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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

2025年~復興への願いを込めて~輪島の朝市

2025年01月01日 08時00分00秒 | 徒然なるままに思うこと

大晦日に続いて、2025年新年最初のブログは「あの朝市の思い出を」「あの優しい人の思い出を」「あのおおらかな人々の笑顔を」「大好きな朝市の風景を」。復興への願いと祈りを込めて、過去記事に新たに画像を加えて輪島の朝市を紹介します🙏🙏。

能登といえば輪島、輪島と言えば朝市、朝市と言えばお買い物・・と、まるで三大噺のようですが😄。一度でいいから、その威勢のよい空気を直に感じたい。そうして二度に渡る石川県の車泊旅で、しっかり二度に渡って「輪島の朝市」楽しんできました。

2011年10月。念願かなっての朝市通りは、昨夜の雨の所為もあってまだ人通りも疎ら。いやいや、雨のせいじゃなくて、私達が早すぎるんだよ。ほら~お店なんて一軒も出てないじゃないの!

 

と言ってるうちに奥の方に鮮やかなパラソルが見えてきました。いよいよ輪島の朝市デビュー😄 自転車に乗ったお客さんはお仕事で買い物に来られた人かな?忙しげに幾つかの出店を廻り、野菜や魚を次々とカゴに入れていきます。

初めのて朝市なのに雨の中を歩くのは・・・としょげた私に同情してくれたのか、何とか雨も上がったよう。 流石に風が冷たくて肌寒いけれど、今更上着を取りに帰るには駐車場は遠すぎて、ここはグッと我慢。な~に、その内お日様が出てきたらきっと暖かくなる!筈・・・多分。気が付けばいつの間にか出店の前には人だかりが。向こうからは団体さんらしい一群も。

【一千年以上も前から続く輪島の朝市。売る者も女、買う者も女・・】 とは、公式サイトの説明。 だからと言って男子禁制かと言うと、これは全くの比喩的説明。「売る者にも買う者にも」沢山の男性がいます。もちろんご亭主殿もいます😆 2015年5月に訪ねた朝市通りは、季節柄もあってか更に観光客も多く、向こうからは団体さんらしい・・以下略。

二度に渡っての朝市紹介という事で、画像はごちゃまぜ。台に並ぶ品揃えは季節無視の品々なので、季節を勘違いされても一切責任は取れません😆 周辺農家のおばちゃんたちが並べる野菜はどれも新鮮。 おばちゃんと楽しそうに会話をしながら、てきぱきと希望の品を選んでいるお客さんは、多分常連さん。

お手製の漬物や梅干、乾燥させた豆類も自家製。何と言っても作り手の顔が見える商品は魅力。 可能な限り国産にこだわる私たちにとって、自家製の加工食品なんてもう最高の贅沢・・しかも決してお高くない😍

活きのいい魚貝が並ぶ市では、漁師町の女衆がひときわ活きの良い掛け声で客を呼びこみます。 びっくりするような大きな魚も、買い手が望めば狭い膝の上で器用にさばいて見せてくれます。

ここでは日本海で取れた多彩な魚が干物になって、生魚はちょっと・・という人も大丈夫😊 それにしても、本当に何でもかんでも干物になっていて、吃驚、かつ、興味津々😲

良い香りに誘われて立ち寄った出店で試食したホタテの貝柱・・なんとも美味ではないですか! 車泊の旅はまだ前半、買い物はだめと固く心に誓っていたのに、ついついお財布を取り出し・・・ご亭主殿、何か文句がありますか?(こんなんばっかり😆)

こんな具合で、360メートルの通りには200以上の出店が並び、「買うてくだぁー」の呼び声が一杯。うっかり(笑)足を止めようものなら、次々に並べられた魚をこれも、これもと重ねられ、「これで千円!!、どうだっ!」。押し切られて買ってしまった大量の干物・・・どうするんだ??私😓

でも大丈夫!何と今回は買った魚介類をその場で焼いて食べられる場所が用意されているのです。 大漁に買ってしまった干物類をコンロで焼いて小分けし、車泊での食事のおかずに。炭火で焼いた新鮮な魚の干物は、流石に一味も二味も違って贅沢な一品となり、旅の楽しさを倍増させてくれました。

