車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

飯坂温泉~其の一~ in 福島県福島市飯坂

2024年08月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

福島市内からさほど遠くない飯坂町十綱町に、鳴子・秋保とともに奥州三名湯に数えられる飯坂温泉があります。電車を使えば福島駅から飯坂温泉駅まで23分、車でも22分という距離は、地理に詳しくない余所者にも実に魅力的。

山間の小さな温泉街と違って、周辺は普通に町(笑)。整備された道沿いにはこれもまた普通の都会の景色が広がり、本当に温泉街に来たのかと疑いたくなる程。

ですが、ほんの少し目線を変えると、十綱橋のポケットパークには芭蕉さん。その前には日本最初のラジウム発見の地:記念碑等々・・遠方からの来訪者の好奇心をくすぐる演出がそこかしこに😊

交通の便が良く住環境も整備された町なかの温泉地ですが、その歴史は古く、2世紀頃、日本武尊が東夷東征の際に病にかかり「佐波子湯」に浸かった所たちまち元気になったという伝承や、平安時代に編纂された「拾遺和歌集」に【あかずして わかれし人のすむさとは さばこのみゆる 山のあなたか】と詠まれた歌もあり、「さばこ」という名前が既に定着していたことも伺えます。(1889年に建築された鯖湖湯跡碑)

冒頭の『松尾芭蕉』は、奥の細道の中で弟子の曾良と「飯塚(飯坂)」の粗末な苫屋に泊り、湯に入った事を記し、近現代では『昭和天皇』をはじめ、皇族の皆様も訪れています。また昭和12年(1937)には『ヘレン・ケラー』も宿泊。よほど飯坂温泉がお気に召したのか、その後2度も訪れています。

さて、飯坂温泉と言えば何といっても有名なのが「鯖湖湯」ご当地マンホールのデザインにも使われており、温泉ファン以外の人(私たち)にも人気です。

名の由来は、西行法師がこの湯を訪れた際に詠んだ【あかずして 別れし人のすむ里は 左波子(さわこ)の見ゆる 山の彼方か】から、「左波子=鯖湖」の名が定着したとも云われています。

明治22年(1889)に建築され、古くから日本最古の木造建築共同浴場として親しまれてきた鯖湖湯でしたが、老朽化により取り壊され、1993年に30m離れた現在地に当時の姿を再現して改築されました。

「飯坂温泉発祥之地」碑が立てられていたのは、明治15年(1882)創業の「ほりえや旅館」。与謝野晶子・正岡子規の文学碑もあります。

【 わが浸る 寒水石の湯槽にも 月のさし入る飯阪の里 与謝野晶子】

【 夕立や人聲こもる 温泉の煙 正岡子規】

敷地内に祀られる「鯖湖神社」。傍らには、身体の癒したい所に温泉をかけると良くなると伝えられる「泉仏 お湯かけ薬師如来」。お薬師様にお湯をかけ、共に生きる人の無病息災を願います。そう言えば・・と、唐突に思い出すのは、大阪市ミナミの法善寺横丁には「水かけ不動さん」がいて水をかけた記憶が・・😊

鯖湖神社の横で存在感を示す、屋根付き樽の「分湯槽」。こちらの源泉温度は51度で泉質は単純温泉(アルカリ性低張性温泉)。

分湯槽は、源泉の口から外湯や宿泊施設へ温泉を分ける大きな容器みたいなもので、外湯や、源泉を持たない施設へ配湯する役割をしています。

存在感を放つ「分湯槽」は、温泉街に架かる橋の親柱のデザインにも使われています😀

魅力的な建物と言えば、国の登録有形文化財に指定されている「なかむら屋旅館」。江戸末期建築の「江戸館」、明治時代中期建築の「明治館」の二棟からなり、白壁土蔵造りの木造三階建てとして地域のシンボル的存在となっています。

「平成23年3月の東日本大震災で大規模半壊の被害を受けましたが、その後4期工事を経て元の姿に修復された事が評価され、平成28年には第32回福島県建築文化賞において復興賞を受賞。」公式HPより。

美しい景観は守る人が居てこそ美しく保てるもの。被災当時を想像するしかない余所者の私たちですが、その事実に心から敬意を表させて頂きます。

🌸🍀飯坂温泉街のそぞろ歩き、明日に続きます。

訪問日:2015年6月23日

コメント (4)
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