車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

日御碕灯台 in 島根県出雲市大社町

2018年05月31日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

出雲市大社町日御碕、「日御碕神社」から少し先へと進むと日本海に臨む日御碕の突端に出ます。 一帯は「大山隠岐国立公園」の一角を成しており、晴れた日には遠く隠岐諸島までも臨む事ができるといいます。

青い海と流紋岩の造形美が織りなす島根半島。その最西端、柱状節理石英角斑岩の基盤の上に建つ『出雲日御碕灯台』

「公益社団法人燈光会」はこの灯台を、日本一の灯塔の高さをもつ石造灯台として紹介しています。

日御碕灯台が着工されたのは明治33年(1900)。三年の歳月を要し 明治36(1903)4月1日に初点灯されました。高さ43.65m、海面から灯塔の頭上まで63.30m。設計・施工ともに日本人が手がけ、外観には松江市美保関町から切り出された硬質の石材を使用。

荒れ狂う日本海を、おだやかにさざめく海上を、一日も休むことなく照らし続け、人々の航海の安全を守り続けた美しい白亜の灯台。110年の歳月を経てなお、今も変わらない美しさで海を往く人々を守り続けています。

日御碕灯台に使用されたレンズは、全国に5箇所しかない最大の第1等レンズ。その光は夜間約40kmの沖合まで達するとか。 資料展示室には、実際に神戸で使用されていた第五等フレネルレンズが、日御碕灯台の諸々の資料や内部模型と共に展示されています。

そういえばここでとても面白い資料を発見。「埼・・・草木が生えない荒れ地が海につきだしている場所。 岬・・・陸地が海につきだしいる場所。 崎・・・山の様子が険しい場所。」だそうです。

日本の灯台50選にも選ばれた美しい灯台。その歴史や文化的な価値の高さから、1998年に「世界の歴史的灯台百選」に。また私たちが訪問した翌年2012年には「国の登録有形文化財」に選定されました。

一般的に灯台と言うと、外から眺めるか、もしくは離れた場所から見るものですが、ここはちょっと違います。 何と!有料(大人200円)で一般公開されている参観灯台。一番上まで登って眼下に日本海を一望できるのです。
ただし階段は狭く急で、特に最上階への18段は勾配が極めてきつい梯子状の階段。 それでなくても平坦でない道を一人で歩くのは危険だと言われ続けている身なので見学は無理。もともと異常と言っても良いほどの高所恐怖症の私には、やっぱり灯台は外から見る方が美しい(〃∇〃) ・・と言ってる私の側で、首が痛くなる程、塔頂を見上げているご亭主殿。登りたかったら私に遠慮なんて全く無用なのにね(笑)

灯台の周囲には海食によって形成された流紋岩の「段丘崖(だんきゅうがい)」が広がり、それはそれは素晴らしい景色だそうです。傍らには「日御碕の地形」の説明ボードも設置されています。

数万年前、海面はこの位置まであり、繰り返される波浪の浸食作用がこの地形を作り上げました。数万年と文字にしてしまえば軽すぎる時間ですが、それだけにその長さの実感が伴いません。そして・・・何度でも繰り返しますが、高い所に立って下を見るなどと・・そんな恐ろしい事 (((((^_^;)

随分とありったけの勇気と根性を総動員して・・これが精一杯。

青空の中にすっくと立つ白亜の灯台。最後にもう一度灯台を背景に記念の写真を残し、私たちはこの美しい日御碕の地を後にしました。

訪問日:2011年5月17日

 

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日御碕・経島(ふみしま)in 島根県出雲市大社町

2018年05月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

日御碕の西方約100m沖、日本海上に面積約3000平方mの無人島「経島(ふみしま)」があります。 一千年以上昔、ここには「日御碕神社・下の宮」があり、『天照大神』が鎮座されていました。
そうして今もこの島は「日御碕神社」の神域とされ、一般の人は立ち入る事が禁じられています。

