車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 福島県旧梁川町(伊達市)

2024年08月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧伊達郡梁川町(やながわまち)は福島県中通りの東北端に位置した町です。伊達郡保原町、霊山町、国見町、桑折町、また県を跨いで宮城県白石市、丸森町に隣接。南西部より阿武隈川が入り、宮城県丸森町に北流。町の中央部に市街地が形成され、北東部山間をぬって阿武隈川に流れ込む広瀬川・塩野川・山舟生川などの流域に集落と耕地がひらけ、山間丘陵地帯にも集落が点在しています。

古くは伊達家の祖朝宗がこの地方を支配し、以来伊達家の居城となっていましたが、近世は養蚕が盛んで昭和初期まで蚕都梁川として栄えていました。町名は、町を流れる阿武隈川・広瀬川が、かつて格好の「鮭簗場」であったことから「簗川」と呼ばれ、江戸時代中期から「梁川」となったと云われています。「町の木:柿」「町の花:桜」「町の鳥:セキレイ」を制定。

梁川駅前の「三浦弥平翁記念碑」。第7回・8回オリンピック大会にマラソン選手として出場した人物です。

「第四代梁川町長:池田善治」胸像と「梁川町閉町記念碑」

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡梁川町・五十沢村・富野村・山舟生村・白根村・堰本村・粟野村が発足。

1954年、東大枝村が梁川町に編入。

1955年、梁川町、五十沢村、富野村、山舟生村、白根村、堰本村、粟野村が合併して梁川町となる。

2006年、伊達町、霊山町、保原町、月舘町と合併、伊達市となりました。

マンホールには「町の木:柿」に止まる「町の鳥:セキレイ」と、上に「町の花:桜」、下に「水のひかるまち やながわ」の文字がデザインされています。

昭和40年(1965)10月1日制定の町章は「「やながわ」の「や」の字を図案化したものであるが、町村合併により新しい町となった旧梁川町、粟野村、堰本村、白根村、山舟生村、富野村、五十沢村のほか、境界変更によって編入された旧大枝村のうち東大枝の8地区の固い結びつきと、町民の円満性を表すとともに、道路交通網の整備拡充による町発展を表現したものである。」伊達市公式HPより

撮影日:2015年6月22日

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