車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

琴弾(ことひき)八幡宮と銭形 in 香川県観音寺市

2021年02月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

観音寺市八幡町・琴弾山山頂に鎮座される「琴弾(ことひき)八幡宮」。御祭神は『応神天皇・神功皇后・玉依姫命』。

社伝に「大宝3年(703)3月、琴弾山で修行していた日証上人が八幡大菩薩の乗った船が近くに漂着したのを見つけ、里人とともに船を山頂に運び祀ったのに始まると伝えられる。その時、船の中から琴の音がしていたことから「琴弾」と社名が付けられ、後に第69番札所観音寺となる神宮寺を建立。大同2年(807)、四国を行脚中の空海が当社に参拝し、琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来の像を描いて本尊とし、琴弾山神恵院として第68番札所に定めた。」画像は〔琴弾八幡宮:神幸殿〕

二の鳥居、境内入り口にて神域を守護されるのは、明治18年(1885)3月建立の備前焼獅子狛犬の一対。

阿形さんの足元がセメンで固められているのは長い年月の中での破損の所為で、決して、夜な夜な琴弾公園を散策するからでは有りません😅

随身門を潜り、ここから378段の石段を登れば拝殿・本殿へと至ります。

随神門前より神域を守護されるのは、大きな玉に寄りかかるように手を置く、明治27年(1894)8月吉日建立の狛犬さん一対。「(吽) こらっ!しゃんとせんか!しゃんと!!」「(阿)・・はぁ~~~疲れたがね~」そんな会話が聞こえてきそう。

随身門を抜けて石段を見た瞬間に脱力感・・・・・足に問題を抱える私には長い石段参道は試練と言うより拷問に近い💧 時間的なものもあってご本殿への参拝はここで終了。

という事で、後は下の境内に奉られる神々を参拝させて頂くことにしました。
「境内社・庚申神社」の社殿前を守護されているのは、昭和50年(1975)10月建立の狛犬さん一対。まるで運動会の玉ころがしに興じる小学生のように大きな目を輝かせて、何とも微笑ましい顔立ち。

こちらは「境内社・山之神神社」の社殿前を守護される、昭和27年(1952)建立の狛犬さん。活発そうな阿形さんに比べると、吽形さんはとても大人しめで、玉の上の手も心持ち控えめ。

国の礎となり尊い命を捧げられた方々の御霊を祀る「忠魂碑」。玉垣には「忠勇」の文字と、「碇に星」の紋章。

慰霊塔は先の戦で亡くなられた方々の御霊をお慰めする為に建立されたものです。

「安永四年(1775)地元の俳人小西帯河が所蔵していた芭蕉真蹟短冊を二六庵竹阿の指導で創建その後破損していたものを天保十年(1839)半月庵五蕉の指導で再修された.」(看板より)

【早苗とる 手もとやむかし 志のぶ摺(もじずり) はせを 】

参拝の後、一方通行のドライブウエイを使えば車で頂上まで行けるという事で立ち寄った展望台。 東西122m南北90m周囲345mの巨大な砂絵は、琴弾山々頂から見るときれいな円形に見えるとか。この銭形を見れば健康で長生き、しかもお金に不自由しなくなるそうで、出来れば御利益に預かりたいものです😄

高橋藍川氏・現代漢詩【白帆鷺の如く滄溟に入る 水愈碧に松愈青し 通年千年客の拾うなく 砂浜歴々銭形を見る】 

【ひうちなだ 浪路の末の雲はれて いよの高嶺に 雪ふれるみゆ 堀野林治】

参拝日:2011年6月15日

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ご当地マンホールとマンホールカード in 香川県観音寺市

