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元始、女性は太陽であった

2022年08月17日 | インポート


 平塚らいてう『元始、女性は太陽であった』

 https://www.webchikuma.jp/articles/-/1055



 「元始女性は太陽であった」。女性解放運動の先駆者として知られる作家、平塚らいてうが、雑誌『青鞜』の出発にあたって、創刊号(一九一一・明治四十四年九月発行)に寄せた発刊の辞の題名である。



 元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。/今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。

 /さてここに『青鞜』は初声を上げた。/現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た『青鞜』は初声を上げた。

 /女性のなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。/私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。



 このあと、ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』からの引用や、「天才」をめぐるロダンの言葉がちりばめられ、いま世に唱えられる「女性の自由解放」を超えて、「真の自由解放」をめざすことが、高らかに宣言されている。



 女性を「家庭という小天地から、親といい、夫という保護者の手から」解放し、「独立の生活」をさせること。高等教育を授け、「一般の職業」に就かせ、参政権を与えること。

 そうした通常に唱えられる「自由解放」は「手段」あるいは「方便」にすぎず、それをのりこえた「真の自由解放」を目的として目ざさなくてはいけないというのである。



 その「真の自由解放」が、すなわち「太陽」としての女性の真正の姿を復活させることにほかならない。

 この文章が書かれて百年以上がすぎた現在に至っても、日本社会ではまだ通常の「自由解放」すら、十分に実現されていると言いがたい現状からすると、それを超えた「真の自由解放」を宣言するらいてうの言葉は、あまりに突飛なようにも見える。



 女性の内にある「潜める天才」を十二分に発揮させることだと説明されてはいるのだが、いかなる状態がこの「天才」すなわち「太陽」の顕現と言えるのか、いささか謎めいている。

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 一部引用以上



 私が民俗学=文化人類学に夢中になっていたころ、この言葉を知って、「これこそ女性問題の本質だ、本当の人類社会は女性のための社会なのだ!」と強く感動した記憶がある。

 私は、エンゲルスの「家族国家私有財産の起源」に喚起されて以下のようなブログを書いた。(ヤフーに無断削除されて原文は残っていないがコピーしていただいていた)



  《女性主導の社会がやってくる》東海アマ2010年12月15日

 https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=242429&pgh=7



 男女の自由な性交が保証される集団では、親子の関係を証明できるのは母子だけという事情によって集団は必ず母系氏族になる。人類社会黎明期における長い長い母系氏族社会が、経験と知恵の深化により生産性を獲得し、人口が増大しはじめることになる。



 人口膨張は必ず氏族間争議を増加させることになり、これによって戦争が増えて、このとき肉体的に有利な男性が支配的な地位を占めないと氏族が生き残ってゆけないという事情から男性権力が発生する。



 男性権力が確立すると、首長は権力と財産を自分の子供に継承することを望むようになり、このとき「男性首長の子」を定めるために、母親に貞操を要求し、首長に隷属させる必要があって、これが家族の成立となる。(家族とは本質において権力財産継承システムにすぎないことを理解せよ!)



 最初、この家族は一夫多妻であり、やがて歴史を重ねて母親の権利拡大とともに一夫一婦制社会になってゆく。(家父長社会の強力だったイスラムでは未だに一夫多妻)

 これが、男性の権力が、その子に継承される「男系氏族社会=家父長社会」の成立であり、やがて発展して国家となってゆくのである。



 男性権力における国家は、女性隷属、差別を前提によって成立するのであり、この差別が拡張し、敗戦国民を奴隷として使役することで生産力が飛躍的に拡大し、国家は帝国主義へと成長してゆく。



 このとき利他主義を醸成してきた相互扶助的な大家族が崩壊させられ、企業や戦争の都合で最小単位の核家族、一夫一婦制小家族に細分化される。国民は社会差別の秩序に埋もれ、この結果、利己主義が蔓延して、互いに見栄張り競争をしながら我が子を優位な階級に置こうとし、古い大家族生活によって再生産されてきた利他思想が死滅してゆく。



