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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 滋賀県旧近江町(米原市)

2025年03月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

旧坂田郡近江町(おうみちょう)は琵琶湖の北東岸に位置した町です。米原市、長浜市に隣接。町名は、町制施行当時「近江真綿」のブランドで知られた真綿の一大産地だった事に由来。米作、真綿を特産とし、「近江真綿」を用いた寝具製造も行なわれてきました。「町の木:モクセイ」「町の花:サツキ」を制定。

旧キャッチフレーズは「ひとが輝き 人が活きるまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、坂田郡法性寺村・息長村が発足。

1894年、息長村大字顔戸・高溝・舟崎が分立、坂田郡日撫村が発足。

1897年、法性寺村大字加田・加田今が分立、坂田郡神田村が発足。

1942年、神田村、法性寺村、日撫村が合併、坂田郡坂田村が発足。

1955年、坂田村、息長村が合併、坂田郡近江町が発足。

2005年、米原市に編入されました。

マンホールには「町の木:モクセイ」と「町の花:サツキ」「繭」がデザインされています。

淡海環境プラザ展示マンホール「町の木(モクセイ)、町の花(サツキ)、繭(まゆ)をモチーフし、それぞれ O・M・I を模っており、繭については「近江」を表現しています。 上方の「町章」は「近」の文字を図案化したもので、 町の平和と団結をあらわし、あわせて飛躍発展を端的にシンボル化したものです。」

昭和37年(1962)4月20日制定の町章は「「近」を図案化したものです。」

ここ近江は山内一豊の正室:千代の出生地とされており、「道の駅:近江母の郷」では二人の顔出しを設置し「千代の出生地」をアピールしています。「山内氏系譜」によれば、浅井氏家臣の若宮友興の子で、近江国飯村で生まれたとされています。ちなみにですが、郡上市の慈恩寺所蔵「美濃郡上八幡城主・遠藤氏の系図」には、遠藤盛数の娘が山内一豊室であるとの記載があり、どちらも千代の出生地を標榜しています。

撮影日:2008年6月14日

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ご当地マンホール in 滋賀県旧山東町(米原市)

2025年03月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

旧坂田郡山東町(さんとうちょう)は滋賀県北東部。伊吹山麓に位置した町です。長浜市、坂田郡近江町・米原町・伊吹町、東浅井郡浅井町に。また県を跨いで岐阜県養老郡上石津町・関ケ原町に隣接。主集落は東海道本線が通じる長岡地区にあり、米作のほか林業が盛ん。南部には中山道が通じ、柏原地区は中山道の旧宿場町として発展してきました。ゲンジボタルの群生地として有名な天野川や、姉川の伏流水を利用して灌漑用に作られた「ため池百選:三島池」が知られており、名神高速道路伊吹PAのスタンプには「三島池とマガモ」がデザインされています。「町の木:ウバメガシ」「町の花:ツツジ」「町の鳥:キジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「鴨とホタルの里 山東町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、坂田郡柏原村・大原村・東黒田村が発足。

1955年、 柏原村、大原村、東黒田村が合併、坂田郡山東町が発足。

2005年、坂田米原町・伊吹町と合併、米原市となりました。

マンホールには、「天野川のゲンジボタル」と、「三島池に遊ぶマガモ」がデザインされています。

淡海環境プラザ展示マンホール「町のキャッチフレーズである「鴨とホタルの里 山東町」を基にデザインしたものです。 三島池のマガモは、親子、家族のふれあいを表しています。国の特別天然記念物の指定を受けた天野川の源氏ボタルが恵まれた自然の中で光を放ち、住みよい環境作りを表現したものです。」

小型マンホールには、別名「比夜叉池」とも呼ばれる三島池の池畔に立つ「日本一の石灯篭」と、松がデザインされています。

「昔この池に水が溜まらず、これを占ってみると「一女を生き埋めにして水神を祀れば満水になる」そこで『佐々木秀義』の乳母で『比夜叉御前』という女が生きながら池底に入り機織りと共に埋まると忽ち水が溢れ出た。その後常に満水でいかなる旱天にも枯れた事が無い。そこで比夜叉を水神と崇めている、今でも深夜水底で機の音が聞こえることが有るという」比夜叉伝説より

