ひねもす日報

このブログももうすぐ開設20年とは

予防接種済ませて、数年振りに山作ってトンネル掘った。

2011年05月18日 | Weblog
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「けん」

2011年05月18日 | Weblog
 博多を離れて今年の夏で満8年になる。博多を愛しているというのはこのブログでいつも書いている通りやけれども、マトモな博多弁を使えなくなっているのは感じる。現代の博多弁を日々耳にしない、けれど博多弁は使いたいので、デフォルメした博多弁に年々なってきている。帰省時に友人たちの「今の子が使う博多弁」を聞いて、自分が使いよるのがやや違うと感じる。
 博多を離れて好きになった博多弁は「駄目ばい」。だめばいげな、博多おる頃は使わんやった。移住後に「the 博多弁!」って感じで好きになった。ニュアンスがよく出ている。そうそう、ニュアンスの問題。感情のニュアンスが博多弁だとより伝わるししっくりくる。最近セガレが「●●けん」と頻繁に言う。セガレが発するってことは、わたしが言いよるんやろう。けれど自覚しとらん。これは無自覚に職場や友人たちに言いよるんやろなー。今後は博多の今の子らが使うカワイイ博多弁を使いたいけれども、もう出来んのかなー。「わか吉の博多弁は一世代上のオヤジの博多弁」と二人の人から言われことがあるが…。

 仕事で中番に入るとき、11時や正午から仕事をすることがある。けれどセガレは保育園に9時半辺りには行かなくてはならない。そういう時に、自転車通勤の道すがら、河原に座ることがある。すると高校時代を思い出す。学校に行きたくなくて、でもお金はレコード買うけんいつもなくて、仕方なく大壕公園で何時間も過ごしていたこと。一旦家を出て、大壕公園で時間を潰して、父が会社へ行ったのを見計らって自宅に戻ったり、すごく遅く学校へ行ったりしていた。懐かしい。この通勤道にポピーが咲いていて、母が亡くなる少し前に、宮崎のえびの高原へひょんなことから家族旅行したことをよく思い出す。当時わたしは小学生で、ポピーの良さはよく分からんやったけれど、母はポピーが好きやったみたい。今は綺麗だと思う。藤棚も昔はわからんやったけれど、今は綺麗と感じる。花札思い出す。色々がたがたしていた両親が、この旅行の時仲良さそうな所を見たのが、子ども心に印象に残った。そういうことを、通勤の時に時折思い出す。
 母が亡くなった後に、あんだけ女遊びで母に苦労かけた父の亡き母への想いを、本人からやその周囲の人たちから聞かされる機会があった。それがあるのとないのでは、全然違ったんだなぁと今初めて気付いた。

○今日の水ぼうそう 3歳2カ月●
 昨日園医を迎えての身体測定があった。その時に水ぼうそうの園児が発見される。その子の母は即効園へ呼び出し→小児科へ。結果水ぼうそうであったと園に連絡が入った。「水ぼうそうはたいへん感染力が強いです」と警告の張り紙をお迎えに行った扉で見て愕然とする。わたしも小学二年生の時、クラスで流行ってかかったので、セガレももうほぼアウトと感じている…。まぁいつかはかかるけれどさー…。
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