車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

月守(つきもり)神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町蔵内に鎮座される「月守(つきもり)神社」。御祭神は『月続命・保食神・伊邪那美命・菊理姫命』

「古来より蔵内の氏神「月守大明神」と称した。 明治元年(1868)年、境内社「稲生大明神」を合祀し「月守神社」と改称。 大正二年(1913)、養郷字岩手の「岩手神社(伊邪那美命,菊理姫命,保食神)」を合祀。 最も古い灯篭には安永五年(1776)の文字がある。」青谷町誌より

鳥居の先に続く石段・・集落に鎮座される神社の常として「石段参道」は、もはや宿命と言っても過言ではない試練(^^;) ここでめげる様では神社巡りなんて諦めろと言われそう!!

石段参道の先、左右より神域を守護されるのは、出雲丹後系の狛犬さん一対。くっきりと彫り上げられた牡丹の台座の上から、大きな目を見開いて参拝者を迎えてくれる阿形さん。我関せずの吽形さん。

「吽ちゃんよ~。お前何でいつもそんな風にジジ臭いんだ?」「いやいや、おいら阿ちゃんみたいに野次馬根性無いからね~」・・と、勝手に脳内変換(笑)

これだけの狛犬さん、石工さんが気になるところですが・・何と無銘。狛犬巡りをしているとこういうケースは珍しくありませんが、顎下の毛並みとか、ユニークで大きな鼻とか、綺麗にセットされた尾とか・・個人的には好きなタイプ。

御祭神が鎮まられる流造りの御本殿、随所に龍などの彫刻が施されていますが、うまく捉えきれない・・。

向拝でまどろむ龍

入母屋造妻入、軒向拝の拝殿。赤っぽい瓦が春の日差しを浴びていかにも暖かそうで、石段の薄暗さからは想像できない開放的な境内。

御本殿左側に鎮座される境内社。小規模ですが彫刻などは随分と凝ったもの。拝所前には扇型拝み石も奉納されています。

境内入口で見かけた建物。漆喰壁に鏝で描かれた「丸に五三桐」の神紋。

参拝日:2012年4月18日

 

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『石工・ 川六』 長和瀬(なごうせ)神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町長和瀬に鎮座される「長和瀬(なごうせ)神社」。御祭神は『須佐之男命』

青谷町誌によれば「創祀不明、棟札によると青谷町絹見の「幡井(はたい)大明神」の氏子だった長和瀬の住民が、元禄十五年(1702)に「幡井大明神」から分離し、青谷町長和瀬に「八大荒神玉社」を建立。大正4年に「幡井神社」に合祀されたが昭和21年に再び分離し「長和瀬神社」として今に至る。」

両部鳥居の左右より神域を守護されるのは明治31年建立の出雲構え狛犬さん一対。「明治丗一年旧三月吉日」「平田 石工 長谷川?」の刻。

精一杯肩ひじ張って参拝者を迎える姿は、結構な迫力。尾の形状や切れ上がった後姿など、川六の狛犬を踏まえて制作されたと思われ、それなりに力量のあった石工さんと想像します。

山肌を背にして立つ社殿。参道の横に広がるのは耕されず草地となった畑。

入母屋造妻入に入母屋向拝の拝殿。その左右より神域を守護されるのは「『石工・ 川六』嘉永五年(1852)壬子五月日」の刻。岩場を足掛かりにして立つ構え狛犬さん一対。

一段高くなった岩場に前足をかけ、しっかりと足を踏ん張る姿。目線の先に有る「モノ」を思わず探してみたくなる迫力。

吽形さんの後方に僅かに見えているのは、合祀された「水無瀬神社」。『石工・ 川六』さんの狛犬さんは、時代ごとに手法を変えて新たな形で表現されてゆきます。その発想の豊かさは、これまで多くの狛犬さんたちを見てきた二人にとっては、新鮮な驚きの連続。

という事で、阿吽揃って仲良くキュートな後ろ姿~💗

拝殿前に奉納された「扇形拝み石」。「『石工・ 川六』弘化四年(1847)未 九月吉日」」の刻。扇の「骨木」や「根元部分」も丁寧に彫り込まれており、まさに「扇」そのもの。

