別にこの世界を割り切る必要はなかったのだ。
割り切るとは遠慮や思いやりなどの気持ちをすてて一定の基準であっさり・解釈(行動)することだが、そうすると気持ちはいいけど、残酷な世界観の持主になってしまうからだ。
しかも、質が悪いのは、本人は障害物を取り除いただけだから、それで構わないと思っていることだ。
でも、これからは感情という割り切れない思いを大切にする社会にしたい。
僕がみさと協立病院という精神科病院に入院していた1991年頃の話なのですが、デイルームでイヤホンをつけた女の子が「なんか聖子は違うのよね…」と感心したように独り言を言ったのをいまだに覚えている。
たぶんこの世には言葉には表せないけどいいモノがあるのだなと妙に元気づけられたからだろう。