2021年02月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

観音寺市(かんおんじし)は香川県の西端に位置する市です。2005年10月11日、(旧)観音寺市・三豊郡大野原町・豊浜町が対等合併し(新)観音寺市が発足しました。三豊市、また県を跨いで徳島県三好市、愛媛県四国中央市。更に海を隔てて愛媛県越智郡上島町。広島県福山市に隣接。瀬戸内海の燧灘に面し、市の中央部には三豊平野が広がり、東部から西部に向かって財田川、柞田川などの河川が流れ、豊かな田園地帯を形成。東部から南部にかけては山間地が、北部には七宝山などの丘陵地が連なり、三豊平野にはため池が多数点在し、地勢の大きな特色となっています。

キャッチフレーズは「市民が主役 わたしのふるさと かんおんじ ~人・文化・自然 いきいき輝く 元気都市~」

観音寺市役所下水道か内に展示されているカラーマンホールは、旧観音寺市の「銭形砂絵」をデザインしたものです。

観音寺市下水浄化センター展示マンホール

2005年10月11日制定の市章は「観音寺市の頭文字(イニシャル)の「K」を図案化したもので、豊かな自然に恵まれた観音寺市を表し、緑の生育(草木・作物等)、水の流れ(海・川)、太陽の温かさ(人・産業・文化の発展)を表現している。全体像としては、市民の調和と市勢の飛躍発展を象徴している。」公式HPより

撮影日:2017年8月10日

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観音寺市(かんおんじし)は香川県の西南部に位置した市です。三豊郡大野原町・豊浜町・山本町・豊中町・仁尾町に。更に海を隔てて愛媛県越智郡上島町に隣接。大宝3年3月21日、神宮寺住職法相宗の僧:日証上人が琴弾八幡宮を創建、大同2年弘法大師が神宮寺に聖観音の像を安置して後、現在の観音寺を称するに至り、それが市名の由来となりました。財田川右岸の琴弾山と有明浜からなる「琴弾公園」が有名で、特に砂で造られた寛永通宝の「銭形砂絵」は、観音寺市の代表的景観となっています。「市の木:松」「市の花:ツツジ、サツキ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、観音寺町・高室村・常磐村・豊田村・一ノ谷村・紀伊村が発足。

1898年、郡制の施行により、三野郡、豊田郡が合併・三豊郡となる。

1955年、三豊郡観音寺町・高室村・常磐村・柞田村が合併、市政を施行し観音寺市が発足。三豊郡豊田村、粟井村、紀伊村を編入。

1956年、三豊郡一ノ谷村、伊吹村を編入。

マンホールには、琴弾公園内にある寛永通宝の「銭形砂絵」と「青海波」「市の木:松」がデザインされています。

昭和32年(1957)4月1日制定の旧市章は「市内「琴弾公園」にある砂上の銭型(寛永通宝)を 簡明に円と角で表現したもので、円は「円滑」を、角 は「質実剛健」を表わし、本市を象徴するものである。」合併協議会資料より

「銭形砂絵」のデザインに使われた「寛永通宝」のタイル画

撮影日:2011年6月15日

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2016年12月1日、第3弾として全国46自治体で46種類(累計109自治体120種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「観音寺市」のマンホールカードは、「観音寺市役所 下水道課」でいただけます。

1987年に設置開始されたマンホールには「銭形砂絵と波」と「市の木:松」がデザインされています。

「琴弾公園内にある寛永通宝の「銭形砂絵」をモチーフにしたデザイン蓋です。 銭形砂絵は白砂青松の有明浜に描かれた砂絵で、寛永10年(1633年)、当時の藩主だった生駒高俊公を迎えるために一夜にして作られたと 言われています。その大きさは周囲345mと巨大で、琴弾山の山頂から眺めた時にきれいな円に見えるように、楕円形(東西122m、南ぽく90m)に 作られています。銭形砂絵は、昔から、「一目見ると健康で長生きでき、お金に困らない」と言い伝えられ、近年ではパワースポットとしても 人気を博しています。観音寺市にお越しの際は是非、琴弾山からの眺望をお楽しみください。」