ご亭主殿の姿が見えないと思ったら、いつの間に・・・干物の匂いが美味しそうだったからって・・これは晩御飯のおかず!晩酌のおかずじゃないですよ!! お酒は家に帰るまで飲めないでしょう😅 それにしても「おれの酒」って面白いネーミングだね。

そうそう、二度目の朝市では、今日が最初の「重蔵神社の産屋(うぶや)」にも参拝しました。 昨日御朱印を頂いたばかりなので、神職の方ともお話が弾み、産屋の前でのツーショット写真も写してくださいました🙌。

輪島にはもう一つ、とても有名な観光スポットッがあるのですが、それがここ「永井豪記念館」。「デビルマン」「キューティーハニー」「マジンガーZ」等々・・結構沢山の人が「ああ、あれか」と頷かれると思うのですがその作者『永井豪氏』は輪島市出身。彼の作品の中では「デビルマン」が好きで、テレビアニメの主題歌なんて、今でもフルで歌えます😄。

町を歩くと沢山の漆器のお店が並び、それと知らせる看板は、どれも趣向を凝らしたものばかり。ここでは何を商っているのだろう。上ばっかり見ているものだから首が・・🤩

こんな調子で、一回目も二回目も、気が付けば両手に一杯のビニール袋・・・・・ 朝市の教訓その①「絶対に買う意思がないのなら、決して立ち止まってはいけません」 て言ってもねぇ~😓😄  

「3度目はあるかな?」「また来たらいいじゃん。」「そうだねまた絶対に来ようね」名残惜しさに何度も何度も振り返ってしまった朝市通り・・

夕暮れ近くの輪島漁港には沢山の漁船が着岸していました。 漁師の娘だったからなのか・・こんな風景を見ると、何故かわけもなくこみ上げるものを押えられなくなります。

訪問日:2011年10月16日&2015年5月24日

大好きな、大好きな能登の風景 輪島の朝市、心からの想いを込めて再びあの景色に出会える日を、温かい笑顔に出会える日を願ってやみません。

2025年 元旦

 

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2024年大晦日~能登は優しや土までも~

2024年12月31日 08時00分00秒 | 徒然なるままに思うこと

2024年正月、能登一帯を襲った地震の報に我が目を、我が耳を疑いました。見知った町が・・大好きな街が崩れてゆく様は悪夢以外の何物でもない。

一年という歳月が過ぎ、今なお復興が終わらない事に胸が痛み心が軋み続けます。復興ボランティアで能登に赴いた義姉のお兄さんは、屋根からの転落事故によって、11月半ばにやっと岡山に帰り、地元の病院に再入院。つい先日二度目の手術を終えて今も入院中。・・・一緒に能登に行かれ、同じ事故にあわれた仲間の方は、お骨になって自宅に帰られたと聞きました🙏

いろんな想いが渦巻いて、キーを打つ指が震え、画面がにじんでしまいます。それでも年末を一つの区切りとして、区切りとなることを願って・・・

「能登は優しや土までも」・・空も木々もそこに住む人たちすべて、私の記憶の中の能登は何年経っても、優しくて穏やかな町のまま。2024年の終わりの日は、大好きな、大好きな懐かしい景色を振り返ってみたい。

「白米(しらよね)千枚田」・・初めてその写真を見たときの感動は今も鮮明に記憶に焼き付いています。 日本海に面した急斜面、小さな田が幾重にも重なって海岸まで続き、その先に見えるのは白く砕ける波。深い群青の海。

高洲山の裾野の1.2ヘクタールにわたる急斜面に沿って、幾重にも重なる田んぼ、その数1,004枚。 1枚の田の平均面積は18平方メートル程で、栽培は昔ながらの手作業で行なわれています。働くにはあまりにも過酷な・・・、ですが鑑賞の対象としてはこの上なく美しい「白米千枚田」。どの季節に訪れようとも、その時々の美しさが私の心をひきつけます。2015年5月、田に水が張られたらもうすぐ田植えの季節、米作りで一番大変な作業が始まります。

2011年10月、稲刈りが終わった後の田圃はまるで大役を果たして満足しきったようにゆったりと・・・。実際に見る事は出来なかったけれど、苗が青々と風にそよぐ様も、黄金の稲穂が頭をたれて輝く様も、きっと素晴らしい光景だった事でしょう。

