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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

久世神社 in 京都府城陽市久世 メモ

2013年01月19日 08時00分00秒 | 覚書・記憶・記録

久世芝ケ原に鎮座される「久世神社」。御祭神は『日本武尊』。
重要文化財の本殿は、一間社流造り・檜皮葺で、室町末期に建築されたと推定されています。

久世神社境内入り口の「久世鷺坂舊跡」。鷺坂とは「日本武尊の白鳥伝説」に基づくもので、能褒野に葬られた日本武尊が、白鳥となって大和を指して飛び去る際に留まった地を言います

傍らに『柿本人麻呂』の歌碑 【 山背の 久世の鷺坂 神代より 春は萌りつつ 秋は散りけり 】

同じ様に日本各地に存在する「白鳥」の地名が、「日本武尊の白鳥伝説」を伝えています。

市内には幾つか国の史跡が残されていますが、正直形のないものは良く分かりません(^^;)
寺田正道にある「正道官衛遺跡」は5世紀から7世紀以降の遺構が重なる複合遺跡だそうです。
5世紀の小規模な古墳、6世紀後半から7世紀にかけての集落遺構、7世紀以降の官衙遺構など。
書いている本人、実は殆ど理解してませんが、とりあえず史跡公園として遺構の一部が復元され、
芝生や掘立柱建物群跡を配した広場として整備されました(・・・考古学の勉強するべきかな)

 

城陽市富野荒見田に鎮座される「荒見神社」。式内社「荒見神社」の論社の一つ。御祭神は『天火明尊、天香語山尊、天村雲尊、阿比良依姫尊、木花開耶姫尊』

社伝によれば、大化三年(647)九月に小篠峯に神霊が降り、当地を支配していた三富野部連金建が社殿を創建して天神五柱を祀ったと伝えられる。十五世紀中頃の寛正年間、現在地に遷座したと云う。

 

この新しい一年が、誰にとっても素晴らしく、輝きに満ちたものでありますように。

新年へのカウントダウンが終わると、私たちはいつも近くの神社に初詣に行きます。昔は電車に乗って有名な社寺に行っていましたが、流石にもうそんな元気はありません。近くの氏神様にお参りするようになって、今ではすっかりそれが定着しました。

 

昨日から今日に変わっただけなのに、神社から見る町の灯はとても綺麗に見えます。今年も良い一年でありますように・・・・毎年同じ言葉で一年が始まります。

【年の初めのためしとて 終わりなき世の目出度さよ

松竹立てて門ごとに 祝う今日こそ楽しけれ】

 



 訪問日:2015年9月

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奥の細道・芭蕉句碑(石川・福島・山形)

2013年01月01日 08時00分00秒 | 覚書・記憶・記録

「奥の細道」続きです(笑)

元禄2年3月27日に江戸を出た芭蕉が、「下毛野国」を経て「越後」に入ったのは7月の事。

元禄2年(1689)3月27日深川より船出、長途の旅に出た芭蕉と曾良の一行は、6月1日大石田(現・山形県北村山郡大石田町)から猿羽根峠を越え、新庄領に入ります。

新庄の澁谷風流宅に2泊、6月3日に本合海から舟上の人となりました。 月山を臨む芭蕉・曾良の陶像及と句碑  

5月29日 最上川の河港大石田での発句を改めた「五月雨を あつめて早し 最上川」

「笈(おい)の小文」の一句、別名「庚午 (こうご) 紀行・大和紀行・卯辰紀行」とも言います。(貞享4 年(1687) 10月江戸を出発、翌年4月まで大和の各地を旅した折の俳諧紀行。)
【 草臥(くたぶれ)て 宿かる比(ころ)や 藤の花 】
(歩きくたびれて、宿を探そうと思っていた所、藤の花が咲いているのを見て気持ちが和んだ)

出羽国に入って山寺(立石寺)に立寄り、「閑しずかさや 岩にしみ入る 蝉の聲こえ」の句を残す。

 

