車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 福島県旧月舘町(伊達市)

2024年08月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧伊達郡月舘町(つきだてまち)は福島県の東北部に位置した町です。伊達郡霊山町、川俣町、相馬郡飯舘村に隣接。福島市から車で約30分のところに位置し、自然が豊かで住環境に恵まれていることから、将来は福島市のベットタウンとしての発展が期待されていました。「町の木:ケヤキ」「町の花:山百合」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「花と笑顔あふれ 夢ひろがる緑のまち月舘を」

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡小手川村・小手村が発足。

1893年、伊達郡小手村から小島村が分立。

1928年、小手川村が町制を施行、伊達郡月舘町となる。

1955年、月舘町と小手村が合併、伊達郡月舘町となる。

2006年、伊達町、梁川町、霊山町、保原町と合併、伊達市となりました。

昭和40年(1965)7月17日制定の町章は「月舘町の「月」を図案化したもので、両翼は限りない飛躍を表し、円は融和と協調の願いがこめられている。」伊達市公式HPより

旧月舘地区には独自のマンホールも上水道関連の蓋も見つけられませんでした。唯一見つけられた右書きの制水弁です。

撮影日:2015年6月22日

 

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霊山(りょうぜん)神社 in 福島県伊達市(旧霊山町)

2024年08月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

伊達市霊山町大石古屋舘、霊山の麓に鎮座される「霊山(りょうぜん)神社」

建武中興十五社の一社、建武の新政以降、陸奥の鎮定にあたり、南朝に従った『北畠顯家・北畠親房・北畠顯信・北畠守親』を御祭神とします。

「文化14年(1817)、松平定信がこの地に霊山碑を建立。明治元年(1868)、米沢藩の儒者・中山雪堂と医師・西尾元詢が英霊を祀る神社の創立の運動を起こし、明治9年(1876)の明治天皇の東北巡幸を機会として、陸奥国府があったことにより建武の新政にゆかりのある霊山が選定。明治12年(1879)11月に創立が請願され、明治13年(1880)6月、霊山の西方山麓の北畠氏の支城があった地に社殿が造営。翌年5月11日に鎮座祭が行われ、明治18年(1885)に別格官幣社に列せられた。」

三間社流造の御本殿・幣殿・拝殿・神饌所・瑞垣から成り、御本殿は御神体を奉安する「内陣」および例祭時に供物や幣帛を奉る「外陣」の2部屋から成ります。

拝殿は神職・楽人・舞姫が着座する「内拝殿」と、参拝者が着座する「外拝殿」から成り、祖霊舎歴代神職、氏子、崇敬者の御先祖の御霊祭が執り行なわれます。

西参道入り口に建立された『北畠顕家卿』銅像

白鉢巻きに白だすき、袴姿もりりしい少年たちが、太鼓の音に合わせ太刀を天空にかざして進む、古式ゆかしい舞い「濫觴武楽(らんじょうぶがく)」。北畠顕家が陸奥国府を開くため義良親王を奉じ、多賀城から霊山城に入城した際、一族、郎党の家運隆盛、武運長久を祈って奉納した剣舞が伝わったものといわれ、春の例大祭に奉納されます。

『北畠顯家卿』顔出しパネル

霊山神社参拝には二つのコースがあり、私たちは北畠顯家公像のある参道を車で。中々の山道ですがきちんと舗装されており途中に駐車場も設けられています。

もう一つは鳥居前から続く表参道。傾斜のきつい256段の石段参道。一応後学の為に(笑)、ほんの数段という事で下りて貰ったのですが・・10段でギブアップ💦

参拝日:2015年6月22日

 

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ご当地マンホール in 福島県旧霊山町(伊達市)

2024年08月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧伊達郡霊山町(りょうぜんまち)は阿武隈山系の最北端に位置した町です。福島市、相馬市、保原町、梁川町、月舘町、川俣町、飯舘村、飯野町に隣接。

霊山の825mを最高峰に、四方を300~500mの山々に囲まれた丘陵地から形成され、町のほぼ中央を北流する広瀬川と、これに注ぐ石田川・小国川・祓川からなっており、これら中小河川の流域に平地が形成され耕地となっています。「町の木:赤松」「町の花:りんどう」「町の鳥:ヤマガラ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡掛田村・霊山村・石戸村・小国村が発足。

