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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 福井県旧美山町(福井市)

2016年07月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

旧足羽郡美山町(みやまちょう)は福井県嶺北地方の中央部に位置した町です。吉田郡松岡町・永平寺町・上志比村、勝山市、大野市、今立郡池田町、越前市、鯖江市、福井市に隣接。岐阜県境の冠山に源を発した足羽川は、池田町を縦貫し美山町の中心部で大きな弧を描きながら、上味見川、羽生川、芦見川と合流し、福井市を経て日本海に注いでいます。古くは越前と美濃を結ぶ要衝として栄え、中世にはすばらしい信仰文化が花開きました。戦国時代には、動乱の中に自治村落を形成し、むらの団結によって守り続け、近世への道をだどりました。美山町は古くから林業のまちでした。町の総面積の約90%を山林が占めています。美山の気候・風土は杉の成長に適し、植林が盛んに行われてきました。農業においては、稲作のほか「河内赤かぶら」や「パールマッシュ」などの特徴のある農産物が生産されています。「町の木:杉」「町の花:ミヤマツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「暮らし 美味しい 美山郷」

明治22年(1889)、 町村制の施行により、大野郡芦見村・羽生村・上味見村・下味見村、足羽郡下宇坂村・上宇坂村が発足。

1955年、大野郡芦見村、羽生村、上味見村、下味見村、足羽郡下宇坂村、上宇坂村が合併、足羽郡美山村が発足。

1964年、美山村が町制を施行、足羽郡美山町となる。

2006年、足羽郡美山町が丹生郡越廼村、清水町と共に福井市に編入。

マンホールには町章を中心に「町の花:ミヤマツツジ」、周囲に「町の木:杉」がデザインされています。

同じく「町の花:ミヤマツツジ」、周囲に「町の木:杉」ですが、絵柄が抽象化されてしまうと、花も木も全く異なったものに見えます。

昭和33年(1958)4月21日制定の町章は「「み山」を重ね合わせて円く図案化したもので、美山村章として制定、町制施行後に継承されました。」

美山地区が生んだエンターテイナー『百戸田吾作』さん。何かよく判りませんが美山地区でお見かけしたので、旧美山町のキャラに認定(笑)

撮影日:2017年9月30日

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ご当地マンホール in 福井県旧三方町(若狭町)

2016年07月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

旧三方郡三方町(みかたちょう)は福井県の西部、綾南地域に位置した町です。美浜町・上中町・小浜市、800m級の比較的低い山々を境に滋賀県高浜市と隣接。国指定の名勝で、若狭湾国定公園に属する「三方五湖」のある町として知られています。「町の木:しい」「町の花:梅」を制定。

旧キャッチフレーズは、「いつもあなたの“みかた”です」

明治22年(1889)、町村制の施行により、三方郡八村・西田村・十村が発足。

1953年、八村・西田村が合併、三方郡三方町が発足。

1954年、三方郡十村を編入。

2005年、遠敷郡上中町と合併、三方上中郡若狭町となりました。

マンホールには「三方五湖」「梅丈岳」「町の花:梅」と、特産の「梅の実」が描かれています。

昭和34年4月1日制定の町章は「平和と将来の発展を表したもの。中の丸は平和を表し、「三方」の三を図案化したもの。△は 将 来の発展と、「三方」の方を表し、三方五湖を図案化。全体は梅の花を表現。」合併協議会資料より

規格タイプの農業用水仕切弁

2001年8月16日、タンデムで出かけた三方町で、三方五湖を周遊する遊覧船を楽しんだことがあります。トップの画像はその帰路のもので、この後、カーブを曲がり切れずに単独事故を起こし、以来長く若狭方面へのタンデムが出来なかった苦い思い出があります。バイクから車に変わっても、その恐怖を克服する為に実に七年の歳月を要しました。

撮影日:2008年6月1日

 

