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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

總社 和田八幡宮 in 福井県福井市和田

2014年04月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福井県

福井市和田に鎮座される「總社 和田八幡宮」。御祭神は『應神天皇・仲哀天皇・神功皇后』

由緒「天徳3年(959)源義基の嫡男、左馬助源満仲の草創と伝えられる。満仲の霊夢によって石清水八幡宮を勧請。其後、朝倉敏景が宮祠を修理、和田邑の地を御供資。天正年間(1573~92)兵火に罹り焼失。院坊の内三明坊尊久は、秘かに神躰を供奉して難を東郷に避け居ること20年にして旧地に還り、一小祠を建て僅かに祭祀を営んだという。慶長年間(1596~1615)、当国に封ぜられた結城秀康が郊外で放鷹した折に社前を通行。多田満仲の草創した八幡の大社であることを知り再建したと云う。1990年、社号八幡神社を和田八幡宮と改称。」公式HPより

「清和源氏の祖:源満仲像」。神社でのお祓いの後に授与される「三ツ矢サイダー」は、神社創建のきっかけとなった満中発見の天然鉱泉が由来。平安時代中期(959)、源満仲が摂津:住吉大社より神託を受け、矢を放ち、落ちた先の北摂津にお城を築き、矢を見つけた御家人に三ツ矢の姓と家紋を与えたという伝説があります。

朱の一の鳥居の先に厄除橋

二の鳥居、参道正面に拝殿

「禊祓処」

慰霊碑

境内社:厳島神社

境内社:弁天社

境内社:日吉山王社

祖霊社

参拝日:2017年10月1日

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日吉神社 in 福井県福井市江端町

2014年04月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福井県

福井市江端町に鎮座される「日吉神社」。御祭神は『大山咋命』

ガラス張り覆屋の内に鎮まる御本殿。「創始年月は不詳、廃藩に至るまで代々藩主の代参があったという。福井市震災後に社殿を復興。現在は江端町の氏神として、農工商の守護神として崇敬を受けている。」

大輪鳥居をくぐり参道左右より神域を守護されるのは「大正十三年(1924)皇太子殿下行啓記念十一月」「江端橋詰石材店 山田孫治」氏による金沢型狛犬さん一対。台座の花も見事です。

今にも瞬きをしそうなリアルさいっぱいの目を見開く阿形さんの足元で、びっくりしたようにこちらを見る仔狛さん。

何よりも私達を驚かせたのは吽形さんの口元・・何と!!巻物を咥えています。神狐なら普通に目にする形ですが、狛犬さんが巻物というのは、珍しいを通り越して奇跡に近い出会い。御亭主殿の嬉しそうな顔といったら。

入母屋造りの拝殿

拝殿の目貫彫刻は「見ざる・言わざる・聞かざる」三猿

「境内社:大己貴神社」

境内の一隅に石像三猿

お祭りが近いのか、境内ではせっせと土俵が設えられています。大人も子供も一体になっての神前奉納相撲。さぞ賑やかなことでしょう。

参拝日:2017年10月1日

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神明神社 in 福井県福井市大手

2014年04月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福井県

福井市宝永に鎮座される「神明神社」。御祭神は『天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)』。地元では「おしんめさん」と親しまれています。

社伝に「往古越前国北庄三郷は伊勢神宮に戸帳を奉る領地であった。平安時代北庄在の明光長者により、社殿を造営して皇大神宮を勧請したき旨を朝廷に奏したところ、「国家鎮護の為大神宮を勧請せしむべし」との勅令が下され、延長2年(924)、御分霊・神宝・幣帛等を奉戴して北庄へ参着、同年九月の社殿の竣工をまって鎮座された。境内は昭和20年の戦火と昭和23年の震災によって悉く灰燼に帰し、永らく仮社殿にて神事を斎行してきたが、昭和四十二年に神明造りの本殿・流れ造入母屋唐破風の拝殿が竣工。」