眼前に広がるのは、のどかで穏やかな風景、じっと見ていると遠い昔の自分の姿が見えてくる・・・

一の鳥居の後方に見えるのは「青谷羽合道路」。多分私たち、あの道、走ったよね。

神社に向かう道は「JR山陰本線のトンネル」の向こう。流石にここを車で通り抜ける度胸は皆無(ーー゛); という事で車はこのトンネル手前の空き地に駐車して徒歩で参拝しました。

実はこの神社、地図を頼りに走ってもそれらしい場所に辿り着けず、半分諦めかけた時にやっと人影を見つけて、道を尋ねたのですが・・その方が言うには「なごうせ神社」なら在るけれど、「ながわせ神社」は知らないとの事。改めて、『川六』の狛犬がある神社と言うと、それなら間違いなく「なごうせ神社」にありますよ・・・・おかげさまで無事参拝できました。

車を停めた近くの草むらに咲いていた素朴で清楚な白い花。その花茎の先に花を一輪咲かせることから付けられた「一輪草(イチリンソウ)」。日本の固有種でその花言葉は「 追憶、久遠の美」

参拝日:2012年4月18日

 

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神前(かんざき)神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町鳴瀧に鎮座される「神前神社」。御祭神は『猿田彦命・天宇受売命』

社伝・青谷町誌に「慶長四年(707)、鳴滝村美古峯に鎮座。貞観十七年(875)、因幡国正六位上神前大明神に従五位下を授与。至徳二(1385)年鳴滝村亀山(現在地宮坂)に奉還。往古より武将の崇敬厚く、近隣城主からも寄進を受ける。元弘三年(1333)後醍醐天皇、船上山に還幸の際、帝位復興の代参祈願をする。明治元年境内末社「稲生神」を合祀。明治四十年神饌幣帛料供進社に指定。大正元年、山田字富貴谷の子守神社(猿田比古神,天宇受売神)。北河原字二本平の糟〇神社(保食神,倉稲魂命,天津羽原命,天津浦命)。吉川字屋敷廻りの菅田神社(大山祇命)。亀尻字下モ家ノ空の亀尻神社(与田別尊,倉稲魂命,竹内大臣,天照大神,保食神)。を合祀。」

境内まっすぐ、隋神門の右手・玉垣の中に「御神木・神前神社のケヤキ」。樹高・15m、目通り幹囲・5.6m、推定樹齢・300年以上。

大欅の前に建立された大灯籠。「文政十丁亥年九月吉祥日」「石工 靑屋 徳三郎」の刻。隋神門の左右より神域を守護されるのは構えタイプの狛犬さん一対。

「昭和天皇御大典記念」「昭和三年三月吉日」「平田 石義作」の刻。川六の狛犬に影響を受けながらも独自のスタイルを作り上げた『石工:石田義治』。こんな風に阿吽で並べると会話が聞こえてきそうな・・・

ここでは苔の生育がかなりはやいようで、時としてその表情を朧にしていますが、それでもじっと見ていると、やはり何やら楽しげな話し声が聞こえてくるのです。

巨大なエリンギを思い出させてくれた素敵な後姿に👏

三間社流造の本殿は文政六年(1823)、前本殿の部材を用いて建て替えられたもの。

入母屋造平入、軒向拝の拝殿前左右より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。「文政十丁亥年九月吉祥日」の刻。

通り過ぎてきた時代の長さが出雲丹後のきつい表情を消し去って、まるで道に迷った子供のようなあどけない表情・・

と思ったけど、横顔はやっぱり出雲丹後のお顔(^^;)

社殿の左に鎮座される「境内社:御霊の宮」

石段を登った奥に境内社

境内へ至る参道の右手に「天保十五甲辰三月吉旦」「石工 川六」と刻のある句碑。【 元日に 田毎の日こそ 恋しけれ 芭蕉 】訪問先リストのメモ欄からすっぽりと抜け落ちていた貴重な芭蕉さんの、しかも川六さんが制作した句碑!! 《  川六は 残せぬ物こそ こひしけれ  》です(T^T)

参拝日:2012年4月18日

 