人の立ち入りは禁じられていますが、島には沢山のウミネコが巣作りに精を出しています。 鳥居も祠もお構いなしのウミネコたち(笑)。耳を澄まさなくても賑やかな鳴き声が聞こえてきます。

実はこの島、大正11年(1922)3月8日に「経島ウミネコ繁殖地」として国天然記念物に指定されているのです。毎年11月下旬から冬にかけて、約5000羽ものウミネコが、北の海からこの島に飛来。 そうして営巣・産卵・孵化を経、ひなの成長をまって7月頃に島を飛び立っていきます。
ゆったりと海上に浮かぶウミネコたちを見ていると、そこだけ時間の流れがゆっくりになるような・・ちょっと不思議な感覚。

時折、海上の一点をめがけて飛んでゆくのは、餌となる小魚でも発見したのでしょうか? 私たちが訪問したのは5月中旬と4月下旬、巣の中には卵や小さな雛がいたのかも。

一年に一度、神職のみが上陸を許される神の島ですが、二度目の訪問で私たちは目撃しました! 白い衣装だったので一瞬、神職の方かと思いましたが、時間的にも日付的にも絶対に違う。

最初は一人に見えたのですが、よく見ると人影は数人。全員白い防護服のようなものを着用。 これはきっと「ウミネコ」の調査だよ・・・うん、多分ね・・と何故か小声になる二人(笑)
後で調べたら、市の文化課が毎年4月20日前後に産卵状況を調査していると言う事で、納得。

調査の人たちの間近に平然と羽を休めるウミネコたちを見ていると、何だか心がふんわり。ここは神が鎮まられた社が残る神域、国の天然記念物に指定されたウミネコたちの島「経島」

「経(ふみ)島」の由来は、柱状節理の石英角斑岩で構成された島の形状が、「経典」を積み重ねたように見える為とか。そう言われて改めて見直しても、どの辺が経典を積み重ねた場所なのかよく分かりません。きっと島の裏側あたりだろうと、よく分からない理由を勝手に想像して納得する二人 (^^;)

さて・・・いつまでもウミネコを眺めていたい気もするけれど、時間はゆっくり進むわけではありません。そろそろ区切りを付けなくては・・・お別れの挨拶代わりに「ニャー~」、ふざけて真似たウミネコの泣き声に、何を勘違いしたのか一羽のウミネコが近寄って「ニャ~」。御亭主殿、大うけ(ノ∇≦、)ノ彡☆ !!

穏やかな日御碕漁港の景色・・・何度見ても懐かしい。

訪問日:2011年5月17日&2015年4月21日

 

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日御碕神社~其の三 in 島根県出雲市大社町

2018年05月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

日御碕へ続くドライブウェイの途中、緑の山あいから「日御碕神社」を俯瞰できる場所があります。向こうに見えるのは日本海の海の青、濃い松林の緑の中に、桧皮葺の茶色と鮮やかな朱の神殿。 手前に見える工事中の無粋な灰色はこの際無視で(笑)

2011年、駐車場から見る重要文化財指定の回廊を背景に、ご亭主殿ポーズ(笑)

花崗岩製の鳥居を入った所に「和布刈(めかり)神事」を表した木彫のレリーフ。説明板には【ウミネコが口にくわえたワカメを日御碕神社の欄干に落としたという故事にちなみ、毎年1月5日に宇龍(うりゅう)の権現島で、『和布刈神事』が行われています。】とあります。

「神の宮」参拝の後、山側を奥に進むと、石段を挟むように稲荷社の朱の鳥居が見えてきます。 石段を登りきった先にささやかなお社が奉られ、二対の神狐さんが神域を守護されています。

