赤磐市(あかいわし)は岡山平野の北東部に位置する市です。2005年3月7日 、赤磐郡山陽町・赤坂町・熊山町・吉井町が新設合併して発足しました。岡山市、備前市、久米郡久米南町・美咲町、和気郡和気町に隣接。地名は郡制の施行により発足した赤磐郡に由来。県内三大河川の一つである吉井川が市の北東部を流れ、市域の大半は丘陵と山林で占められています。
赤磐市仁堀にある「岡山フォレストパーク ドイツの森」は、その立地を生かした農業公園として、ジャージ牛の乳しぼり体験・アルパカ・ミニブタたちとのふれあい等々で、家族連れに人気のスポットとなっています。「市の木:松」「市の花:桃・桜」を制定。
キャッチフレーズは「人“いきいき”まち“きらり”」
2005年7月31日に制定された市章は「赤磐市の「ア」をモチーフに、躍動感とふれあいのイメージを表現しました。赤は市民の活力を、緑は豊かにとりまく自然と文化と歴史を象徴し、未来をみつめ活気あふれる赤磐市の発展を意味しています。」公式HPより
赤磐市のマスコットキャラクター『あかいわモモちゃん』。桃の花輪飾りと立体的なぶどうの粒がポイントの明るくて元気な女の子です。
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旧赤磐郡山陽町(さんようちょう)は岡山県の南東部に位置した町です。岡山市、赤磐郡赤坂町・熊山町・瀬戸町、御津郡御津町に隣接。町の中央部は比較的平坦で、東西は100m ~ 380mの丘陵。地域内には南方前池遺跡(県指定)、両宮山古墳(国指定)、備前国分寺跡(国指定)等の史跡や、千光寺三重塔等があり、古代~中世~現代にいたる営みが残されています。南北朝時代には鳥取荘が置かれて長講堂領となっていましたが、一時期、児島高徳が恩賞により形式的な所領としていたといわれています。モモと葡萄の栽培が盛んな事から、町には巨大な桃のガスタンクがランドマーク的役割をはたしています。「町の木:松」「町の花:桃」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、赤坂郡東高月村・鳥取下村・鳥取中村・西高月村・西山村が発足。
1900年、郡制の施行により、磐梨郡と赤坂郡が合併、赤磐郡となる。
1902年、東高月村、鳥取下村、鳥取中村が合併、赤磐郡高陽村が発足。
1926年、西高月村が改称、赤磐郡高月村となる。
1953年、高陽村、高月村の一部・西山村が合併、町制を施行し赤磐郡山陽町が発足。(高月村の残部は岡山市に編入)
2005年、赤磐郡赤坂町・熊山町・吉井町と合併、市制を施行し赤磐市となりました。
マンホールには特産の「モモとブドウ」、上部には町章が表記されています。
昭和50年(1975)1月制定の町章は「頭文字の「山」を図案化したもので、山の字が円から2方に飛び出して町制の力強い飛躍と発展を象徴し、外の円は町民の団結と協調を象徴したものです。」合併協議会資料より
自治体名のみの古い消火栓は、山陽町馬場の「旧赤坂高等尋常小学校本館」付近にあったもの。
最後は山陽町を流れる砂川に架かる「下市橋」の親柱。特産の桃と葡萄がデザインされています。綺麗に彩色されていたら・・思わず頬ずりしそう😅
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旧赤磐郡赤坂町(あかさかちょう)は岡山県南部に位置した町です。赤磐郡山陽町・熊山町・吉井町、和気郡佐伯町に隣接。町域には高塚古墳のほか、約150カ所の古墳があり、須恵器が出土するなど、古くから生活が営まれていた事が伺えます。町の大半は丘陵と山林で占められ、地域内には5つの寺院と、30の神社が立地しているています。「町の木:カイヅカイブキ」「町の花:サツキ」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、赤坂郡鳥取上村・軽部村・笹岡村が発足。
1900年、郡制の施行により、磐梨郡と赤坂郡が合併、赤磐郡となる。
1953年、鳥取上村、軽部村、笹岡村が合併、町制を施行し、赤磐郡赤坂町が発足。
1956年、布都美村の一部を編入。(残部は吉井町・御津郡御津町に分割編入。)
2005年、山陽町・熊山町・吉井町と合併、市制を施行し赤磐市となりました。
旧赤坂町域は、義姉の案内でかなりの範囲を捜し歩きましたが収穫はゼロ。その後、義姉が探してきてくれた「町章の有る消火栓」が唯一の収穫となりました。
昭和44年(1969)11月制定の町章は「赤坂町の「赤」を図案化したもので「★」は町民の団結。町の発展を象徴し「●●」は町民みんなの和と産物である桃、葡萄を表したものです。」合併協議会資料より
撮影日:2009年5月5日&2012年1月25日