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在日朝鮮韓国人差別の歴史

2022年08月11日 | インポート
 日韓関係がかつてないほど破滅的局面にあるが、その原因としては、日本では、儒教によるメンツ・序列主義の世界観に洗脳されきった朝鮮・韓国人の矮小・偏狭な価値観にあると考える人が多い。

 韓国人は、約束事よりも、契約よりも、序列のメンツが優先されると信じている人が大半なので、韓国人よりも目下であり、序列の劣る日本人との約束など守る必要はないと決めつけているから、さまざまな解決不能の軋轢が続出することになる。



 朝鮮・韓国人は、「序列のメンツ」を命の上位に置く価値観を教えられて育ち、「メンツが侵されたなら、命をもって抗するべき」という思想を持つ。

 上位に服従することは絶対的な価値であり、序列メンツを無視するものは命を持つに値しないということになる。この思想によって、韓国より序列が劣ると信じられている日本との約束は羽毛のように軽くなる。



 例えば、儒教は長幼(年齢)、男女、親子、階級、権力、地位、資産などを序列化して、「下位の者は、上位の者に服するべし」と教え、この序列主義こそが平和の礎であると、儒教社会では信じこまされている。



 日本も、平安時代に儒教が持ち込まれ、家康の時代に、新井白石や藤原惺窩が儒教=「朱子学」を幕藩体制を守るための社会哲学として、寺子屋、藩校などで広く教えたことにより、「儒教国家」となったが、朝鮮ほど病的な硬直には陥らなかった。

 おそらく、儒教以前に、比叡山から流れ出た鎌倉仏教の思想(例えば平家物語の因果応報思想=勢者必衰の理)が広く庶民に行き渡っていたためだろう。



 朝鮮半島では、現在に至るまで、序列主義の価値観が人々を束縛し、人権よりも命よりも序列が上位に置かれる倒錯した社会思想の流れがある。

 だから、朝鮮で「勢者必衰の理」など唱えようものなら、たちまち国家権力を愚弄するものとして捕獲され処刑されてしまう。



 そんな朝鮮半島から、日本列島には数千年にわたって人の移動が起きている。ほとんどの場合は日本列島に向かう人々で、逆の場合は非常に少ないものの、統一教会の文鮮明は、日本人女性を韓国人男性の性奴隷として利用する「合同結婚式」を行い、カルト的に洗脳された若い女性、数万人が韓国に送り込まれている。

 私は、かつて、韓国から日本に渡来した女性たちが、一様に、韓国の女性蔑視社会を嫌悪して自由な日本で暮らしたいと話していたことを記憶している。



 今回は、朝鮮から日本に移住してきた人々について触れる。

 日本書紀に記録されているのは、AD300年前後に、百済から日本に向かった数万の弓月=秦氏の一族で、これが江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」を証明するものと私は考えているが、「万世一系天皇説」を信奉する右翼的な人々からは、生理的に拒絶されているようだ。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B

 これは、日本歴史文化の根源に触れる超重大解釈なので、本稿では取り扱わない。



 中世以降では、豊臣秀吉の「朝鮮征伐」=文禄・慶長の役に伴って、朝鮮陶磁器に魅せられた戦国大名たちが、数千といわれる朝鮮陶工を日本に連れ帰って、陶磁器産業を勃興させたことから始まる。

 理由は、武家の間で、利休による「茶の湯」が流行していたことで、陶磁器=茶器に対する一種の信仰があり、すぐれた陶磁器に憧れ、現在にまで続く、有田・伊万里・唐津・薩摩・瀬戸・美濃・信楽など全国の陶磁器産業の拠点が成立した。



 これらの陶磁器産地は、1900年前後の李朝崩壊時、朝鮮文化が残る親しみやすい地域として、李朝上流階級や貧困農民の移住先に選ばれていた。

 岸信介、児玉誉士夫、小泉純也、笹川良一らは、このとき日本に移住した二世ではないかと噂されている。

 

 日本に渡航する朝鮮人が増えたのは1910年の韓国併合以降であり、本格的に増加するのは20~30年代である。

 1910年~の「朝鮮土地調査事業」によって、多くの朝鮮人農民が土地を奪われ貧困に陥った農民は、日本、満州、ロシア沿海州などへ移住した。

 仕事を求める朝鮮人と日本の急激な産業発展に伴う安価な労働力への需要が合致したことで在日朝鮮人人口は増加し、1917年には1万4500人あまりに達した。



 https://www.key-j.net/keyword-history

 1923年9月1日、関東大震災が発生し、10万人にものぼる死者を生み出した。

 地震後、首都圏は戒厳令下に置かれたが、混乱する状況の中で、当時、警視庁尾警備局長だった正力松太郎は、朝鮮人による放火や井戸への毒物混入のデマを意図的に流布させた。



 デマを信じた日本人(主に下町の鳶職ら防火自警団)によって多くの朝鮮人が捕らえられ、虐殺された。これらの虐殺を行なったのは、日本軍や警察、そして各地で組織された自警団を中心とした一般の日本人であった。

 この関東大震災時に殺害された朝鮮人は数千人(6415名との定説)であった。



 東京の庶民が、朝鮮人を虐殺した原因については、風俗習慣の違和感が挙げられていた。ちょうど、アメリカの黒人が白人に迫害された理由に似ている。

 朝鮮には日本のような入浴文化がなく、オンドルを利用したサウナがあり、河や池に飛び込んで体を洗った。

 日本に来た朝鮮人たちは、銭湯で、朝鮮と同様に湯船の中で体を洗ったり、場所取りをしたり、日本流の公衆道徳に反する習慣があったので、憎悪の対象となっていた。



 関東大震災での朝鮮人虐殺を機に、日本への朝鮮人移住は一時期停滞したが、朝鮮半島では日本の植民地政策による貧困がさらに強まったことで、日本に渡る朝鮮人は増え続けた。

