今年最初の朝を迎えたとき、私は何を思っていたのだろう・・・・記憶には自信があった筈なのに、どうしても思い出せない。
毎年恒例の行事のように迎えたO県在住の兄宅でのお正月。兄夫婦に甥・姪・姪の息子君・・そして私たち。小さい子供がどんどん大きくなって行く事に驚く以外、特に代わり映えもしない、それだからこそ平和で穏やかな一年の始まり。
驚きのニュースを初めて耳にしたのは二月・・中国の武漢を発症としたコロナウイルスの発生・・それによって死亡する有名人。人が病気で死ぬのはある意味仕方の無いことだと思う。けれどその臨終に立会い、死者を悼み声を掛けることも、その手を握り締めて名を呼ぶことも出来ないという信じがたい事実・・これほどの恐怖があるなんて・・
免疫不全の持病を持つ人間にとって罹患は死に繋がる・・私もその一人です。それに対し、マスクに手洗い、密を避けて不用意に出歩かない。そんな事しか予防手段が無いという恐ろしさ。
五月のある日、障害を抱えて実家で一人暮らしをしていた姪が急死。施設の方に見送られ、兄によって母と祖父母の墓に納められました。
それから一週間後、ご亭主殿の様子に異変を感じて病院へ、下された診断は脳梗塞による「高次脳機能障害」記憶障害・失語症と・・かなりの範囲にわたって脳の機能が失われていました。そのまま緊急入院。
何も出来ず、何も考えられず、それでもやらなければならない。考えなければならない。何が出来る。どうすればいい・・面会も制限された中で、ご亭主殿と一緒に生きていく為にはどうすればいいのか、考えて考えて、眠れぬ夜を幾つも過ごし・・そうして回復に僅かでも望みがあるならそれを生きる糧としていこうと決めました。
主治医に直談判をし、一ヶ月ぶりに我が家に帰ってきたご亭主殿は・・・いろんな意味でまるで宇宙人のようで、でも、それでも間違い無く、私の大切なご亭主殿でした。ゆっくりと少しずつ前に進もう。二人一緒に居られるならば、きっと頑張れる。
退院して迎えた翌朝、家族ぐるみで兄弟のように付き合ってきた親友から「昨日、夫が動脈瘤の破裂で死んでしまった」・・と電話がありました。何を言えばよいのか・・言葉が見つけられず、受話器を握り締めて泣く事しかできませんでした。
次から次にと辛いことが続く中で、それでも心温まる出来事も沢山ありました。途方にくれて立ちすくむしかなかった私に手を差し伸べてくれた人・・マンホールカード仲間と言う繋がりでしかない方から届いた「病気平癒のお札・お守り」。そして添えられた言葉の真摯な優しさ・・生きている事の喜びは、こんなにも沢山溢れている・・私はきっと、とても幸せな人間だ・・
暗闇の中を手探りで歩くような日々を迎えて終えて・・そうして一年の締めくくりを迎えました。あと何時間かで2020年が終わり、また新しい一年が始まります。綴ってきた車泊旅の思い出は、今まで以上に大切な二人の記録となりました。
全ての思い出を書き尽くすまでに何年掛かるのか分からないほど、画像はフォルダ一杯に溢れています。キラキラと、どんな宝石よりも光り輝く珠玉の日々。誰の為でもなく自分の為に書き綴ってきた旅の思い出。これから先も書き続けられる事に感謝し、またこんな個人的なブログを見て下さる「方々」に心から感謝いたします。
迎える年が、誰にとっても美しく穏やかな日々でありますように・・・八百万の神々の加護があまねく人々の上に降り注がれますように・・・・・・
2020年12月31日 大晦日