社の側近く、来待石で作られたと思われる神狐さん一対。稲荷の狐を怖そうという人もいますが、本当は「稲荷の狐」はとても優しいのです。

朱の面影が僅かに残る重文指定、檜皮葺の「宝庫」。収められているのは神社の歴史でしょうか。

「宝庫」の右手に並ぶ摂社には「大山祇社・日和碕社・八幡社」など、十九社が祀られています。

「神の宮」のある高台から石段を降りて、「日沈の宮」の社殿近くまで来ました。御製碑の後方に奉られるのは「蛭児(ひるこ)社」。伊邪那岐:伊邪那美二神の最初の御子神を奉ります。

2015年は生憎の工事中でしたが、禊所の脇から楼門に続く回廊を抜けて、外に出られます。 それほど距離はありませんが、朱塗りの回廊に立っていると、気持ちまでが朱に染まりそうで、とても不思議な感覚に襲われます。

海岸へと続く道の途中に祀られる境外摂社「宗像神社」。『宗像三女神』を御祭神とします。 全ての「道」の神とされる『宗像三女神』、この海辺においては航海の神でもあったのでしょう。

ニャー・・ニャー・・と、海側に立つ鳥居の向こうからしきりと聞こえてくる不思議な鳴き声。 和名の「うみねこ」とは、その鳴き声がまるで猫のようだからとか・・よくも名づけたものです。
さぁ、それでは『天照大神』が最初に祀られたという神の島、ウミネコたちの聖地「経島」のビューポイント「日御碕漁港」へ!

参拝日:2011年5月17日&2015年4月21日

 

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日御碕神社~其の二「神の宮」in 島根県出雲市大社町

2018年05月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

昨日に続いての「日御碕神社」。こけら葺に鮮やかな朱色が映える楼門は、2011年参拝時のもの。

楼門をくぐってすぐの両側に鎮座するのは「門客人社(かどまろうどしゃ)」。 画像は上の宮回廊の側にある「門客人社」で『櫛磐窗神(くしいわまどのかみ)』を祭神とします。

境内の右手にある石段、その先の小高い場所に鎮座される「神の宮」。御祭神は『素盞嗚尊』

「上の本社」とも称され、昨日紹介した「下の宮」とを総称し「日御碕大神宮」とされました。

御由緒には【出雲の国造りを終えた『素盞嗚尊』が、「根の国(黄泉国)」より、「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞いこの神社背後の「隠ヶ丘」に止まった。『安寧天皇】13年(紀元前536年)に『素盞嗚尊』の五世の孫、『天葺根命(あめのふきねのみこと)』が勅命により、この地に奉斎したと伝える。】

小さいですが拝殿内側の神社幕に、白く染め抜かれた「日御碕神社」の御神紋「柏」。『素盞嗚尊』は自ら留まる地を求めて柏の葉を投げたと云われ、それが御神紋の由来と言われます。

拝殿の貫に施された阿吽の獏は、その色合いの所為もありますが、やはりユーモラス。 長い鼻をまっすぐに伸ばし、その細い目は何もかも見通して笑っているようで癒されます(笑)。

「日御碕神社の「お砂」は古来、出雲屋敷と申す地鎮祭の鎮めものとして用い、神社敷地と同じ清らかな屋敷になるようお清めとして使う「お砂」でありますが、昭和40年に群馬県の堀田靖二氏が新店舗の地鎮祭の為「お砂」を敷き、たまたま交通事故で医師から見放された友人に塗りつけたところ一命を取り留め、しかも前回従前どうりの運転手の仕事が出来るようになり、その他交通安全、車酔い止め、悪霊退散等不思議な奇跡体験者が多数となり関東を中心に御神砂報賽会が結成され昭和49年日御碕神社境内に「御神砂の碑」が建立されました。」碑文

「御神砂の碑」の近くに祀られる「神紋石舎」。宮の中に鎮座しているのは『素戔嗚尊』の御神陵地とされる隠ケ丘付近から出土された神紋石。

柏の葉を印した「神紋石」

『素戔嗚尊』と言えば「八岐大蛇」退治。絵馬には「八岐大蛇」に向かって剣を振りかざす凛々しい『素戔嗚尊』が描かれています。

余談ですが、島根県内でも特に出雲・石見地方は「八岐大蛇」を題材とした神楽がとても有名。 以前紹介した大田市にある「伝統芸能伝承館」の玄関横には、八岐大蛇退治のブロンズ像があります。

