車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

船玉(ふなたま)神社&水戸(みなと)神社 in 鳥取市賀露町

2017年03月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

「賀露神社」の境内の一画に奉納されていた「北前船の大碇」。横にあるのは「カニ漁のスクリュー」。いずれもこの賀露漁港を支えてきた陰の立役者たち。

境内左手に鎮座される摂社「船玉(ふなたま)神社」。御祭神は『事代主神』

かっては「恵美須大明神」と呼ばれ、漁業の神である御祭神が鎮まる地を守護されるのは、二対の狛犬さん。

石段上左右より神域を守護される出雲丹後型の狛犬さん一対。どれほどの年月をここで過ごされたのか想像できませんが、阿形さんの顔は少しずつ面影を失いつつあります。

社殿のより近くより神域を守護されるのは、強烈なお獅子顔の出雲丹後系狛犬さん一対。「平成元年(1986)拾貳月吉日」の刻。

今でも島根県松江市では、来待石を用いた狛犬さんが石工さんによって制作されています。実際の現場を見せて頂いた事がありますが、狛犬好きにとっては思わず手を合わせたい光景でした。

感謝の思いを込めて、端正な後姿

社殿の奥に建立されていた陸軍大将 一戸兵衞 書 忠魂碑

境内に戻り、本殿右手に鎮座される「水戸(みなと)神社」。御祭神は、河口・港の守護神『瀬織津彦命(せおりつひこのみこと)・瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)』。かっては「水戸大明神」と呼ばれていました。

社殿のより近くにて神域を守護されるのは笏谷石狛犬さん一対。いわゆる「禿」、別名「ダース・ベイダー」、またの名を「スフィンクス」。禿以外は筆者が勝手に命名。で・・肩を落とす吽形さんに「喝」を入れる阿形さんの図(笑)

「(吽)いいんだ・・・どうせ僕なんて片足しか無いし・・そのうちここで朽ちるんだ・・」「(阿)なんだよ~。辛気臭ぇなぁ~。俺だって片足だぞ。それによぉ、俺なんてそのうち顔も分らなくなるんだぜ!」・・慰めになってない気が(^^;)

御本殿と拝殿の間に枝を広げる御神木「黒松」。樹高、22~29m、樹齢は400~500年と言われています。

ラストは拝殿の隣に並ぶ神輿庫切り妻の部分にあった双竜の彫刻。構図の面白さもさる事ながら、向かい合った龍の表情が、とっても漫画チックで気に入りました。

境内の一隅に建立されていた『出口王仁三郎』歌碑

【 海鳥の 声かしましく賀露ケ浜の あしたになきて 波の音高し  】

境内にたむろするチャボの軍団(笑)。これもやはり「神鶏」と捉えるべきなのかしら?

賀露神社の麒麟獅子舞の案内。因幡地方では約150の神社で麒麟獅子舞が行われています。その中でも賀露の麒麟獅子舞は漁師の町らしく勇壮で力強い舞いが特徴という事で・・いつかはこの目で見てみたい祭事の一つ。

参拝の道すがらにお見掛けした「忠魂碑」は「陸軍大将 一戸兵衞 書」。改めて立ち寄り、二人揃って手を合わせ、私たちは「賀露神社」を後にしました。

参拝日:2012年4月17日

 

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賀露(かろ)神社 in 鳥取市賀露町

2017年03月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市賀露町北、日本海が一望できる丘陵に鎮座される「賀露(かろ)神社」。御祭神は『大山祗命・吉備真備公・猿田彦命・木花咲耶姫命・武甕槌命』。賀露の高台にある広い駐車場、境内に面して建つのは三の鳥居。

国道沿いに面して建つ一の鳥居からの参道はとても急で長い石段。で、ご亭主殿一人で鳥居の写真を撮るべく二の鳥居まで下る事に。鳥居には「紀元二千六百年(1940)」「芳包刻」の刻。