「太子堂」。御祭神は『聖徳太子』。聖徳太子の偉徳を敬慕する人々によって明治34年に平岡山に建立されたが、昭和26年春に当神社に移築された。

針塚

御神木と注連縄に守られた御神石

中央は御神木だろうか?。一千年祭記念の碑と、右は何の碑だったか・・

青銅:御神馬

神明公園内に建立されていた「中根雪江像」「幕末の福井藩重臣、明治政府初期の参与。天保9年(1838)松平春嶽(慶永)が新藩主に迎えられると、春嶽の教育に力を注ぎ、また、窮乏していた藩財政の立て直し等に尽力した。幕末の困難な時局には、側用人として春嶽を補佐した。安政大獄により春嶽が隠居謹慎処分となると藩政の第一線を退くが、春嶽が政事総裁職として政界に復帰すると、側近として参勤交代制の緩和や公武間の維持、発展を図った。慶応3年(1867)12月、新政府の参与となったが、徳川家の処遇等の問題で薩長閥と対立し、翌年免じられた。」公式HPより

参拝日:2017年9月29日

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白山(はくさん)神社 in 福井県福井市灯明寺町

2014年04月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福井県

福井市灯明寺町に鎮座される「白山(はくさん)神社」。御祭神は『伊弉册尊・天照大神

「当社は遠く霊峰山を御神座と仰ぎ 頂上の奥宮は養老二年の創建とされ その三馬場の一つ越前平泉寺が総社で其の末流である。御神体は神佛習合で奈良平安期より白山妙利権現と人々に崇神されて今日に致った~中略~ 神は人の敬によって威を増し 人は神の徳に従って運を添ふ」境内神社略史より

昭和五拾八年甲子元旦建立の、鉄筋コンクリート造り御社殿

拝殿前より神域を守護されるのは「昭和五十八年五月(1983)再建 堀川多次郎」刻の、出雲丹後型狛犬さん一対。吽形さんは毬を手にご機嫌な仔狛を前足の間に遊ばせ、阿吽ともに口中に塗られた朱が独特の凄みで参拝者を迎えます。

ちなみに仔狛と言えども侮れないこの迫力! 将来が楽しみというか・・末恐ろしいと云うべきか😅 そして・・上等のソフトクリームでも真似のできない美しい尾。

境内社「鹿嶋神社」御祭神は『武甕槌之命』

拝殿前より神域を守護されるのは「大正四年十一月御大典記念奉納」の小顔の狛犬さん一対。阿形さんは大切そうに仔狛を前足で抱きかかえ、吽形さんは仔狛の大切な毬をしっかりと確保しています。

生意気そうな顔つきですがこう見えて物凄い甘えた君。親狛の手の中は地上で最も暖かくて安全な場所なのです。

阿形さんと吽形さん、これほど尾の形状が異なっているのも珍しい。

覆屋の中で余生を送られる出雲丹後型の狛犬さん一対。おそらく拝殿前の狛犬さんの先代と思われます。他にも沢山の石仏などが祀られており、大切に扱われている事に無条件に手を合わせる二人。

御神馬の腹掛には「三本杉紋」の御神紋

こちらは白山神社参拝の後にお見かけして参拝したお社

地図を検索しても、当時の予定表を見直しても、こちらに鎮座されるお社の名前が判りません。

名前もわからぬ二つのお社を守護されるのは昭和十二年十二月十三日建立のずんぐりタイプの狛犬さん一対。阿形さんは仔狛を手に縋らせ、吽形さんさんは大きな毬に手を置いています。見上げたお顔は、夜中に遭遇してしまったら逃げ出す事さえ出来ないかもしれない迫力・・

そんな狛犬さんですが、上質のソフトクリームでも、ここまでの曲線は多分作れないと思わせる美しい尾の造形。

そして生意気そうな顔に似合わず、親狛の太くて大きな指の上に、自分の手を重ねる仔狛。名も判らぬお社の狛犬さんに呼び止められたご亭主殿。思いもかけず良い狛犬さんに巡り会えて嬉しそうです。