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『石工・ 川六』 建山(たけやま)神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町田原谷、標高140mの建山山頂に鎮座にされる「建山(たけやま)神社」。御祭神は『須佐之男命・彦火火山見命・正勝山祇命(まさかやまつみのみこと)』

由緒では、推古天皇12年(604)現社地に勧請したと伝え、妙見社と称した。明治元年に「摂社・山ノ神」を合祀し「建山神社」と改称。大正5年「勝部紙屋神社」を合祀。

参道石段左右より神域を守護されるのは「石工・川六 嘉永六年(1853)五月吉日建立」の出雲構え狛犬さん一対。首から流れる鬣(たてがみ)は前足を伝い、台座の上まではみ出しています。これは、狛犬と台座が同じ一つの石から彫り出されたという証。

吽形さんドアップ!

阿形さんドアップ!

何度見ても見飽きないキュートな後ろ姿~💗

それにしても改めて見上げる狛犬さんの全体像。一体幾つの台石を重ね合わせたのか・・ご亭主殿が狛犬さんをカメラに収める間中、グラっといきはしないかと心臓がバクバク・・・

鳥居の建つ入口から続く171段の急勾配の石段・・軽く眩暈を通り越して深いため息(◎_◎;) 一応チャレンジを試みたものの、参道脇に仲良く並んだ御神木を前にあえなく挫折。

さすがにこれを強行するには気力も体力も不足、二人揃って、石段下からの拝礼で失礼させて頂きました。 御神木・・根元部分だけですが(笑)、樹高:40m、目通り幹囲:5.5m、推定樹齢:300年以上だそうです。

台座の横に蕾を付ける「浦島草(ウラシマソウ)」。我が家の庭にも一株あったけれど、いつの間にか消滅していた(-"-)

茂みの中で開花を待つ「宝鐸草(ホウチャクソウ)の一群れ。お寺の堂四隅の軒に下げた宝鐸(ホウチャク)に似た花を咲かせる事かつけられたとか。

ご本殿が鎮座される「建山」は、【鷲峰山と大山の背比べ】の伝説から出来た山だと云います。「それは、遠~~い神代の昔のこと、全国の神様たちが出雲での行事が終わった帰り道、鷲峰(じゅうぶ)山と大山の神様が、互いに自分の方が高いと言い争い、背を比べ合いました。結果は鷲峰山の勝。悔しがった大山の神は、杓子で鷲峰山の頭を掬い取ってしまいました。それを知った鷲峰山の神は怒って追いかけ、驚いた大山の神は慌てて逃げようとし、その時、杓子についていた土がこぼれ落ちて、それが青谷町の「建山」になりました。鷲峰山の神が「土はもうないのか」と怒鳴ると、大山の神は「もうない」と袖を振って見せました。そのとき、土がどさっと落ち、北栄町の「袖振山」になりました。」鳥取県観光情報より
と、最後まで書いたところで、しょう~~もない疑問が(笑)「鷲峰山(921m)、大山(1729m)、その差808mで、建山(140m)」・・残り668mに相当する山は北栄町には見当たりません(^^;) というか・・袖振山が無い。

昔話とは無関係だけど、道路向こうに見えた山。何かの採掘場だろうか?

参拝日:2012年4月18日

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御神名一口メモ

『正勝山祇命(まさかやまつみのみこと)』、記紀神話に登場する神。神産み神話で『伊邪那岐命』によって殺された『火之迦具土神』の屍体から生まれた山津見神:八神の一人。古事記では火之迦具土神の頭から成ったとされ、日本書紀では腰から成ったとする。

 

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『石工・ 川六』 紙屋神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町紙屋に鎮座される「紙屋神社」。御祭神は『彦火々出見命・正勝山祇命』

鳥居も社号標も無く、何度も行ったり来たりを繰り返し、ちょうど公民館から出てこられた方に訪ねてやっと見つける事が出来た参道。勝部川沿いの県道51号線、畑の間に延びる細い道の突き当りに見えてきた長い石段。

創建は文政十年(1860)頃と伝えられ、地域の人々からは「三宮さん」と呼び親しまれています。昨日紹介した「建山神社」に合祀された「紙屋神社」とは、おそらくこの神社と思われます。

お小さいながらも美しい佇まいの社殿。きちんと扇形拝み石も奉納されています。

社殿木鼻には「獅子と獏」

社殿目貫彫刻の「龍」

飛翔する鶴

つがいの鳥それとも親子?