 だが、やがて国家が爛熟し、主に利己主義の蔓延によって、あらゆる劣化腐敗が進行し、国家の土台を食い荒らし、ついには倒壊してしまう。

 国家を形成する前提となる女性差別、底辺の生産力である奴隷、労働者への蔑視差別が原因で内部腐敗が起きるのであり、まさに利他思想の死滅により社会全体が崩壊してゆくのである。



 国家崩壊の兆候は男性権力の崩壊であり、女性の社会進出である。国家は女性蔑視差別によってしか成立しない。女性が尊敬されるようになり、権力を得れば「雌鳥が時を告げれば国滅ぶ」の諺どおり国家はもう社会にとって邪魔者でしかなく、その存在理由を失うのである。



 男性は競争、戦争によって教育訓練、切磋琢磨されるのであって、国家が競争と戦争をしなくなれば必然的に劣化を起こす。ところが女性は、競争がなくとも子育てや家事労働によって教育訓練されるため、それほど劣化を起こさない。この結果、国家社会にあって徐々に女性の進出が起きて、その地位が高まり、劣化した男性の代わりに社会を担う主力となってゆくのである。



 筆者は、「だから競争と戦争をせよ」と主張しているわけではない。

 男性が劣化し、国家がその存在理由を失って崩壊し、あらゆる組織が力を失ってゆくなかで、自然的存在である女性優位の社会が復活する必然性があり、男性権力が死滅した後は、再び女性権力、母系氏族社会の長い歴史があり、人類が滅び去ってゆくと指摘しているのである。



 「発生したものは滅亡する」運命であり、社会の発展段階の法則により、現代に至って、男性権力社会、すなわち国家の命運が尽きたのである。したがって、この後は、再び母系氏族社会に回帰する必然性があり、人類そのものの命運も尽きてゆくのであって、これは宇宙の大法則であり、絶対に避けることのできない運命だと知るべきである。



 この人類史における大法則は、いかに巨大な力を持ち歴史を背後から操作してきたユダヤ教徒秘密結社であっても変えることなどできない。

 イルミナティ・フリーメーソンのできることなど、せいぜい陰謀を重ねて世界を統一的に支配し、人口の巨大な削減を行う程度であって、男系社会の崩壊、母系氏族社会への回帰を防ぐことなど絶対にできない。



 ユダヤ教徒のタルムードや旧約聖書こそ、実は男系社会、家父長社会を守るための思想的規範として登場したものであり、彼らによって国家崩壊が加速させられていることで、彼らの狙いとは正反対に、男系優位社会が滅亡し、母系氏族社会の到来が劇的に加速していると見るべきだ。



 近年、社会のあらゆる側面で、女性進出が著しい現象こそ、男性権力の崩壊と母系社会への回帰を示すものであり、やがて、おそらく驚くほど急速に、一夫一婦制男性権力のための家族制度が崩壊し、母系氏族による大家族社会に変容してゆくと考えるべきである。

 もはや国家や家族は生き延びる術がない。人は組織を離れ個人に帰る。そうして自由な男女関係の元、母系大家族制が復活するしかありえないのだ。



 人々は大家族で利他思想を復活させる以外に生きてゆくことができなくなる。利己主義にしがみつく者は必ず淘汰され死滅してゆくだろう。

 女性は再び社会の灯台となる時代がやってくる。



 しかし、だからといって、現在、社会をリードするかに見えている知的女性たち、例えば勝間や桜井、きっこらが、この先指導的立場になるかといえば、とんでもない話で、彼女らは差別社会の秩序に洗脳されきっていて、人々はその苛酷さにうんざりして離反してゆくだろう。彼女らは滅び去るしかない。