観光案内パンフレットとマンホールカード

訪問日:2017年8月10日

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四国鉄道発祥地 in 香川県多度津町

2021年02月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

多度津町栄町にある「多度津駅」。JR四国:土讃線の起点となった駅で、駅前には鉄道発祥地の碑が建立されています。またこの地は少林寺拳法の総本山・総本部があることでも知られており、駅案内パネルのコメントは「四国鉄道と少林寺拳法発祥の駅」。

構内にある「転車台」「給水塔一」「給水塔二」の3施設が国の登録有形文化財に登録されていますが、私達が目に出来たのは給水塔のみ、それが一なのか二なのかは分かりません😓

また少し離れた広場には「58685(8620形)蒸気機関車」が、静態保存で屋外展示されています。

8620形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が導入した、旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。と言ってもそれがどのような機能をもっているのか、鉄道オタクになり損ねたご亭主殿には全然分かっていません。したがって私も全く!!分かっていません 😅

蒸気機関車を見て懐かしいと思えるほど乗車経験もないのに、それでも心を惹かれるのは何でだろう?でもとりあえず、眺めていて絵になることだけは確か😄

「少林寺拳法発祥のまち」という事で、町内には、少林寺拳法の総本山・総本部もあるそうですが、流石にそこまでは回りきれませんでした。考えてみればここだってマンホール撮影で偶然立ち寄って、言ってみればめっけもんの場所。あまり贅沢はいえません😓

訪問日:2011年6月16日

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ご当地マンホールとマンホールカード in 香川県多度津町

2021年02月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

仲多度郡多度津町(たどつちょう)は香川県の中部に位置する市です。丸亀市、善通寺市、三豊市に。更に海上を隔てて岡山県笠岡市に隣接。南は讃岐平野、北は風光明媚な瀬戸内海国立公園に接し、瀬戸内海の行政区部内には、多度津町本土から近い順に高見島、二面島、小島、佐柳島の4島があり、いずれも塩飽諸島のひとつで、古くから海上・陸上交通の要所として栄えてきました。明治22年(1889)5月、丸亀駅=琴平駅間の約15.5キロに、のちに国鉄・JRとなった路線の中では四国で初の鉄道が開業した事から、「四国鉄道発祥の地」として知られます。「町の木:桜」「町の花:桜」を制定。

キャッチフレーズは「たどつ や~い」

明治23年(1890)、町村制の施行により、多度郡多度津町・豊原村・四箇(しか)村・白方村、那珂郡高見島村・佐柳島村が発足。

1899年、郡制の施行により多度郡と那珂郡が合併、仲多度郡となる。

1942年、仲多度郡豊原村を編入。

1954年、仲多度郡 四箇村、白方村を編入。

1956年、仲多度郡高見島村と佐柳島村を編入、現在に至っています。

マンホールには「町の花木:桜」が大きく一本。幹には町章が刻まれています。(多度津町役場上下水道課 倉庫内展示蓋)

仕切弁には、香川県下では一番年長のゆるキャラ「さくらちゃん」がデザインされています。「さくらちゃん」は桃陵公園の「桜」をイメージしたマスコットキャラなのです。

再生水には、美しい水をイメージした「ホタル」がデザインされています。

昭和25年(1950)4月制定の町章は「多度津町の「夕」を図案化し、これを熨斗(のし)結びに見せて町の発展と団結のシンボルとしたものであって、旧多度津藩主京極家家紋の菱四つ目にも似通わせています。」公式HPより

撮影日:2011年6月16日&2017年8月10日

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2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「多度津町」のマンホールカードは、「多度津町役場建設課窓口」でいただけます。