社殿左右より神域を守護されるのは「北河原村住・川六作 万延元年(1860)十二月建立」の出雲タイプの狛犬さん一対。

吽形さんは少し首を斜めに、阿形さんは胸の前に仔狛を遊ばせています。

左足の下に小石を置き、そこに足をかけて斜に構える姿は、もうすでに一人前の川六の狛犬 (*´꒳`*ノノ゙

首元まで届いた尾はまるで編み込みヘヤーみたいで、やっぱりキュートな後ろ姿~💗

邪魔になっては心配していましたが、何とか何方の邪魔にもならずに済んだようです。これからバックで県道まで・・私は臨時交通監視員(笑)

参拝日:2012年4月18日

 

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『石工・ 川六』 山口神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町小畑に鎮座される「山口神社」。御祭神は『大山津見命・保食神・豊受神』

県道を隔てて上手に随身門。珍しく随身様が神域を守護されています。

創祀は不詳、最古の棟札に「元禄六年(1693)神殿一宇建立」と記される。

隋神門からすぐに、入母屋造妻入、軒向拝の拝殿。

向拝虹梁上の龍の彫刻・・・こんなにやる気のない寝顔(に見える)龍は珍しい(((((^_^;)、

拝殿前左右より神域を守護されるのは出雲丹後風の狛犬さん一対。「萬延元年庚申九月吉辰」・「北河原住 川六作」の刻。彫刻の龍に匹敵する可愛らしさ(笑)

台座の牡丹がとても綺麗に撮れていたので(〃∇〃)

そしてラストは正座しててもキュートな後ろ姿~💗

参拝したいずれの神社にも置かれていた拝殿前の扇形拝み石。珍しくご亭主殿が画像に納めていたので。「安政七年申四月吉日」の刻。

「境内社」

拝殿から道路を隔てた小高い緑の茂み。小畑地区急傾斜危険地崩壊危険区域の標識近く、石段参道の上に鎮座されていたお社。仔細は不明。

参拝日:2012年4月18日

 

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『石工・ 川六』 東村神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町河原に鎮座される「東村神社」、御祭神は『茅野姫命・保食神』

参道入口は、蓮の花型をした手水鉢と石灯籠との間にある、かなり勾配のきつい石段。石段入口、右手には「明治五年壬申■旬」と刻まれた石灯籠。左手には蓮の花を象った手水鉢。

「『石工・ 川六』文久四年(1864)一月奉納」「元治元年子正月日、河六作」の刻。

蓮型の手水鉢の縁に前脚をかけ、身を乗り出して水を飲もうとする大きな亀。亀の右側には、足場が悪くて画像に残せなかったのが悔しい2匹の子・孫亀。これらのすべてが一つの石から彫り出されていると知った時の驚き、世界に名だたる彫刻家の作品が子供の遊びくらいにしか思えないほど感動しました。

辛うじて、親亀を真似て水面を覗き込もうとする子亀の姿が・・・ (>_< )

1500坪あまりの社叢を有する東村神社・一の鳥居。石段参道の先に随神門。

瑞垣に囲まれた流造の本殿。石灯籠には「天保十三年二月吉日」の刻。創始は不詳。古来よりこの地には『茅野姫命』を祀る「松山大明神」ありと伝えられ、明治元年(1868)に境内社「稲生大明神」を合祀、それにより「東村神社」としました。

隋神門

隋神門から石段参道を登って正面に、入母屋造妻入、軒向拝の拝殿。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、自然石の岩場をよじ登る「石工・川六 安政四年(1857)二月建立」の構え狛犬さん一対。

渾身の力をじっと深く深くため込む吽形さん。微動だにしない静の姿勢からにじみ出る気迫の凄さに圧倒され

それだけに、失くした前足の空白が胸を揺さぶります。

岩に登り低く身構える阿形さん。岩場の一段低い部分にかけられた足が最後のひと踏ん張りを思わせて力強く。

右手に掴んだ珠に食い込む爪の力強さが、見る者を圧倒させます。

でもって、〆はしっかりと両足を踏ん張るキュートな後ろ姿~💗

拝殿近くにあった建物。舞殿にでも使われたのだろうか?