石段から見る賀露港の光景。写真で見る海はとてもおだやか。真下に見える鳥居の位置は・・・物凄~~く既視感(((((^_^;)

長い石段先の「隋神門」は、宝暦12年(1762) 藩の寄進により建立。藩主池田氏の「揚羽(あげは)紋」が刻まれていたと知ったのは帰宅後の話(^^;)

ガラス戸が設けられており、内には出雲丹後系の狛犬さんがいて、写真に残せたのは吽形さんだけ。それでも良いお顔だったと話してくれました。

随身門の天井絵は極彩色の「龍」。

江戸時代には歴代藩主である池田氏の祈祷所としてあつい保護をうけ、社殿や社領など多くの寄進を受けました。藩主が船遊びをされた際には必ず当神社へお参りになられたといわれ、また参勤交代の折にも必ず参拝をしたと云われています。  

参道正面には拝殿。社殿にかかる「賀露神社」の扁額は、15代将軍徳川慶喜の実兄『池田慶徳』の自筆と知ったのもやはり帰宅後の事。

拝殿左右には多くの石灯籠があり、2対の狛犬さんと一対の虎象さんが神域を守護されています。

手前より出雲丹後系の狛犬さん一対。大きく開けた阿形さんの口はすでに剥落が始まっています。来待石の特性と言ってしまえばそれまでですが、まだ今なら・・と思うのは素人考えなのでしょうか。

「(吽)お前さぁ・・もう少し口を閉じてたら、そんなに酷くならなかったんじゃねぇか?」 「(阿)そんな事言ったって、元からこうなんだから仕方ねぇべ」

そんなおしゃべりに聞き耳を立ててしまうのは、インベーダを想起させる出雲丹後型狛犬さん一対。阿形さんのつんと尖っていた筈のお鼻にも僅かずつですが剥離が見られますます。そっくり返るように天を仰ぐ吽形さん・・何を思うのか。

「(吽)お前ってさぁ、あいつらみたいに大口開けてたことないよなぁ・・」「(阿)・・ないよ・・・ (-。-)ボソッ」

拝殿前左右より神域を守護されるのは、花崗岩製の虎像さん一対。台座に刻まれた奉納者『秋本岩蔵』は、かって賀露から朝鮮半島に渡ったという人物。彼の地では「虎」は神聖な動物とされていた為、鳥取の石工に頼んで奉納したものと思われます。台座には「大変珍しい虎の狛犬です」のプレート。虎なのにやっぱり犬なんだ・・・(^^;)

「(阿)なぁ、吽よぉ。俺ら 狛犬って言われてるんだぜ。お前どう思うよ?」「(吽)へっ、好きなように呼ばしときゃいいさ。何と呼ぼうが虎に違ぇねぇんだからよ」

「大正十一年(1922)壱月」「鳥取 前田石工所作」の刻。後姿がハッキリ!きっぱり「虎」であると主張しています(笑)

境内社「船玉神社」&「水戸神社」明日に続きます。

参拝日:2012年4月17日

 

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栗渓(くりたに)神社 in 鳥取市栗谷町

2017年03月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市栗谷町に鎮座される「栗渓(くりたに)神社」。御祭神は『須佐之男神』

一の鳥居から見上げた先に続く長い石段・・私、この先の鳥取車中泊を継続できるのかしら? 思わず弱気になったものの、だからと言って一人で車で待つのはもっと耐えられない(^^;)

やっと見えて来た二の鳥居・・で、その先にまた石段。

「創建は不詳、播磨国広嶺神社の分霊を勧請奉祀し、往古は正一位牛頭天王と称し、社地を天王山と称した。享保5年(1720)鳥取大火の際に社殿及び棟札古記録など悉く消失。明治元年(1868)に「栗渓神社」と改称し、次いで村社に列格。明治元年(1868)栗渓神社と改称し、次いで村社に列格せられ、明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定された。」