昭和45年(1970)4月1日制定の町章は「真ん中に「山」として躍進する三頭を表し、左右に「トウ」を組み合わせて図案化し、上部の空きは絶えず大地を踏みしめ躍進を続けることを意味したもので、二代目の町章です。」合併協議会資料より

「蛍とマガモ」がデザインされた、山東町上下水道小型蓋。

撮影日:2008年6月14日&2018年10月9日

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ご当地マンホール in 滋賀県旧伊吹町(米原市)

2025年03月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

旧坂田郡伊吹町(いぶきちょう)は滋賀県の北東部、伊吹山の山麓に位置した町です。山東町、浅井町に、また県を跨いで岐阜県:関ケ原町、揖斐川町に隣接。伊吹山を望む田園地帯:春照(すいじょう)地区は 彦根藩領の宿場町として栄えて、町名は伊吹山にちなんで命名。町域は伊吹山の南麓と姉川の上流域を占めており、平地では米作を主とする農業が。また、伊吹山の石灰石を採掘する伊吹鉱山や、それを原料とするセメント工場等が立地。さらに伊吹山&奥伊吹スキー場などを擁し、ウインターシーズンには多くのスキー客で賑わいます。

また伊吹山中腹で栽培される「伊吹在来そば」は、江戸時代にはその品質の高さから「伊吹蕎麦。天下にかくれなければ。」と称されました。「日本蕎麦発祥の地」として知られ、「道の駅:伊吹の里旬彩の森」では、「巻きずし」ならぬ「蕎麦寿司」が販売されています。

「町の木:貝塚伊吹」「町の花:ツツジ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「人が元気、町が元気、自然が元気な“エコミュージアム”伊吹」

明治22年(1889)、町村制の施行により、坂田郡伊吹村・春照村、東浅井郡東草野村が発足。

1956年、坂田郡伊吹村、春照村・東浅井郡東草野村が合併、改めて坂田郡伊吹村が発足。

1971年、伊吹村が町制を施行、坂田郡伊吹町となる。

2005年、坂田郡米原町・山東町と合併、米原市となりました。

マンホールには「伊吹山」「町の木:貝塚伊吹」「町の鳥:鶯」「町の花:ツツジ」がデザインされています。

淡海環境プラザ展示マンホール「伊吹町の象徴「伊吹山」を背景に、「町の鳥(うぐいす)、 町の花(つつじ)、町の木(貝塚伊吹)」を配置し、「姉川」の清らかな流れと、幾重にも広がる「虹」は、将来に向かって伸びゆく“明るい伊吹町”を表現したものです。」

昭和31年(1956)9月1日制定の町章は「旧三村の合併による大伊吹町の誕生を三角形で示し、当地方のシンボル伊吹山を現し、頭文字の伊、「い」を太くしてゆるぎない町の発展を表現したものである。」旧公式HPより

撮影日:2008年6月14日&2018年10月9日

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醒井宿そぞろ歩き in 滋賀県米原市

2025年03月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

前日の醒井宿では「地蔵川の梅花藻」と日本武尊伝説に因む「居醒の清水」を紹介しました。今回は「醒井宿」をもう少しゆっくり歩いてみます。

地蔵川沿いの道に入って真っ先に目に付くのは、木造2階建ての擬洋風建築で国登録有形文化財の「醒井宿資料館」

 

ヴォーリズ建築事務所の設計により大正4年(1915)に建築。1階が郵便及び電信事務室や応接室、2階が電話交換室及び交換手の宿直室兼休憩室にあてられ、昭和48年まで醒井郵便局として使用されていました。

さらに進むと、唐破風に鬼瓦を揚げた重厚な玄関の「松尾寺政所」が見えてきます。玄関部分は明治26年に竣工した元:醒井尋常高等小学校のものでしたが、昭和36年に醒井小学校が鉄筋コンクリートの建物に改築された時、当時の松尾寺住職が、この貴重な建物を後世に残したいとの思いから松尾寺政所の玄関として移築しました。

古来、醒井宿は三水:四石(蟹石等・・)の名所といわれています。三水の一つは「居醒の清水」。二つ目がこの「十王水」。「平安中期の天台宗の高僧・浄蔵法師が諸国遍歴の途中、この水源を開き仏縁を結ばれたと云われる。もとより「浄蔵水」と称すべきところを、近くに十王堂があったことから「十王水」。この様に呼ばれるようになった。」説明版より