エリンギみたいだと言ったら、大笑いされた石灯籠(笑)

参拝日:2012年4月18日

 

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『石工・ 川六』 利川(はやかわ)神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町早牛(はやうじ)に鎮座される式内社「利川(はやかわ)神社 」。御祭神は『速開津比咩命(はやあきつひめのみこと)・速佐須良比咩命(はやさすらひめのみこと )・瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)』『素盞雄命・保食神』を合祀します。

「利川神社」参拝、一番のお目当ては、石段を上がった先の右手に置かれた「手水鉢」。もちろん、わざわざこの為に参拝に来たのですから並の手水鉢ではありません(笑)

蓮の花を象った手水鉢と狛犬は、『石工・ 川六』安政六年(1859)己未九月建立」。樋の位置から見て、湧き水などを利用し逆サイホンの発想で狛の口から水が出る仕掛けだったように見えます。こうした工夫が凝らされた手水でこの時代の物は、他に長崎諏訪神社にしか確認できていません。

蓮の手水鉢

〆はとってもキュートな後ろ姿~💗

石段を登った先に神門、形から想像するに隋神門だったのではないかと想像。

創祀年代は不詳、かっては「大森大明神」とも称した古社。寛文七年(1667)6月11日、因幡鳥取藩主池田光仲が社領として五石を寄進し、元禄十二年(1699)には釣鐘を新鋳。また「鳥取県神社誌」によれば、字中瀬の地に鎮座していたが、台風により社殿が被害を受けたため、享保十年(1725)に末社であった荒神の森の現在地に遷座。明治五年に郷社に列し、大正六年、字西村の「山根神社」と、境内社「稲生社」を合祀。

ご本殿扉の彫刻は、「丸に一文字(まるにいちもじ)」の神紋。

本殿向拝虹梁上には、波頭を駆ける龍

切妻造妻入、軒向拝の拝殿前左右より神域を守護されるのは天保六年(1835)未十月吉日建立の、出雲構え狛犬さん一対。もともとの石の性質なのか、それとも長い年月の故なのか角が取れて全体に丸い印象。

社殿の左側に祀られる「境内社」。大正六年の合祀に際し、山根神社より還座。

流造の社殿、胴羽目彫刻背面に「鷹襲小鳥」。松の枝間より小鳥を襲う鷹

右側面彫刻・「登龍の鯉」

左側面彫刻「唐獅子牡丹」

獅子のアップ

早牛川に架かる神社橋

参拝日:2012年4月18日

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御神名一口メモ

『速開津比咩命(はやあきつひめのみこと)』水戸(みなと)の神、河口の神 で祓いの神。祓戸四神 の一柱 。

『瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)』、罪や穢れを祓い清める祓戸四神 の一柱 。

『速佐須良比咩命(はやさすらひめのみこと)』、『気吹戸主』の息吹によって運んだ根の国すべての罪や 穢 を祓い捨てる。祓戸四神 の一柱 。

 

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『石工・ 川六』 潮津(うしおづ)神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町青谷に鎮座される「潮津(うしおづ)神社」。御祭神は『大国主神・八上姫神・保食神・菅原道真公』

創建は不詳。もと「王子権現」と呼ばれ、潮津村の氏神として崇敬された。寛文7年(1667)、鳥取藩主池田氏より1石3斗5升の社領の寄進を受けた事が記録される。明治元年に、空町の「稲生大明神」と境内末社「天満宮」を合祀し、潮津神社に改称しました。

この地域では珍しい唐破風屋根の拝殿、目貫には筋肉隆々の「力神(りきじん)」彫刻。

石段上、境内入り口左右より神域を守護されるのは「『石工・ 川六』安政四年(1857)八月建立」の構え狛犬さん一対。

海石を台座にした迫力ある姿に思わず目がハ~~~ト💗 もっと違った角度から写したかったのですが・・・生け垣が邪・・・あ、いや、足場が悪くて(((((^_^;)

吽形さん両の手の下にある四角い台座、何かしらの文字が刻まれているようですが・・ええ~と「夏泊 若連中」。先に参拝した夏泊神社と何か関連があるのでしょうか?