能登を代表する美しい絶景は「日本の棚田百選」は無論のこと、2001年には「国の名勝」に、2011年6月には「世界農業遺産」に認定されました。これまで多くの棚田を見てきましたが、これほど息を呑む光景は、おそらく初めてだと思います。

訪問日:2011年10月16日&2015年5月23日

能登半島有数の景勝地であり、国の名勝および天然記念物にも指定されている「曽々木海岸」。 日本海の荒波によって浸食された断崖は、人の概念では予想もつかない奇岩を生み出しています。

曽々木海岸を代表する観光スポット「窓岩」。板状の岩の真ん中、何百年にも渡って波と風の力で穿たれた穴は、まさしく岩の「窓」。伝説では『源義経』が弓で射た穴とも言われているそうですが・・・ここからさほど遠くない場所は「平家の里」

「平家にあらずんば人にあらず」・・「平家の郷」の主人公である『平時忠』は、清盛の妻『時子』の弟として清盛を補佐しつつも、実権を一手に担った参謀です。清盛亡き後、平家の実質的な指導者として権力を握り、冒頭の言葉を残したと言われています。

壇ノ浦の戦いで捕えられた『平時忠』は、三種の神器の一つ「神鏡」を守った功績により死罪を免れ、能登に配流となり、その4年後にこの地で生涯を終えました。

その後、嫡子である『平時国』は近隣の村々を統合し館を構え、今も尚その系譜は続いています。国指定重要文化財の最大級古民家 第21代当主によって築かれた189坪の豪壮巨大な屋敷「上時国家」

江戸後期、名工「安幸」が28年かけて完成させた、入母屋萱ぶきの巨大民家。これほどの建物が残されていることに感動!

訪問日:2015年5月23日

能登半島の先端部、珠洲市の鵜飼海岸の沖合に浮かぶ白亜の島「見附島(みつけじま)」。高さ約28mの無人島は、その形が軍艦に似ていることから、「軍艦島」とも呼ばれています。言われて見れば見えなくも無いですが、生茂る木々が、ちょっと小首をかしげたおばちゃんの髪の毛みたいで。しかも上手い具合にそれらしい位置に目と口・・・😁 更に、おばちゃんの陰に隠れてこっそりこっちを見る小さな顔も😊

見附島の名は『空海』が佐渡島から当地方に渡った際、最初に見付けた島である事に由来します。くもり空の下でしたが、心に残る不思議で美しい光景でした

訪問日:2011年10月17日

「見附島」から3.5kmの海岸線「えんむすビーチ」。恋路海岸の一帯には想像をかき立てる奇岩が立ち並び、そこに立っている自分を主人公に、勝手に物語を作り出したくなる景色が展開されます。

とんがり頭の君は、いつも緑の中の誰かを見ているんだね。ねぇ、あそこにはね神様が住んでいるんだよ。だから一生懸命お願いしたら・・いつかお前の願いも叶うかもしれない。叶うといいね。

私達は旅の途中だから、お前の願いが叶うのを見届けることはできないけれど、でもずっとずっと忘れないよ。とんがり頭の君と君の友達の不思議な相棒のことは。きっとこの写真を見るたびに思い出すよ。

訪問日:2011年10月17日

能登の美しい風景、長い間憧れてやっとその場所に立ったときの感動は今でも鮮明です。年頭の震災で失われてしまったあの美しい景色を・・それでも私は決して忘れない。目を閉じれば鮮やかに蘇る海の色、目をみはる佇まいのお屋敷、物語を紡ぐ不思議な岩の造形。それから・・・それから、手間も暇も充分にかけて大切に作られる輪島の塩。 輪島の塩を手にまぶし、炊き立てのご飯で作るお握り・・・何もかもが泣きたくなるほど恋しく懐かしい。

あの悪夢の瞬間から一年・・言葉にできない痛みの中から立ち上がる方たちに心からのエールと、ありったけの「大好き」を込めて・・・

2024年 大晦日

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柿本人麻呂:万葉歌碑~其の四 in 島根県益田市高津町

2024年01月04日 08時00分00秒 | 徒然なるままに思うこと

最後は「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首(柿本朝臣人麻呂、石見の国に在りて死に臨む時に、自ら傷みて作る歌一首)」

