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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 宮城県白石市

2025年02月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・宮城県

白石市(しろいしし)は宮城県の南部、蔵王連峰のふもとに位置する市です。刈田郡七ヶ宿町、蔵王町、柴田郡大河原町、伊具郡丸森町、角田市、さらに県を跨いで福島県:福島市、伊達市、伊達郡国見町、桑折町に隣接。江戸時代に白石城の城下町として繁栄を築き上げた事から、それに伴う名所や旧跡が数多く点在します。「市の木:ブナ」「市の花:ヤマブキ」「市の鳥:ウグイス」を制定。宮城県最大の「七ケ宿ダム」によって生まれた県最大のダム湖「七ケ宿湖(総貯水容量1億900万㎥)」を擁し、釜房ダム(名取川水系碁石川)などと共に東北最大の都市・仙台市の水がめの一つとされています。

キャッチフレーズは「こころ豊かなふるさと白石

明治22年(1889)、町村制の施行により、 刈田郡白石町・大鷹沢村・大平村・越河村・斎川村・白川村・福岡村が発足。

1954年、白石町、大鷹沢村、大平村、越河村、斎川村、白川村、福岡村が合併、白石市が発足。

1957年、刈田郡小原村を編入。

マンホールには市章を中心に「市の花:ヤマブキ」がデザインされています。

昭和29年(1954)10月26日制定の市章は「丸輪の黒釣り鐘の中に白の字が入っています。黒釣り鐘は、白石城主片倉公の軍旗、外円は合併町村が丸く収まるよう、白は白石市を表現しています。」公式HPより

白石市小原字平にある「七ケ宿ダム展望公園」 

「宮城の水を育む  七ケ宿ダム」の碑

ダム造成時に切り出された「材木岩」のモニュメントでしょうか?「七ヶ宿ダム」のすぐ下には、高さ約65m、幅約100mもある国の天然記念物「材木岩」があるそうです。

ダム湖に流れ着いた流木で作られた「カブトムシ」

山形県飯豊町の町章が入った越境仕切弁。

宮城県のブログを代表して、仙台・宮城PRキャラクター『むすび丸』。豊かな食と文化に恵まれた宮城を「おにぎり」で表現。伊達政宗公の兜の飾りもポイントで、趣味は温泉めぐりと昼寝です。

訪問日:2015年6月22日

福島県での旅の寄り道は山形県米沢市、その帰路の車泊地が宮城県七ケ宿町。さらに翌日、福島県へ引き返す途中の道順に白石市があり、路上にはご当地マンホールが。思いがけなくも宮城県の二自治体のマンホールに出会え、とっても得した気分でした😄  😊

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マンホールカード、頂きました。

2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(累計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「白石市」のマンホールカードは、「白石城歴史探訪ミュージアム」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには「白石城」と「山吹」がデザインされています。

「戦乱の世に伊達正宗の懐刀として活躍した片倉小十郎景綱。 その居城であった「白石城」は1995年、白石市の中心部に位置する益岡公園に復元されました。 本デザイン蓋は、その白石城を描いたもので、両脇には市の花「山吹」の葉と花があしらわれています。 また、山吹の背景にある曲線は清流をイメージし、「流れる水が滞ることなく綺麗な水となり循環される」ことを願って図案化されました。 白石市を流れる沢端川は、近年の下水道整備と市民の協力によって清流が維持され、鯉などの命を育んでいるほか、初夏には水中で花をつける梅花藻(ばいかも)が開花し、人々の目を和ませています。」

コメント (2)
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ご当地マンホール in 宮城県七ヶ宿町

2025年02月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・宮城県

刈田(かった)郡七ヶ宿町(しちかしゅくまち)は宮城県の南西端、蔵王連峰の南に位置する町です。白石市、刈田郡蔵王町に、また県を跨いで山形県:上山市、東置賜郡高畠町、福島県:福島市に隣接。町名の由来は羽州街道と奥州街道とを結ぶ街道「山中通小坂越」沿いの仙台藩・陸奥国領内に七つの宿場(上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原)が置かれたことに由来。

町域は七ヶ宿ダムの堤体の上流側(西側)に広がっており、国道113号沿いの白石川の河岸段丘上、および県道51号南蔵王七ヶ宿線沿いに主な集落があり、可住地面積は総面積の11.7%で、宮城県内最小人口の自治体です。「町の木:こぶし」「町の花:乙女ゆり」「町の鳥:山鳩」を制定。

キャッチフレーズは「1年中が旬の真ん中」

明治22年(1889)、町村制の施行により、関村、渡瀬村、滑津村、湯原村が合併して苅田郡七ヶ宿村が発足。

1957年、七ヶ宿村が町制を施行、苅田郡七ヶ宿町となる。

マンホールには町章を中心に「町の花:乙女ゆり」が全体にデザインされています。

昭和41年(1966)9月制定の町章は「町名の「七」の字を、平和の使徒・ハトをもって図案化したもの」公式HPより

水源の町七ヶ宿の観光PR キャラクター『源流ポッチョン』。七ヶ宿を流れる白石川の上流「鏡清水」の清らかな水から誕生した妖精です。ポッチョンが付けている花は、七ヶ宿町の町花「乙女ゆり」。春には水芭蕉、秋は稲穂と季節により変わります。

