車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

神明神社 in 岐阜県各務原市

2016年12月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

岐阜県各務原市鵜沼三ツ池町に鎮座される「神明神社」。御祭神は『天照皇大御神』。

鳥居の内、拝殿前に愛知県の神社によく見かける「 石造り連子窓型蕃塀(ばんぺい)」が置かれています。岐阜県の神社では、多分今回が初めてではないかな?

「本神社は安永五年正月の創建にして、相当古き社なり。尚詳細由緒については不詳」岐阜県神社庁HPより

石段の上、玉垣の中に拝殿。

拝殿下の左右より神域を守護されるのは、大正11年10月建立の浪花系の狛犬さん一対。吽形さんは仔狛に何かせがまれて困惑顔。阿形さんは毬を手に暢気に笑っています。

吽形さんが困り顔なのは前足にぶら下がって離れない仔狛の所為ばかりではないようで、ほら背中の上にも可愛い仔狛が。これはきっと背中の争奪戦の結果なのかもしれませんね(笑)

石段の上、本殿神門前左右より神域を守護されるのは、やや気弱な顔立ちの浪花系狛犬さん一対。仔狛に抱きつかれて憮然とした表情の吽形さん。折角用意したまりに見向きもされないで困った顔の阿形さん。

多分・・仔狛にとってこの位置は、毬なんて比べ者にもならない程の特等席なのでしょう。

三巴紋の腹かけをした御神馬、今回の各務原市内神社巡りでは二例目の御神馬です。

御神木

「竹山壽夫翁頌徳碑」

境内の一画に祀られていた「山神」碑と、どなたか判りかねる「神像」一基。

参拝日:2010年11月27日

 

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稲荷神社 in 岐阜県各務原市蘇原

2016年12月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

各務原市蘇原大島町に鎮座される「稲荷神社」。御祭神は 『倉稲魂(うかのみたま)命』

「関東鎌倉より源氏の臣一家の霊神を負来て当村に居住し、其の節奉齋する哉。之を田中の稲荷大明神と尊敬し其の後文禄二年に至り字四反田と云ふ所へ奉転座する哉。造立再建の棟札に記載有り。その後慶長元禄等に至り領主徳山五兵衛尊敬致されし確乎古器物等に残りし由緒とす。」岐阜県神社庁HPより

拝殿

拝殿前参道左右より神域を守護されるのは、昭和10年2月建立の巻物と宝珠を咥える神狐さん一対。スラリとした端正なお姿です。

同じく巻物と宝珠を口に、拝殿前石段脇より神域を守護される神狐さん一対。

こちらも同じく巻物と宝珠。上の神狐さんと同じく新しい奉納のようです。

真っ赤な屋根が印象的な神楽殿

神楽殿内の天井に保存されていた・・これは御神輿でしょうか?特に何らかの説明も無かったので不明のまま。

神楽殿前左右より神域を守護されるのは、昭和3年12月建立の狛犬さん一対。顔の周りを鬣で包まれた顔立ちは、何ともはんなりと穏やかで、浪花でも丹後でも岡崎でもない・・・独特の風貌です。

昭和11年2月建立の奉納神狐さん

背中に御幣を乗せて飛び跳ねる神狐さんは、多分初見だと思います。

境内社四坐「金比羅神社、神明神社、愛宕神社、秋葉神社」

玉垣の前より神域を守護されるのは、昭和4年6月3日建立のおやじのような髭が特徴の、浪花タイプの狛犬さん一対。吽形さんは前足に仔狛をつかまらせています。

画像右より境内社「水神神社」「社護司神社」

お社は二基ならんで鎮座され、中央には五輪塔が奉納されています。

玉垣前左右より神域を守護されるのは、難しい顔で何事か思案中の狛犬さん一対。吽形さんの深刻そうな顔と、阿形さんのもう投げ出したと言いたげな顔が何とも対照的。

境内に建立されていた「遷座記念碑」細かい内容については、勉強不足ゆえ不明なままです。

御神馬

神輿蔵

参拝日:2010年11月27日

 