【鴨山の 岩根しまける我れをかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ】

(鴨山の岩を枕にして死んでゆく私のことを、妻は何も知らずに待ち続けるのだろう) 巻2-223

【直の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ 】

(直に逢う事はもう出来ないけれど、せめて石川に雲となって立ち渡って下さい。それを見て貴方を偲びます。)(依羅娘子)挽歌二首:巻2-225

【今日今日と 我が待つ君は 石川の峡に交りて ありといはずやも】

(今日か今日かと私が待つ貴方は石川の貝に交じって倒れているというではありませんか)(依羅娘子) 巻2-224

【荒波に 寄り来る玉を 枕に置き我れここにありと 誰れか告げけむ】

(荒波に運ばれて来る玉を枕のそばに置いて私がここにいると誰か妻に告げてくれるだろうか。)丹比真人(たぢひのまひと)人麻呂の死後、人麻呂の意を酌みて詠める一首 巻2-226

訪問日:2019年4月19日

万葉歌人として知られた『柿本人麻呂』、彼の痕跡や伝説は石見地方に特に多く見られ、日本に現存する最古の和歌集「万葉集」にも、長歌を含めて数多くの歌が残されています。

その万葉集の中に、『柿本人麻呂』の終焉之地を伝えるとされる歌が五首あり、そこから推定される終焉の地は、奈良県に一ヶ所、島根県石見に三ヶ所。そんな中、旧邑智町(現美郷町)鴨山のこの地こそ、『柿本人麻呂』の終焉地だと断定した人物がいました。

柿本人麻呂の研究に取り組み、その終焉の地を石見の国「鴨山」であると断言した人物の名は『齋藤茂吉』。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギ派の中心人物として活躍した著名な精神科医で歌人でもあった人物です。

柿本人麻呂の終焉地として挙げられる邑智郡美郷町。湯抱温泉入口にある「斎藤茂吉鴨山記念館」。玄関前に建立されているのは茂吉の歌碑。

【 夢のごとき 鴨山を恋ひてわれは来ぬ  誰も見しらぬその鴨山を  】

【むらさきの 藤の花ちる峡かいの みち女良谷川(めらだにがわ)に そひてわがゆく】佐藤 佐太郎

【年まねく われの恋ひにし鴨山を  いめかとぞおもふ あひ対ひむかいつる】茂吉

最後の一枚は、車に乗って走り出した瞬間に見かけてシャッターを切ったもの。画像左【茂吉忌(き)の 雪ふる馬の 幻に・・・松村 明石】。画像右【夕顔の 終りし庭におりたちて われは何をか たのまむとする・・・苦木 虎雄】

最後は横道に逸れてしまいましたが、柿本人麻呂の繋がりと言う事で・・(歌碑は周辺や鴨山公園等に、合わせて11基が建立されています。興味のある方は是非!)

訪問日:2015年4月20日

 