参拝日:2012年6月14日

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ご当地マンホール in 福井県福井市

2014年04月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

福井市(ふくいし)は福井県北部(嶺北)に位置する市です。2006年2月1日に、足羽郡美山町、丹生郡越廼村・清水町を編入合併。勝山市、大野市、越前市、鯖江市、坂井市、今立郡池田町、吉田郡永平寺町、丹生郡越前町に隣接。福井県の県庁所在地及び県内では人口最多(県人口の約34%)の自治体で、中核市に指定。『柴田勝家』の北ノ庄城時代から城下町として都市形成が成され、江戸時代には石高68万石を数える日本屈指の大城下町として発展。朝倉氏滅亡後に一乗谷から移転した文化人の影響もあり華やかな文化や行事が行われてきました。市域の約半分が山林で、海岸部を除く全域が九頭竜川水系流域。本流を含む三大河川が合流する地点から東側の南北に平野が広がり、その中例外として市中心部のすぐ南側に足羽山(117m)、兎越山(89m)、八幡山(139m)の足羽三山が連なります。南東部には足羽川及びその支流に沿った谷間の小盆地・一乗谷などが点在。東端付近には市最高地点の飯降山(884m)がそびえます。

昭和20年(1945)の福井大空襲、昭和23年(1948)の福井地震(1か月後に集中豪雨で九頭竜川堤防決壊)とわずか3年の間にそれぞれ人口の1〜2%を失う大災厄に2度も見舞われるという、近現代日本の都市としては唯一ともいえる経験を経ながら、当時の倍以上の人口にまで復興したことから不死鳥を街のシンボルとしています。「市の木:松」「市の花:紫陽花」を制定。

キャッチフレーズは「人、街、自然、文化の『交・響・楽・彩 ふくい』(まじわり・ひびきあい・たのしみ・いろどるまち)」

明治22年(1889)、市町村制の施行により、足羽郡福井城下及び石場畑方の区域をもって、福井市が発足。
  足羽郡東安居村・和田村・木田村・東安居村・社村・麻生津村・酒生村・一乗谷村・上文殊村・下文殊村・六条村・東郷村・殿下村・下宇坂村・上宇坂村が発足。
  吉田郡円山東村・円山西村・西藤島村・中藤島村・河合村・藤岡村・森村が発足。
  丹生郡西安居村・天津村・三方村・志津村が発足。
  坂井郡大安寺村・国見村・殿下村・鶉村・本郷村・棗村・鷹巣村が発足。
  大野郡芦見村・羽生村・上味見村・下味見村が発足。

1931年、足羽郡東安居村三橋区域を編入。

1935年、吉田郡森田村が町制を施行、吉田郡森田町となる。

1936年、足羽郡和田村、木田村を編入。1939年、足羽郡東安居村を編入。

1941年、吉田郡円山東村を編入。1942年、吉田郡円山西村を編入。

1948年、吉田郡西藤島村田原下及び牧の島区域を編入。

1949年、足羽郡社村小山谷区域を編入。1951年、吉田郡西藤島村を編入。

1954年、 足羽郡社村、丹生郡西安居村、吉田郡中藤島村を編入。

1955年、坂井郡鶉村、本郷村、棗村、鷹巣村が合併、坂井郡川西町が発足。
  足羽郡酒生村、一乗谷村、上文殊村、下文殊村六条村が合併、足羽村が発足。同年、足羽村が東郷村を編入。
  大野郡芦見村、羽生村、上味見村、下味見村、足羽郡下宇坂村、上宇坂村が合併、足羽郡美山村が発足。
  丹生郡天津村、三方村、志津村が合併、丹生郡清水町が発足。