七ヶ宿町の一大イベントである「わらじで歩こう七ヶ宿」開催年に誕生した、股旅姿がトレードマークの『ゆり太郎』。七ヶ宿町の観光ガイドや観光PR活動を行っています。道の駅記念スタンプの「七ヶ宿ダムは、7市10町へ水道用水を供給しています」。水だけでなく、生活に欠かせない大切な存在であるダムに感謝を込めて。

遠方に出かけたら何処か一カ所、隣県に足を踏み入れよう。そんな決め事で立ち寄った山形市からの帰路、一晩の車泊をさせて頂くために立ち寄った道の駅が、何と宮城県の七ケ宿町。宮城県・・思いがけない地に立ち寄れたことにビックリの二人でした。生憎の遅い時間と雨の中でしたが、お陰様で疲れた手足をゆっくり伸ばす事ができました事、心から感謝いたします🙏🙏

撮影日:2015年6月22日

コメント (2)
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大内宿 in 福島県下郷町

2025年01月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・宮城県

昭和56年(1981)に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定され、年間80万人を超える観光客が訪れるという県内有数の観光地「大内宿」

真っ直ぐに伸びる街道沿いの両側に並ぶ茅葺屋根の家々。まるで時代劇の中の世界が、当たり前のように目の前に展開される事に感動を通り越して驚きさえ覚えます。

叶屋分家・美濃屋と並ぶ茅葺屋根の民家。道の左右には綺麗な水路が流れ、家々の前は小さな川端が作られ、天然の冷蔵庫代わりに使用されたり、時には贅沢な打ち水となったり。

立ち並ぶ茅葺屋根の下では、それぞれが思い思いに商いをされており、一つ一つ見て歩くのも旅の楽しみ。大好き義姉へのお土産はここに決めた😉。

時に、「何もない田舎の宿場の風情が無くなって興覚め」と嘆く声を聞きますが、それは絶対に間違っていると・・私などは思います。

茅葺屋根の維持は一般的な家を維持するのとは桁違いに大変です。屋根一つとっても瓦を取り返ればそれで事が済むわけではありません。ましてこれだけの景観を維持するには、宿場の方全員が心を一つにしなければ成らないのです。

大内宿は人が来るだけで収入になるテーマ―パークではありません。どのお宅にも普通に生活があり、それゆえに景観を失わないように住民憲章を作り、「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を守りながら、店舗兼住居として生活し、この景観を維持しているのです。

誰かが利便性を求めて現代風の家に変えてしまえば、その瞬間にこの景観は失われてしまいます。だから私にできるささやかなお返しは、この宿場でお食事をし、この宿場でお土産を買いもとめ・・ささやかな経済活動に貢献する事😄

手始めは「金太郎そば:山本屋さん」で、普通のみたらし団子の五倍はありそうな「じゅうねん味噌の焼き団子」。(ブログ掲載許可は頂きました)

でもねぇ、何が悔しいって・・・・一つ食べて満足してしまう私の胃袋😣 残り二個はご亭主殿が美味しく召し上がってくれました😩。

立派な木製鳥居は、大内宿:鎮守の一の鳥居

何は置いても参拝しなくてはという事で、宿場に入る前に参拝を済ませてきましたが、ここは改めて鳥居前から拝礼。

茅葺き屋根の軒先にずらりと並んだ竹・藁の筒は「マメコバチの巣」。北会津りんご研究会の案内によれば「マメコバチはミツバチよりも小さく、ミツバチの82倍の働きもの、大内宿は数少ないマメコバチの生息地」だそうです。

気が付けば随分と沢山の人たちが賑やかに行き交い始めました。きっと修学旅行の学生さんたちだろうな。それぞれの大切な人へのお土産選びに余念がなく、それが何とも微笑ましい😉

今日のお昼は、お友達が教えてくれた大内宿名物「ねぎそば」。暖簾の絵でわかるように、お箸でなく「ネギでおそばを食べる」のですが、添えられたねぎはかじれば薬味にもなるという・・何という一石二鳥😅

と言う事で「三澤屋さん」。蕎麦好きの御亭主殿は噂の「ねぎ蕎麦」を。ねぎは薬味もダメと言う超偏食家の私は、普通の温かいお蕎麦😃・・食べ終わってお店を出て気が付いた事・・店内写真も、人生初の珍しい「ねぎ蕎麦」も撮り忘れてる・・・😱

行ったり来たりを繰り返し名残惜しく宿場を後にする私たち。見知らぬ方に頼まれてシャッターを押せば、お返しにと記念の一枚。旅は何時だって、私の知らない世界を飛びっきりの笑顔で見せてくれる。ねぇ・・今度は何処に行こうか?

訪問日:2015年7月3日

コメント (4)
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