 時代が求める女性は、心の温かい、人を癒すことのできる女性であり、死刑を要求するような愚かな女性でないことだけ書き添える。



 ちなみに、今後、滅び行く日本国家を救う女性たちがいるとすれば、少なくとも、厳冬期、単独南アルプス大縦走を実行できる程度の勇気胆力、体力、精神力が必要だ。

 日本社会の高揚期を率いた男たちは、みな、その程度の修羅場を自らに課し、切り抜けるだけの実力があった。



 今後は、社会を牽引する女性たちに、それが求められる。筆者も南と中央アルプスの厳冬期大縦走を単独でやった。死の危険を数回も感じ、全身ボロボロになるほどの苛酷な試練だが、社会を変革する強靱な意志を鍛錬しようと思えば、それに匹敵する程度の試練を自ら求めなければならない。



 しかも女性に求められるのは、人間に対する暖かさ、優しさであり信頼感である。苛酷な修羅場、試練をくぐりぬけてきた者は、みんな心優しくなるものだ。逆に、他人に厳しいことばかり言う者は修行が足りない。とうてい社会を指導できる実力が備わっていない口舌の徒と知るべきである。

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 引用以上



 12年ほど前に書いて無断削除された私の数百のブログの一つだが、読み返すと、無用なことも書いていて恥ずかしい。しかし本旨は間違っていない。

 また、私の永久凍結によって削除されたツイートも、ブログにしてくれていたものが残っていた。

 https://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-10956333178.html



 概括的に言うと、人類社会は、母が子を産んで、子がもっとも信頼するのが母であるから、子供たちは、母の言うことを聞くことになり、母の指示によって生活するわけだから、必然的に「母系社会」が成立するようになる。

 たぶん、人類すべての元始的家族は母系家族である。これは文化人類学・民俗学でも証明されている。



 自然的生活のなかで、十分な食料を得られる環境ならば母系社会は揺らがないが、人口が増えることで、農耕地や狩猟適地が減り、縄張り争いが起きると、力が強く能力に長けた男性が争いで優位に立つようになる。

 部族間抗争が増えると、男女は戦闘と子育てに分業し、争いに勝つことが生き残るため最優先の課題になり、男の価値が上がってゆき、やがて、男が家族=部族の主導権を握るようになる。



 このようなメカニズムで、母系社会=母系氏族社会は、男性の長に取って代わられ、男系氏族社会に変わり、部族の長は、自分の権威を欲し、自分の財産を所有するようになり、やがて自分の子を跡取りに望むことで、自分の価値を高めようとする。

 そうして、女性を「自分の子を産むための道具」と位置づけで地位と権威を貶め、女性をハーレムに囲い込む「封建制男系氏族社会」が成立するようになる。

 こうした変化が起きたのは、1万年~3000年前と考えられる。



 このとき、思想的な裏付けとして旧約聖書や儒教が成立したと考える。戦争が頻繁に起きることで、男性が部族の権力を得て、女性の地位を貶めるのである。

 逆に考えれば、人類が戦争を克服できるなら、再び母系社会がやってくることになり、旧約聖書も儒教も完全否定されるようになるだろう。



 ライフジャーナル「母系社会が平和への鍵になる」2019.07.24

 https://naturalharmony.co.jp/journal11/



 なぜ世界から母系社会は消えたのか 女性性を尊重しない社会は滅びる!?

 前回のコラムで、イロコイ連邦をはじめとしたアメリカインディアンの多くの部族が、「母系社会」で成り立っているという話をしました。その母系社会についてさらに掘り下げてみたいと思います。



 母系社会を簡単に説明すると、一般的には母方の血筋を継承していく家族であること、つまり、現代の日本は「父系社会」なので、父親から息子へと男子が家を継いでいくところ、母から娘へと女子が継いでいくということになり、現代とはまったく逆の制度になるということです。



 古代には、世界中に多くの母系社会が存在していたと言われています。現存している先住民族の中でも母系社会を継承している民族の分布を見ると、熱帯地方に多く集中しており、寒帯地方では少ない傾向があるようです。また、農耕を中心とする民族に母系社会が多く、牧畜を中心とする民族には少ない傾向があります。これだけを見ると、温暖な地方で農耕を営む民族には母系社会という構造が適していたのかもしれません。