1956年、足羽郡足羽村大町別所・大町・江端・大島・下荒井区域。足羽郡麻生津村を編入。

1957年、坂井郡大安寺村南楢原・北楢原・田ノ谷・四十谷・岸水・天菅生区域を編入。吉田郡河合村、丹生郡国見村を編入。

1960年、足羽村が町制を施行、足羽町となる。

1961年、吉田郡藤岡村を編入。1963年、丹生郡殿下村を編入。

1964年、足羽郡美山村が町制を施行、足羽郡美山町となる

1967年、坂井郡川西町を編入、吉田郡森田町を編入。1971年、足羽郡足羽町を編入する。

2006年、足羽郡美山町、丹生郡清水町、越廼村を編入。

マンホールには福井市のシンボル、二羽の不死鳥(フェニックス)がデザインされています。

親子タイプマンホール(中)

親子タイプマンホール(小)

満開の桜の下、一乗谷朝倉遺跡の唐門から顔を覗かせる「朝倉ゆめまる」がデザインされたマンホール。

集落排水用マンホールには、市章を中心に「市の花:紫陽花」がデザインされています。

大正14年(1925)9月28日制定の市章は「 福井城内にあった「福ノ井」の. 井げたに、福井の旧称「北ノ庄」. の北を組み合わせ、古きを生かし、. 新しい時代への発展と繁栄を図案. 化したものである」公式HPより

市章付き耐スリップマンホール

市章付き排水弁

市章付き防火貯水槽

市章付き消火栓

市章付き仕切弁

市章付き空気弁

市章付きガスバルブ

市章付きガス

市章付き電防

市章付き側溝蓋

朝倉氏遺跡の象徴:唐門を兜にした、福井市宣伝隊長『朝倉ゆめまる』は一乗谷朝倉氏遺跡に住む妖精。出会った人に「一乗谷朝倉氏遺跡の素晴らしさを日本全国に広めることが夢なんだ♪」と言っております。

撮影日:年月日&2017年9月30日&2018年10月15日

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旧丹生郡越廼村・清水町は未訪問のため、マンホール画像はありません。

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福井県福井市のマンホールカード第2弾&第8弾

2014年04月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

2016年8月1日、第2弾として全国40自治体で44種類(累計64自治体74種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「福井市A」のマンホールカードは、「福井市下水道部下水管理課」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには「交互に向かい合う不死鳥」がデザインされています。

「 1989年に市制100周年を迎えた福井市が、記念事業の一環として制作したのが このマンホール蓋です。デザインは一般公募作品の中から選定しました。 ライトブラウンとダークブルーの2羽の不死鳥が点対称に描かれ、躍動感あふれる デザインとなっています。不死鳥は赤や金の翼を持ち、死期が近づくとみずから 火の中に入って焼かれ、その灰の中から再生すると言われます。 そんな伝説の鳥が福井市民にとって特別な存在であるのは、福井市が戦災や震災などの 重なる災禍にめげず、三たび立ち上がった歴史を持つからです。福井市市民憲章は 「不死鳥のねがい」と名付けられ、大切に受け継がれています。」

撮影日:2017年9月29日

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2018年8月11日、第8弾として全国76自治体で76種類(累計364自治体418種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「福井市B」のマンホールカードは、「一乗谷朝倉氏遺跡復元町並」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには「唐門」と「朝倉ゆめまる」がデザインされています。

「一乗谷朝倉氏遺跡のシンボルである唐門に桜が舞い、福井市宣伝隊長「朝倉ゆめまる」が顔を覗かせているデザインのマンホール蓋で、一乗地区に限定して導入しています。 一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代に103年にわたり越前を統治していた朝倉氏の城下町跡です。 屋敷や道路などの町並みが発掘され、京の都に勝るとも劣らないと言われた当時の城下町の様子が、ほぼそのまま立体的に復元されています。 1971年には一乗谷城を含む278haが特別史跡に、1991年には諏訪館跡庭園など四庭園が特別名勝に指定された他、2千を超える出土品が重要文化財に指定されています。」