1898年、掛田村が町制を施行、伊達郡掛田町となる。

1955年、 掛田町、霊山村、石戸村、小国村が合併、伊達郡霊山町となる。霊山町大波地区が福島市に編入。

「昭和30年:町村合併記念碑」「伊達郡・霊山町碑」

2006年、伊達町、梁川町、保原町、月舘町と合併、伊達市となりました。

昭和39年(1964)5月制定の町章は「りょうぜんの「り」を図案化しながら山を表現し、将来への発展向上と円満なる団結・協力と平和をあらわしています。」伊達市公式HPより

霊山町には、独自のデザインマンホールはありませんが自治体章の有る上水道関連の蓋は幾つか見つける事ができました。

撮影日:2015年6月22日

 

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梁川八幡宮 in 福島県伊達市(旧梁川町)

2024年08月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

伊達市梁川町八幡堂庭に鎮座される「梁川(やながわ)八幡宮」。御祭神は『誉田別命(応神天皇)』

社伝に「平安時代中期に田原中納言勝稙が京都・石清水八幡宮を勧請して創建したのがはじまりとされる。平安時代末期、藤原秀衡が佐藤基治に命じて再建し若宮八幡と称された。室町時代、伊達持宗が高子岡の亀岡八幡宮を遷して若宮八幡と合祀。亀岡八幡は伊達稙宗の代に桑折西山へ遷されたが、伊達市が米沢に遷ると再びこの地に戻り、伊達政宗が仙台に移ると亀岡八幡の御神体も仙台に遷された。八幡宮自体はその後もこの地に残り、現在の社殿は延享2年(1745)に改築。近世には伊達郡六十六郷の惣社とされ、境内には若宮八幡、弁天堂、三重塔など多くの建物があったと伝わり、放生池であった観音堂の池などが現存する。」

境内正面に拝殿、右手に神門。

拝殿の横にはテントが張られており、慌ただしく人の出入りがありましたが、先の龍寶寺と同様に、美しい御朱印を頂く事ができました。

神門から拝見させて頂く御本殿。16歳の伊達政宗が戦勝祈願のため参詣したことで知られ、今も伊達氏の氏神として崇敬されています。

境内には往時の面影を残す「放生池」

参拝日:2015年6月22日

 

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龍寳寺(りゅうほうじ) in 福島県伊達市(旧梁川町)

2024年08月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

伊達市梁川町八幡堂庭に境内を構える真言宗豊山派寺院「八幡山:龍寳寺(りゅうほうじ)」『大日如来』を本尊とします。信達三十三観音霊場第三十一番札所。信達三十三観音霊場第三十三番札所。

創建は不詳「延暦年間(782~806)に坂上田村麻呂が東夷東征の際、観世音菩薩に戦勝祈願した所、見事勝利した為、感謝の意から観音堂を建立、後に空道上人が草庵を結び堂守としたのが始まりとされる。当初、光明院と称し、平安時代後期の永観年間(983~985)に勧請された、伊達66郷の総社:梁川八幡神社の別当になり近世に入り亀岡寺、後に龍寳寺と改名。梁川城主・伊達氏との関係が深く、米沢城、岩出山城、仙台城と伊達氏が居館を変える毎に同名の寺が随行し仙台では大崎八幡宮の別当となった。梁川に残った龍寳寺は信達三十三観音霊場結願札所の観音堂(鬼石観音)の堂守として信仰された。」

境内入り口に、江戸時代に建てられた切妻、茅葺、一間一戸の「薬医門」(市指定有形文化財)。

荘厳な佇まいで座す本堂。

本堂の棟より仏域を守護される「鬼」。開いた口から覗く歯が阿吽を表しています。

享保3年(1718)に建立された「鬼石観音堂」『聖観世音』を御本尊とし、信達三十三観音巡礼の最期の巡礼地とされます。

御詠歌【逆緑も 巡礼堂に納めつつ 松の嵐も 法の言の葉】

境内に建立されていた石仏・石塔群

宝暦12年(1762)に建てられた、入母屋、茅葺、袴腰の「鐘楼」(市指定有形文化財)。銅は戦時中に供出されましたが、昭和63年に再鋳されました。

本堂の裏手に広がる誇大な蓮池

参拝日:2015年6月22日

 

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ご当地マンホール in 福島県旧梁川町(伊達市)

2024年08月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧伊達郡梁川町(やながわまち)は福島県中通りの東北端に位置した町です。伊達郡保原町、霊山町、国見町、桑折町、また県を跨いで宮城県白石市、丸森町に隣接。南西部より阿武隈川が入り、宮城県丸森町に北流。町の中央部に市街地が形成され、北東部山間をぬって阿武隈川に流れ込む広瀬川・塩野川・山舟生川などの流域に集落と耕地がひらけ、山間丘陵地帯にも集落が点在しています。