 さて、母系社会の大きな特徴をまとめると、部族の長は女性であり、その女性が部族内をすべて取り仕切り部族全体に大きな影響力を持っています。

 しかしその内部は非常に民主的に運営されており、決して封建的ではなく、すべての者に寛容な社会を築いています。



 中国雲南省の奥地に存在する「モソ」という民族は典型的な母系社会を継承していますが、その特徴を見るのが分かりやすいと思います。

 まず、結婚という制度がないため夫婦という関係性もなく、その概念すら存在しません。ではどうなっているかというと、「走婚」つまり「通い婚」になっているのです。

 (アマ註=日本でも合掌造りの白川郷や、弥生人文化圏では「通い婚」が常識だった)



 男性は好きな女性の家に通いながら、というより女性が好きな男性を呼び、関係性をつくります。最低限のルールがあるにせよ、一緒に住むのも自由だし、その関係を終わらせるのも自由なのです。

 もし子供が出来た時は女性の家族が皆で育てることになり、男性には一切の養育の義務はありません。父親が誰であるかは重要ではなく、誰が産んだのかが大切にされます。



 このような習慣を現代の常識的な目線で見てしまうと「これで社会が成り立つのか?」という疑問が浮かぶと思います。民族の構成はシンプルで農耕を中心とした社会なので、必要以上に現金収入を必要としていないから成立していたという背景もあります。

 また男性の存在感がないわけではなく、地域社会の中でしっかり役割があり責任ある仕事が任されています。



 ただ、至って自由であるということ。前述のように男女関係だけではなく、すべての人間関係が、とてもおおらかで寛容な社会を築いていたということです。この傾向はモソだけではなく、多少の違いはあれ母系社会を築いている民族ですべてに見られる傾向です。



 かつての日本も平安時代までは明らかに母系社会を築いていたといえます。おそらく当時は一部の貴族や武士階級を除き、明確な結婚の制度もなく女性が家系を継いでいました。



 世界的にみると人々の生活習慣や社会的な仕組みに大きく影響を与えた出来事は宗教の広がりです。有史以来、世界に急速に広まった宗教には女性を蔑視する内容がとても多いことに気が付きます。

 キリスト教・ユダヤ教・イスラム教・仏教にいたるあらゆる主な宗教で経典の中に明確に女性蔑視を記述しており、表向きは平等と教えながら本質的に男性から劣っている存在であると位置づけていることから、とても矛盾をはらんでいます。

 神道についても穢れという考え方があり、例えば相撲の本場所の土俵には女性が立ち入ると穢れるという理由から厳しく禁じています。



 もちろん宗教もその時代とともに内容の解釈や記述が変えられてきているので理解は様々です。宗教の発祥初期からそのような教えがあったかは定かではありません。

 ただし、世界的に共通していることは、みな同じように男女の関係性に抑圧的な厳しい戒律を設けて、女性の位置づけを低く保ち、同時に善悪の概念を強力に植え付けてきたと言えるでしょう。



 日本も平安時代以降、本格的に仏教が普及してきたところから、明らかに父系社会への転換が起こりました。それが直接的な要因と断言できませんが、やがて戦国時代へと移り変わっていきます。

 ではなぜ、そもそも多くの宗教が女性を蔑視してきたのでしょうか? ここは大いに想像力を膨らませる必要がありますが、それは主な宗教が常に権力と結びついてきたという経緯があります。



 歴史上、常に政治が宗教を利用して、逆に宗教も政治を利用してきました。時の権力者たちは民衆をコントロールするのに宗教を使い、宗教にも様々な便宜を図ることで関係性を強固にして、必要であれば教義を書き換えてでも目的を達成させようとしてきました。

 当然ながら権力者やそれを取り巻く者たちは、その体制に反対する人々を物理的・政治的に抑圧しました。



 しかし、どうしてもコントロール下に置けない勢力がありました。それが女性だったのです。まだ母系社会が色濃く残る社会であっても政治的には優位な立場になっていた男性が、すでに社会全体に浸透していた女性の影響力を弱めることが出来ないため、宗教の力を使って存在そのものを低く劣ったものとして定義しました。つ