1986年に設置開始されたマンホールには「桜」と「幹に刻んだ町章」がデザインされています。

「多度津町は、香川県の中部に位置し、南は讃岐平野、北は瀬戸内海国立公園に接している風光明媚な町です。 本デザインは、多度津町の町花・町木「桜」が咲き誇る姿を描き一番大きい花びらの中に町章があしらわれています。 多度津町において桜は、なじみが深く町内を流れる2級河川「桜川」や多度津町のゆるキャラ「さくらちゃん」など様々な名称に桜が用いられています。 中でも、多度津山東部一帯に開園されている香川県立桃陵公園は、約1,500本の桜(ソメイヨシノ)が植生する桜の名所で、陽春には来場者参加型イベント「たどつさくらまつり」が盛大に行われております。」

訪問日:2018年12月15日

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ご当地マンホールin香川県宇多津町

2021年02月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

綾歌郡宇多津町(うたづちょう)は香川県の瀬戸内海沿、中央よりやや西寄りの中讃地方に位置する市です。東は坂出市、西は丸亀市に隣接。7世紀後半には、海上交通の港(津)、「鵜足津(うたづ)」と呼ばれる自然港ができており、室町時代には足利義満の側近であった細川頼之公の居館が置かれ、四国における武家社会の中心地として栄えました。温暖で雨が少なく、日照時間が長いという瀬戸内式気候を利用して、江戸時代中期から昭和47年の塩田廃止まで、全国屈指の塩のまちとして栄えてきました。「市の木:サクラ」「市の花:サツキ」を制定。

キャッチフレーズは「創造 夢プラン  調和がつなぐ、夢創造のまち うたづ」

明治23年(1890)、町村制の施行により、鵜足郡宇多津村が発足。

1898年、宇多津村が町制を施行し、鵜足郡宇多津町が発足。

1899年、郡制の施行により鵜足郡と阿野郡が合併、綾歌郡宇多津町となりました。

マンホールには自治体章はありますが、一般的な規格蓋のみです。

昭和39年(1964)10月17日制定の町章は「カナの「ウ」を図案化し、鵜の飛躍をかたどり、昔、鵜足津といわれた地名の由緒を残しながら、宇多津町の若々しさと力強さを象徴したものです。」公式HPより

撮影日:2011年6月18日

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ご当地マンホール in 香川県坂出市

2021年02月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

坂出市(さかいでし)は香川県北部、ほぼ中央部に位置する市です。高松市、丸亀市、綾歌郡宇多津町・綾川町に。また県を跨ぎ瀬戸大橋によって岡山県倉敷市に隣接。市域は瀬戸内海に面しかつて沿岸部には塩田も多数見られましたが、塩業整理により廃止。それと前後して、番の州工業地帯、林田工業地帯などが造成され、沿岸部には工業地帯が造成されました。南部には綾川の本流に府中ダムが建設され、府中湖が作られ、これ以外に坂出市を流れる主要な河川としては、大束川があります。地名の語源は「宇多津の田尾坂を上って出た場所」。「市の木:珊瑚樹」「市の花:サクラ・コスモス」を制定。

キャッチフレーズは「瀬戸内の交流拠点 活力とふれあいの坂出」

明治23年(1890)、町村制の施行により、阿野郡坂出町・金山村・西庄村・林田村・加茂村・与島村・府中村・川津村・松山村・王越村が発足。

1899年、郡制の施行によりと阿野郡が鵜足郡合併、綾歌郡となる。

1936年、綾歌郡金山村・西庄村を合併編入。

1942年、綾歌郡林田村を合併編入し、市制を施行。坂出市が発足。

1951年、綾歌郡加茂村を合併編入。

1953年、綾歌郡与島村を合併編入。

1954年、綾歌郡府中村を合併編入。

1955年、綾歌郡川津村の一部を合併編入。

1956年、綾歌郡松山村・王越村を合併編入。現在に至ります。

マンホールには自治体章はあるのみの、一般的な規格蓋です。

昭和17年(1942)7月1日制定の市章は「坂出の「出」を図案化し、カモメが2羽勇しく飛び立つ姿を描いたもので、港を生命とする市の飛躍発展をシンボライズしています。」公式HPより