一間社流造りの御本殿

玉垣に囲まれた境内正面に入母屋造平入、軒向拝の拝殿

拝殿目貫彫刻の「龍」

拝殿木鼻の「獅子と象」

拝殿扉に彫刻された「見返る獅子」

「追う獅子」

上側は鳥取藩池田家の副紋「祇園守紋」

享和3年、池田家の姚姫が嫁いだ鍋島の家紋「杏葉紋」

拝殿後方、玉垣の内より神域を守護されるのは出雲丹後の狛犬さん一対。台座には「享和二(1802)壬戌年九月吉日」の刻。

顎をクイッと上げてどこを見ているのか(*^^*) 阿形さんの半開きの口元が、吽形さんの悪戯っぽく結ばれた口がものすご~~~~~~くツボ(笑)

そして・・・後姿にさり気なく「ハート」。

拝殿前より神域を守護されるのは、大正15年(1926)9月吉日建立の岡崎型狛犬さん一対。

拝殿繋ぎ虹梁の左隅には「長胴太鼓」が掲げられています。

境内の裏手に鎮座される境内社「西の宮社」

境内社「稲荷社」

ゆったりと流れる時間 吐く息さえも浄化されるような清々しい景色。

参拝日:2012年4月16日

 

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大森神社 in 鳥取市相生町

2017年03月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市相生町に鎮座される「大森神社」、御祭神は『大己貴神・少名毘古那神・事代主神』

創建は不詳、古くは大森町に鎮座され、現在の境内は奥宮と称していた。明治三年に境内社「恵比美須社」を合祀、昭和三年に拝殿、同六年に本殿を新築。

瑞垣に囲まれた二間社流造の御本殿、その階段下より神域を守護されるのは小さな笏谷石狛犬さん一対。「禿(かむろ)」と言われるおかっぱ頭に反して顔はかなり・・凶悪 (-_-;) これくらいでないと神様の守護は務まらないのかも。「松嶋神社」に次いで二例目のご対面です。

入母屋妻入、軒向拝の拝殿

虹梁の上より身をくねらせる龍の彫刻

拝殿前左右より神域を守護されるのは、遠く彼方の星から飛来して来たかと思わせる形相で行儀よく佇む狛犬さん一対。

台座には「明治九年(1876)丙子九月吉日」「井上覚平 石谷傅六 作」の刻。

尾の形もかなり独特で個性的。こういう狛犬さんに出会えると、何だか得した気分(⌒∇⌒)

脇参道の入口から神域を守護されるのは、昭和六年(1931)2月吉日建立の出雲丹後狛犬さん一対。

何があったのか・・・阿形さんのお顔はほとんどが欠落しており・・・

「復興記念」碑と、本殿近くに置かれていた「鍾馗像」

境内の一画に咲いていた一叢の「スノードロップ」

参拝日:2012年4月16日

 

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萬田(よろずだ)神社 in 鳥取市田島

2017年03月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市田島、田島公民館に隣接して鎮座される「萬田(よろずだ)神社」。御祭神は『素戔鳴尊・誉田別尊』。

創立年代は不詳、古来より「牛頭天王」と称し、田島の産土神として崇敬。明治元年に「萬田社」と改め、同七年に「萬田神社」と改称。

縁を巡らせた拝殿。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和十七年(1942)四月十三日建立の出雲丹後の狛犬さん一対。阿形さんの足元にはお行儀よく座る仔狛さん。

小さな左手が親狛の足をしっかりとつかんでいます。

吽形さんの台座には寄贈者七名のお名前と「日露戦争凱旋記念」。阿形さんの台座には寄贈者七名のお名前と「支那事変凱旋記念」の刻。

拝殿内のご様子。

境内社二社

参拝日:2012年4月16日

 

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上山(かみやま)神社 in 鳥取市東今在家

2017年03月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市東今在家に鎮座される「上山(かみやま)神社」。御祭神は『須佐之男命・櫛名田比売命』