左手の細い路地入り口に「天然記念物 了徳寺の御葉付銀杏」碑。路地を入っていくと視界を遮る高さの銀杏に出迎えられます。

周囲4m、樹高20m、樹齢150年とも言われるお葉付銀杏。それは圧倒的な存在感を見せつけて、静かに天に向かって聳えています。

中山道に取って返し、しばらく行くと、左手に「明治天皇御駐輦(ごちゅうひつ)所」の碑が建立された江龍家表門」が見えてきました。江龍家は、長く庄屋、問屋を勤め、本陣並の規模をもっていたといわれています。

そのまま進み、続いて見えてきたのは「問屋場跡(旧川口家住宅)」。建築部材の仕上げや通し柱などから、江戸時代前期の建築とされ、市指定文化財に。現在は「醒ヶ井宿資料館」として公開されています。

こちらは登録有形文化財の「醒井公会堂」。昭和11年に建築された和洋折衷の様式で、当時の公民館に多く見られた形です。

地蔵川に沿って建てられた『雨森芳洲』歌碑。【水清き 人の心を さめが井や 底のさざれも 玉とみるまで】

さらに進み右手に「延命地蔵堂」。弘仁八年(817)、長引く旱魃を憂いた嵯峨天皇の命により、雨を求めて祈る最澄の夢見に現われた「薬師如来」。その導きでこの地にたどり着き、地蔵像を刻み安置したところ大雨が降った・・といった内容の地蔵堂縁起が書かれています。

地蔵堂の隣に鎮座される「加茂神社」。御祭神は『別雷神命(わけいかづちのみこと)』

「創祀年代不詳。当社は向山の東麓に鎮座されたのを、中古今の所に遷したと言う。旧社の所在地が天の川加茂が淵に添う地に建立されていたので、加茂神社と称すると言われる。明治9年村社に列し、大正8年神饌幣帛料供進指定となる。」滋賀神社庁HPより

参拝中もひっきりなしに聞こえてくる騒音は、神社の真横を走る名神高速道路から。昭和34年、名神高速道路の建設に伴い拝殿、社務所、手水舎を解体し移転。昭和35年に着工し昭和36年に本殿を遷宮。現在の地に鎮まられました。

高速道の騒音にも負けず、拝殿の前より神域を守護されるのは、真横に耳を寝かせた強面の浪花系狛犬さん一対。阿形は玉を、吽形は仔を腕にすがらせています。

居醒の清水近くに建立されていた「鮫島中将直筆の歌碑」。明治28年、近衛師団長をしていた「北白川宮能久親王」が熱病にかかった時、お側にいた鮫島中将が醒井の清水を思い詠んだという。

【あらばいま 捧げまほしく醒井の うまし真清水 ひとしずくだに】

醒井宿三水、最後の一つは喜多院空晴僧都の弟子仲算により、水源がひらかれたといわれる「西行水」。名の由来は「東国への旅の途中に西行法師が、ここにあった茶店に立ち寄ってお茶を飲み、(法師が茶店を立ち去った後)法師が飲み残したお茶の泡を飲んだ茶店の娘が不思議なことに懐妊し、男の子を出産。帰路にこの話を聞いた西行が「もしわが子なら元の泡に返れ」と念じると、子はたちまち消えて元の泡になった。これを見た西行法師はここに五輪塔を建て、「泡子墓 一煎一服一期終 即今端的雲脚泡」と記したそうで「泡子塚」の名で親しまれています」滋賀県公式観光サイトより 

訪問日:2007年8月13日&2013年8月23日

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居醒の清水と梅花藻 in 滋賀県米原市醒ヶ井

2025年03月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

滋賀県米原市・岐阜県斐川町・関ケ原町にまたがる伊吹山地の主峰、標高1,377 mの「伊吹山(いぶきやま)。日本百名山、新・花の百名山、一等三角点百名山、関西百名山、近畿百名山、ぎふ百山の1つに選定され、古くから神が宿る山として信仰の対象とされてきました。

神代の昔より霊峰とされた伊吹山には荒ぶる神が住むと伝えられ、東征の帰途であった『日本武尊』は、これを征伐するため伊吹山に登られました。

尊が山頂近くに達すると巨大な白猪が現れた為、尊は弓矢で威嚇し、さらに進もうとしましたが、急に毒気にあたって熱を出し気を失ってしまいます。この白猪こそ、伊吹山の神の化身であり、尊はその怒りに触れてしまったのです。