上水道関連の蓋には三角形に「小」のような知章がありますが、香川県広域水道企業団のものでも無く不明。

坂出市公認キャラクター『さかいでまろ』。855年前の世からタイムスリップしてきた男の子。坂出三金時(いも・にんじん・みかん)が大好物、いつでも持ち歩いています。

市域に有る「登録有形文化財:鎌田共済会郷土博物館」。醤油製造や塩田事業の成功で巨万の富を得た『鎌田勝太郎』が、社会教育の普及と発展のため鎌田共済会を設立。大正11年にその拠点となる図書館が建設されました。現在は郷土博物館として運営されていますが、閉門中のため外観のみ。

元町名店街アーケードの入口にあるレトロな感じのビルは「角本金栄堂」。アーケードに隠されていますが、丸窓が飾られた塔屋や古い書体の看板が、良い雰囲気でした。

撮影日:2011年6月18日

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ご当地マンホール in 香川県旧満濃町&旧仲南町(まんのう町)

2021年02月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧仲多度郡満濃町(まんのうちょう)は香川県の南西部に位置した町です。丸亀市、善通寺市、仲多度郡仲南町・琴南町・琴平町、綾歌郡綾歌町・綾南町・綾上町に隣接。標高157・8mの如意山から阿讃山地の主峰大川山の西北麓にかけて展開される田園地帯には日本一のため池である満濃池をはじめとして、大小500余りのため池を有する農業の町です。「町の木:カリン」「町の花:ツツジ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、那珂郡吉野村・神野村・四条村・高篠村が発足。

1899年、郡制の施行により那珂郡と多度郡が合併、仲多度郡となる。

1955年、吉野村・神野村・四条村が合併、仲多度郡満濃町が発足。

1955年、仲多度郡高篠村を編入。

2006年、仲南町、琴南町と合併、仲多度郡まんのう町となりました。

マンホールには「満濃池の取水塔」と「蛍」がデザインされています。

昭和31年(1956)9月30日制定の町章は「 町名の由来となっている満濃池の排水搭を軸 に「満の」を図案化したもので、「の」は農業 の振興を表すとともに町の平和と発展を願った ものです。」合併協議会資料より

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旧仲多度郡仲南町(ちゅうなんちょう)は香川県のほぼ中央に位置した町です。三豊市、仲多度郡琴平町・満濃町・琴南町に。さらに県を跨いで徳島県三好市、三好郡東みよし町に隣接。阿讃山地の最高標高977m、延長10kの分水嶺から北に展開する南高北低の地域で、北部低地の標高は77m。町域にある樅ノ木峠は、日本で初めて有人飛行機の開発に取り組んだ『二宮忠八』が、飛行原理の着想を得た地として知られています。「町の木:梅」「町の花:梅」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、那珂郡十郷(そごう)村・七箇村が発足。

1899年、郡制の施行により那珂郡と多度郡が合併、仲多度郡となる。

1955年、十郷村、七箇村が合併、仲多度郡仲南村が発足。

1970年、仲南村が町制を施行、仲多度郡仲南町が発足。

2006年、仲多度郡満濃町、琴南町と合併し、まんのう町となりました。

マンホールには町章と、二宮忠八考案の「からす型飛行器」、「町の花&木:梅」、特産の「タケノコ」がデザインされています。

道の駅:空の夢もみの木パーク敷地内に展示されている「プロペラ機 JA3318」

昭和43年(1968)10月1日制定の町章は「 仲南町の「仲」の字文字を図案化し、円形は団結 を平和を意味し、全体の感覚を飛ぶ鳥にかたどっ て、飛躍発展を象徴している。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月16日