創建は不詳「因幡国原に東面する面影山麓には古くから集落が存在し、豪族が住んでいた。当時大和朝廷の制度は氏族は必ず氏神を祀っていたので古くからあったものと考察され、社叢は千年の歴史を物語る。旧記に明和三年(1766)九月社殿建立と有り「牛頭天王」と称す。明治元年「上山社」、明治七年「上山神社」と改称。大正九年火災に遭い社殿焼失。大正十五年本殿・幣拝殿を建立。」境内案内より

山間の四月、午後五時過ぎは神社参拝には絶対に不向きです!。分かっていても「ここまで来て」、「せめてここだけでも」と言う思いがいつだって理性を抑え込んで、こんな薄暗い参道を見上げる結果に(^^;)

石段参道の上、鬱蒼とした社叢を従えて静かに佇む拝殿。

拝殿前左右より神域を守護されるのは大正十五年(1926)七月建立の出雲構え狛犬さん一対。石工名は無く寄進者「青年義友会」の刻。

陰り始めたお日様の下で見る狛犬は怖いという人もいますが、この仔たちは本当に優しく穏やかに参拝者を見守っている。

境内の片隅、幾段もの台座の上に大切に祀られているのはこの地の産土神でしょうか?

参道の木々の手入れをされるのは氏子の方々でしょうか? 命綱に託して神域を手入れされる姿に深く頭を下げて、私たちは産土の社を後にします。

神社が鎮座されるのは、因幡三山の一つで標高100mの「面影山」の東麓。その美しい姿が「天の香久山」に似ているとして、国司達は都を偲び「面影山と」名づけました。旧国府町にある「因幡万葉歴史館・時の塔 」からは、この面影山の姿を見ることが出来ます。

参拝日:2012年4月15日

 

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的場(まとば)神社 in 鳥取市的場

2017年03月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市的場に鎮座される「的場(まとば)神社」。御祭神は『市杵島姫命』

由緒に「文明五年(1473)の頃との説もあるが創建は不詳。古く琵琶湖竹生島辨財天分霊を流鏑馬場の地・的場に奉祀されたと言われ、宮長神社の摂社であったが、明治元年12月的場社と称し、明治6年的場神社と改称、村社となった。旧社祠は廃藩置県で明治五年頃久松山の麓から社殿を譲り受け、降って昭和五年、本殿・幣殿・拝殿・辨天池が造営。旧社殿は境内地に移転し、的場護国神社として戦没者を祀る。」境内案内より

西日を受けて影を濃くする拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは出雲構えの狛犬さん一対。建立年不明。台座には寄進者お二方の名前「吉岡村 ■(寺カ)岡平十郎」のみ。

構えた足の細さが痛々しい程、阿吽ともに出雲丹後らしからぬ穏やかで優しい顔立ち。

さらに拝殿のより近くには、すでに表情を失いかけた出雲か雨の狛犬さん一対。それでもしっかり後ろ足を踏ん張る姿に思わず「ガンバレ」のエール。

境内社:的場護国神社

左右に立ち並ぶ奉納石燈籠

境内の一画に奉斎された「弁天石」

参拝日:2012年4月15日

 

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前田(まえだ)神社 in 鳥取市吉方町大覚寺

2017年03月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市吉方町大覚寺に鎮座される「前田(まえだ)神社」。御祭神は『大山祇神・保食神』

勧請年月不詳「古来より「山王宮」と称した。明治元年に「稲荷大明神」を合祀し「前田社」としたが、明治六年に「前田神社」と改称、村社に列せられた。」神獣事始めより

拝殿前左右より神域を守護されるのは昭和九年(1934)建立の出雲丹後系狛犬さん一対。石工の名前は無く、寄進者「西尾繁太郎」の刻のみ。

良い所のお坊ちゃんといった風情の仔狛さん。同じ造形でこんなにも鮮やかに大人と子供の表情が表現されている事に感動。

仔狛を連れた阿形さん、口中にも玉を咥えていますが、もしかしてそれは仔狛のおやつ?(〃∇〃) 見守る吽形さんの眼差しの優しい事。

拝殿前より近くより神域を守護される稲荷のお狐様。明治になって合祀されたお社から移ってこられたのでしょうね。

来待石の燈籠と阿形さん

参拝日:2012年4月15日

 