余談はさておき(^^;)、境内のほとんどの建物が重要文化財の指定を受けている「日御碕神社」。 明日は、それぞれの社殿近くに鎮座される境内社などを紹介します。

参拝日:2011年5月17日&2015年4月21日

 

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日御碕神社~其の一「日沉宮」in 島根県出雲市大社町

2018年05月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

島根半島の西端、出雲市大社町日御碕に鎮座される「式内社:日御碕神社」「下の宮(日沉宮)」に『天照大御神』。「上の宮(神の宮)」に『神素盞嗚尊』を祀ります。

旧社格は国幣小社。延喜式に「御崎社」、出雲国風土記に「美佐伎社」と記される古社。通称「みさきさん」と親しまれ、また出雲大社の「祖神(おやがみ)様」として崇敬を集めます。

鳥居を潜りほんの少し歩いて参道正面、常緑の松を背景に朱塗りの楼門。

こちは2015年の参拝時のものですが、丁度そのときに回廊が工事中で、些か無粋な感じは否めません。

楼門の内側より神域を守護される、木製の神殿狛犬さん一対。足場の加減で正面からの画像のみ。

楼門蟇股には松竹梅や花鳥図の彫刻が施されており、見応え充分なのですが、私の一押しはこの「竹」。右隅に筍を見つけた時は思わず二度見して、速攻でご亭主殿を呼んで、二人で大笑い(笑)こういう遊び心、本当に好きです。

楼門を潜った先、正面に下の宮と呼ばれる「日沉宮(ひしずみのみや)」の拝殿。 御由緒に「下の本社:日沈の宮」は天暦2年(948)、村上天皇の勅命により祀られた。」

拝殿貫の彫刻、阿吽の獅子はなんともユーモラスで・・・。 おそらく体全体に刻まれている渦巻紋と、彩色された色合いと、体に反して小さ過ぎる顔の所為。

「上の宮」から拝観させて頂いた「日沈の宮」の拝殿・本殿。このように拝殿と本殿が続く姿を権現造りと言い、静岡県の「久能山東照宮」が発祥とされます。出雲観光協会公式HPには
【現在の建物は江戸幕府3代将軍『徳川家光』の命により、松江藩主『京極忠高』が、寛永11年(1634)に着手し、1644年に『松平直政』が完成させました。丹塗(にぬ)りされた社殿は桃山時代の面影を伝えています】

「下の社」「日沈の宮」・・・どちらも同じですが、私は「日沈の宮」という言葉に心惹かれます。【伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん】 

神代以来、現在地に程近い清江の浜の「経島」に奉祭され、鎮座されていた「日沈の宮」。 かって神が鎮まっておられた経島は今も神域として立ち入りが禁じられ、宮司だけが年に一度の上陸を許されるのです。

今はウミネコの聖地となった「経島」。約一千年前の村上天皇の天暦二年に、勅命によって現社地の朱塗りの美しい本殿へと遷座された『天照大御神』。ご本殿の壮麗な佇まいは、高天原の主神にふさわしい美しさ。

境内に戻って、「日沈の宮」拝殿の右。白砂の中に建立されているのは「昭和天皇御製の碑」。 傍らには説明版があり、碑が建立されている場所まで行けるようです。

昭和57年の「くにびき国体」に行幸のみぎり、日御碕神社にご親拝された際に賜った御歌。

【 秋の果の 碕の浜のみやしろに をろがみ祈る 世のたひらぎを 】

国家と民の安寧を願い、真摯に祈り続けられた昭和天皇のお姿。今更に偲ばれてなりません。

参拝日:2011年5月17日&2015年4月21日

 