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白鬚神社 in 岐阜県各務原市前渡西町

2016年12月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

各務原市前渡西町に鎮座される「白鬚神社」。御祭神は導きの神として知られる『猿田彦大神』

「創立年代不詳。明治七年地租改正関係書類中左記のものあり。前渡村字山屋敷1361番1小社白鬚神社旧境内地四反一畝十四歩但し官有地第一種。」岐阜県神社庁HPより

参道真っ直ぐに開放的な拝殿が見えてきます。

四方に壁のない拝殿は、神楽殿としての役割も兼ねているのでしょうか?素通しの向こうには神門へと至る石段が見えています

そういえば拝殿の周囲に積み上げられた石の壁ですが・・・この石がちょっと独特の風貌なんですね。もしかしたらこの丸っこい石、旧川島町の主産業であった木曽川の丸石(川石)かもしれませんね。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、大正6年8月建立の狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を前足にすがらせ、阿形さんは足の下に毬を置いています。各務原市の仔狛は吽形さんの前足に縋りつくタイプが普通なのでしょうか?

まるで何かをねだる赤子のような仕草・・・それは人でない生き物であっても変わる事のない親と子だけの暖かな時間・・・子を持った親には仔狛の一生懸命な仕草が、何故か胸にジンとくるのです。

拝殿の奥に本殿に至る石段

屋根の上から参拝者を迎える留蓋の獅子たちは、真ん丸な目を一杯に見開いて下界を見下ろしています。

参拝日:2010年11月1127日

 

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祇園神社 in 岐阜県各務原市前渡西町

2016年12月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

各務原市前渡西町に鎮座される「祇園神社」。通称「お天王さん」とも称され、御祭神は『須佐之男神』

「創立年代不詳。明治七年地租改正関係書類中左記のものあり。前渡村字欠ヶ上435番小社八坂社旧境内反別一反九畝二十歩但し官有地第一種。」岐阜神社庁HPより

左右の松が瑞々しく、ゆったりとした雰囲気の通し拝殿、その奥に御本殿が続きます。

拝殿前左右より神域を守護をされるのは、一見丹後系にも見えるいかつい顔立ちの狛犬さん一対。吽形さんは前足に仔狛を、阿形さんは毬に前足を置いています。

吽形さんの大きな前足にしがみつき一生懸命に見上げる仔狛、何とも胸キュンな仕草に、人も神獣も親子の時間と言うのは同じなんだと感じさせられます。

画像が少ないので・・横からの一対。苔むした石の感じが過ごしてきた年月を物語っているようです。

参拝日:2010年11月27日

 

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手力雄(てじからお)神社~其の二 in 岐阜県各務原市

2016年12月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

「手力雄神社」の二の鳥居は大正時代の建立。ちなみに一の赤鳥居は万治2年(1659)の建立で、道路拡張に伴って現在地に移築されました。

二の鳥居を潜って左手に鎮座される「子護 (こまもり)薬師社」。御祭神は『大巳貴命・小彦名命・薬師大神』。御本尊は『薬師大神』の本地仏である『薬師如来』。神仏習合の名残が今も残されています。

境内途中よりお薬師様を守護されるのは、昭和9年4月建立の、浪花の強面おっちゃんタイプの狛犬さん一対。吽形さんは仔狛の頭に手を置き、阿形さんは毬を手元に置いています。

でもって、この吽形さんの足元にじゃれる子狛の顔つきが、吽形さんに負けず劣らずの強面、将来はたぶん・・有望です(^^;)

お薬師様の扉前に置かれた【重・軽・石(おもかるいし)】、持ち上げた時に感じる重さが予想よりも重いか軽いかで願いが叶うか否かを占います。お座部の色が赤と青なのは、男女別に石の重さを変えてあるとか??