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旧仲多度郡琴南町(ことなみちょう)は香川県の南部に広がる讃岐山脈北麓の中央に位置した町です。高松市、仲多度郡仲南町・満濃町、綾歌郡綾上町に。さらに県を跨いで徳島県三好市、美馬市に隣接。町名は琴平の南方に位置することに由来。県最高峰の竜王山や第二の高峰大川山が徳島県境にそびえており、山頂付近の牧場では牛の飼育が行われ、山間地のソバ、キャベツなどの畑作物が特産となっています。「町の木:杉」「町の花:シャクナゲ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、阿野郡美合村・鵜足郡造田村が発足。
1899年、郡制の施行により鵜足郡と阿野郡が合併、綾歌郡となる。
1956年、美合村、造田村が合併、綾歌郡琴南村が発足。
1957年、郡界の変更により、仲多度郡に属する。
1962年、琴南村が町制を施行、仲多度郡琴南町が発足。
2006年、仲多度郡仲南町、満濃町と合併し、まんのう町となりました。

昭和41年(1966)9月29日制定の町章は「コとトを組み合わせ、全体として南の字をデザイ ン。下の円は和合と団結を、上部の三角は山村と農 民の希望と意欲を、その両翼は飛躍、発展を象徴し ている。」合併協議会資料より

 

(※)旧仲多度郡琴南町は未訪問のため、ご当地マンホールの有無は未確認です。

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ご当地マンホールとマンホールカード in 香川県まんのう町

2021年02月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

仲多度郡まんのう町は香川県の西南部、讃岐山脈の北麓に位置する町です。2006年3月20日 、仲多度郡琴南町、仲南町、満濃町が新設合併して発足しました。高松市、丸亀市、善通寺市、三豊市、仲多度郡琴平町、綾歌郡綾川町に。さらに県を跨いで徳島県三好市、美馬市、三好郡東みよし町に隣接。西の山間部には町名の由来にもなっている日本一の灌漑用ため池「満濃池」をはじめ、約900ものため池が点在。町の南側には香川県の最高峰竜王山(1060m)、第二の高峰大川山(1043m)を主峰とする讃岐山脈が連なり、そのふもとを県下で唯一の一級河川:土器川が流れています。

キャッチフレーズは「元気まんまん まんのう町 ~改革と協働、輝きのまち~」

マンホールには「満濃池の取水塔」と水辺に遊ぶ「蛍」がデザインされています。(画像提供:義姉)

1998年4月18日に第1期開園、2013年4月21日に全面開園した「国営讃岐まんのう公園」。園内は三つの龍頭ゾーン他、多くの施設が設けられています。

満濃池に伝わる竜神伝説から採用されたマスコットキャラクター『ドラム君』がデザインされた電気マンホール。国営讃岐まんのう公園の表記。

『ドラム君』雨水マンホール。

『ドラム君』汚水マンホール。

2006年3月20日制定の町章は「まんのう町の「マ」の字を図形化しました。円形は柔らかいイメージを与え「円満」を表し、種から芽が伸びる様子も表現して新しいまちの始まりを表しました。」HPより

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マンホールカード、頂きました。

2019年12月14日、第11弾として全国63自治体で66種類(累計502自治体605種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「まんのう町」のマンホールカードは、「まんのう町役場:建設土地改良課」でいただけます。

1999年に設置開始されたマンホールには「満濃池の取水塔」と「蛍」がデザインされています。

「先人の英知と技術により守り継がれる日本最大級のため池、世界かんがい遺産に登録された満濃(まんのう)池と、かつて池で見られた蛍を描いたデザインマンホール蓋です。 満濃池は、1300年前に創築され、決壊後、821年に高僧・空海が、延べ38万人もの労働力を用いて僅か2ヶ月余りで再築されたといわれています。 再築にあたり、アーチ型堤防、余水吐、護岸柵(しがらみ)の新工法を採用しました。 その後、決壊と再築を繰り返し、1900年以降の3度の嵩上げ工事を経て、日本最大級の農業用ため池へ変貌しました。 先人たちが築いた地域独自の水利慣行を今も厳格に実施しています。」