 まり権力者はそれほど女性の力を恐れました。



 中世のヨーロッパを中心に起こった魔女狩りはまさにそれを象徴する出来事であったといえます。人並み外れた霊的能力や知識をもった女性を魔女や悪魔の使いとして仕立て上げ、社会を惑わすものとして民衆の恐怖を煽り、社会的に影響力のある女性を抹殺してきたのです。



 ここまで読んだ方は、「では父系社会というのはそんなに悪い仕組みなのか?」と思われるかもしれません。

 実はそうではなくて、現代社会の中で父系社会を形成する男性性の要素が強くなり過ぎたということです。古代では母系社会と父系社会が共存していた形跡が多くみられており、中には双方が混ざった習慣を持つ民族もあります。



 近代では、その男性性の特徴である論理的・競争心・実力主義・結果重視などの傾向が過剰になり、社会の中で常にその条件に合うように生き方を要求されます。

 更に付け加えると、宗教の普及とともに貨幣経済が強力に広がり、社会を構成する要素として最も大きな影響力を持つことになったため、なおさら男性性を増長させることになりました。戦争や民族的な争いが絶えないことも、男性性の過剰という問題が根底にあるからではないでしょうか。



 女性への差別や蔑視や抑圧的な行為は、明らかに男性性過剰の結果であり、逆に言えば女性性の欠如の現れです。

 これは生物学的な男と女の違いの問題ではありません。どちらにも男性性、女性性の両方が備わっているからです。



 長い歴史の様々な場面で女性(性)が犠牲となってきた事実があります。犠牲とは、その犠牲の下に社会が成り立ってきたという意味です。

 さて、それを犠牲にして得てきたものは何でしょうか。国家の軍事的な強さでしょうか? 経済的な強さでしょうか?



 かつて男性性優位と見られる帝国が数多く誕生しましたが、ことごとく衰退・滅亡していきました。

 その一方で目立たないながらも女性性を大切にする平和な国家も存在していました。歴史の年表にはまったく出てこない史実ですが、帝国の栄枯盛衰を学ぶより、なぜ平和な国が存続していたかを学ぶことに価値があると思います。

 そうすれば、かつて理想的な母系社会を築いていた日本が、世界に先駆けて出来ることが自ずと見えてくると思います。

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 一部引用以上



 上の文章は、母系社会の本質に触れる視点であり秀逸だ。女性の力の本質は、「母」であることだ。母は社会の源であり、母なしに社会は成立できない。

 だから、人類の社会性の継続という意味では、母の存在こそが本質といえる。

 母から生まれた集団が、一つの母系氏族社会を形成するのは自然の成り行きである。



 だが、母を権力の座から引きずり落としたものの正体は、「争い」だった。

 戦闘、戦争になれば、テストステロンの作用で力の強い男が圧倒的に優位なのだ。

 戦争の多い社会では、男性の地位が非常に高まり、部族の長も必ず男性になる。それは部族が安定して食料を得るための条件なのである。



 上のリンクのなかに、「母系氏族社会は熱帯地方に多く、寒帯地方に少ない」との記述があるが、それも、自然環境が苛酷であるほど、男性の能力がものをいうからである。

 男性の能力を必要としない環境であれば、母系社会が廃れることはないのだ。



 翻って、これからの社会を考える上で、いったいどれほどテストステロンによる能力が必要となるのかと考えると、たぶん、過去の時代よりも、男性の意味が薄れてゆくように思われ、旧約聖書や儒教が必死になって女性を貶める社会を作ってきた意味が失われているというしかない。

 つまり、これから女性の社会がやってくる=戻ってくるのである。



参考

 原始仏教・大乗仏教の溌剌とした女性たち 植木雅俊さん 池田香代子の世界を変える100人の働き人68人目 2022.8.16.

 https://www.youtube.com/watch?v=FVm3GLNZo_U