参道右手に境内社二社。右に鎮座される「福徳龍神社」。御祭神は『龍神』。祠が祀られる台座はかつて境内にあった井戸枠で「貞享四年(1687)」の建立年があります。

さらに参道を進み、舞殿横の渡り廊下を潜った先に6世紀後期と推定される「横穴式石室古墳」が見えてきます。境内に数基点在していたそうですが現在は東西に2基のみが残されており、市史跡に指定されています。

何と言うか・・・ご亭主殿が一緒だから奥まで覗き込めますが、一人だと即回れ右(^^;)

御本殿裏手、左手に「秋葉神社」。火伏の神である『秋葉権現』が祀られます。

御本殿裏手、右手に「八幡神社」。石清水八幡宮より勧請した武門の神とされる『八幡神』が祀られます。

八幡社から更に進むと「稲荷神社」。伏見稲荷大社より勧請した五穀をつかさどる『御食津神』が祀られます。

ちなみに一の鳥居から境内を入るとすぐに「信長顕著碑」が・・・えッ!!えぇぇ~~??信長~~~~~ぁ!?いや、確か信長って美濃を滅ぼした武将ですよね?それが何ゆえ、しかも神社で顕著されるのか??・・・と顕著碑に目を通してみれば、「永禄10年(1567)、信長は稲葉山城攻めの戦勝祈願を行い、戦勝後は広大な社領を寄進。~中略~また、多くの宝物を寄進し、それらは今も、文化財として神社に残されている。」と言った内容の事が、信長公の肖像画つきで、びっしりと書き込まれています。

神社の御神紋が「織田木瓜」なのは、どうやら信長の崇敬を受けての事のようです。

神仏の祟りなど知った事かというイメージの信長さん、美濃攻めの為に各務原へ攻め入り、周囲の寺社を焼き払いながらやがてこの社にも迫ってきたところ・・・突然、あたり一面に霧が立ち込めたかと思うと、体の自由が利かなくなり、ついに落馬してしまいます。これを神罰と恐れた信長は、社に二度と弓を引かないことを約束し、ついでに戦勝祈願までしています(笑)そんな経緯もあって、今日では、勝運・開運の神として必勝祈願の参拝者で賑わうそうです。

社務所の前より神域を守護される小さな狛犬さん一対。素材は粘土か何かのように見えます。どなたが、どのような意図で製作されたのか分りませんが、四肢を踏ん張った姿が健気です。

手水舎

参拝日:2010年11月27日

 

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手力雄(てじからお)神社~其の一 in 岐阜県各務原市

2016年12月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

各務原市那加手力町に鎮座される各務原市内金幣五社の一社「手力雄(てじからお)神社」。御祭神は『手力雄神(てじからおおかみ)』。相殿神八座『高御産霊神・神産霊神・美和都神・宇津井剣火御子三所神・伊波乃西神・長山神・村国神・村国真墨田神』

創建不詳「社伝に、5世紀末期ごろ中里を支配していた豪族により、山の中腹に磐座祭祀として『真幣(みてぐら)明神』を祭ったのが始まりとされる。主祭神手力雄神は、古くは佐良木郷八ヶ村の山中に祀られていたのを、後に現社地に奉還され佐良木郷の産土神として崇敬された。永禄10年(1567)織田信長が岐阜城攻略のおり当社に戦勝祈願をし、祈願成就の後、各務野原近里1300町歩を社領に付し、宝物等を寄進した。」公式HPより抜粋

檜皮引きの拝殿後方に各務原市指定重要文化財の本殿。「社記によると延宝二年(1674)の再建といわれる。屋根は前方の傾斜を後方よりも長くする一間社流造で、上面は檜の皮で葺いた檜皮葺。正面中央には軒唐破風、その上には千鳥破風が構えられている。本殿の三方にはまん板と高欄を巡らせている。」現地案内より