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ご当地マンホール in 福井県若狭町&旧上中町

2016年07月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

三方上中郡若狭町(わかさちょう)は福井県の西部、若狭国西南部に位置し若狭湾のリアス式海岸の一部を成す町です。美浜町との境界にはラムサール条約登録湿地の「三方五湖」があり、また、近江に抜ける鯖街道の一つとしても知られます。2005年3月31日、遠敷郡上中町と三方郡三方町が合併、両方の地名を取った「三方上中郡」を新設して誕生しました。小浜市、美浜町、鯖街道を経て滋賀県高島市に隣接。

キャッチフレーズは「輝きと優しさに出会えるまち 若狭町」

2005年3月31日制定の町章は「若狭町の「W」をモチーフに若さとフレッシュ感のあるデザインで新しい町の生命力と未来に開こうとする姿を表現しています。」公式HPより

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旧遠敷郡上中町(かみなかちょう)は福井県の西部、若狭国西南部に位置した町です。古くより、若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場町として栄えてきました。美浜町・上中町・小浜市、鯖街道を経て高島市に隣接。「町の木:赤松」「町の花:紫陽花」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、遠敷郡野木村・三宅村・鳥羽村・瓜生村・熊川村が発足。

1954年、野木村・三宅村・鳥羽村・瓜生村・熊川村が合併、遠敷郡上中町が発足。

2005年、三方郡三方町との合併により、三方上中郡若狭町となりました。

マンホールには、「町の花:アジサイ」と右隅に町章がデザインされています。(大鳥羽駅前の舗道に敷設)

昭和29年4月29日制定の町章は「「上中」の文字を図案化。丸く手をつなぎ、協調することを意味する。」合併協議会資料より

撮影日:2008年6月1日&2012年7月10日

 

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ご当地マンホール in 福井県敦賀市

2016年07月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

敦賀市(つるがし)は福井県南西部、嶺南地方に位置し、日本海の敦賀湾に面した市です。南条郡南越前町、三方郡美浜町に。また県を跨いで滋賀県高島市、長浜市に隣接。古代より畿内と北陸道を結ぶ北国街道の脇街道である「鯖街道」や「木の芽街道」、山陰道への「丹後街道」が通り、交通の要衝とされてきました。市域は街道沿いに鎮座する「氣比神宮」によって鳥居前町が形成され、日本海有数の天然の良港であり、奈良時代から三大要津の一つに数えられた「敦賀港」とともに発展してきました。「市の木:松」「市の花:萩」「市の鳥:ユリカモメ」を制定。

キャッチフレーズは「世界とふれあう港まち 魅力あふれる交流都市 敦賀」

明治22年(1889)、町村制の施行により敦賀郡敦賀町・松原村・愛発(あらち)村・粟野村・東郷村・中郷村・東浦村が発足。

1937年、敦賀郡敦賀町・松原村が合併し市制を施行。敦賀市が発足。

1955年、敦賀郡愛発村・粟野村・東郷村・中郷村・東浦村を編入。

マンホールには名勝で知られた「気比の松原」と「立石岬灯台」が、美しく描かれています。(「気比神宮」付近の道路に設置)

「気比の松原」

北陸道:杉津PA記念スタンプ「立石岬灯台」

「金崎宮」へ向う道路には、「花換まつり」の神事にちなんで、桜の花が描かれています。桜は側溝蓋のプレートや、樹木カバーにも描かれていますが、特に市の花と言う事では有りません。

市章を中心に「市の木:松」が描かれたマンホール。

昭和27年3月28日制定の二代目市章は「周囲の円形が敦賀港を現わして地勢を物語り、中央の角は「都奴賀阿羅斯等」に因んでその沿革を象徴。角の上部は灯台を具現し、港湾都市としての将来への発展を意味しています。」公式HPより

「敦賀港」に入港する大型船と、「市の鳥:ユリカモメ」がデザインされた側溝蓋

桜がデザインされた側溝蓋

扇面がデザインされた側溝蓋

市の木・松がデザインされた側溝蓋

扇面に松と梅がデザインされた側溝蓋

市章と桜がデザインされた樹木カバー

敦賀港開港100周年記念事業「つるが・きらめき・みなと博21」タイル

敦賀の地名については、「日本書紀」に「垂仁天皇の時、意富加羅国の王子都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が「笥飯(けひ)浦」に来着、その額に角があったので、この地を「角鹿(つぬが)」と称した。」とあり、701年に完成された「大宝律令」において「敦賀」と改称されたと記されています。