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大社町界隈~ぶらっと散策 in 島根県出雲市大社町

2018年05月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

出雲大社への玄関口となる二つの駅舎を紹介しましたが、神門通りにはまだまだユニークな見所が一杯。車での参拝では、鉄道の駅舎より道の駅が拠点。出雲市大社町修理免、屋根にそびえる「吉兆の扇と鉾」がいかにもな感じの「道の駅:大社ご縁広場」

御縁広場の一画には、『出雲国風土記』に載る国引きの図柄をモチーフにした巨大な彫刻レリーフがあります。海の彼方から島根半島の山々を引き寄せる「国引きの図」、引き込まれそうな迫力です。

古代神話の世界、神が最初に造った出雲の国はとても小さく、まるで細長い布のようでした。そこで「八束水臣津野命(やつかみずおみつのみこと)」はどこかに余った土地は無いかと探し、そうして見つけた土地に楔を打ち、紐で結わえ、「国来、国来」と声をかけ引っ張りました。

こちらは「宇迦橋」の近くで見かけた「国引きの図」。引き寄せる島々よりも、「八束水臣津野命」のほうが大きいというのも、日本神話なら(⌒∇⌒)

出雲と言えば「出雲そば」。2011年の大社参拝では、神門通りの「手打ち出雲そば えにし」さんでお昼をいただきました。 国産玄そばを使った「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」の手打ち蕎麦は、とても美味!それでなくても蕎麦が大好物のご亭主殿、横から見ると食べ過ぎたのが如実にばれてます(笑)

2013年は、大遷宮に合わせて整備されたご縁横丁の「そば庄・たまき」さんでお昼を頂きました。薬味にも好き嫌いのある私、最初から薬味を乗せて出汁をかけた状態で出されるとは予想外・・目新しさで選んではいけないという教訓。

蕎麦も有名ですが、出雲は「ぜんざいの発祥地」と言われています。旧暦10月、全国から神々が集まる「神在祭」。その神事の折に「神在(じんざい)餅」が振る舞われます。「神在(じんざい)」が出雲弁で訛って「ずんざい」~「ぜんざい」となって京都に伝わったそうです(^^;)

神門通りからかなり離れますが、島根県の特産品であるぶどうを使ったワイン工房「島根ワイナリー」。 その誕生は昭和30年代、山陰の地域特性でもある長雨で痛んでしまう果実対策の為。ワインにすれば商品として成り立つと考えたのがきっかけだったとか。アルコールは飲めない私ですが、試飲で頂いた葡萄ジュースは絶品。御亭主殿のワインと一緒にお買い上げ。

ラストは出雲市浜町にある「出雲文化伝承館」。出雲平野の大地主であった江角(えずみ)家の長屋門や庭園等を移築した施設との事ですが時間切れで外観だけ(^^;) まぁ・・・よくある事です。

で、この敷地の一隅に「浜山湧水群」があり、八俣大蛇が美味しい水を吐いてくれます(笑)車中泊のお供に美味しい水は欠かせません(^▽^)/

訪問日:2011年5月17日&2013年5月21日

 

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出雲大社前駅 in 島根県出雲市大社町

2018年05月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

昨日の「 旧・JR大社駅舎」に続いて、今日は神門通りにある出雲大社の最寄駅、一畑電車大社線「出雲大社前駅」の紹介。こちらの駅舎は国登録有形文化財の指定。

ここには2011年と2013年に訪ねていますが、同じ5月の空の下なのに随分と違って見えます。 クイズの間違い探しみたいですが(笑)まずは正面のポスター部分がガラス窓になっていること。 外観は濃いベージュの壁ですが、上は何となく薄汚れて見えるけど、下はこざっぱりとしている・・ここは出雲大社の最寄駅、大社大遷宮に合わせて、外壁塗装などの駅舎改装が行われたようです。

建物の内側には、特に顕著な違いは見当たらなかったと思うのですが、何しろ随分前のこと。 もしも違っていたとしても、画像で特別に残していない限り、すでに忘却のかなた(^^;)