同じく各務原市指定重要文化財の「本殿海老虹梁巻龍二体」。案内に「向拝柱の間をつなぐ虹梁の両端が竜頭形の木鼻として立体的に強調されたものです。さらに胴体と四肢が主屋とをつなぐ海老虹梁に巻きつくように取りつけられています。」

伝説では、この龍は昼には井戸に隠れて姿を表さず、夜になると井戸から抜け出し田畑を荒らしまわっていました。龍の悪さに困った村人たちは神主と相談の上、よくよくお祓いをした後に龍の目に釘を打ちつけました。以後、田畑が荒らされる事はなくなったと云います。

そんな伝説が生まれる程の雌雄の龍ですが作者は不明。左甚五郎の作とも伝えられますが、一説に左甚五郎は飛騨の匠の総称ではないかとも言われています。出来の良い彫刻で作者不明のものには、往々にして「伝:左甚五郎作」とされ、これも同様と考えられます。

御祭神が鎮まられる御本殿を守護されるのは阿吽の龍ばかりではありません。高欄のうちより低く構えた姿勢で神域を守護される木造の神殿狛犬さん一対。

吽形は角を持ち、低く構えた姿勢のままギリギリと奥歯を噛み締め、前方を睨み据えています。

脇障子には草花の彫刻が施されていますが、これ以上は近づけない為、全体像をとらえる事はできません。

組み物の下の彫刻は、おそらく二十四孝の一つ「楊香」と思います。他にも一連の彫刻が有りましたが、まともに写せたのはこれ一枚だけ(^^;)

御本殿外より神域を守護されるのは、明治41年3月建立の狛犬さん一対。阿形さんは前歯で玉を噛み締め、吽形さんは牙をむきだし、奥歯を噛み締めています。

拝殿左手に、昭和初期に建築された「舞殿」。稚児の舞が奉納されていたそうで、今も雅楽等の奉納行事に使用されています。

舞殿の屋根より神域を守護される留め蓋瓦の獅子一対。上目遣いの表情が何とも面白可愛い阿形さん。

体の半分くらいはありそうな大きな毬を抱え込んだ吽形さん。奪われてなるものかと唇を噛み締めているのが、これまた可愛い(笑)

拝殿前左右より神域を守護されるのは。昭和9年4月建立の岡崎型狛犬さん一対。吽形は口中に玉を含む仔狛をつれ、阿形は手の下に毬を置いています。

細石「さざれ石の巌となりて 苔の生す迄」

まだまだ終わらない「手力雄神社」。明日は境内に祀られる摂社などを紹介します。

参拝日:2010年11月27日

 

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ご当地マンホール in 岐阜県各務原市

2016年12月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

各務原市(かかみがはらし)は岐阜県の南部、濃尾平野の北部に位置する市です。岐阜市、関市、加茂郡坂祝町、羽島郡岐南町、笠松町に、また県を跨いで愛知県:一宮市、犬山市、江南市、丹羽郡扶桑町に隣接。北部から東部にかけては俗に各務原アルプスと呼ばれる標高200-300mの層山地が広がり、秩父古生層の砂岩、チャート南部を木曽川が流れ、愛知県との県境となっています。かっては中山道の宿場町(鵜沼宿)として栄え、近現代には自衛隊岐阜基地などに関連する工業都市として発展。岐阜大学農学部跡地に造られた各務原市民公園をはじめとする多数の大規模な公園緑地があり、まちづくりの政策として「パークシティ」(公園都市)を掲げており、特に新境川堤の桜並木は全国的にも有名です。「市の木:松」「市の花:ツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「夢ある都市 元気な各務原市」

明治22年(1889)、町村制の施行により、各務郡鵜沼村・那加村・各務村・伊飛島村 ・和合村・大宮村・古市場村・持田村・三柿野村が成立。

1897年、郡制の施行により、厚見郡・各務郡・方県郡の一部が合併、稲葉郡が発足。 同年、伊飛島村・和合村・三柿野村・大宮村・古市場村・持田村が合併、稲葉郡蘇原村が発足。