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柿本人麻呂:万葉歌碑~其の三 in 島根県益田市高津町

2024年01月03日 08時00分00秒 | 徒然なるままに思うこと

万葉歌碑公園、少し場所を移動しますが、人麻呂さん以外に『大伴宿禰家持(おおとものすくね やかもち)』の歌碑も有ります。

【我が恋は 千引の石を 七ばかり 首に懸けむも 神のまにまに】

(私の恋は、千人引きの巨岩を七つも首にかけているほど苦しく重い。それが神の思し召しとならば潔く耐えよう。)巻4-743

再び人麻呂さんに戻って・・正月にはいささか相応しくない歌ですが、古典に親しむという事でご容赦を😊

讃岐の狭岑嶋(さみねのしま)にて、石の中の死人を見て作れる歌二首

【沖つ波 来寄する荒磯を 敷栲(しきたえ)の 枕とまきて 寝せる君かも】

(沖の波が打ち寄せる荒磯(あらいそ)を枕にして眠っているあなたよ) 巻2-222

【妻もあらば 摘みて食(た)げまし沙弥の山 野の上のうはぎ 過ぎにけらずや】

(もしあなたが妻と一緒ならウハギを摘んで食べただろうに、沙弥(さみ)の野にウハギが空しく伸びている) 巻2-221 ウハギはよめなの古称

【天離る 鄙(ひな)の荒野に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし】

(片田舎の荒野に行き倒れたままになっているあなたのことを思うと、悲しくて生きた心地がしない)巻2-227 作者不詳

家持さんの句碑が建立されている近くに「猿田彦大神」と刻まれた「道祖神碑」が祀られています。

道祖神の横に立つ木には注連縄が掛けられ、沢山のコブが見えるのですが・・

自然界が生み出したこの不思議を目の当たりにした時、一瞬声を失いました。額と思しき位置に延びるのは「二本の角」。小雨の下で見る「ソレ」はまるで泣いているようで、傘を叩く雨の音に混じって聞こえてくるのは切ない泣き声のようで・・・

訪問日:2019年4月19日

能登半島大震災の報に寄せて、柿本人麻呂が遣唐使を送る際に無事を祈って「言霊」を詠った歌。

【磯城島(しきしま)の 大和の国は言霊の 助くる国ぞ ま幸(さき)くありこそ】

(日本の国は言霊が幸をもたらす国です。どうか私が言葉で「ご無事でいて下さい」と申し上げることによって、どうぞ無事でいて下さい。)

どうぞ無事でいて下さい。どうぞ・・どうぞ無事でいて下さい。

 

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柿本人麻呂:万葉歌碑~其の二 in 島根県益田市高津町

2024年01月02日 08時00分00秒 | 徒然なるままに思うこと

「島根県立万葉公園 人麻呂展望広場」で頂いたパンフレット「柿本人麻呂の歌の世界にふれる庭」の文中に、「益田の人々は歌聖柿本朝臣人麻呂のことを『人丸さん』と呼んでいます。」と記されています。

二日目の今日は、石見の国で愛し合った依羅娘子(よさみのおとめ)との別れにちなんだ長歌一首から。

【石見の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚取り 海辺を指して 和多津(にぎたつ)の 荒磯の上に か青く生ふる 玉藻(たまも)沖つ藻 朝羽(あさは)振る 風こそ寄らめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波の共(むた)か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜(そうろ)の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万たび かへり見すれど いや遠に 里は離(さか)りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎えて 偲ふらむ 妹が門見む なびけこの山】

(石見の海の角の海岸を、よい浦などない、よい干潟などないと人は見るだろうが構わない。 たとえよい浦や干潟はなくても、私にはかけがえのない所、この海辺を指して、和田津(にぎたつ)の岩場のあたりに、 青々とした玉藻(たまも)や沖の藻を、朝は鳥が羽ばたくように風が吹き寄せ、夕べには鳥が羽ばたくように波が打ち寄せる。そんな波のままに揺らぐ藻のように寄り添って寝た妻を、露霜(つゆじも)が置くように角(つの)の里に置いてきた。 この道の曲がり角、曲がり角ごとに幾度も振り返って見るけれど、妻のいる里は遠く離れてしまった。高い山も越えて来てしまった。 妻は今頃夏草が日差しを受けて萎(しお)れるように悲しみ嘆いて、私を想っているだろう。妻がいる筈の家の門をもう一度見たい。この山がなびき去ってくれるなら。) 巻2-131

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【秋山に 散らふ黄葉 しましくは な散り乱ひそ 妹があたり見む】