昨日の和風駅舎の「大社駅」と違って、「出雲大社前駅」は西洋風建築。高い天井と言うのは共通ですが、駅舎内の壁上部にはめ込まれた窓は、色鮮やかなステンドグラス。

可愛い声に誘われて見上げた先に、燕が二羽・・・巣作りの出来る場所を探しているのでしょうか? とはいえ、人の出入りが多い駅舎、巣を作られては困る人も多いのではと、ついつい余計な心配を。

入り口を入って真っ先に目に付く設備は、観光案内所らしいのですが窓口が見当たりません。単なる飾り的な位置づけなのか?とりあえず、パンフレット類や記念スタンプなどが置かれています。

出雲大社駅は「D51」でしたが、ここでは構内の一角に「デハニ50形電車」が展示され、自由に見学が出来ます。2011年には無かったので、「大社大遷宮」にあわせて設けられたようです。

日本最古級の電車、映画【RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語】にも登場しました。

「一畑電車の運転士になる」。子供のころの夢を叶えるために会社を退職し、故郷に帰った主人公。優しい時間の経過と美しく懐かしい風景がとても好きで、ビデオで何度も見たものです。

電車の色は違うけれど、こんなシーン・・・確かにあったよね。

訪問日:2011年5月17日&2013年5月21日

 

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旧・JR大社駅舎 in 島根県出雲市大社町

2018年05月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

出雲市大社町北荒木に残る「旧・大社駅舎」。出雲大社を模した黒い屋根瓦に漆喰の白壁という純和風の優美な駅舎は、2代目の駅舎として大正13年(1924)2月28日に竣工。2004年に国重要文化財に、2009年には「近代化産業遺産」に指定されています。

明治45年6月に開業して以来、1990年の廃駅まで出雲大社の表玄関口として親しまれてきた駅舎。 大正13年の改築に際しては、出雲大社の玄関口らしく全国でも珍しい神社様式が取り入れられました。

駅舎内に入って正面が三等待合室。右手奥には一・二等車の乗客の待合室と小荷物扱室があります。

駅舎内の天井は高く、鏝絵が施された中心飾りと灯篭型の和風シャンデリアに、まず目を奪われます。 当時としては非常に高価であったと思われるシャンデリア、玄関を含めて30個ほどが設置されていました。

柱のない広々とした空間のホーム側中央に据えられた木製の出札室は観光案内書を兼ねており、駅舎のシンボル的存在。シャンデリアに照らされた出札窓口には大社を模した屋根がデザインされており、それだけでも一見の価値あり。

出札室の横を通りホームへ

ホーム側には精算用の窓口があり、ここで乗り越しの手続きなどをします。

今は私たちしかいないプラットホームも、かっては電車を待つ人であふれ返っていた事でしょう。 そうして東京・名古屋・大阪と・・・・切符の文字を見ながら、参拝の思い出に浸るのです。

使われなくなった事を教える夏草の緑に彩られた線路を横切り、向かい側のホームに立ちました。島式2・3番線から見る景色が発なのか着なのか、着であれば降り立つ人の顔はきっと上気して・・ 

発であれば、やがて乗り込む電車が来るまで、何度も何度も1番線のホームに名残を惜しむのです。

二面三線の長いホームを持つ大社駅。その三本目の線路に「D51774号」が静態保存されています。 

線路をふさぐ夏草が無ければ、今にも黒い煙を吐いて動き出しそうな・・そんな錯覚を覚えさせる光景。

車両は大社線廃止時にJR西日本から無償貸与され、出雲大社神苑内に展示されていましたが、2001年に行われた旧JR大社駅整備事業の一環として、出雲大社神苑内から構内に移設。

「D51」に乗って旅をする・・・実はとっても憧れています。実際にそれが可能な土地にも行きましたが、結局、無理な理由があれこれ出てきて叶わず仕舞い。まぁ・・こんな記念写真で満足できるのですから、きっとその程度の憧れと言う事かもしれません。