伊吹山の神は「伊吹大明神」とも呼ばれ、『古事記』では「牛のような大きな白猪」と記されています。従者たちは瀕死の尊を背負い、麓の清水が湧くところまでお運びし、尊に冷水を含ませました。するとたちまちにして目が醒められ、以来、この地を「醒ケ井」、清水は「居醒の清水」と呼ばれるようになりました。

古代から続く交通の要衝として栄えた「醒ケ井(さめがい)宿」。今回の目的は、豊富な湧き水に恵まれた醒ケ井の中心を流れる「地蔵川の梅花藻(バイカモ)」。

水温年間約14度前後の川の水底に群生し、水流中に沈生。流れに沿って這うように育つキンポウゲ科の多年生草木植物「梅花藻」。初夏から晩夏にかけて梅花のような白い花を咲かせます。

絵画のように美しい水の流れ、ゆらゆらと、はにかむ様に揺れる小さな白い花・・・醒ヶ井宿を流れる地蔵川には、清流でしか育たない梅花藻が群生し、毎年沢山の観光客がこの涼やかな景色を愛でるために醒ヶ井に訪れます。

純白の梅花藻に寄り添うように色を添えるのは、「百日紅」の淡い紅色。

まるで梅花藻を恋い慕うかのように、はらはらと枝を離れてたどり着いた薄紅の花。けれどもそれはほんの束の間・・水の流れに逆らうことはできず、寄り添ったと思う間もなく引き離され、流され、同じ花に巡り合うことは叶いません。

花たちのはかない出会いを横目に、地蔵川を遡ってゆくと突き当りに鳥居が見えてきました。米原市醒井に鎮座される「加茂神社」。その境内の石垣下からこんこんと湧き出る名水こそが、日本武尊を目覚めさせた「居醒の清水」

伊吹の神の怒りを買い瀕死の重傷を負った尊を救ったのは、皮肉にも伊吹の神の恵みともいえる麓の清水でした。けれども負わされた傷はあまりにも深く、三重県の亀山まで進んだ所で絶命してしまいます。

【倭(やまと)は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭し麗し】

鳥居の奥に見えるのは『日本武尊』が病を癒すために座ったと伝えられる「腰掛石」。右手にはその際に鞍をかけた「鞍掛石」が残されています。

雄略天皇の昔、川に棲んでいた三尺余りの蟹が、姿を変えてしまったという「蟹石」。これに「明神影向石」を加えたものを総称し、醒ヶ井四石と呼びます。

古の昔、日本武尊の傷を癒した「居醒の清水」。旧中山道のほとりを川となって流れる清らかな水は、近在の西行水、十王水とともに、醒井の人々にとって欠かせない生活の水であり、この宿場を訪れた旅人の命の水でもありました。

深く深く、空の青を映してなお深く美しく、命の水は白い花の褥となって人々の暮らしを潤していきます。

訪問日:2007年8月13日&2013年8月23日

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ご当地マンホール in 滋賀県米原市&旧米原町

2025年03月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

米原市(まいばらし)は滋賀県の北東部(湖北地域)に位置する市です。2005年2月14日、坂田郡米原町・伊吹町・山東町が新設合併して発足し、同年10月1日、坂田郡近江町を編入し現在に至ります。「米原」の読みは市制にあたって「まいばら」を採用。長浜市、彦根市、犬上郡多賀町に、また県を跨いで岐阜県:大垣市、揖斐郡揖斐川町、不破郡関ケ原町に隣接。市の中心部である米原が北国街道の米原宿に当たり、市域南部を東西に通過する中山道には番場宿、醒井宿、柏原宿の3か所の宿場町が置かれ、また、現在でも国道8号と国道21号が分岐し、米原JCTでは名神高速道路と北陸自動車道が分岐するなど交通の結節点としての役割を果たしてきました。「市の木:イチョウ、ウバメカシ、貝塚伊吹、モクセイ」「市の花:サツキ、ツツジ」「市の鳥:ウグイス、キジ」を制定。・・制定と言うより旧町のシンボル全部😅