(秋山に落ちる黄葉(もみじば)よ、今少し散らないでくれ。妻が居る辺りをもうしばらく見ていたいから) 巻2-137

【青駒が 足掻きを速み 雲居にぞ 妹があたりを 過ぎて来にける】

(妻の住んでいるという辺りをもっと見たいのに、私が乗った青馬が速すぎて、妻のいる里も遠くに過ぎてしまった。) 巻2-136

【石見のや 高角山の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか】

(石見のこの高角山の木の間から、私が袖をふる姿を、妻は今頃見ているだろうか。) 巻2-132

【石見の海 打歌の山の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか】

(石見の打歌( うった) 山の木の間から、私が袖をふる姿を、妻は今頃見ているだろうか。)石見の国に妻を残して去った時に詠める 巻2-139

【小竹之葉者 三山毛清尓 乱友  吾者妹思  別来礼婆 = 小竹(ささ)の葉は み山もさやにさやげども われは妹思ふ 別れ来ぬれば】

(笹の葉が風にそよいでざわざわと鳴っていても、私は妻のことを思い続けているのだよ。妻と別れて来てしまったから。) 巻2-133

同じように別れを歌った歌ですが

【近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ】

(近江の海(琵琶湖)の夕波の上を飛ぶ千鳥よ、お前が鳴くと私の心は悲しく昔のことを思い出してしまう。) 巻3-266

【天離る 鄙(ひな)の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ】

(都から遠い田舎の長い道を恋しく思いながやって来ると、明石海峡から懐かしい大和の 山々が見える) 巻3-255

【燈火の 明石大門に 入らむ日や 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず】 

(ともし火が灯りだした明石海峡は夕日を浴びてまぶしい。漕ぎ別れてきたわが家辺りは、もう見えない) 巻3-254

【あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに 弓月が岳に 雲立ちわたる】

(あしひきの山川の瀬の音が激しくなるにつれて 弓月が嶽に雲が立ち渡るのが見える) 巻7-1088

万葉歌人『柿本人麻呂』~其の三へ

訪問日:2019年4月19日

 

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都野津柿本(つのづ かきのもと)神社 in 島根県江津市

2023年12月31日 08時00分00秒 | 徒然なるままに思うこと

年末年始のブログは少し趣向を変えて、過去に訪ねた万葉歌人「柿本人麻呂」ゆかりの地や歌碑などの紹介を。スタートは12年前に参拝した「柿本神社」から。

江津市都野津町に鎮座される「都野津柿本(つのづ かきのもと)神社」。御祭神は『柿本人麿(かきのもとひとまろ)・依羅娘子(よさみのおとめ)』

「創建年代は不詳。人麿公の妻:依羅娘子の末裔という井上氏によって、人麿・依羅娘子の寓居跡(姫御所とも)に創建された神社である」境内案内より。

かってこの地には、一画を覆うほどに枝を広げた松の巨木があり「柿ノ本人麿ゆかりの松」とよばれていました。在りし日の案内には「都野津の人麿松は「塚松」「歌聖松」「神様松」などと呼ばれてきた。柿本人麿がこの地に仮寓した記念に植えたという口碑によってこの名がある。樹皮が薄く一見赤松のそれを思わせるようなのも大きな特徴である。樹齢 推定800年以上・高さ十三メートル。」

1997年に松枯病に犯され枯死した人麿の松。

私たちが参拝した折には「人麿の松・二世」がしっかりと枝を伸ばしていました。何百年かの後、人々がこの松を仰ぎ見て都野津の歴史に思いをはせる日が来ることを願って・・

「柿本人麿」が石見を離れ、都に向かう折に妻を想って詠んだ歌。

【石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香】(石見のや 高角山の木の間より わが振る袖を 妹見つらむか )

「意訳:石見の国の高角山の木の際から、わたしの振る袖を妻は見てくれたであろうか。」江津市のほぼ中央部にある、牛の背のように連なる標高470mの高角山。中腹にある高角山公園には、人丸神社と、人麻呂と依羅娘子の銅像や歌碑などがあるとか・・いつか行って見ようねと話したのが何時の事だったのか・・・・もうすっかり忘れてしまった・・・事にしよう。

訪問日:2011年5月15日

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今年も残すところ16時間、振り返れば随分といろんな事があったのだけど、では何が?と問われて「あれ・これ」と挙げられるほどの思い出はありません。可もなく・・不可もなく・・それは考えようによってはとても幸せな事なんだろうと思います。

今年一年、いつも温かいフォローやコメントを頂き 有難うございました。迎える明日が私の大切な皆様にとって、より良きものでありますように。

2023年 大晦日 tibineko:拝

 

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ルミナリエ「空の魅惑」 in 兵庫県神戸市

2023年12月26日 08時00分00秒 | 徒然なるままに思うこと

2006年の神戸ルミナリエ、12回目のテーマは「空の魅惑」。この年、カメラが新しくなったので、画像も前のものよりは若干綺麗になりました😅

夜の星空にヒントを得たと言うルミナリエ、美しさには全く変化はありません。変わったのは、胸が締め付けられるような、あの感動をいつの間にか無くしてしまった私たち・・・。多分これが最後になるだろう・・だからこそ、この美しさを目に焼き付けておこう・・・いつか見返す日のために、みんなアルバムに残しておこう。