大社駅のホーム間の移動は線路を横切るのですが、ホームから通路に下りる階段を塞ぐ鉄板にウサギを発見! もちろん本物ではなく、鉄板に刻まれた蒲の穂と兎の絵なのですが、いかにも出雲らしいステキな遊び心。・・でも踏めない・・(^^;)

ウサギと言うとなぜか条件反射のように浮かぶ「亀」、さすがに亀の絵の鉄板はありません(笑) でも特製の瓦を使用した駅舎の屋根。下り棟の先端に、実は6匹の亀が乗っかっているのです。亀は水の中の生き物、火災除けのまじないとして使われるもので、ここではイソップ寓話は無関係(^^;)

振り返り・・・振り返り、名残を惜しみながら私たちはこの美しい「大社駅」を後にします。 後で知ったのですが、重文指定の駅舎は全国に3駅しかなく、後の2駅は東京駅と門司港駅。2017年、門司港駅を見たくて北九州市に行ったのですが、無情にも改装中の最中でした(-_-;)

訪問日:2011年5月17日

 

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北島国造館(きたじまくにつくりかん) in 島根県出雲市大社町

2018年05月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

真名井通りのすぐ左手、出雲市大社町杵築東に鎮座される「北島国造館(きたじまくにつくりかん)」。主祭神は『大国主大神』。注連縄は出雲大社と左綯い。

別天津神(ことあまつかみ)・天照皇大神・産土大神・天穂日命』を併神とします。

【北島国造館」は明治15年(1882)に当時の出雲大社少宮司であった第76代出雲国造『北島脩孝』が内務省の承認を経て創設した神道教団です。出雲大社に祀られている『大国主大神』の神意、信徳を教化する神社神道です。】案内より

北島国造家の正門に当たる桧皮葺の四脚門は、神域内最古の建造物で島根県指定文化財。私たちはこちらの門から参拝をさせて頂きました。

四脚門からだとすぐ近く。正門からだと境内の祭奥に「心字池」と、「熊野川(よしのがわ)」上流から引かれた「亀の尾の滝」

滝の前に鎮座されるのは、『少名毘古那神(すくなひこなかみ)』が祀られる「天神社」。 『少名毘古那神』は農業の神、さらに医薬・温泉・酒造の守護神として知られます。

池の向こう側には、亀に乗って荒波を行く「少名毘古那神像」。傍らの説明には、身体健康の神、出逢いの神と書かれています。

境内の一段高くに鎮座される「御三社」。「天穂日命社・荒神社・稲荷社」を祀ります。

「御三社」の左右より神域を守護されるのは、端正な顔立ちの出雲構えの狛犬さん一対。とは言え、吽形さんは苔の所為で表情が今ひとつ伝わりにくい・・

折角の良い狛犬さん、角度を変えて・・ああ、やっぱり良いお顔です。

御三社:稲荷社を守護されるのは非常に端正な顔立ちの神狐さん一対。これほどの美形さん、昨日今日奉納された機械彫りの神狐さんには、絶対に見られません。

社殿玉垣の周囲に奉納された神狐さん

境内社「天満宮」。御祭神は「出雲国造」に縁が深いとされる『菅原道真公・野見宿禰』

来待石で作られた奉納灯篭。拝殿屋根を模した笠には龍に獅子の彫刻。 いくら細工がしやすい来待石とはいえ、これだけ複雑で繊細な構図を一個の石で彫り上げる・・その技量にひたすら感動。

笠の上にべったりと身を伏せる阿吽の獅子。姿も形も一人前以上に迫力がある筈なのですが、何しろお小さいので(^^) 可愛いという感情が先に立ってしまう。

境内はひっそりと静かで、私たちの他に参拝者の姿はありません。初夏の日差しと神域の澄み切った空気を独り占めしているような、贅沢な時間が流れてゆきます。

参拝日:2011年5月17日&2013年5月21日&2015年4月21日

 