撮影日:2009年6月5日&2012年7月10日&2018年3月24日

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2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「敦賀市」のマンホールカードは、「敦賀鉄道資料館」でいただけます。

1999年に設置開始されたマンホールには「気比の松原」「立石岬灯台」「ユリカモメ」がデザインされています。

「日本三大松原に数えられる「気比の松原」を近景に描き、そこから望む「立石岬灯台」と敦賀の鳥「ユリカモメ」を描いた、「松灯台」の名を持つマンホール蓋です。 立石岬灯台の歴史は古く、明治14年、石造り灯台として初めて日本人のみの設計・施工で建てられました。 その後、同32年には敦賀港が開港場に指定され、敦賀市は日本海側の主要な国際港湾都市として発展しました。 本マンホール蓋は、平成11年、敦賀港開港100周年を記念してつくられたもの。 金ケ崎緑地周辺の歩道に設置されていますが、近辺には桜の名所「金崎宮」にちなんだ桜のマンホールもありますので、是非探してみてください。」

配布先で頂いたマンホールマップ

座標軸マンホール・・なぜこんな芝生の中??

訪問日:2018年3月24日

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ご当地マンホール in 福井県旧和泉村(大野市)

2016年06月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

旧大野郡和泉村(いずみむら)は福井県の最東端に位置した村です。大野市に。また県を跨いで岐阜県郡上市、関市、本巣市に隣接。村域は県境付近の高い山々のそびえる場所に位置し、村内を九頭竜川が貫流。長野字船久保には、かつて「長野ダム」と呼ばれた高さ128メートルのロックフィルダム「九頭竜ダム」が、まさに聳え立っています。

山々の色を写し込む「九頭竜湖」の美しさにしばし見惚れて・・・・。「村の木:ブナ」「村の花:シャクナゲ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により大野郡下穴馬村・上穴馬村が発足。

1896年、大野郡下穴馬村から石徹白(いとしろ)村が分離独立、大野郡石徹白村となる。

1956年、下穴馬村・上穴馬村が合併、大野郡和泉村が発足。

1958年、和泉村が大野郡石徹白村三面・小谷堂を編入(残った地域は岐阜県白鳥町に編入)。

2005年、大野市に編入。これにより大野郡は消滅しました。

和泉村には独自のデザインマンホールはありませんが、唯一、村章のある防火貯水槽を見つけることが出来ました。

昭和37年(1962)6月22日制定の村章は「「い」の字を図案化し、旧下穴馬 と旧上穴馬村の合併を表現したものです。」

旧下穴馬と旧上穴馬村を象徴するかのように、和泉村の村章を挟んで「馬」がデザインされた樹木カバー。

撮影日:2012年6月13日

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ご当地マンホール in 福井県旧三方町(若狭町)

2016年06月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

旧三方郡三方町(みかたちょう)は福井県の西部、綾南地域に位置した町です。遠敷郡上中町・三方郡美浜町・小浜市に、さらに800m級の比較的低い山々を境に滋賀県高浜市と隣接。国指定の名勝で、若狭湾国定公園に属する「三方五湖」のある町として、また我がご亭主殿共々に敬愛する「大日本帝国海軍軍人:第六潜水艇艇長・佐久間勉氏」の出身地として知られています。「町の木:しい」「町の花:梅」を制定。

旧キャッチフレーズは、「いつもあなたの“みかた”です」

明治22年(1889)、町村制の施行により、三方郡八村・西田村・十村が発足。

1953年、八村・西田村が合併、三方郡三方町が発足。

1954年、三方郡十村を編入。

2005年、遠敷郡上中町と合併、三方上中郡若狭町となりました。

マンホールには「三方五湖」「梅丈岳」「町の花:梅」と、特産の「梅の実」が描かれています。

昭和34年(1957)4月1日制定の町章は「平和と将来の発展を表したもの。中の丸は平和を表し、「三方」の三を図案化したもの。△は 将 来の発展と、「三方」の方を表し、三方五湖を図案化。全体は梅の花を表現。」合併協議会資料より