それから・・決して忘れはいけないもう一つの感動・・・・・「ハートフルデー」のボランティアとして参加された、ネスレ日本グループの社員とそのご家族の方々。手渡された温かいコーヒーは、光に感動した私たちに、さらに深い感動を与えてくれました。ご両親に連れてこられたのでしょうか?、小さな女の子が差し出してくれた「キットカット」。片言の日本語と身振りで、写真を撮ってあげましょうと申し出てくれた異国の社員の方。

この日は最終近くまで会場に残り、多分これが見納めだと思いながら、スパリエーラから抜け出した丁度その時、一箇所に集まって何かの支持を受けているらしい方々の後姿を見かけました。

何度言葉にしても足りない「ありがとう」!!おかげさまで、私たちは心も体もポカポカです。

訪問日:2006年12月6日

その年のクリスマス、一緒に出かけたショッピングセンターでご亭主殿からミニバラをプレゼントされました。 大きなツリーに灯された明かりは、キラキラと輝いて、心までキラキラにしてくれました。

そしてその年のクリスマスケーキは、何と!!我が愛娘がハンドメイドのホワイトケーキを持参してくれました。チョコレートで書いたベルの上のオーナメント、実は去年のケーキについていたものを再利用したとか😅 後にも先にもこの一回きりでしたが、思いがけず嬉しいプレゼントでした。

小さなツリーは、東京の友人から届いた、素敵なクリスマスカードなのでした。

ラストの画像は、某場所で見かけた2014年のルミナリエ【神戸 夢と光】のポスター。初めて神戸の居留地に希望の明かりが灯されたのは震災の翌年・1996年の冬。あれから28年の歳月が流れてゆきました。医学の進歩と、ご亭主殿の懸命な愛情に守られ助けられ、こんなにも自由に、日本の美しさに触れる旅が出来るまでになりました。心のどこかにうずくまるあの日の、あの時のいくつもの傷みを忘れきってしまう事はできませんが、それでも二人一緒なら、きっと何だって出来る、何だって大丈夫😊 

2023年12月26日・・大晦日迄あと五日です。

 

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ルミナリエ「光の第二章」 in 兵庫県神戸市

2023年12月25日 08時00分00秒 | 徒然なるままに思うこと

2005年神戸ルミナリエ、十一回目となるこの年のテーマは「光の第二章」。震災から十年を経た神戸で「新たな始まりを告げると」いう意味が込められています。

去年と同じ様に、司会者の声に合わせてのカウントダウン。そして闇の中から光の中へ・・・・一瞬のどよめき、はじけそうな周りの笑顔・・・

少しだけ違っていたのは、無意識のうちにこぼしていた涙が、この時は無かったこと。 前回よりも心の底からこの美しい光の祭典を楽しめたこと、それから去年より寒かったこと😄 そういえば、ガレリアの試験点灯が無かったね、なんでだろう?

最終までいると、車の渋滞で身動きが取れなくなるので、少しだけ早めに切り上げました。 我が家のご亭主殿いわく、綺麗なものを一生懸命見ると、お腹がすくそうで😆、自宅近くの飲食店で夕食。

訪問日:2005年12月7日

この年のクリスマス、ご亭主殿が仕事帰りに、可愛いケーキを買ってきてくれました😄  真っ白い生クリームを彩るのは、私の好きな数種のベリーと、クリスマスの小さな飾り。・・コロナ過の2020年以来、ケーキを買って来るなんて楽しいイベントも無くなってしまいました。

 

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ルミナリエ「神戸・光の都」 in 兵庫県神戸市

2023年12月24日 08時00分00秒 | 徒然なるままに思うこと

世間ではクリスマスイブ、ツリーにジングルベルと色彩豊かに華やいで、聞いている私も心が明るくなります。さて・・今日から三日間、2004年から2006年に訪れた「神戸ルミナリエ」の思い出を書いてみます。

阪神・淡路大震災の犠牲者への鎮魂と、町の再生を願って1995年から開催された神戸ルミナリエ。
メイン会場は、神戸市旧居留地内の仲町通、および東遊園地。行けない距離ではありませんが、当時車椅子だった私には遠い世界の出来事。病院仲間(笑)のTさんに、「ハートフルディ」の存在を聞くまでは・・・
ルミナリエ開催前に実施される試験点灯日を、身体的弱者が安全に鑑賞する為の日として割り当て、1999年から実施、2001年からは、ネスレ日本グループがスポンサーとして支援を続けています。(この日以降、我が家で該当できる食品はネスレに変更!)

