶏を放し飼いにするときは、天井に大鷹除けのネットを張るしかない。

 2007年を境に、日本の山村は、獣たちの天国に変わってしまった。過疎の山村での農業は、まさに動物たちとの戦いである。

 農業は、本当に難しくなっている。



 もしも、日本が戦争に巻き込まれるなら、これまでのような機械化と薬剤、化学肥料に頼った農業は不可能になる。

 今は戦争の影響で肥料が高騰していて、農産物価格が上昇しているのは、このためだ。

 結局、排泄物や残飯類を下水に流さずに肥料として有効活用する必要がある。

 甘藷栽培で必要になるのが、草木灰なので、これは山の落ち葉を集めて燃して作るのが良い。これを作るためにも、消防法に引っかからない竈が必要なのだ。



 畑の一角には、落葉を燃して灰を作るための煙突付き竈を作る必要がある。

 この灰があれば、大豆(枝豆)も、最高のものができる。豆類も肥料を必要としないので、我々が依存する肥料は、落葉や雑草の灰ということになる。



消防法2章9条に竈の項目があって、落葉の焚火は禁止されていても、竈は合法的に認められている。可能な限り、大きな竈を作って、草木灰を確保する必要がある。

 ドラム缶で自作するのもいい。



 何よりも大切なことは、信頼のおける仲間を確保して、共同でレジャーのように行うことだ。最初は失敗の連続だろうが、必ず自給自足レベルに達することができる。

 そうなれば、確実に生き延びるアイテムを手に入れたことになる。