車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

菅原神社 in 山口県岩国市玖珂町

2024年07月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

岩国市玖珂町、旧山陽道沿いに鎮座される「菅原神社」。御祭神は『菅原道真・柿本人麻呂』合祀『伊弉諾尊・素盞嗚尊・事代主命・大己貴命・少彦名命・大歳神・手置帆負命(たおきほおいのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)・田心比売命・市杵島比売命・湍津比売命』

江戸期「大庄屋:岡氏」が屋敷内に奉斎していたものを、明治時代に玖珂総鎮守の 「岩隈八幡宮・御旅所」である現地に遷座。

拝殿前参道より神域を守護されるのは、広島構えの狛犬さん一対。「明治三十六年(1903)」「尾道市 石工:大村(喜兵衛)」の刻。

拝殿前右手に神牛。「昭和七年(1932)五月吉日」「玖珂町、高森町」「尾道市 彫刻 大村喜兵衛」の刻。

岩国市指定文化財「菅原神社のモミの木」。拝殿に向かって右の木は、目通りの幹回り2.9m、樹高27.94m。左の木は、目通りの幹回り3.2m、樹高27.94m。

偶然お見掛けし、雨中の参拝。摂社・末社には参拝できず、中途半端な参拝となりましたが、尾道構えの良い狛犬さんに出会えて、ご亭主殿はご機嫌です。

参拝日:2015年11月18日

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御神名一口メモ

「手置帆負命(たおきほおいのみこと)」「彦狭知命(ひこさしりのみこと)」、天照大神の岩戸隠れの折、共に天御量(あまつみはかり)をもって木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造営した。工匠の守護神。手置帆負命は讃岐忌部氏の祖。彦狭知命は紀伊国の忌部氏の祖神。

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ご当地マンホール in 山口県旧玖珂町(岩国市)

2024年07月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧玖珂郡玖珂町(くがちょう)は山口県岩国市の南部に位置した町です。岩国市、周東町に隣接。北部は山地、南東部は丘陵地、南西部は玖珂盆地の東半部で、島田川支流である笹見川と水無川が南西に流れ、それらの川で形成された扇状地を中心に町が開けています。町内の西部臼田地区には、古墳時代の遺跡があり、他にも早くから人の住み着いた痕跡が残されています。

玖珂の名は、奈良時代(第44代元正天皇)に、当地から玖の玉(黒瑪瑙)と珂の玉(白瑪瑙)の2霊玉が出現したという伝説があり、それが町名の由来と云われます。「町の木:モミ」「町の花:ツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により玖珂郡玖珂村が発足。

1924年、玖珂村が町制を施行、玖珂郡玖珂町となる。

2006年、岩国市、由宇町、錦町、本郷村、周東町、美川町、美和町と合併し、岩国市玖珂町となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:ツツジ」がデザインされています。

昭和36年(1961)3月30日制定の町章は「「ク」と「ガ」を図案化したもの」

鞍掛城まつり」のマスコットキャラクター『鞍隆くん。戦国時代に城があった鞍掛山と、鞍掛合戦を勇敢に戦った武将「杉隆泰」にちなんで名づけらました。たくましくて、優しい男の子。お祭りや行事のお手伝いに大忙し♪・・と、申しております😅。

撮影日:2015年11月18日&2017年11月27日

 

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ご当地マンホール in 山口県旧周東町(岩国市)

2024年07月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧玖珂郡周東町(しゅうとうちょう)は山口県の東部に位置した町です。岩国市、周南市、柳井市、光市、玖珂町、美川町、由宇町、田布施町の飛び地:小行司に隣接。町の中心となる高森地区は、玖珂盆地西部の商業、交通の中心で、国道2号が通じ、岩徳(がんとく)線周防高森駅があります。中世は「椙杜庄(すぎのもりしょう)」といい、近世には山陽道の宿駅として栄えてきました。

「町の木:ヒノキ」「町の花:梅」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により玖珂郡高森村・祖生村(そおそん)・米川村・川越村が発足。