規格タイプの農業用水仕切弁

撮影日:2008年6月1日

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忘れがたい記憶

2001年8月16日、タンデムで出かけた三方町で、三方五湖周遊の遊覧船を楽しんだことがあります。トップの画像はその帰路のもので、この後、カーブを曲がり切れず、引きずられるように横転。投げ出された体はそのままの姿勢で5m先まで・・・音のない真っ白な世界の先に、なぜか、頑固でわからずやだった父の顔が見える。泣くような声で私を呼ぶ声が聞こえる。ふっと・・目を開けた先はヒビだらけのシールド、その向こうに広がる青い空。現実の色を取り戻した瞬間、体中を襲う痛み。「ごめんね、ごめんね」とうわごとの様に繰り返しながら抱き起すご亭主殿の上着に染み出す血の色・・生きてる・・と思った瞬間涙が止まらず、まるで子供のように泣いていた私・・・その間にも、窓からこちらを見ながら何台かの車がすぐ横を通り過ぎていく。満身創痍のマグナ君にのり、町中で最初に見つけた小児科の玄関をたたいて応急処置をしていただき。ぼろぼろの体で、それでも見慣れた家々の灯りが近づき、無事に自宅にたどり着けた時の安堵感は、とても言葉では表せません。夜間救急外来で、ぐしゃっと骨折した指のレントゲンを見せられて、改めて無事に我が家に帰れたことを真剣に感謝しました。以来、長く若狭方面へのタンデムが出来なかった苦い思い出があります。バイクから車に変わっても、その恐怖を克服する為に実に七年の歳月を要しました。

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ご当地マンホール in 福井県若狭町&旧上中町

2016年06月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

三方上中郡若狭町(わかさちょう)は福井県の西部、若狭国西南部に位置し若狭湾のリアス式海岸の一部を成す町です。2005年3月31日、遠敷郡上中町と三方郡三方町が合併、両方の地名を取った「三方上中郡」を新設して誕生しました。小浜市、美浜町、鯖街道を経て滋賀県高島市に隣接。美浜町との境界にはラムサール条約登録湿地の「三方五湖」があり、また、近江に抜ける鯖街道の一つとしても知られます。

キャッチフレーズは「輝きと優しさに出会えるまち 若狭町」

2005年3月31日制定の町章は「若狭町の「W」をモチーフに若さとフレッシュ感のあるデザインで新しい町の生命力と未来に開こうとする姿を表現しています。」公式HPより

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旧遠敷郡上中町(かみなかちょう)は福井県の西部、若狭国西南部に位置した町です。美浜町・上中町・小浜市、鯖街道を経て高島市に隣接。古くより、若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場町として栄えてきました。「町の木:赤松」「町の花:紫陽花」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、遠敷郡野木村・三宅村・鳥羽村・瓜生村・熊川村が発足。

1954年、野木村・三宅村・鳥羽村・瓜生村・熊川村が合併、遠敷郡上中町が発足。

2005年、三方郡三方町との合併により、三方上中郡若狭町となりました。

マンホールには、「町の花:アジサイ」と右隅に町章がデザインされています。(大鳥羽駅前の舗道に敷設)

昭和29年4月29日制定の町章は「「上中」の文字を図案化。丸く手をつなぎ、協調することを意味する。」合併協議会資料より

撮影日:2008年6月1日&2012年7月10日

 

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ご当地マンホール in 福井県美浜町

2016年06月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

三方郡美浜町(みはまちょう)は福井県の南西部、若狭地方東端に位置する町です。敦賀市、三方上中郡若狭町に。また県を跨いで滋賀県高浜市に隣接。町名は弥美(みみ)の「美」と砂浜の「浜」をあわせた合成地名。日本海に面した豪雪地帯で、三方上中郡若狭町とに跨って位置する、ラムサール条約指定湿地「三方五湖」や、美浜町丹生に所在する「美浜原子力発電所」でも知られています。「町の木:松」「町の花:ツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「自然かがやき 人いきいき まちがにぎわう 美(うま)し 美浜」