1940年、那加村が 町制を施行、稲葉郡那加町となる。

1943年、蘇原村、鵜沼村がそれぞれ町制を施行、稲葉郡蘇原町、鵜沼町(初代)が発足。

1955年、鵜沼町と各務村が合併、稲葉郡鵜沼町(2代)となる。

1955年、羽島郡中屋村、稲葉郡更木村、前宮村が合併、町制を施行し稲葉郡稲羽町が発足。

1963年、稲葉郡那加町、稲羽町、鵜沼町、蘇原町が合併、各務原市が発足。

2004年、羽島郡川島町を編入。

デザインマンホールはプラ汚水桝のみ、「市の花:ツツジ」が描かれています。

もう一種類は「双発機と山並み」が描かれています。

昭和38年(1963)4月1日制定の市章は「各務原市の「各」の字を図案化したものです。4つの菱形は市発足当時の旧那加町、旧蘇原町、旧鵜沼町、旧稲羽町を表し、4町が緊密に協力し合い、市の発展に繋げていくという願いを込めて制定されました。」公式HPより

防火貯水槽

地名のみの仕切弁・消火栓

特定の地域を表すものがない規格空気弁

B級グルメとして知られる「各務原キムチ」のイメージキャラクター『キムぴ~』。「キムチを食べてハッピーになろう」が名前の由来ですが、私の場合は、近寄られただけで死にたくなる程、アンハッピーになります😱

撮影日:2010年11月27日

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橋詰神社 in 愛知県清須市西枇杷島町

2016年12月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県清須市西枇杷島町に鎮座される「橋詰神社」、御祭神は『須佐之男命』

「もと、一六五四年創建の神明社。のち牛頭天皇を合わせ祭り、天王社が主となった。その後、この地が橋詰町であったことから橋詰神社と呼ばれるようになる。古来より天王社に因み、西枇杷島地方で唯一、幼子の守護神として近郷の人々に広く崇められ「虫封じ」神事が行われている。」

「天王宮」社号額

拝殿前青銅製二の鳥居の左右より神域を守護されるのは、大正14年(1925)6月建立の浪花型狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を、阿形さんは毬に手を置いて売ます。

口を閉ざす吽形仔狛さん、ぐいと反り返って後方を確認する姿は将来の大物素質充分。

境内入り口近く、大きく枝を広げる楠の御神木前に鎮座される摂社「金刀比羅社・秋葉社」

文政十年(1827)、旧枇杷島橋小橋のたもとに建てられていた「美濃路道標」

四面それぞれに「東 西ハつし満てん王うきよす宿みち」「西 飛(ひ)がしハとうかゐだうなごや道」「南 文政十年丁亥七月吉日」「北 い王くら道」の刻

道標の斜め後ろに建てられた、巨大な大根を担ぐ「にしび夢大根」像

「尾張名所図会:小田切春江(おだぎりしゅんこう)」作「青物市」「 江戸時代初期、枇杷島橋が架かるのと同時に、徳川家康の命により、市兵衛と九左衛門によって青物市場が開かれ、38軒の青物問屋が軒を連ね、尾張内外から多くの荷が集まり、やがて日本三大市場の一つとなったと言う。」

「尾張名所図会」プレート

参拝日:2011年4月24日

 

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ご当地マンホール in 愛知県旧西枇杷島町・旧新川町・旧春日町(清須市)

2016年12月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧西春日井郡西枇杷島町(にしびわじまちょう)は愛知県名古屋市の北西に位置した町です。江戸時代、名古屋城と清洲城を結ぶ街道には、江戸の神田・大阪の天満と並び日本三大市場と呼ばれた「下小田井の市」があり、近世に至るまで問屋街として栄えてきました。江戸末期に編纂された「尾張名所図会」から起こされた「下小田井の市」をモチーフにした「にしび夢だいこん」に往時の賑わいが偲ばれます。「町の木:クスノキ」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により西春日井郡西枇杷島町が発足。