訪問日:2018年10月15日

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ご当地マンホール in 福井県

2014年04月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

福井県(ふくいけん)は日本の中部地方に位置する県です。京都府、滋賀県、石川県、岐阜県に隣接。県庁所在地は福井市で9市7郡8町(ちょう)を有し、北陸地方で最も人口が少ない県。山中峠・木ノ芽峠・栃ノ木峠を通る稜線を境にして、北側の嶺北・令制国の越前国と、南側の嶺南・若狭国より構成。また日本海及び若狭湾の福井県海域には周囲0.1km以上の島が58あり、全て無人島。越前の緑豊かな山々と、若狭の清らかな水の流れに代表されるように自然が美しい場所である事から「越山若水(えつざんじゃくすい)」とも呼ばれます。県内には三方五湖や東尋坊・九頭竜湖・恐竜渓谷等をはじめとして、白山国立公園・越前加賀海岸国定公園など多くの名所旧跡や、歴史を要しています。「県の木:松」「県の花:水仙」「県の鳥:つぐみ」を制定。

キャッチフレーズは「美しくたくましく福井県 恐竜王国 福井県」

明治4年(1871)、廃藩置県によって福井県と敦賀県が発足、翌・明治5年、福井県が足羽県に改称。

1873年、敦賀県が足羽県を編入、ほぼ現在の福井県の県域となる。

1876年、敦賀県が木ノ芽峠を境に分割、南越前町以北が石川県に、敦賀市以西が滋賀県に編入。

1881年、嶺北が石川県から、嶺南が滋賀県から分離、双方が合併し、福井県(第2次)が設置。

1958年、大野郡石徹白村の大半の地区が岐阜県に編入、現在の福井県域となりました。

土地改良区:日野川用水地区のマンホールは、南越前町、越前市、鯖江市、福井市が対象。「日野川」は九頭竜川水系の支流で、嶺北(丹南地域)を流れる一級河川。マンホールには、「県の木:松」「県の花:水仙」「鮎が泳ぐ日野川」がデザインされています。

日野川用水地区農水カラー仕切弁。飛び跳ねる魚は多分鮎と思われます。

昭和27年(1952)3月28日制定の県章は「片仮名の「フ」「ク」「イ」を組み合わせて円形に図案化したもので、双葉の間から若葉が出る姿に似ており、県の発展の願いが込められている」HPより

中央に県章がある規格蓋、嶺北地方を流れる一級河川「九頭竜川下水道」のマンホール。

「消雪」「信号」「照明」「電気」「仕切弁」、いずれにも「福井県章」があります。

「人道の港敦賀ムゼウム」に設置された側溝蓋、中央に県章、花は近くにある「金崎宮:花換まつり」にちなんでのサクラと思われます。

中央に県章・左右に「県の花:水仙」がデザインされた側溝蓋。

側溝蓋の枠の中に「福井県・県章」が組み込まれています。このような形は県下の幾つかの自治体でも目にしました。

福井県公式恐竜ブランド「Juratic(ジュラチック)」。「恐竜王国福井」のPRのため、2014年に「Juratic王国」から『サウタン、ラプト、ティッチー』やってきました。

福井県マスコットキャラクター『はぴりゅう』は、2015年福井国体のキャラクターとして誕生。現在は「県民交流サポーター」として様々な場面で活動中です。

福井県警察マスコットキャラクタ『リュウピーくん』。九頭竜川の「竜」と、恐竜化石発見
の地であることにちなんで「リュウ(竜)」、これに「ピープル」のP、警察(ポリス)のPの頭文字を取り入れて名付けられました。恐竜をイメージして誕生。仲間の「リュウミーちゃん」も存在するそうです。

福井県は好きな自治体の一つで、2012年・2017年・2018年の三度に渡って車泊旅で訪問しました。特に敦賀市はタンデムの日帰りでも何度か訪問しています。

(※)南条郡南越前町・今立郡池田町は未訪問の為、ご当地マンホールの有無は未確認です。

 