キャッチフレーズは「自然きらめき ひと・まち ときめく交流のまち」

2005年2月14日制定の市章は「米原市の頭文字「マ」をモチーフに、上は伊吹山の緑、下は琵琶湖の青を曲線で描き、米原市の明るく元気な姿をイメージしている。」公式HPより

米原市シンボルキャラクター『ホタルン』

市のシンボルが「ホタル」であることから、『源氏パパル』『姫ママル』と共に、これからの未来が光り輝く「田舎都市・まいばら」を表現しました。

 

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旧坂田郡米原町(まいはらちょう)は滋賀県の中央、琵琶湖東岸に位置した町です。彦根市、坂田郡山東町、近江町、犬上郡多賀町、さらに県を跨いで岐阜県:養老郡上石津町に隣接。古くから中山道と北陸道の分岐点として発達し、中山道六十九次61番目の宿場「醒井宿」、62番目の「番場宿」を擁し、交通の要所としても知られていました。また滋賀県内では唯一、東海道新幹線の駅が設置されています。「町の木:イチョウ」「町の花:サツキ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「ひと輝き、自然やすらぎ、夢広がるまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により坂田郡入江村・醒井(さめがい)村・南箕浦村が発足。

1891年、南箕浦村が改称、坂田郡息郷(おきさと)村となる。

1923年、入江村が町制を施行・改称して坂田郡米原町となる。

1956年、米原町、醒井村、息郷村が合併、改めて米原町が発足。

2005年、坂田郡山東町・伊吹町と合併、市制を施行し米原市が発足。

マンホールには、町章を中心に「町の花:サツキ」「町の木:イチョウ」がデザインされています。

淡海環境プラザ展示マンホール「「町章」の中央に、「町の花(さつき)」をちりばめ、周りに「町の木(いちょう)」の葉を配置したものです。「町章」は米原町の「マ」を図案化したもので、円形は 合併による旧町村意識を捨て“団結”を、鋭角は“飛躍と発展”を象徴したものです。」

昭和36年9月1日制定の町章は「カタカナで頭文字の「マ」を表したもので、二代目の町章。」

米原町のマスコットキャラクター『マイちゃん』。醒ヶ井了徳寺境内の「お葉付き銀杏」をモチーフに誕生しました。

『醒井タケルくん』『おむすび忠太』。噂では、伊吹町のマスコットキャラクター「タケルくん」が米原市のキャラクターになったとかどうとか・・その辺りは大人の事情で今ひとつ不明😅

米原町域に建立されている『日本武尊』『番場の忠太郎』像

撮影日:2008年6月14日&2013年8月23日

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旧信楽町内~あちこちウォッチ in 滋賀県甲賀市

2025年03月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

日帰り余裕の距離でありながら、非日常の雰囲気満載の「信楽町」。今回の神社巡り以外にも、北海道からの友人や岡山の義姉一家を伴って何度か訪問しました。で、現地に行ったら必ず案内して、間違いなく喜んでくれるのが巨大狸との出会い。狸そのものが「狸家分福」というお店もその一つ。肩の部分が出入り口になっており、そこからお店に入るのですが、案内した友人知人は、ひたすら驚き、なおかつ喜んでもらえました😊

「信楽駅」前に立っている巨大狸。実は公衆電話だというと一様に驚き、間違いなく喜んでもらえる「面白スポット」😆

普段は普通の信楽焼きの巨大狸さんなんですが、何と12月になるとサンタさんに化けちゃうのです。何てたって狸なので化けるのは得意なんです。

ちなみに信楽駅では、駅長の「信楽テツ子」ちゃんが、毎日乗客たちのお出迎え&お見送りをしてくれます。

白漆喰になまこ壁の建物は「信楽古陶館」。奈良時代の開窯より現代まで伝わる「信楽焼」の歴史の紹介と、後世への継承を主たる目的として、1991年に開館した陶磁器専門の私立美術館です。

信楽焼きとはあまり関係ないかも・・ですが、神社巡りなどの時々に見かけた付近の民家屋根の飾瓦。殆どが「恵比寿&大黒」のセットですが、これが中々に独創的!

ちなみにこちらの「大黒さん」、上の大黒さんともの凄く雰囲気が似ているのですが、おいでになった屋根は全くかけ離れた場所なんです。でもこれだけ似ているという事は、同じ鬼師の作品かもしれませんね。

設定人物がよく分からないのですが、福の神とすれば「寿老人&布袋」のセットでしょうか?

