「奥の細道」続きです(笑)
元禄2年3月27日に江戸を出た芭蕉が、「下毛野国」を経て「越後」に入ったのは7月の事。
元禄2年(1689)3月27日深川より船出、長途の旅に出た芭蕉と曾良の一行は、6月1日大石田(現・山形県北村山郡大石田町)から猿羽根峠を越え、新庄領に入ります。


新庄の澁谷風流宅に2泊、6月3日に本合海から舟上の人となりました。 月山を臨む芭蕉・曾良の陶像及と句碑

5月29日 最上川の河港大石田での発句を改めた「五月雨を あつめて早し 最上川」

「笈(おい)の小文」の一句、別名「庚午 (こうご) 紀行・大和紀行・卯辰紀行」とも言います。(貞享4 年(1687) 10月江戸を出発、翌年4月まで大和の各地を旅した折の俳諧紀行。)
【 草臥(くたぶれ)て 宿かる比(ころ)や 藤の花 】
(歩きくたびれて、宿を探そうと思っていた所、藤の花が咲いているのを見て気持ちが和んだ)

出羽国に入って山寺(立石寺)に立寄り、「閑しずかさや 岩にしみ入る 蝉の聲こえ」の句を残す。
日本三大急流のひとつに数えられる最上川を下り元禄2年(1689年)5月29日(新暦7月15日)、止宿先の高野一栄宅において
「さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川」


山形県北村山郡大石田西光寺の句碑「五月雨を集て涼し最上川」

6月2日:新庄に滞在。昼過ぎより盛信宅に招かれる。盛信は昨日の風流の本家筋に当る。ここで「風の香も南に近し最上川」を詠む。

出羽三山
6月5日 羽黒山にて。
「涼しさや ほの三か月の 羽黒山」
6月6日 月山にて。
「雲の峰 いくつ崩れて 月の山」
6月7日 湯殿山にて。
「語られぬ 湯殿にぬらす 袂たもとかな」
酒田 6月14日
「暑き日を 海にいれたり 最上川」
明和年間(1764~1772年)に大石田出身の俳人土屋只狂によって建立されたもので、松尾芭蕉が詠んだ「さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川」の句が刻まれています。
「あつみ山や 吹浦かけて 夕すヾみ」
ここから、再び折り返して日本海岸沿いに南下して新潟へ向かい、越後路 元禄2年6月25日~7月12日
文月や六日も常の夜には似ず

7月4日 出雲崎いずもざきでの句。7月4日、弥彦を出発し、ひたすら日本海沿いの道を歩いて出雲崎に到着。佐渡島を望む日本海の荒波の情景を詠んだた芭蕉の句は・・・
「荒海や 佐渡によこたふ 天の河」
【 荒海や 佐渡によこたふ 天の河 】 北陸自動車道・米山SA(下り線)
(新潟の荒く波立った海の向こうに佐渡島が見える。その上に天の川が架かって雄大な景色だ。)
実際に出雲崎を訪ねた折に写した、芭蕉の句碑もありますが、それはまた別の機会に。
150618-0079 130615-104
7月6日、昼に直江津へ到着。古川市左衛門宅に宿を決め、その夜の発句
【 文月や 六日も常の 夜には似ず 】 北陸自動車道 名立谷浜SA(下り線)
(七夕というものは、前日の六日の夜でさえ常の夜とは違って、何か特別な夜に感じるものだ。)
130615-083 130615-089
7月12日、親不知(おやしらず)の難所を越えて市振(いちぶり)の宿に泊まりて詠んだ句は・・・
【一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月】 北陸自動車道・越中境PA(下り線)
(一つ屋根の下で、萩の花のような遊女と一緒になった、さしずめ私は萩を照らす月だろうか)160905-020

越中境 スタンプ 130615-058
元禄2年7月14日、猛暑の中、常願寺川・神通川・庄川を渡り、高岡市へと旅を続けて詠んだ句は・・
【 早稲の香や 分け入る右は 有磯海 】 北陸自動車道・有磯海SA(下り線)
(実った早稲の香りが漂っている、それを分け入って進めば、右側に有磯海が見えるだろうよ。)


さらに海岸を南下して富山
風薫る越の白根を國の花(石川郡鶴来町三宮町 白山比・神社斎館前)
151020-371a 151020-372
金沢 7月 あかあかと日は難面もあきの風
151021-471

加賀 片山津 7月
7月26日、多太八幡宮神社に詣で、篠原の戦いで討死にした『斎藤実盛』を偲んで詠んだ句は・・
【 むざんやな 甲の下の きりぎりす】 北陸自動車道・尼御前SA(下り線)
(コオロギが一匹、遺品の兜の下で鳴いている。このコオロギは実盛の霊かもしれないよ。) 20121004-021 20121004-018
元禄二年七月二十九日・三十日の二日間、山中温泉この地を訪れています。
「山中や菊は手折らじ 湯のにほい」151022-465
こおろぎ橋から大聖寺川 かゝり火に河鹿や波の下むせひ
151022-587 151022-591
8月5日 弟子の『曾良』と別れた『芭蕉』は、小松へ戻る道中ここに参詣し、その時の様を「奇石さまざまに古松植ならべて、萱ぶきの小堂岩の上に造り、かけて殊勝の地なり。」と述べて句を残しました。
【石山の 石より白し 秋の風】

美濃国の大垣で「蛤の ふたみにわかれて 行秋ぞ」の句を詠んで終わっている。


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洲本市本町 厳島神社 【雲折々 人を休むる 月見かな】2010年9月20日

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滋賀県高島市 白鬚神社境内 安政4年に芭蕉門下によって建立された芭蕉47歳の句碑。
【 四方より 花吹き入て 鳰(にほ)の湖 】

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