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御厨(みくりや)神社 in 三重県松阪市本町

2014年04月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

松阪市本町に鎮座される「御厨(みくりや)神社」、御祭神は『建速須佐之男命

平安時代に勧請されたという古社で、神宮に食物を奉納していた平生御厨の奉祀神として信仰され、勅使が神宮へ向かう際、必ず参拝に訪れ道中の安全祈願したと伝えられています。歴代領主から信仰され、特に伊勢国の守護職を担った北畠氏は篤く庇護し社運も隆盛しました。天正末年、蒲生氏郷により飯高郡平尾から遷社され、松坂城の鬼門よけとしても信仰されました。本居宣長は氏神である同社へ「古事記伝」全44巻を奉納しています。

「宝井其角」の句碑案内には「此御神に雨乞する人にかはりて【 ゆふだちや 田をみめぐりの 神ならば 】晋其角」元禄時代干害に苦しんだ江戸の農民が向島の三囲神社で雨乞いをしたが、事情を知った其角がこの句を捧げ雨乞いをすると たちまち豪雨となったと伝えられる。」

「境内社:三囲(みめぐり)稲荷神社」、同じ境内に稲荷社が幾つもあるのはそんなに珍しくは有りませんが、それにしても随分と良い場所に鎮座されています。

松阪市は三井家発祥の地だそうで、「三囲稲荷」は三井家の祈願神社とされています。由来等が無いのでそれ以上の事は不明ですが、何か色々凄い(^^;)

同じく「境内社:高春稲荷」は井村屋製菓にゆかりの深い稲荷社だそうです。井村屋と言えば、あのとても固い「小豆バー」・・・・歯が元気な頃は大好きでした(笑)

「境内社:大山祇神社」「境内社:猿田彦神社」・・いずれかであろうと思われます。

 

参拝日:2017年9月14日

 

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松坂城址公園・歴史資料館 in 三重県松阪市殿町

2014年04月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

松阪市殿町、天正16年(1588)に蒲生氏郷によって築城された松坂城(まつさかじょう)。城址には松阪のシンボル的存在とも言われる石垣が残されており、松坂城跡(まつさかじょうあと)として国の史跡に指定されています。

「建築史家の内藤昌は「素晴らしい石垣。安土城同様の形式だが、それを上回る強固なもので美観という点でも優れている。蒲生氏郷の美意識の高さを感じられる」と述べています。石垣のつみ方は「野面積み」を主体に、隅の部分は「切り込みはぎ」「算木積み」という工法が使われている。これらの工法は「穴太衆」と呼ばれる近江国の石工集団が、安土城で今までの日本にはなかった新しい築城方法を発案した。蒲生氏郷は自分の出身地でもある穴太衆を中心に地元の農民をかり出し石垣をくみ上げていった。」Wikipediaより

美しい石垣を見るのは好きですが、さすがに事細かにここがこうで、あそこがどうでと言えるほどの知識もなく、「すごいね~」で終わり(笑)

広い城址公園には、所々にかっての面影を偲ばせる場所があり、たとえばここは「本丸跡」。と言っても案内が無ければ全く分かりません。

城下を見下ろす二の丸跡には、ここ松阪市が梶井基次郎の短編小説「城のある町にて」の舞台となった事を記念した、文学碑が建てられています。

二ノ丸にある歴史民族資料館は、明治44年(1911)建築に着工、飯南郡図書館として開館し、その後「歴史民俗資料館」として一般公開されていますす。

本館および隣接する倉庫(内部非公開)は国登録有形文化財に指定。基本的にこの時代の建物は和洋問わず美しいと思う私、こうして上から俯瞰すれば尚更に心惹かれます。

資料館の1階展示室は、江戸時代の店を復元した「店の間」で、特に薬関連の看板がずらりと並べられており、どれも興味深いものばかり。

左は、参宮街道沿いの湊町にあった薬種商の3代目主人桜井七郎右衛門が腹痛薬「黒丸子」を売り出した際に作られたもので、書は当時京都の書画の大家であった池大雅。また、右の「煙草入」は 、松阪市の池部清兵衛が天明の頃に擬革紙「壷屋紙」を発明して煙草入れを製造。この看板は小俣町(伊勢市)にあった「村七」のものです。