内容が信楽焼きから外れてしまいましたが、信楽焼きの奥の深さは半端ではなく、それは若い世代にも着実に受け継がれているようです。たまたま通りかかった小学校には、創業記念に製作した信楽焼きの碑が立っていました。ついでに学校のアイドル『二宮金次郎さん』、信楽焼きになると随分表情が変わります。

信楽焼は日本六古窯のひとつに数えられる焼き物で、一般には狸の置物が広く知れ渡っています。電車の旅で出迎える狸はもちろん、ドライブやツーリングでも驚くほど多彩な狸に出会えます。次から次へと展開されるこんな光景も、信楽町ではごく当たり前の光景なのかもしれません。

訪問日:2002年6月5日&2005年11月23日&2011年2月27日・・・

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たぬきや総本家 :狸庵~其の三 in 滋賀県甲賀市信楽町

2025年03月24日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

狸神社に行った時には気付かなかった狸公園の道しるべ。次は何に出会えるのかとワクワクが止まりません😊

少し先には信楽焼きの不動明王像。火焔を背中に利剣と索をもって立たれています。

真っ直ぐ上まで上がると「おお!😲!」とご亭主殿の歓声が聞こえて来ました。何事?と一生懸命にについていった先に並んだ信楽焼きの一群を見て、思わず「すご~~~~~~い😲!」

何ともユニークな信楽焼きの狛犬さんがずらりと勢揃いしているではないですか!そもそも今回の私たちの信楽神社巡り、一番の目的は信楽焼きの狛犬さんに出会う事だったのですが、はからずもこのような所でお目にかかるなんて😍

大きなギョロ目に愛嬌のある鼻、その下の耳まで避けた口から覗く乱杭歯。色が変わるだけでこんなにも印象が変わってしまうというのも新しい驚きです。

瞼の垂れ具合ひとつで、楽しそうにも困ったようにも見える顔、こんな狛犬さんが居る神社なら、きっと御祭神も楽しまれるのではないでしょうか。

神社参拝の折にたま~~に見かける「獅子」の奉納。確かに「獅子狛犬」と言われてきたので、間違っていないし有りなんです。ちなみに日本ではライオンの事を獅子って呼びますよね😄

狛犬好きにはこの後ろ姿も、外せないチャームポイントなんだそうです。尾っぽの形が流れているとか分かれているとか・・それはもう常に熱く語っていただくのですが。

実際にこうして後ろ姿を見るとそんな気持ちも納得できるほど、いわゆるバックシャン(死語)な信楽焼きの神獣たちです。

神仏関連で外せない存在が七福神、勿論こちらでは狸の七福神さんがちゃんと並んでおいでの筈なんですが、実はお一方、行方不明😔。

枇杷を片手に立つのは七福神の紅一点「弁天様」、そこ隣にいるのは大きな袋を肩に掛けて打ち出の小槌を持つ「大黒様」。

巻物を持つのは「寿老人」?それとも「福禄寿」??。お隣で剣を持って立つのは「毘沙門天」

大きな鯛を抱えているのは唯一日本古来の「えびす様」。葉団扇片手にお腹を撫でるのは「布袋様」。

並んで立つ大きな狸さん、さしずめ縦型・横型といったところでしょうか?同じように思われがちな狸さんですが、こんなにもイメージが変わるんですね。

大きなマツタケを見つけて得意満面の狸さん、今夜は土瓶ムシを囲んで腹づつみ大会?

昔、『坂東玉三郎』さん主演の夜叉ヶ池」という映画に『龍神・白雪』の眷属として登場した鯉の従者が、まさにこんな感じ!!

「とんでもない所に来てしまったわい・・」と困惑顔のフクロウさん。もしかしてホグワーツの森から飛んできたのかな?・・お気の毒だけどここにはハリーポッターはいませんよ。

私の父は浪曲が大好きで、それを聴いている時は本当に楽しそうでした。その演目の一つ「一本刀の土俵入り」に登場する『お蔦さん』

『お蔦さん』に助けられながらも夢を果たせずやくざになってしまった『駒形村の茂兵衛』が、一世一代の土俵入りを見せる場面。「お前さん、勝手に役を振ってるけど、言われるとそんな風に見えるから不思議だよ😆(BYご亭主殿)」

さぁ、そろそろお暇を告げないと、予定していた信楽神社巡りも途中で挫折してしまっては悔いが残ります。夫婦狸さんも購入しました😍 素敵な狸さんたち、いつかまたお会いできますように!!