1924年、高森村が町制を施行、玖珂郡高森町となる。

1955年、高森町・祖生村・米川村・川越村が合併、玖珂郡周東町が発足。

2006年、岩国市・玖珂町・由宇町・本郷村・錦町・美川町・美和町と合併、岩国市周東町となりました。

マンホールには町章を中心に、十字の四分割で「町の花:梅」がデザインされています。

昭和36年(1961)11月1日制定の町章は「「シ」を図案化したもの」

自治体名が無い防火水槽のマンホールですが、あまり見かけないタイプです。

周東総合支所の敷地内にあった「周防祖生(すおうそのお)の柱松(はしらまつ)」。牛馬安全の祈願を由来とする「周防祖生の柱松」は、祖生の中村・落合・山田の三地区で古来の習俗のまま継承されています。高さ20メートル前後の胴木の先に、はぎのこ・かんなくずなどを入れた円すい形の鉢をのせ、三方に大縄を張って立て据えます。神事のあと、いくつもの松明がその鉢をめがけて投げあげられ、点火・炎上させ、燃える柱松が夏の夜空を焦がすさまは、息を呑むほど美しく圧巻です。柱松の神事は1989年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。

撮影日:2015年11月18日&2017年11月27日

 

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岩国市内~あちこちウォッチ in 山口県岩国市

2024年07月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

城下町岩国のラストは、市内に残る文化財の建築物をまとめて紹介。(ブログ内の色文字文化遺産オンライン」より引用)。2013年の歩きの立ち寄りは本町筋界隈。生憎の雨ですが、それだけに誰にも邪魔されず城下町の風情をほんの気持ちだけ味わえました。

唐破風屋根の看板は「うまもん」。こちらの別館でとびっきり美味しい上物のお漬物を購入。次に来るときも絶対にって思っていたのに・・私たちの旅に「次も絶対」くらい当てにならない言葉はありません😔

訪問日:2013年4月20日

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「椎尾八幡宮」を後に立ち寄ったのは、岩国市岩国にある市指定文化財「旧岩国学校」。現在は「教育資料館」として活用されています。

岩国藩は明治になり学制の大改革を挙行。条例を制定して、小中学校語学所を設立。教育施設拡充のため、明治3年(1870)に新たに岩国学校を建設。

「木造二階建、2年後に付け足した塔屋付で、屋根は入母屋造り桟瓦葺きの建物で、上層を教員詰所、下層を教室とした2階建。アーチ窓、よろい戸付、しっくい大壁塗りの和洋混淆 の手法は、明治初年の学校建築の中においては特異な建物であったと云う。その後各所の改造などもあったが、昭和46年(1971)に解体修理を行い旧態に復した。」

岩国学校から細い路地を抜けてしばらく行くと武家屋敷を思わせる門構えが見えてきました。

回り込んだ先に「岩国練武場」の門。

「陸軍元帥長谷川好道の邸宅跡に西面して建つ。寄棟造桟瓦葺、桁行24m・梁間10m、妻入で正面中央に唐破風造の玄関を付す。外部は下見板張とし、内部は演技場の東面に師範台、南面に観覧席と支度室を下屋で設ける。地域に根ざした剣道場の一例」として、2012年8月13日、国登録有形文化財に指定されました。

敷地内の一画に建立された「長谷川元帥誕生地」

同じく敷地内に「中村新七先生胸像。ざっと検索してみましたが、どのような来歴の方なのか不明。

そのまま進んで「旧岩国税務署」、現在は「藤本酒造株式会社」の建物になっているようです。

「木造2階建、モルタル塗の庁舎建築。正面中央に玄関を置き、左右の端部を薄く張り出して切妻をみせるルネサンス様式的な建築構成。設計は税務監督局技手田中俊郎と伝える。2000年2月15日、国登録有形文化財に指定。」