日本三大急流のひとつに数えられる最上川を下り元禄2年(1689年)5月29日(新暦7月15日)、止宿先の高野一栄宅において

「さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川」

山形県北村山郡大石田西光寺の句碑「五月雨を集て涼し最上川」

6月2日:新庄に滞在。昼過ぎより盛信宅に招かれる。盛信は昨日の風流の本家筋に当る。ここで「風の香も南に近し最上川」を詠む。

出羽三山
6月5日 羽黒山にて。
「涼しさや ほの三か月の 羽黒山」
6月6日 月山にて。
「雲の峰 いくつ崩れて 月の山」
6月7日 湯殿山にて。
「語られぬ 湯殿にぬらす 袂たもとかな」

酒田 6月14日 
「暑き日を 海にいれたり 最上川」

明和年間(1764~1772年)に大石田出身の俳人土屋只狂によって建立されたもので、松尾芭蕉が詠んだ「さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川」の句が刻まれています。

 

「あつみ山や 吹浦かけて 夕すヾみ」

 

ここから、再び折り返して日本海岸沿いに南下して新潟へ向かい、越後路 元禄2年6月25日~7月12日

文月や六日も常の夜には似ず

7月4日 出雲崎いずもざきでの句。7月4日、弥彦を出発し、ひたすら日本海沿いの道を歩いて出雲崎に到着。佐渡島を望む日本海の荒波の情景を詠んだた芭蕉の句は・・・

「荒海や 佐渡によこたふ 天の河」

  【 荒海や 佐渡によこたふ 天の河 】 北陸自動車道・米山SA(下り線)
(新潟の荒く波立った海の向こうに佐渡島が見える。その上に天の川が架かって雄大な景色だ。)
実際に出雲崎を訪ねた折に写した、芭蕉の句碑もありますが、それはまた別の機会に。

150618-0079      130615-104

7月6日、昼に直江津へ到着。古川市左衛門宅に宿を決め、その夜の発句

【 文月や 六日も常の 夜には似ず 】 北陸自動車道 名立谷浜SA(下り線)
(七夕というものは、前日の六日の夜でさえ常の夜とは違って、何か特別な夜に感じるものだ。)

130615-083  130615-089


7月12日、親不知(おやしらず)の難所を越えて市振(いちぶり)の宿に泊まりて詠んだ句は・・・
 【一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月】 北陸自動車道・越中境PA(下り線)
(一つ屋根の下で、萩の花のような遊女と一緒になった、さしずめ私は萩を照らす月だろうか)160905-020


 越中境 スタンプ 130615-058

元禄2年7月14日、猛暑の中、常願寺川・神通川・庄川を渡り、高岡市へと旅を続けて詠んだ句は・・
 【 早稲の香や 分け入る右は 有磯海 】 北陸自動車道・有磯海SA(下り線)
(実った早稲の香りが漂っている、それを分け入って進めば、右側に有磯海が見えるだろうよ。)

さらに海岸を南下して富山

風薫る越の白根を國の花(石川郡鶴来町三宮町 白山比・神社斎館前)

151020-371a  151020-372

金沢 7月 あかあかと日は難面もあきの風

151021-471

加賀 片山津 7月

7月26日、多太八幡宮神社に詣で、篠原の戦いで討死にした『斎藤実盛』を偲んで詠んだ句は・・
 【 むざんやな 甲の下の きりぎりす】 北陸自動車道・尼御前SA(下り線)
(コオロギが一匹、遺品の兜の下で鳴いている。このコオロギは実盛の霊かもしれないよ。) 20121004-021  20121004-018

元禄二年七月二十九日・三十日の二日間、山中温泉この地を訪れています。

「山中や菊は手折らじ 湯のにほい」151022-465

こおろぎ橋から大聖寺川   かゝり火に河鹿や波の下むせひ

151022-587  151022-591

8月5日 弟子の『曾良』と別れた『芭蕉』は、小松へ戻る道中ここに参詣し、その時の様を「奇石さまざまに古松植ならべて、萱ぶきの小堂岩の上に造り、かけて殊勝の地なり。」と述べて句を残しました。

【石山の 石より白し 秋の風】

美濃国の大垣で「蛤の ふたみにわかれて 行秋ぞ」の句を詠んで終わっている。

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洲本市本町 厳島神社 【雲折々 人を休むる 月見かな】2010年9月20日

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滋賀県高島市 白鬚神社境内 安政4年に芭蕉門下によって建立された芭蕉47歳の句碑。

【 四方より 花吹き入て 鳰(にほ)の湖 】

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