古くは伊達家の祖朝宗がこの地方を支配し、以来伊達家の居城となっていましたが、近世は養蚕が盛んで昭和初期まで蚕都梁川として栄えていました。町名は、町を流れる阿武隈川・広瀬川が、かつて格好の「鮭簗場」であったことから「簗川」と呼ばれ、江戸時代中期から「梁川」となったと云われています。「町の木:柿」「町の花:桜」「町の鳥:セキレイ」を制定。

梁川駅前の「三浦弥平翁記念碑」。第7回・8回オリンピック大会にマラソン選手として出場した人物です。

「第四代梁川町長:池田善治」胸像と「梁川町閉町記念碑」

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡梁川町・五十沢村・富野村・山舟生村・白根村・堰本村・粟野村が発足。

1954年、東大枝村が梁川町に編入。

1955年、梁川町、五十沢村、富野村、山舟生村、白根村、堰本村、粟野村が合併して梁川町となる。

2006年、伊達町、霊山町、保原町、月舘町と合併、伊達市となりました。

マンホールには「町の木:柿」に止まる「町の鳥:セキレイ」と、上に「町の花:桜」、下に「水のひかるまち やながわ」の文字がデザインされています。

昭和40年(1965)10月1日制定の町章は「「やながわ」の「や」の字を図案化したものであるが、町村合併により新しい町となった旧梁川町、粟野村、堰本村、白根村、山舟生村、富野村、五十沢村のほか、境界変更によって編入された旧大枝村のうち東大枝の8地区の固い結びつきと、町民の円満性を表すとともに、道路交通網の整備拡充による町発展を表現したものである。」伊達市公式HPより

撮影日:2015年6月22日

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ご当地マンホール in 福島県旧伊達町(伊達市)

2024年08月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧伊達郡伊達町(だてまち)は福島市の北東に位置した町です。福島市、伊達郡保原町、桑折町に隣接。福島県内では面積が最小、人口密度が最も高く、町域は阿武隈川で東西に二分。伊達市細谷にある、東北本線「伊達駅舎」。霊山神社をモデルに改築された木造武家造の珍しい駅舎で、町名は駅名に由来します。「町の木:りんご」「町の花:桃」「町の鳥:かっこう」を制定。

旧キャッチフレーズは「緑萌え、笑顔輝く、結いのまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡伏黒村(ふしぐろむら)、長岡村が発足。

1940年、長岡村が町制を施行、伊達郡伊達町となる。

1955年 伊達町が伊達郡伏黒村に編入される。

1957年、伏黒村が町制を施行、伊達郡伊達町となる。

マンホールには町章を中心に「町の花:桃」がデザインされています。

昭和41年(1966)11月6日制定の町章伊達町「ダテ」の「ダ」を力強く表現。未来に向かって発展、躍進する活力ある町であることを表しています。」伊達市公式HPより

撮影日:2015年6月23日

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保原地内~あちこちウォッチ in 福島県伊達市

2024年08月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

伊達市保原町宮下の一画に建立されていた「三浦謹之助博士像」。保原町高成田(旧・陸奥国伊達郡高成田村) 出身で、東京帝国大学を首席で卒業後、サル・ペトリエール病院のシャルコーの元で研鑽を積み、帰国後「日本神経學会」を設立。皇太子時代に外遊した昭和天皇に随員として渡欧した際に「何か趣味をお持ちになった方がストレス回避に役立ちます」と提言、この言葉が後に昭和天皇と生物学を結ぶきっかけとなったそうです。

「江戸川乱歩疎開の地」碑。昭和20年、戦争から復員した江戸川乱歩は、既に家族が疎開していた保原に大量の蔵書と一緒にやってきました。 保原町4丁目付近に滞在し、10丁目にあった蔵で書物を管理しながら執筆活動を続けたそうです。

明宮嘉仁親王(大正天皇)の霊山行啓を記念して建立された「春㬢 留影(しゅんぎ りゅうえい)の碑」。揮毫:岩倉具視公爵

旧保原城二の丸陣屋跡に残る「大欅と黒松」。残念ながら二の丸陣屋の往時を伝えるモノは何も残されていません。

昭和46年(1971)に全線が廃線となった福島交通軌道の路面電車、「愛称:チンチン電車」。廃線を受けて福島交通株式会社より9台の路面電車が各地に寄贈され、旧保原町にも「1116号」が寄贈されました。(現存する車両は現在3台のみ)