そして〆はしっかりと足を踏ん張るキュートな後ろ姿~💗

更に拝殿前左右には天保6年(1835)、慶応2年(1866)建立の燈籠があり、笠の上にも狛犬さんが一対。かなりの強面ですが、ピンと上げた尾が妙に可愛らしくて !(^^)! 川六の吽形さんの尾の上に取り付いていた顔の正体は・・実はこの子(笑)

古い時代の鳥居の名残でしょうか?まるでこの場所の為に誂えたかのように、すっぽりと収まっています。

海石で作られた手水鉢。不思議な生き物のように見える・・

宿場町として栄えた潮津村。「潮津神社」の向かいに建つ「山名屋」は屋号を亀屋とし、元廻船問屋で建物は江戸後期の建築と言われています。

この潮津神社の後方に「専念寺」があり、その参道の途中にも、川六の作品があったと、これは後に知った事。潮津神社の狛犬より三年早い嘉永6年に作られた「地蔵菩薩座像」。知った時の落胆は、とても言葉に出来ません。

参拝日:2012年4月18日

 

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『石工・ 川六』 夏泊(なつどまり)神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

2016年10月「鳥取車中泊の旅」の初日、道の駅・清流茶屋 かわはらで見つけた1枚のポスター。阿吽の狛犬の間には 「没後150年記念 川六展 因州が誇る幕末の名石工」

幕末の因幡国気多郡を中心に、優れた石造作品を制作した『石工・川六』。因幡国気多郡北河原村(青谷町北河原)の住民で、本名を『尾崎六郎兵衛』。生年は不明ですが、没年は「北河原中興寺過去帳」によると元治2年(1865)12月11日。戒名『鑿巌良巧信士』。諡られた文字からも彼が名石工であったことが偲ばれます。

私たちがこの名石工の名前を知ったのは2011年の事。翌2012年、鳥取車中泊の旅では、『石工・川六』の狛犬を訪ねて、幾つかの神社を参拝しました。名工が生み出した狛犬を奉納した神社が距離的にさほど遠くない鳥取に、しかもほぼ同じような地域に十数社もある・・狛犬に目が無いご亭主殿が、それを知っていつまでも待つなんて、まずもって有り得ません(笑)

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鳥取市青谷町夏泊に鎮座される「夏泊(なつどまり)神社」。御祭神は『事代主神』。元「恵比須社」と称し、夏泊地区の氏神として崇敬されています。

創建は不詳、明治元年(1868)に「潮津神社」との合併の指導がありましたが、氏子であった漁業関係者の反対により合併はなされず、その後、現在の名称となりました。『事代主神』は『恵比須』と同一視される海の神様。漁師さん達の反対は、漁師の娘だった私にはとてもよ~~くわかります。

社殿真横に接して建立された鳥居は、「石工・川六 弘化四年(1847)六月建立」。せり出した岩場の僅かな敷地の中、まるで両手を広げて社殿全体を守るように設置されています。

鳥居から見える青い屋根の社殿が御本殿、右手前に僅かに見える赤い屋根が拝殿。漁師たちは船上からこの社を拝し、海の上の安全と大漁を願って沖に出る、お社はそれを見守って今日まで引き継がれてきました。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、『石工・川六』天保十年(1839)九月建立」の狛犬さん一対。川六独特の柔和な顔立ちが参拝者をねぎらってくれます。

冒頭のポスターの真似をして正面から 何しろ『名工・川六』ですから(^▽^)/

鳥居脇に鎮座されていた二つの摂社、場所的に見て一方は金毘羅神社。もう一方は稲荷伸ではないかと想像します。が、あくまでも想像なので確証はありません。

拝殿から眼前に広がる夏泊の海を見守る狛犬さん。

船を下りた漁師たちはそんな狛犬さんに無時の帰宅を報告し、我が家に続く坂道を登ります。

参拝日:2012年4月18日

 

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