いわゆる「美しい疑洋風建築」ではありませんが、所々に見えるモダンさが気持ちをくすぐります。

ラストは、岩国市錦見。岩徳線「JR西岩国駅駅舎」。おや、車体後部に大きなボイラーを積んだあの車は・・・

岩国城ロープウェイ山麓駅に展示されていた木炭車。こちらはまた渋い色合いで、駅舎のオレンジ屋根に良く似合ってます。

懐かしい匂いの改札口、この風景は常に私の中にある郷愁を誘います。

ホームの階段を上がり、跨線橋(こせんきょう)を渡って向かいのホームへ。まるでウン十年前の私の姿が見えるような、そんな甘酸っぱく切ない光景。

「岩徳線開業時に岩国駅として建設。木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺で玄関上部に切妻壁を飾る。外壁はモルタル塗とし、半円アーチ意匠の上下窓を整然と配す。玄関ポーチは3連の弓形アーチと高欄意匠のパラペットで飾る。」西岩国駅舎、上屋付プラットホームは、2006年8月3日、国登録有形文化財に指定されました。

訪問日:2015年11月19日

 

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岩国護国神社 in 山口県岩国市今津町

2024年07月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

岩国市今津町に鎮座される「岩国市民の守り神 岩国護国神社」。御祭神は『維新前後の戦役から先の大戦で殉じられた岩国出身の御英霊三千三十一柱』

由緒「当神社は旧岩国藩主吉川経幹公が維新前後の戦役に斃れられたる二十二名の御霊をお慰めする為明治元年秋関所山に社殿を造営毎年祭典が擧行されたのに起源する。当初は関所山に鎮座され「関所山招魂場」と称した。昭和14年(1939)「岩国護国神社」と改称。戦後GHQの占領統治下に置かれ、社号から護国の文字を外すことを余儀なくされ「岩国神社」と改称。昭和27年(1952)4月28日発効のサンフランシスコ講和条約で日本の主権が回復、岩国護国神社に復称。」

人気のない境内、隣接する白崎八幡宮の華やかさかも、ここには届かないのか、ただ張り詰めたような静謐な空気が流れているだけです。

拝殿前に明治天皇御製【世と共に 語りつたへよ国の為 命をすてし人のいさをを】 

「忠霊塔」昭和14年11月建立

「慰霊碑」同期の友よ 安らかに眠られんことを!
一九九一年六月一日建立
     海軍乙種飛行予科練習生(特)二期会

【くにのため 若きは征きて 帰らねど 銃後の誓い いま何とせむ】
昭和47年11月吉日 岩國護国神社 建立

「拓魂碑」昭和四十五年三月 吉辰

御神馬

「記念植樹 海軍特飛2期会」

境内から見る岩国市内。尊き命の贖いによって得られた平和な日本に生きる私たち・・ただ、ただ、感謝を込めて御霊の安らかならんことを🙏🙏

参拝日:2015年11月19日

 

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白崎八幡宮 in 山口県岩国市今津町

2024年07月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

岩国市今津町に鎮座される「融通の神:白崎八幡宮」。御祭神は『應神天皇・仲哀天皇・神功皇后』配祀『武内宿禰命・埴安姫命・事代主命・素盞嗚尊・菅原道真公・五男神(いつはしらのひこがみ)・大山祗神・金山彦命・少童神(わたつみのかみ)』

由緒「鎌倉中期建長二年(1250)時の領主、清縄左衛門尉源良兼が、遠石八幡宮の御神霊が白鷺と化して室木に垂跡することを知り、氏族の繁栄と領内安民守護の神として、今津琵琶首に創建奉斎したのが始まり。」公式HPより

2015年に初参拝。2017年はj🐣さん希望で二度目の参拝。

明るく開放的な境内、参拝者を出迎えてくれるのは朱の鳥居と朱の欄干。その奥、石段正面に座す社殿。この赤い欄干が無ければ見慣れた拝殿のお姿なのですが、人の視覚というのは得てして不思議な感覚を生み出し、後の記憶の中では「赤い社殿」にすり変えられていました😅。

拝殿奥に架けられた、全国で唯一の「イガムロの木の注連木」。側の案内に「自然の力により出来た注連木は大神様の御神徳が宿ると云われています。」 「イガムロ」は広島県の方言で「ネズ」の事。確かに注連木が奉納されている社殿は、中国地方では初見だと思います。

