プシコの架空世界

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仏典には「幸福」という言葉はない(1)

2013年06月02日 11時17分27秒 | インポート

 

 仏教について意外なことが書いてあったので、河合隼雄・中沢新一著『仏教が好き!』より引用。<o:p></o:p>

 

P.175<o:p></o:p>

 

中沢 きょうのテーマは「幸福」です。黄色いハンカチをたなびかせて女の人が待っていてくれるんじゃなくて、黄色い袈裟のお坊さんが待っていてくれる、それが仏教の幸福だって話にしたいんですが、どうもいくら調べてみても、仏典のなかに「幸福」という言葉は出てこないんです。<o:p></o:p>

 

河合 ええ、よくわかります。<o:p></o:p>

 

中沢 だけど僕たちにとっては、何となく仏教って幸福な感じがするでしょう。ところが西欧人から見ると、人生の喜びを否定する不幸な宗教というイメージがあります。東洋人から見ると、仏教は「こんなにハッピーな宗教はない」と見えるじゃないですか。キリスト教のほうがよっぽど不幸な感じがします。どうもこちらとあちらでは「幸福」の概念が、根本的に違っているようです。きょうはそのあたりのことを話題にいたしましょう。<o:p></o:p>

 

河合 はい、はい。<o:p></o:p>

 

中沢 まず、「幸福」という言葉の定義を考えていかなきゃいけません。<o:p></o:p>

 

河合 「幸福」の定義が大事なところだ。<o:p></o:p>

 

中沢 「幸福」という言葉は明治になってから使われ出しています。<o:p></o:p>

 

河合 そうでしょう。<o:p></o:p>

 

中沢 「幸」という言葉と「福」という言葉を合成して「幸福」にしたわけですね。日本語には英語の「ハピネス」とかフランス語の「ボヌール」に当たる言葉がなかったんで、翻訳上でこういう合成語が必要になったようです。<o:p></o:p>

 

河合 なかったんです。<o:p></o:p>

 

中沢 「ボヌール」がフランス語などで言う「幸福」ですけど、「ボン」と「ウール」ですから「善き時」というわけですね。幸運に恵まれて「素晴らしい時」を得て、「その時をつかんで幸福になる」という意味なんでしょう。英語の「ハッピー」もだいたい似たような意味です。「好機をつかむ」ことによって、幸福は獲得される。どちらも時間に関係しているようです。こういう言葉が西欧語といっしょに入ってきたとき、日本人は翻訳に困った。そこでかつぎ出されてきたのが「幸福」ですが、この漢字には西欧語にあった時間の感覚がふくまれていません。「幸」も「福」も大変に古くからある言葉ですが、どちらもなかなか怪しい雰囲気を持った言葉です。たとえば「福の神」とされるのは、妙ににこにこしている大黒様だったり、「ボヌール」のような合理的な感じがなかなかしません。ましてや「幸」にいたっては、きわめつきの古代語です。西欧語に当たる単語がうまく見つからないときには、明治時代の翻訳者は仏教語のプールのなかから借り出してくれば、たいがいうまくいったのですが、この場合はそれができなかったようなのです。仏教があんまり「幸福」を重要視しなかったものですから。<o:p></o:p>

 

河合 でしょうねえ、日本の古代は「海幸」「山幸」ですからね。<o:p></o:p>

 

中沢 そのとおりです。「幸」という言葉は大変に古くからあったもので、「幸弓」とか、大体狩猟に関わっているようです。「海幸」「山幸」とか。古代語では「さ」という音は「境目」や「境界」をあらわしています。これに対して「ち」は「霊力」をあらわしていますから、「境界の領域に渦巻いている霊力をうまくコントロールすると、獲物を得られる」という意味ですね。ですから、縄文時代以来の狩猟生活のなかから生まれてきた言葉なのだと思います。<o:p></o:p>

 

河合 それは納得のいく解釈ですね。<o:p></o:p>

 

中沢 森や山の神に気に入られていると、この「さち」を得ることができて、獲物を手に入れることができるから、豊かに暮らすことができる。そこから「幸」という意味が生まれたんでしょう。<o:p></o:p>

 

 「福」の場合には、折口信夫などの言う「常世」の考え方が関係しているかもしれません。海の彼方にあるという他界、古代日本人が考え出した「常世」は、オーストラリア先住民アボリジニなどの言う「ドリームタイム」によく似た概念で、そこには長い寿命、つきることのない豊かな富、無尽蔵の生命があふれているのです。そういう空間とつながっているのが「福神」です。だからどこか不気味なところがあります。やたらと過剰であるのが、この神様ですからね。そういう「幸」と「福」がくっついて、「幸福」になった。まったく古代的な現世肯定的な生活感覚のあふれた言葉なんですね。ですからもともとこんな言葉が仏教で使われるはずがないというわけです。<o:p></o:p>

 

河合 うん、仏教はもともとそんな人間生活の実利的なことを考えていませんから、それはあるはずないんだ。<o:p></o:p>

 

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