2階展示室には「松阪木綿」に関する縞帳や道具などが展示されており、事前の予約で機織り体験もできるそうです。

長く着物の世界に浸かっていた私にとって、日本古来の織物を目にするのは至上の喜び。今は理由あって着物から遠ざかってしまいましたが、やはり好きな気持ちは変えられません。

建物敷地内の一画にあった【 嶋木綿は 松阪の女業なり 】の碑。女業という言葉に何故か無性に心惹かれます。

この豪壮な屋敷は江戸で一番の紙問屋、豪商・「旧小津清左衛門家(旧:松阪商人の館)」。歴史民俗資料館で時間を取りすぎた為、構えを見ただけというお粗末さ(^^;) 折角の県指定有形文化財なのに勿体無い話です。

 

訪問日:2017年9月14日

 

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ご当地マンホール in 三重県旧松阪市(松阪市)

2014年04月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧松阪市(まつさかし)は三重県中部に位置し、

松阪木綿や松阪牛で知られる松阪市、中心地の北部殿町には、1588年に蒲生氏郷によって築城された「松坂城」の石垣が残されており、2010年2月に国史跡に指定されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、飯高郡松阪町・港村・神戸村・松江村・朝見村・伊勢寺村・機殿村・花岡村・松尾村・港村・西黒部村・大石村・茅広江村・射和村・漕代村・大河内村・櫛田村、一志郡阿坂村・宇気郷村・松ヶ崎村・多気郡東黒部村が発足。

1896年、所属郡が飯南郡に変更。飯南郡松阪町となります。

1924年、飯南郡港村の一部を編入。

1931年、 飯南郡神戸村を編入。

1932年、飯南郡花岡村が町制を施行、花岡町となる。

1933年、飯南郡松阪町が市制を施行し、松阪市が発足。

1948年、 飯南郡松江村、朝見村を編入。

1951年、飯南郡伊勢寺村を編入。翌1952年、飯南郡機殿村を編入。

1954年、飯南郡花岡町・松尾村・港村・西黒部村・一志郡阿坂村・松ヶ崎村・多気郡東黒部村を編入。

1955年、一志郡宇気郷村の一部、飯南郡大石村・茅広江村・射和村・漕代村を編入。

1957年、飯南郡大河内村・櫛田村を編入。

2005年1月に、旧一志郡嬉野町・三雲町・飯南郡飯南町・飯高町と合併し、新・松阪市となりました。

マンホールには市章を中心に、国学者「本居宣長」ゆかりの遺品「七古鈴(七種鈴)」の一つ「驛鈴」がデザインされています。

「古事記伝」や、「源氏物語玉の小櫛」などを表した『本居宣長』は、外来的な儒教の教えは、自然に背く考えであると非難し、「源氏物語」などにみられる【もののあはれ】という、日本固有の情緒こそが、文学の本質であると提唱。大昔から、日本人の心の中に脈々と伝えられてきた、自然情緒や精神を、第一義とした事で知られます。

昭和10年3月15日制定の市章は、市の木「松」の葉、蒲生家の家紋「鶴」、伊勢を表す「勾玉」を組み合わせたものです。

名古屋市に本社を置く「中部電力」は、愛知・岐阜・三重・長野・静岡(富士川以西)の中部5県が営業区域です。中央のシンボルマークは、中部電力のイニシャル「C」と、5つの「花弁」をモチーフとしています。

ガス会社の社章と「ガス」の文字。マークに該当するガス会社が不明なので、旧社章と思われます。

撮影日:2010年4月3日&2017年9月14日
 
 
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