坂道の参道左右より神域を守護されるのは二対の狛犬さん。大坂型に近い「蔓延元年(1860)」奉納の狛犬さん一対。吽形さんには立派な角が。

「尾道石工・大村喜兵衛」刻、尾道玉乗り狛犬さん一対。大きな玉の割に、前足が妙にか細い。阿形さん、満面の笑み😆

境内入り口より神域を守護されるのは「明治三十三年(1900)」刻の狛犬さん一対。萩型っぽいイメージですがどうでしょうか。おや・・・阿形さん・・・!!立派な男子だったのね😲

狛犬さんの紹介が終わった所で、再び境内に。境内には沢山の摂末舎が鎮座されています。画像左「白崎鎮守社」。御祭神は「創建者:清縄左衛尉源良兼、弘中兼胤、歴代の武将・太宮司の御神霊」。画像右「白蛇社」。御祭神は『白蛇大神』

金銀融通・財運隆昌の「白蛇大神」、こんなイメージかな?(本殿の後ろには他の干支十二支も並んでいます)

画像左「粟嶌神社」。御祭神は『素盞鳴命・少彦名命・大己貴命』。 画像右「猿田彦神社」。御祭神は『猿田彦大神』

画像左「住吉神社」。御祭神は『住吉三神』。 画像右「劔神社」。御祭神は『武甕槌大神』

画像左「稲荷神社」。御祭神は『宇迦之御魂大神』。 画像右「銭亀かえる」。御祭神は『銭亀かえる大明神』

左より「三宝荒神社・恵比須神社・弁天神社・亀石神社」

手水舎

近くに奉納された新しい手水鉢。鉢には米俵に集まるネズミ。吐水の場所にはネズミの天敵「ヘビ」が描かれた自然石。う~~ん、干支と思えば問題ないのだけどシュールだわ😅

向井一路:句碑一杓の釜湯かしこし 寒牡丹 一路】

最後に・・神社庁の傘下から外れた所為で「白崎八幡宮」には神様がいない・・・という噂を聞きました💦  何でそんな話になるんでしょう?。日本古来の神様は、人が作り上げた決まりや規則によって、居たり居なくなったりしません。神とは人の敬いによって存在する大いなる力。神様のいない社・祠とは、誰もがその存在を忘れ果て朽ち果てた時に、はじめて何もない「モノ」になるのだと私は思っています。どれほど派手で有ろうと、商魂たくましかろうと、日々、神への祝詞を上げ、神を敬う参拝者が訪れる限り、神はそこにおわし給うのではないでしょうか。🙏  

参拝日:2015年11月19日&2017年11月27日

 

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椎尾(しいのお)八幡宮 in 山口県岩国市岩国

2024年07月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

岩国市岩国、岩国山の山麓に鎮座される「椎尾(しいのお)八幡宮」。御祭神は『誉田別命(応神天皇)・足仲彦命(仲哀天皇)・息長帯比売命(神功皇后)』。相殿神に『猿田彦神』を祀ります。

「寛永3年(1626)、岩国領2代領主・吉川広正が吉川家歴代の守護神である駿河八幡宮の御分霊を郷内由宇村に奉斎し、同時に岩国山東北(和木町)の猿田彦神の祠を合祀し、号を椎尾八幡宮と称した。以降、吉川歴代領主から厚く崇敬され、さらに岩国藩の鎮護社、当町郷人の産土神として広く崇敬された。」現地由緒より

一の鳥居左右より神域を守護されるのは、昭和三十三年(1955) 尾道新地 大村石材店」建立の狛犬さん一対。新しい時代の奉納ですが、巷にあふれる某国岡崎風機械彫りの狛犬さんでない事が、狛犬ファンには何よりも嬉しい

溜息の出そうな200段近い石段・・・流石に無理と潔く諦めて社殿横に設けられた駐車場へ。こうした配慮は・・正直有難いです🙏

〆鳥居の内左右より神域を守護されるのは寛政9年(1797)丁巳建立の狛犬さん一対。狛犬さんの脚を撫でると足が軽くなるそう、早速、心を込めて「ナデナデ」😊

え~~~っと・・・頭のそれは、やっぱり鉢巻なんでしょうか?でもって紅白で、睨み合って・・「笑うと負けるアレですか??」😲(多分違う)