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出雲大社(いずもおおやしろ)~其の四 in 島根県出雲市大社町

2018年05月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

国宝の本殿を中心として、重要文化財、登録有形文化財の建物が目白押しの出雲大社。続いては本殿の北西方にある宝物館「彰古館」。大正3年の建造で国登録有形文化財。

入り口で出迎えてくれるのは『野見宿禰命(のみのすくねのみこと)』。怪力の持ち主で「相撲の神様」とも云われています。出雲国造の祖先神『天穂日命(あめのほひのみこと)』の、14代後の子孫だそうです。

「彰古館」には出雲国造家に伝わる様々な資料が展示され、特にご祭神と呼び名を同じにするという理由から、大黒様関連が充実しています。その中から特に選りすぐりを数点。まずは江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人『左甚五郎』「恵比寿・大黒」。その箱書きがあるだけで「すごく」見えるから単純(笑)

で・・大正甚五郎?。さらに昭和甚五郎??。疑問は調べなければ!と言う事で「大正時代に、当代の左甚五郎とも言われた長谷川喜十郎氏」。でも昭和の甚五郎さんは、結局解明できませんでした(-"-)

こちらも超がつくほど有名な『一休禅師』作の「大黒天」。

続いて、越前国大野の人で、大野出目家初代となった『出目是閑吉満(でめぜかんよしみつ)』。豊臣秀吉から天下一の称号を許された能面作者です。
並んだ「恵比寿・大黒」の顔を見ていると、世の中の悩み苦しさなど、吹き飛んでいきそう。

『高村光雲』作の恵比須大国様。なんとはんなりと優しいお顔をされているのでしょう(〃∇〃)

紹介し始めると際限がなくなるので・・(^^;) 続いては三十分の一の出雲大社の縮尺模型。立ち入りできない場所や、実際には屋根の一部しか見えない建物も、全て拝観できます。

他にも珍しいものが沢山ありますが、百聞は一見にしかず。興味ある方は是非出雲まで!(笑)大黒様の彫刻類はたくさんありますが、本来の主祭神『大国主』の姿を写したものは少なく・・「彰古館」展示最後の一枚は、お軸に描かれた「因幡の白兎」。

出雲大社境内にも、「因幡の白兎」のブロンズ像が建立されています。

大社の入り口に建立された「結びの御神像」。黄金の玉を乗せた波と、それを仰ぐように両手を広げる大国主の像は「幸魂・奇魂」

「幸魂・奇魂・守給・幸給(さきみたま・くしみたま・まもりたまひ・さきはへたまへ)」。この言葉は、大国主大神の祭祀をなされた『天穂日命』より、出雲国造家に伝えられた神語と伝えられています。第八十代出雲国造『千家尊福(せんげ‧たかとみ氏』「神拝の前後には勿論、常にも唱えて神護を仰ぐべきなり。」と言われていたそうです。

その『千家尊福氏』。境内の入り口に近い静かな場所に銅像が建立されています。名前を聞いても馴染みの無い人に思うかもしれませんが、お正月になると一度は耳にした、または口にしたことのある「一月一日」の歌。
【  年の始めの 例(ためし)とて  終りなき世の めでたさを~略~祝う今日こそめでたけれ 】 この歌詞を作詞した方と言うと、凄く親しみが湧きますよね d(-_^) 。

拝殿前の銅鳥居を通って左手に、「神馬(しんめ)・神牛(しんぎゅう)」の像。 神馬は「かねおまさん」と呼ばれており、鼻の部分を触ると子宝を授かると言われています。

神牛は・・特に別名がありませんが、たくさんの観光客に触られてお鼻がピカピカ(笑)。

最後は私の身長よりも大きな「細石(さざれいし)」。

「千代に八千代に、砂粒のごとき小さな石が、やがて巌となって苔むす迄、この麗しい豊葦原瑞穂の国が栄えますように。」

参拝日:2011年5月17日&2013年5月21日&2015年4月21日

 

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