明治22年(1898)、町村制の施行により、三方郡西郷村・北西郷村・耳村・山東村が発足。

1898年、西郷村大字早瀬・大字笹田・大字日向の区域が分立、北西郷村が発足。同日、名称を変更して、南西郷村となる。

1954年、西郷村、西郷村、耳村、山東村が合併、三方郡美浜町が発足。

マンホールには「町の木:松」「町の花:ツツジ」と、「町民レガッタ」がデザインされています。

昭和33年(1958)1月1日制定の町章は「3つの「ハ」と中央の「マ」でミハマを表し、ダルマにも似た形は安定性と均衡を表しています。 4つの字形の組み合わせは、4村が円満に合併したことを意味し、美浜町が将来にわたってますます発展するようにとの願いが込められています。」公式HPより

GESUIDOU OSUIMASUの文字と、蛙がデザインされた汚水桝蓋。

美浜町観光キャンペーンガール『へしこちゃん』。2005年美浜町が「へしこの町」を商標登録したのをきっかけとして翌年に誕生しました。他に「漁師の浜さん」「ふぐの美ちゃん」もいるそうですが、生憎とお目にかかれていません(^^;)。

撮影日:2012年7月10日

 

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ご当地マンホール in 福井県小浜市

2016年06月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

小浜市(おばまし)は福井県の南西部(嶺南)、若狭のほぼ中央に位置する市です。北は若狭湾に面し大飯郡おおい町、三方上中郡若狭町に。また県を跨いで滋賀県:高島市に隣接。律令時代より前からヤマト王権の日本海側入口として対岸諸国との交易が開け、江戸時代には酒井氏11万石小浜藩の城下町として発展。この時代からサバの水揚げ基地として「鯖街道」の起点となり、陸揚げされた大陸文化や各地の物産は鯖街道などを経て、近江、京都、奈良にもたらされました。大陸とのつながりは、市内に点在する数多くの文化遺産から伺い知る事ができます。畿内の色が濃い港町には古く風情ある町並みを残されており「若狭の小京都」と呼ばれ、また国宝や国指定の重要文化財が数多く残されていることから、「海のある奈良」と呼ばれることもあります。

若狭塗・若狭めのう細工が特産。ソフトバレーボール発祥の地としても知られています。「市の木:もみじ」「市の花:つつじ」「市の色:歴史萌色」を制定。

キャッチフレーズは「心やすらぐ美食の郷(さと) 御食国(みけつくに)若狭おばま」

明治22年(1889)、町村制の施行により、遠敷郡小浜町・雲浜村・西津村・内外海村・松永村・宮川村・遠敷村・国富村・今富村・口名田村・中名田村、大飯郡加斗村が発足。

1935年、遠敷郡雲浜村。西津村が遠敷郡小浜町に編入。

1951年、遠敷郡小浜町、内外海村、松永村、遠敷村、国富村、今富村、口名田村、中名田村が合併、小浜市が発足。

1955年、遠敷郡宮川村、大飯郡加斗村を編入。

マンホールには「日本遺産の街 若狭おばま」「海と都をつなぐ」「若狭のの往来文化遺産群」のフレーズと、小浜市キャラクター「さばトラななちゃん」がデザインされています。(大阪府池田市開催マンホールサミット展示マンホール)

昭和26年(1951)9月1日制定の市章は「未来への飛翔の思いを込めて、小浜市の「小」の字を鳥の羽ばたく姿にデザインしたものです。」公式HPより

消火栓

側溝蓋二種

「鯖のまち小浜」を盛り上げるべく、実在したサバトラ模様の地域ネコ【ななちゃん】がモデルの『さばトラななちゃん』。人間の言葉が分かるので褒められると大喜び♪悪口言うと強力ネコだましパーンチ!されます。小浜や若狭地域をアピールすべく、日々努力を続けています♪