最高に楽しい経験だった「狸庵」の狸巡り。最後は「信楽狸の八相緑喜」で。
八相緑喜その一 「思いがけない災難や悪事から身を守る笠」
八相緑喜その二 「何事にも気を配り、正しく見つめる大きな目」
八相緑喜その三 「愛想よく暮らせる笑顔」
八相緑喜その四 「飲食が事足り、徳を身につける意味を持つ徳利」
八相緑喜その五 「世渡りに信用第一を重んじる通帳」
八相緑喜その六 「太腹で決断力を持つ腹」
八相緑喜その七 「金銭などの財宝を自由自在に運用する金袋」
八相緑喜その八 「終わりよければ全てよし、しっかりと身を立てることを願った太い尾」

訪問日:2011年2月27日

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たぬきや総本家 :狸庵~其の二 in 滋賀県甲賀市信楽町

2025年03月23日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

参道を降りてそのまま帰るにはあまりにも惜しいこの光景。せめて看板と店構えだけでも写真に残したい・・できればこの素晴らしい信楽焼きも記録に残したい!

焼き物に目が無い亭主殿はもう狂喜乱舞😅。ねぇ、入り口の左右には仁王さんですよ、仁王さん!!狸仁王様が阿吽の呼吸で見得を切り、肩布をまとっているんですよ!!

ちなみに狸仁王様は玄関横の通路にも大小の二体が展示されていましたが、個人的には玄関横の狸仁王様の迫力には今一歩、及ばない気がします。

反対側には体より大きな金棒を持って見得を切る「鬼」。大口を開けて高らかに天を見つめる「鯉」。何を待っているのでしょう?

阿吽の信楽狛犬さん。透かしの玉を口に咥える阿形さんと、大きな透かしの玉を両手に抱える吽形さん。いやもう・・・・可愛い(^^;)

あまりの楽しさにツイ我を忘れて声が大きくなっていたようです。お店のご主人が出て来られ、中に案内してくださいました。恐縮する二人に、丁度お昼ご飯が終わって店を開けたところだからと・・・、私たちには思いがけない幸運でした。

狸庵初代『藤原銕造氏』が「狸」造りに着手したのは、明治20~30年頃の事。清水焼の工房に9歳で引き取られ、11歳のときからロクロをひいていた修行中のある月夜の晩。音羽山で腹鼓に興じる野生の狸を見、その可愛らしさに魅せられたのです。

「夢か、幻か、縁起が良いと言われる狸の腹鼓。何とかその姿を再現したい」と・・・三代目「狸庵」の『藤原一暁さん』は、何十回も繰り返したと思われる話を、いかにも楽しそうに語ってくださいました。

屋内には「狸庵」創業の第一歩となった「初代:藤原銕造氏」作の、信楽焼き狸が展示されています。

そしてこれが二代目狸庵さんが生み出した信楽狸。全体にぽっちゃりして顔立ちも可愛らしくなっています。たとえば本物の狸のように前に突き出した鼻は、配送のときに割れてしまうので、ぐっと低く。そんな工夫をしていく上で、やはり顔も可愛い方がいい、お乳も大きい方が良い、腹も白い方が良い、お腹は太っ腹の方が良い・・・様々な試行錯誤をかさね、愛嬌ある可愛い狸が出来上がっていったのです。

工夫され研鑽されていった信楽の狸を、一躍全国区にしたエピソード。それは昭和26年の『昭和天皇』信楽町行幸での事。狸庵さんは、日の丸の旗を持ったタヌキを沿道に並べて行幸を歓迎🎌🎌。子供の頃からタヌキの置物を集めていた『昭和天皇』はたいそう喜ばれ、御歌を読まれました。
【をさなきとき あつめしからに なつかしも 信楽やきの 狸をみれば】
その話はマスコミに取り上げられ、信楽タヌキは一躍全国区規模で有名になりました。

店内には実に様々、あらゆる狸さんがいてそれはもう見ているだけで笑えてしまうのです。もちろん狸だけではなく、信楽焼きで作られたものなら何でもありの、まさに焼き物パラダイス。