拝殿前より、いかつい顔つきで参拝者を見守るのは、2003年奉納の「烏天狗」。確かに「猿田彦神」は赤い大天狗の姿で現わされる事が多く、その意味ではカラス天狗が護衛というのは納得(笑)

境内に鎮座される沢山の摂社群「金刀比羅社・惠比寿社」「嚴島社・春日社・祇園社」「天神社」「伊勢宮・荒神社」「和霊社・柿本社・粟島社」

「金刀比羅社・惠比寿社」の社殿縁側より神域を守護される、木製の神殿狛犬さん一対。阿形さんの隣りには恵比寿様もおいでです😊

境内入り口近くに奉納されていた「子宝 安産いぬ」

近くに明治天皇の御製二首【わが国は 神のすゑなり神奉る 昔のてぶり忘るなよゆめ / わが心 及ばぬ国のはてまでも よるひる神はまもりますらむ】と書かれた駒札が有ったので、てっきりこの碑の事かと思っていましたが違っていました😔 結局!解読出来なかった「歌碑」

「右近橘」。もしかして「左近桜」も・・あったの???・・・画像にないという事は気が付かなかったのか、それとも無かったのか。

駐車場から一般道に下りる道。御亭主殿の運転が無ければ、見上げただけで参拝を挫折していたかも・・・いや、多分、絶対、間違いなく無理😓

参拝日:2015年11月19日

 

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吉香公園~碑・像めぐり in 山口県岩国市

2024年07月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

吉香公園・錦帯橋周辺には、実の沢山の顕著碑や文学碑、銅像などが建立されています。実は秘かに「碑&像」ファンの私、今回も実に沢山の「碑&像」を画像に残していました😊 トップは錦帯橋の袂に建立された「皇太子殿下(昭和天皇)行啓記念碑」大正丙寅三月で始まる碑文には、この行啓が岩国城下始まって以来の名誉である旨を「嗚呼巖邑開基三百有餘年斯橋竣成亦二百五十餘年而始印 玉趾」と刻んでいます。

続いて「吉川廣嘉公像」。岩国領3代目領主で、延宝元年(1673)に錦川に錦帯橋を築造した人物です。

「錦帯橋記」碑。弘化2年(1845)、岩国藩士で儒学者「玉乃九華」が撰した文を、明治8年に「桂洲伊藤信平」が篆額・碑文を書き下したもの。

吉川家の祖霊が祀られる「吉香神社」の境内、緑の一画に「田中穂積」氏の胸像と楽譜・歌詞碑。
「安政2年(1855)に吉川藩士:田中判右衛門の次男として誕生。明治6年、志願して海兵隊に入隊し軍楽隊に配属され、明治23年に海軍軍楽師に任命。明治28年、大本営付きとなり、明治天皇の側近として奉仕。明治35年、私立佐世保女学校で音楽を教授し、教材として代表作「美しき天然」を作曲。明治37年、長崎県佐世保市にて心臓麻痺で死去、享年49歳。」碑文より

碑面には一番の歌詞後半が楽譜と共に刻まれています。【聞けや人々面白き この天然の音楽を  調べ自在に弾きたもう  神の御手(おんて)の尊しや】。美しい言葉にピッタリの美しい曲・・・いわゆる文部省唱歌が大好きだった母の影響で、歌詞さえあれば今でも多分歌えます😊

「国木田独歩記念碑」【 岩國の時代を回顧すれば  恍として更らに 夢の心地す  獨歩  】

【 虫に忘れられて 立ちいるひとり 】高橋金窓

岩国ロープウェイ山麓駅の後方に建立された「致遠有坂先生之碑顕彰碑」『有坂長為』は、周防岩国領主:吉川家につかえていた江戸時代後期の砲術家。家伝の砲術に満足せず、長崎で「高島秋帆(しゅうはん)」に高島流砲術を学び、中四国随一の砲術指導者となった人物です。

で、どんなに探しても該当する答えに辿り着けなかったのが、頌徳碑と思われる碑。「致遠有坂先生之碑顕彰碑」と同じ場所に建立されているにも拘わらずそれらしき紹介が無い😔💦