撮影日:2012年7月11日(展示マンホールのみ2017年11月18日)

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ご当地マンホール in 福井県高浜町

2016年05月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福井県

大飯郡高浜町(たかはまちょう)は福井県最西端、南西部の嶺南地方に位置する町です。大飯郡おおい町に。また県を跨いで京都府綾部市、舞鶴市に隣接。若狭湾に面した大島半島と音海半島の間には、日本の夕陽百選に選定されている「若狭和田海水浴場」や、快水浴場百選に選定される「白浜海水浴場」などがあり、夏期には多くの海水浴客が訪れます。また日本海気候である事から豪雪地帯にも指定されています。

かって古代および大和政権下において、この一帯は「大炊寮(おおいりょう)」という役所が管轄する地域の一部であった為、安倍氏や高橋氏など天皇家の食材を司る豪族が拠点の一つを岡津地区や青郷に構え、塩や魚などの海産物を朝廷に納めていました。時代の先端とも言える高浜発電所に至る難波江(なばえ)の岬には、人買いに売られててゆく「安寿と厨子王」の像もあり、その不思議なアンバランスさが印象に残る街です。「町の木:杜仲」「町の花:はまなす」を制定。

キャッチフレーズは「生きがいのある住みよいまち 魅力と活力のあるまち 心豊かで健康なまち-海浜活生(いきいき)タウンたかはま-」

明治22年(1889)、町村制の施行により、大飯郡中津海村・鐘寄村・畑村・立石村・高浜村・薗部村・岩神村・笠原村・子生村・坂田村の区域をもって、大飯郡高浜村が発足。

1912年、高浜村が町制を施行、大飯郡高浜町となる。

1955年、高浜町、青郷村、和田村、内浦村が合併、改めて大飯郡高浜町が発足。

マンホールには高浜町と舞鶴市にまたがる「青葉山(若狭富士)」「内浦湾と日引地区の棚田」、中央に「TAKAHAMA」の文字。下に「町の花:はまなす」がデザインされています。

漁業集落排水マンホールには、若桜湾に浮かぶ、帆の中央に町章が付いたヨット、上部に「サバ、フグ・若狭グジ(甘鯛)」と謎の男の子がデザインされています。

業集落排水マンホールには、若桜湾にある「高浜八穴:明鏡洞」と太陽がデザインされています。

「高浜八穴:明鏡洞」

昭和39年(1964)制定の町章は「輪部は高浜町の高とハマの文字を図案化したもので、中の輪は高浜町を象徴する明鏡洞を表しています。上部の錐角は永遠の希望と限りなき前進を示し、周囲の錐角は明鏡洞を中心に観光都市として伸びゆくタカハマの未来像をシンボライズしたものです。」公式HPより

高浜町マスコットキャラクター「赤ふん坊や」。日本各地(時には海外にも!)に行って、魅力たっぷりの高浜町を元気にPRしています。明るくて優しくて、若桜の海が大好きな男の子です。

撮影日:2012年7月12日

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マンホールカード、頂きました

2020年6月1日、第12弾として全国53自治体で62種類(累計535自治体667種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「高浜町」のマンホールカードは、「高浜町上下水道センター(上下水道課)」でいただけます。

2019年に設置開始されたマンホールには「はまなす」と「赤ふん坊や」「青葉山と海水浴場」がデザインされています。

「高浜町のマスコットキャラクター「赤ふん坊や」を中央に描いたデザインマンホール蓋です。 1996年より順次供用開始した公共下水道・農業集落排水・漁業集落排水区域に採用している3種類の旧デザインを、2019年「令和」の改元にあわせて、一新しました。 若狭富士と称される緑豊かな「青葉山」と、アジアで初めてビーチの国際環境認証「ブルーフラッグ」を取得した「若狭和田ビーチ」をはじめとする海水浴場を背景に、マンホールから「赤ふん坊や」が元気に顔をのぞかせ、その周りを町花「はまなす」が彩り、高浜町の美しく豊かな自然と力強い活力をアピールしています。」

 

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