時代に流されること無く、受け継いできたものを大切にして生み出され続ける三代目の信楽狸たち。その豊かな表情は、信楽の狸を散々見てきたつもりの私の目にでさえ、とても新鮮に映りました。

楽しいお話と素敵な狸さん、それに既に芸術作品と言っても可笑しくないような信楽焼きの数々を見せていただき、もうこれ以上は無いほどの大満足。

さらに、嬉しい事に工房の方に有る「狸公園」も見に行ってよいと言って頂き、有り難くお言葉に甘える事にしました。そこから先は明日の「たぬきや総本家 :狸庵~其の三」で。

訪問日:2011年2月27日

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たぬきや総本家 :狸庵~其の一 in 滋賀県甲賀市信楽町

2025年03月22日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

甲賀市信楽町江田、旧信楽町域の神社を訪ねて車を走らせていた私の目に、唐突に飛び込んできた狛犬!? いや・・・形は似ているけれど何だか微妙に違う。ねぇ、ちょっとだけ寄り道したい!

建物には暖簾がかかっているようだし、きっと信楽焼のお店に違いない。ああ、ほら、入り口にさっき見た狛犬!・・では無くて「狛狸!!」。よく「つかみはOK」なんて言うけれど、そんな生半可な物じゃなく、完全に目も足も釘付け。

駐車スペースに車を止めさせて頂き、改めて辺りを見渡せば、気になるあれこれが一杯。特に建物の横に設けられた石段の上。沢山のタヌキの中で一際異彩を放つ巨大な狸さん。

大狸さんに中狸さん、普通サイズにお手軽サイズ。貫禄も謂れも有りそうな人の陶像も・・・石段の前に柵は無いみたいだし・・

それにほら、「狸神社参道」の社号標or灯篭が。

手水迄あると言う事は、この上に「狸神社」が鎮座している筈。予想外の展開に、二人すっかり上機嫌。

手水鉢の上には、入り口で見かけた狛狸さんの小型版。小型と言っても比べる対象が大きすぎるからで、決して小さいと言うのでは有りません。

参道を上がって左に折れた先に朱塗りの鳥居。

八相緑喜笠の鳥居額、中央に「狸大神」と大書された通帳。

ご神域を守護されるのは一対のお狐様。何ざましょ!!このユニーク且つ、可愛く怪しい表情😍😍

 陶器狸といえば信楽と言われるほど、日本中に信楽狸を浸透させた信楽狸の元祖「狸庵(りあん)」さんによって建立された「狸神社」。決して奇をてらったモニュメントではなく、きちんとお社の体裁が整えられた、まぎれもない神社。狸神社ですが、きっと御神徳はすべての動物に及んでいる筈。・・と、勝手に解釈させて頂き、我が家の愛猫たちの健康長寿を願ってきました🙏🙏

社殿が鎮まる神域を守護されるのは一対の狛狸さん。愛らしいという言葉がこんなにもしっくりする表情に、家で私たちの帰りを待つ愛猫たちを思い出す🐱🐱🐱  いや、とにかく可愛い。

立烏帽子を頭に・・後は自然体😅の狸様。古代装束に身を包み笏を手にする狸様は、立烏帽子ではなく通帳と徳利を貼り付けた笠。

参拝を終えて、改めて見上げる巨大狸さん。向かって左手においでになるのは「狸庵」初代の『藤原銕造』

藤原銕造氏の足元で、歌碑を紹介する健気な表情の狸さん。「大平の千代を寿ぐ腹づつみ 八千代に響け 狸庵の狸 京都十六師団長 中村大将 御歌 昭和四年」

狸の仙人・・と言う言葉が当てはまるのかどうか疑問ですが、沿道を見おろすその姿には得も言われぬ力強さと愛嬌が凝縮され、見上げていると多少の悩みなんてどこかに吹っ飛んでしまう😄。

あら?こんな所に文福茶釜さんが。一生懸命、恩返しをしたのに、火にかけられて正体がばれて・・なんて、それは健気に頑張った狸さんが可哀想😭 でもここなら大丈夫。のんびり狸生を過ごしてね。

如何にも強そうな毘沙門天様も多聞天様もおいでになる。怖い事なんて何にもないよ😊

訪問日:2011年2月27日

もっといろんな角度で狸神社が見たいという方は、こちらへ

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