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百先(ももさき)神社 in 鳥取市吉成

2017年03月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市吉成に鎮座される「百先(ももさき)神社」。御祭神は『猿田彦神・素戔鳴尊・保食神』

由緒「創始不詳、古来より「百先大明神」と称され、神事も盛大に行われていた。しかし織田軍の鳥取攻めにより、社殿その他、ことごとく兵火によって焼失。寛永10年、藩主:池田家より社領を寄進せられ、明治元年に「百先神社」と改称。摂内社「松下神社」「稲荷神社」を合併し、明治4年に村社となる。蝮除の神として知られ、古来よりこの一帯に蝮は生育せず、又当社の御守を所持する時は、蝮の災いから免れられるとの霊験が著しく、遠方の人々からも篤く崇敬されてきた。」

この地域に珍しい紅白の随神門、その真っ直ぐに参道が続きます。

参道左右に並ぶ奉納石灯籠

〆勧請が掛けられた入母屋造りの拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは、出雲構えの狛犬さん一対。阿形さんには「明治四拾年(1907)五月吉日」。吽形さんには「陸軍歩兵大尉 正七位 北川■茂」の刻。阿形さんの背中部分に大きくヒビが入っているのがとても危うく気にかかります。修復が可能であるなら是非・・

本殿玉垣の内より神域を守護される出雲構えの狛犬さん一対。場所的な制約があり、捉えられたのはこのアングルのみ。

鎮座地の地名を冠した「境内社:吉成神社」

春(4月9日に近い土曜・日曜) 秋(10月9日に近い土曜・日曜)の祭礼に舞い納められる「麒麟獅子舞」の絵。

火の見やぐらと井戸のある境内

参拝日:2012年4月15日

 

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菖蒲(しょうぶ)神社 in 鳥取市菖蒲

2017年03月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市菖蒲、大井手川畔に鎮座される「菖蒲(しょうぶ)神社」。御祭神は『大物主神・素盞嗚命』

「天神地祇を祀る氏神の社として、もと高草郡古海郷菖蒲の宮ノ元に鎮座したが、奈良時代前期に薬師寺と習合、のち貞観年間度重なる風水害により菖蒲山の中腹に遷座。山王権現として氏子・里人の信仰に根付き、末社に祀られた明見社、稲荷社、荒神三社と共に庶民の心の支えとなっていた。
 享保年間(1716~1735)大旱魃、転変地変による疫病の大流行に『牛頭天王』の分霊を勧請、菖蒲山宮ノ谷に大平神社を建立したところ疫病がぴたりと止んだと云う。明治の神仏分離令により山王権現を菖蒲神社と改称、更に大正13年大平神社を合祀。しかし千年余の風雪に参道の随所が崩壊、社殿も老朽化したため、菖蒲山宮ノ谷を遷座地と定め社殿を造営。昭和15年上町の護国神社旧本殿を譲り受け移築し、幣拝殿を新築。1992年、遷座地として菖蒲籠山を造成、本殿の移築、幣拝殿の新築、境内整備がなされた。」境内由緒碑より

満開の桜に出迎えられて境内へ

拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。「大正四年(1519)九月日」の刻。石工の名はありませんが、寄進者名「当村 新きよ」が刻まれています。

阿形さんの耳まで裂けた口・・・まさしくその表現通りで、これでは下顎が脆く崩れやすいのは・・仕方ない事かもしれない・・

境内から見る鳥取の市街地 遠くに冠雪してみえる山並みは大山あたりだろうか。

桜の境内というのはどうしてこんなにも柔らかく温かいのだろう。いかつい筈の狛犬さんの表情までも和らいで見える(*´꒳`*ノノ゙

参拝日:2012年4月15日

 

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