2011年の大災害を受け、地域に活気をとの思いで立ち上げられた「路面電車1116号 修復保存プロジェクト」。修復プロジェクトには個人や企業から約1000万円の寄付が寄せられ、当時の姿に蘇りました。この世代を知る人にはきっと胸が熱くなる思い出が沢山詰まっているのでしょう。

伊達市保原町東野崎にある、伊達郡役所を再現した保原駅舎。キャッチフレーズは、「ファッションニットの町」。駅舎は「東北の駅百選」に選定されています。

阿武隈川流域は、古くから養蚕地として開け、保原町は信達平野の生糸の集散地、蚕取引の中心地として栄え、ニット製造業が地場産業の中心となりました。

福島県と宮城県とを結ぶ第三セクター阿武隈急行線の全線開通を記念し、限りなく発展する伊達の故郷保土原を優しく仰ぐ『神野忠和氏』の力作「遥の像」を建立し・・以下略

「遥(はるか)」の像

撮影日:2015年6月22日

 

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旧亀岡家住宅 in 福島県伊達市(旧保原町)

2024年08月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

伊達市保原町大泉宮脇、保原町総合公園に建つ和洋折衷住宅「国指定重要文化財:旧亀岡家住宅」

蚕種製造を手がけた亀岡家が明治37年(1904~)頃に桑折町伊達崎に建てた住宅を1995年に移築保存。外観は洋館ですが、内部は日本家屋という明治中期の和洋折衷住宅。福島県技手の『江川三郎八』が設計に関与し、地元飯坂町の大工『小笠原国太郎』が施工したとみられます。

外観は、正面中央に半八角形平面の塔屋状の突出部を持ち、明治期の当地方における木造洋風建築に通ずる威風を備え、また一方、内部は和風の座敷を中心に構成。銘木を多用して造作に技巧を凝らすなど、外観・内部ともに優れた意匠でまとめあげています。

幕末から昭和初期にかけて養蚕によって栄えた梁川町。江戸時代を通じて養蚕業が発展し、全国的に知られる蚕都となりました。

施主の『亀岡正元』は蚕種製造で財をなした豪農で、後に県会議員や郡会議員を務めるなど政治家としても活躍。この建物も正元の住居として建築されましたが、社交や集会の場も兼ねていたと思われます。

当時の繁栄ぶりを今に伝える「亀岡家住宅」。福島県技術者と地元大工の協働により生み出された独創的な造形は、どれほど見ても見飽きることが有りません。

時間が許せば内部の見学もしたかったのですが・・行きたい場所が多すぎて、どこかで線引きしなければ、立てた予定が全部崩れてしまいます。

ちょっと気になって、でも結局良く分からなかった石造物😅

名残惜しさを胸にしまい込んで、立ち去り際に振り返った目線の先、美しいという言葉が似合う「旧亀岡家住宅」に別れを告げ、次なる目的地へ向かいます。

訪問日:2015年6月22日

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ご当地マンホール in 福島県旧保原町(伊達市)

2024年08月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧伊達郡保原町(ほばらまち)は福島県の北部、信達(しんたつ)平野の東部に位置した町です。福島市、桑折町、伊達町、梁川町、霊山町に隣接。東に阿武隈山系の霊山、西には吾妻連峰、北方には宮城県境の山々が遠望され、町の北西部を阿武隈川が北流、流域がひらけ町土のほぼ半分が平坦地となっています。

保原の地名はヨシの穂原が転じた、又は古くから呼称された「保土原」の地名が転じたとも云われます。町内の各地からは縄文時代の土器が出土しており、山沿い地帯に残る集落の形成は、約1000年前に上保原、高成田、金原田地内で金銀の鉱脈が発見されたのがはじまりといわれています。「町の木:赤松」「町の花:桃」「町の鳥:カッコウ」を制定。

旧キャッチフレーズは「くだものの里 保原」

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡保原町・大田村・柱沢村・富成村・上保原村が発足。

1955年、保原町、大田村、柱沢村、富成村、上保原村が合併、伊達郡保原町となる。

2006年、伊達町、梁川町、霊山町、月舘町と合併、伊達市となりました。

マンホールには図案化した保原町行政区域と、特産の桃が二個。下に「くだものの里」「ほばら」の文字が有ります。

町章を中心に「町の鳥:カッコウ」「町の花:桃」「町の木:赤松」がデザインされています。

昭和32年(1957)12月制定の町章は「ホバラの「ホ」を図案化し、円は円満を示し、両翼は躍進・発展を象徴します。」伊達市公式HPより

保原町商業組合マスコットキャラクター『ククルス』・・・そも、何物??😓

撮影日:2015年6月22日

 

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