岩国美術館前に建立された銅像は「日本のエジソン」と呼ばれた「藤岡市助博士」像。若き日の彼とエジソンとの交流は、その記録を読むだけで胸が熱くなる内容ですが流石に長くなるので・・東芝の創業者の一人で、白熱電球の製造や電気の普及に貢献した人物です。

白山比咩神社境内の一画に建立されていた、『藤岡市助先生』の立志の碑。「至善:僕は人に役立つことをしたい」と刻まれています。

錦帯橋に向かう途次の「錦帯橋いざない街道」と名付けられた道路沿いに、1997年に錦川鵜飼復活50周年を記念し、岩国鵜飼振興に尽力した玉田空空子と村井一露が詠んだ俳句碑が建立。

【 鵜飼いの宿と いう高張りの 城下町 】玉田空空子
【 荒鵜鳴き 夕月すでに 仰がるる 】村井一露

画像左は、昭和57年の歌会始「橋」のお題で古沢正士氏の詠んだ歌。【 錦帯橋  映ゆ水面(みのも)の かかり火に ほうほうと鵜を 励ます聞こゆ 】
画像右は「岩国鵜飼音頭(作詞・村井一露、作曲・吉田矢健治)

錦川を見渡すように立つ銅像は、岩国市出身の政治家「重宗雄三(しげむね ゆうぞう)」氏。岸信介・佐藤栄作とともに長州の御三家と言われた人物だそうです。岸信介撰の碑文において、山陽新幹線新岩国駅の設置、岩国港の重要港湾指定、国鉄岩日線開通、錦帯橋復旧等々、地元への貢献が記されています。

「久能寅夫先生」胸像。岩国市出身で、舞鶴海軍火薬廠製造部長、東洋曹達徳山工場長などを歴任し、昭和26年に岩国市長、岩国商工会議所会頭等を勤めた人物です。

撮影日:2015年11月19日

 

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吉香公園~其の三 in 山口県岩国市

2024年07月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

錦帯橋の公園側橋詰に、岩国武士の負けず嫌いを表徴する有名な「槍倒(こか)し松」。参勤交代の際に他藩の城下を通る時は、高く掲げた槍を倒すのが礼儀でしたが、大藩が小藩の城下を通る時は、儀礼を守らず槍を立てたまま通過したとか。藩として幕府から認められなかった岩国領六万石の武士達はこれを見て憤慨し、そこでかなり成長した横枝の張った松の木をわざと橋の頭に植え、大藩といえどもどうしても槍を倒さなければ通ることができないようにしたのです。痛快な武士の意地に思わず拍手👏👏

松が武士の意地なら、この桜にはどんな言葉が似合うでしょう?。石段の真ん中から、空に向かって枝を広げる桜の木。幼稚園の卒園式で園児が歌う「こ~んなに大きくな~りました♪」という一節を思わず口ずさんでしまった😅 ちなみにこの桜「岩国市桜開花標準樹」なんだそうです。

吉香公園入り口付近には、お土産を扱う店や軽く食事ができるお店が沢山あるのですが、何といっても私たちの目をひき、足を止めさせたのは「日本一 ソフトクリーム100種類:むさし」さん。 「ナニコレ珍八景」で紹介されたとか👍。

超偏食の私でもソフトクリーム位なら食べられる筈、話のネタに・・とは言え、それほど奇抜なものは食べられませんが「夏ミカン」「ベルギーチョコ」。感想は・・まぁ普通にソフトクリームでした😅

「吉香公園のお堀」。緑を写す水辺の景色は、おおかたにして美しいものです。たとえカメラを向けるのが私のようなド素人でも、それなりに(笑)

お堀でくつろぐカモ達

ふと見上げた山の上の建物は「岩国城ロープウェイ山頂駅」。へぇ~~、こんなにはっきり見える位の距離なんだと再認識。

吉香公園の北端に作庭された池泉式の日本庭園。この画像の左端の三角形の岩。これが芭蕉さんの句碑と判明したのは帰宅後の事・・・【 名月や 池をめくりて よもすから 】😭