2005年、西春日井郡清洲町・新川町との新設合併により、清須市が発足。清須市西枇杷島町となりました。

マンホールは、当時の町章を中央に配した規格蓋が一枚のみ・・と、かなり不本意な結果(-"-)

昭和44年(1969)10月1日制定の町章は「頭文字である「に」を、大空に飛び交う翼に表した。」

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旧西春日井郡新川町(しんかわちょう)は愛知県西部に位置し、東海地方最大の弥生集落「朝日遺跡」や、「尾張名所図会」にも登場する「尾張星の宮」などで知られた町です。「町の木:月桂樹」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、西春日井郡須ヶ口村・西堀江村・寺野村・阿原村・新川村が発足。

1890年、新川村が町制を施行、西春日井郡新川町となる。

1900年、須ヶ口村・西堀江村が合併、西春日井郡桃栄町が発足。

1906年、西春日井郡新川町・桃栄町・寺野村・阿原村が新設合併し、改めて新川町が発足。

2005年、西春日井郡西枇杷島町・清洲町と合併、清須市となりました。

マンホールには周囲に「町の木:月桂樹」、「町の花:サツキ」。町章と新川の流れ、二羽の「カワセミ」がデザインされています。

昭和39年(1964)10月1日制定の町章は「「しん」を、新川町の地形に図案化した。」

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旧西春日井郡春日町(はるひちょう)は愛知県西部、尾張地方の北部に位置した町です。濃尾平野の中部にあり、日本で一番小さい面積の町、また愛知県一面積が小さい自治体として知られていました。尾張大根を代表する「宮重大根」の発祥地として、落合宮重地区には「宮重大根発祥之地碑」が建立されています。「町の木:黒松」「町の花:桜」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により西春日井郡下之郷村・落合村が発足。

1906年、下之郷村、落合村が合併し、西春日井郡春日村となる。

1990年、春日村が町制を施行。 西春日井郡春日町となる。

2009年、隣接する清須市に編入される。

マンホールには「五条川の桜並木」、宮重地区が発祥とされる「宮重大根」、マスコットの「宮重ダイちゃん」がデザインされています。

昭和48年(1973)1月1日制定の町章は「「はるひ」の頭文字「は」を図案化した。」

撮影日:2011年4月24日

 

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岩清水八幡宮 in 愛知県清須市土田

2016年12月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県清須市土田に鎮座される「岩清水八幡宮」。御祭神は『譽田別尊・玉依姫命・気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后

参道真っ直ぐに木製二の両部鳥居と社号標

拝殿前正面に石造り連子窓型蕃塀。連子や羽目に彫り物が有るのが普通と思っていたのですが、このような簡素なタイプも有るのですね。

由緒「建久元年(1190)9月に『源頼朝』がここで眼病治療を受け平癒した際に石清水八幡を勧請したのを起源にするという。その後慶長11年(1606)、清須城主松平忠吉が社殿を再興し所領などを寄進せられる。」

拝殿奥に続く幣殿、正面奥に御本殿

御本殿

本殿近くより神域を守護されるのは明治三十九年九月建立。構えに近い姿勢で顎を上げる狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を、阿形さんは毬の上に手を置いています。

愛知県でこのようなスタイルの狛犬にお目にかかるのは比較的珍しいという事で、特別に愛らしいバックスタイルも(笑)

でもって、仔狛がまた格別可愛らしい(〃∇〃)

境内社「福神社」。私の故郷にある「特別史跡:閑谷学校」の敷地内にも「福神社」が祀られていますが御祭神は不明。分からないとなると尚更気になるものです。

「殉国之碑」、大東亜戦争で散華された御英霊に捧げられた碑。

一際高くそびえる奉納鳥居と、読み下せなかった歌碑

ふり返ってみる境内

見上げれば、乙女の肌を思わせる薄桃の八重桜

参拝日:2011年4月24日

 

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