2004年の神戸ルミナリエ、テーマは「神戸、光の都」、記念すべき第十回目の開催です。神戸の「冬の風物詩」として定着したルミナリエ、この年は、第一回目のデザインの再現。ハートフルディの会場となる東遊園地には、既にたくさんの人がその瞬間を待ちわびています。
最初に、アーチ状の電飾で彩られた仲町通の光の回廊「ガレリア」に光が入りました。そこかしこから歓声と、そして拍手・・・うん、確かに思わず拍手したくなります 😊 

けれど、来場者によるカウントダウンと共に、スパリエーラと呼ばれる光の壁に灯がともった瞬間の・・・あの鳥肌が立つ程の感動は、それはもう実際に体験したものでなければ決して味わえないでしょう。
東遊園地の敷地を取り囲むように立てられた、全長約百三十メートルの光の壁掛け「スパリエーラ」。夜の闇の中、私たちはそのその真ん中にいて、突然に神々しいばかりの光に包まれるのです。

振り返れば・・・日本中の人々が言葉をなくしたあの年から、すでに十年が過ぎ去っていました。全てがガラガラと音を立てて崩れ去るような虚無感は・・私の日常生活にも、そうして心に、死さえも甘美な誘惑に思える程の深い傷を負わせました。けれど今こうして光の中にいると、あの震災から巻き起こった全ての苦悩も悲しみも温かな光に浄化され、包み込まれ、彼方に追いやれるような・・・

残念ながら、巷で紹介されているような綺麗な画像を捉えられるカメラも腕もありません。それでも、私たちにとっては忘れがたい、素晴らしい思い出の記念画像です。

訪問日:2004年12月9日

記念と言えば、猫の額よりも小さい庭に植えた「小ミカン」に、初めて実が着きました。小ミカンと言うだけ有って、大きさは金柑より少し大きいかなくらい。震災後に引っ越したその年に、始めて出かけた植木市で二人で選んだ小さな苗木・・・五年かけてやっと実がなり、二つが限度で小さな実を付けています。2020年に鉢を塀の内側に移動したところ、小ミカンはアゲハさんの産卵指定場所になり、可愛い青虫さんの餌場になりました😊

 

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桜井駅跡  頼山陽漢詩 in 大阪府島本町

2023年03月26日 09時00分00秒 | 徒然なるままに思うこと

漢詩「過桜井駅址詩(さくらいのえきをすぐのし)] 『頼山陽』

山崎西去桜井駅(山崎 西に去れば桜井の駅)

伝是楠公訣子処(伝(い)ふ 是れ 楠公子に訣(わか)るる処と)

林際東指金剛山(林際(りんさい) 東を指せば金剛山)

堤樹依稀河内路(堤樹(ていじゅ) 依稀(いき)たり 河内の路)

想見警報交奔馳(想見す 警報 交(こもごも) 奔馳(ほんち)し)

促駆羸羊餧獰虎(羸羊(るいよう)を促がし駆りて獰虎(どうこ)に餧(くらわ)せしを)

問耕拒奴織拒婢(耕(こう)を問ひて奴(ど)を拒み 織(しょく)に婢(ひ)を拒み)

国論顚倒君不悟(国論顚倒(こくろんてんとう)して君 悟らず)

駅門立馬臨路岐(駅門 馬を立てて路の岐(わか)るるに臨み)

遺訓丁寧垂髫児(遺訓丁寧(いくんていねい)なり 垂髫(すいちょう)の児(じ))

従騎粛聴皆含涙(従騎(じゅうき) 粛(しゅく)として聴き 皆 涙を含み)

児伏不去叱起之(児(じ)は伏して去らず 叱(しっ)して之(これ)を起たしむ)

 

撮影日:2008年6月7日

 

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