水が流れていればもっと風情があるのだけど・・、それとも単に岩の造形?。と、つまらぬところで無知をさらす私😔

公園内を歩いていた時に偶然見つけた「岩国高校記念館」。なのに屋根と背面しか写していません。改めて見返して「何故ここだけ??」😱しかもこれ一枚っきり。

宇野千代さんの言葉「幸福のかけらは幾つでもある ただそれを見つけ出すことが 上手な人と下手な人がいる」

「吉香公園」では無いのですが、錦帯橋を渡った先の某場所にあった宇野千代さんの言葉「希望というものは どんなに小さなものであっても やはり希望である。」

錦帯橋周辺の街灯は、何ともステキな「錦帯橋」

吉香公園の一画で出会ったのは、与えられた生を、けなげに生きていく小さな命たち。手を差し伸べる事が出来ない以上、無事に天寿を全うできるようにと祈る事しかできません🙏

訪問日:2013年4月20日&2015年11月19日

 

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吉香公園~其の二 in 山口県岩国市横山

2024年07月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

何を見ても面白いと感じてしまう私たちにとって、見所盛りだくさんの「吉香公園」。昨日の続きです😊

当ブログの読者様にはお馴染みの「飾瓦」。公園内の建物にも面白い造形を見つけました。まずはオーソドックスに「恵比須・大国様」の一対。

気になったのはこちらの飾り瓦。大杯を持っている人にも見えるし、仙人のようにも見える・・・初見で「山姥」と叫んでしまった私ですが、実は男なのか女なのかも良く分からない・・・未だに良く分からない😓

噴水広場の一角、昭和11年(1936):ベルリンオリンピックの三段跳びで金メダルを獲得した、岩国市の名誉市民『田島直人氏』「立志の碑」「勝利の喜びは、努力の過程にあり、勝利の結果にはない。」と刻まれています。

こちらは、一見何の変哲もなく見える公園の木橋・・・に見えますが、実はあの!「錦帯橋実験橋」

「実験橋について-錦帯橋の橋板と橋板の継目から橋の構造部分への雨水等の漏水を防止するため、橋板の継目の形状と継目を埋めるシーリング材を実験するための木造橋。止水実験は5年間ほど行い、錦帯橋の次架替工事(2022年~2024年度)に反映されます。2013年11月22日から渡り初め式をした後は、公園の施設として渡ることができます。」

モニュメントなのかそれとも水利用の施設なのか?遺跡っぽい造詣が面白くて写したその正体は、たんに「噴水」。石垣の間に作られた切れ目の部分から噴水が出るらしいのですが、三度の訪問(3月&11月)で一度も目にしていません😱

その噴水石垣に設けられていた・・・この扉は何処に続いているのかしら?中には何が隠されているのかしら? 秘密の抜け穴っぽくて、大いに好奇心をそそられます😊

岩国城に至るロープウェイ駅の側にある「岩国美術館」。全国でも例の少ない武具の展示館として知られています。

入り口近くに展示されていた青銅製の狛犬さん一対。おそらくいずれかの神社の拝殿の中、もしくは神門内で神像と一緒に神域を守護されていたのでは?と想像。一方向のみなので、綺麗に写せた画像として、吽形さんは端正な横顔を。

阿形さんの長いたてがみの美しさ、炎のような尾の逞しさ、四肢の関節部の流れる毛先。そして手を置く毬の精巧で見事な事。いや~、惚れ惚れします。

ガラリと趣向を変えて、美術館の横に止められていた「岩国市」の「木炭自動車」。岩国観光課のHPに「正確には、木炭を焚いても走れるガソリン自動車。車体後部に設置してあるボイラーで木炭を燃やし、ガスを発生してエンジンに送り込み、ピストンを動かして走るものです。麻里布モーター株式会社の故:藤村一夫会長が製造され、2005年に岩国市に寄付された」と紹介されています。

思いっきり逆光ですが、車体後部に設置してあるボイラー。

🌸🍀何でもかんでも「面白い!」で詰め込んでしまう私たちの旅の思い出・・もう暫く続きます😅

訪問日:2013年4月20日&2015年11月19日&2017年11月27日

 

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