 日本国内では1920年代に不景気(ニューデール大恐慌による飛火)に入り、失業率の上昇し、朝鮮人の急激な流入によって日本人の職が奪われるということが指摘された。

 日本の企業は、安価な朝鮮人労働力を求めて朝鮮人の渡航を促進させた。



 こうして在日朝鮮人は増え続け、統計によると1920年に3万人ほどだった在日朝鮮人は、1930年には29万人、1935年には62万人に達した。

 1924年に大阪で働く工業労働者の出身地を調査した大阪市社会部の報告書によれば、約25万人のうち1万1千人が朝鮮人労働者であった。



 韓国併合以降、多くの朝鮮人が日本へ渡り、各地で朝鮮人の集住地域が形成されるようになった。朝鮮人の入居を嫌がる日本人家主が多かったため、朝鮮人は借家できず、空き地や河川敷、埋立地などにバラック小屋を建てて住んだ。そこに同胞が集まって朝鮮人集落が形成された。



 1937年に始まった日中戦争によって、日本では多くの民間人が軍隊にかりだされ、企業の労働力不足が深刻化した。

 日本政府は1938年3月に国家総動員法を制定し、労働力の確保に乗り出した。これにより多くの在日朝鮮人が炭鉱や土木作業現場に動員されていったが、それだけでは労働力不足は解消されなかった。



 日本政府は企業の強い要請を受け、朝鮮半島から8万5000人の労働者を募集する許可を各企業に与えた。募集当初は応募者が殺到したが、日本での劣悪・苛酷な労働環境が広く知れ渡り、次第に募集が困難になった。

 1941年に日本は太平洋戦争に突入し、労働力不足は加速した。日本政府は1942年2月、行政・警察力の行使が伴い、募集よりも行政的強制力のある官斡旋方式による朝鮮人の動員を開始した。(これが、現在の韓国人が糾弾する「強制連行」である)



 太平洋戦争勃発で、日本国内では徴兵が加速したが、日本国民とされた朝鮮人には最初、徴兵は行われず、代替措置として強制徴用が行われていた。戦禍が深刻になる敗戦の一年前、朝鮮でも徴兵が行われるようになった。



 日本政府は1942年10月国民徴用令を在日朝鮮人に対して発動した。しかし、在日朝鮮人からの反発は強く、出頭命令に対して多くの拒否者が出た。

 (日本人も同じだった。私の母親も新潟で、軍需工場に動員された)

 1944年4月、日本政府は朝鮮半島に徴用令を発動した。警察力を動員し、大量の労働者を強制連行した。このように強制連行された朝鮮人労働者は70万~80万人といわれている。(一説では、1939~敗戦までに120万人とされる)



 強制徴用者の多くが日本に送られ、炭坑や危険工事に送り込まれ、残酷な待遇で、多数の犠牲者を出した。数割が死亡したといわれるが、日本政府は証拠を隠滅した。

 帰国せず日本に残った相当数が、戦後、土建業、芸能、遊戯(パチンコなど)、飲食業、プロスポーツ界などに就いた。また暴力団の8割が在日朝鮮人といわれる。

 私の子供の頃は、在日者に対する差別迫害が激しく、普通の会社に就職できる者は希だった。

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-date-20190618.html

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BE%B4%E7%94%A8



 http://japan.hani.co.kr/arti/international/21934.html



 1945年8月15日、日本の敗戦とともに朝鮮半島は植民地支配から解放された。解放直後、日本には約210万人の朝鮮人がいたが、1947年末までに約140万人が帰還したといわれている。

 半数の60万人が日本に留まって永住者となった。



 【朝鮮人帰国事業】

 日本は結局「人道的な理由」によって在日朝鮮人の帰国を認めることを表明した。

 その総指揮官は、朝鮮満州を中心に世界に麻薬を売りさばいた麻薬王「岸信介」だった。そして現場指揮官は、日教組委員長だった「槙枝元史」だった。



 日本と北朝鮮の赤十字の間で協定が結ばれ、1959年から在日朝鮮人の帰国事業が始まった。この帰国事業は赤十字が実務を担い、1980年代まで行われ、約9万3千人が日本から北朝鮮に渡った(その内約6,600人の日本国籍者が含まれる。)

 同年9月に総聯の代表団と会談した金日成首相は、在日コリアンのための「教育費、奨学金の送金」、「学生の祖国での勉学の受け入れ」を表明し、「帰国希望者を歓迎する」とした。



 だが金日成ら北朝鮮指導部は、在日帰還者の財産を奪って強制収容所に送り込み、大半を殺害したといわれている。

 https://www.koreaunited.jp/opinion/247



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 在日朝鮮・韓国人の問題を概説的に書いた。

 生活文化のグローバル化とともに、今後、関東大震災で起きた文化的違和感からの大虐殺が起きる可能性は少ないが、韓国人の儒教的価値観が消えたわけではないので、今後も、韓国人の序列主義メンツから生まれる齟齬は当分続くように思われる。



 韓国人が、強制連行を執拗に糾弾し続けている理由は、日本政府による隠蔽工作に対する反発が大きい。また、岸信介の「昭和通商」が、朝鮮半島の富を麻薬によって収奪した歴史的事実も徹底的に隠蔽されている。



 戦前の朝鮮人虐待の真実を知る者の大半が死亡したことを幸いに、日本政府や右翼たちが、「日本人による朝鮮人差別はなかった」と歴史を激しく歪曲、捏造している現実がある限り、日韓問題の正しい解決は遠のき、いつまでも解決できないし、韓国側の儒教的独善価値観も解決はできないと考えている。