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ご当地マンホール in 香川県旧綾南町&旧綾上町

2021年02月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧綾歌郡綾南町(りょうなんちょう)は香川県のほぼ中央に位置した町です。高松市、坂出市、丸亀市、綾歌郡綾上町、仲多度郡まんのう町に隣接。町の四方を北に火ノ山、南東に讃岐山脈の北麓丘陵、南に鞍掛山、南西に大高見峰などに囲まれ、東は一部高松平野に向けて峠越えで開け、中央部を綾川支流の富川が北西流し、綾川と合流する地に北条池が築かれます。「うどん発祥の地」として知られています。町内には平安時代の讃岐国の国司だった菅原道真ゆかりの滝宮天満宮があり、雨乞いの踊り「滝宮の念仏踊」は昭和52年に重要無形民俗文化財に指定されています。また「うどん発祥の地」としても知られます。「町の木:梅」「町の花:梅」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、阿野郡千疋(せんびき)村・畑田村・陶村・瀧宮村・羽床(はゆか)村・発足。

1899年、郡制の施行により阿野郡と鵜足郡が合併、綾歌郡となる。

1929年、千疋村、畑田村が合併、綾歌郡昭和村が発足。

1954年、昭和村、陶村、滝宮村、羽床村が合併、綾歌郡綾南町が発足。

2006年、綾歌郡綾上町と合併、綾歌郡綾川町となりました。

マンホールには、町域を流れる綾川を背景に「町の花&木:梅」がデザインされています。

昭和47年(1972)1月1日制定の町章は「綾の片仮名の「リ」と、南の片仮名の「ナ」の2文字を組 み合せ、「綾南町」を表現している。 全体的なイメージは、未来に向かって雄飛する鳥であり、 産業や文化など、町勢の飛躍的発展を象徴している。」合併協議会資料より

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旧綾歌郡綾上町(あやかみちょう)は香川県のほぼ中央に位置した町です。高松市、丸亀市、綾歌郡綾南町、仲多度郡まんのう町に隣接。山間地で、綾川の削った柏原渓谷、富士山型の高鉢山などの景観に恵まれ、町の名は綾川の上流に位置する事から命名。農業が中心産業で、米、麦のほか、タバコ、キュウリ、カキなど山麓での畑作物があち、また養鶏、養豚の畜産業にも力を入れています。「町の木:モミジ」「町の花:水仙」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、阿野郡枌所(そぎしょ)村・山田村・西分村・羽床上(はゆかかみ)村が発足。

1899年、郡制の施行により阿野郡と鵜足郡が合併、綾歌郡となる。

1954年、枌所村、山田村、西分村、羽床上村が合併、綾歌郡綾上村が発足。

1962年、綾上村が町制を施行、綾歌郡綾上町が発足。

2006年、綾歌郡綾南町と合併し、綾歌郡綾川町となりました。

マンホールには「町の花:水仙」を中心に、「町の木:モミジ」がデザインされています。

昭和42年(1967)11月3日制定の町章は「綾上の「上」を飛ぶ鳥の形に図案化し、その中心を円形 にしたものです。 飛ぶ鳥には町の飛躍発展を、円形には円満と融和を、ま た上部の三角型には質実剛健を、それぞれ表徴させている」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月16日

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ご当地マンホール&マンホールカードA&B in 香川県綾川町

2021年02月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

綾歌郡綾川町(あやがわちょう)は香川県のほぼ中央に位置する町です。2006年3月21日、綾歌郡綾上町、綾南町が新設合併し発足しました。高松市、丸亀市、坂出市、仲多度郡まんのう町に隣接。町の南部には山林が広がり、北部は小山に囲まれた起伏の多い丘陵地で形成。町名の由来となった清流綾川は、南東部の山中に源を発して北西部に流れ、府中湖を経て坂出市に流入しています。綾川上流の柏原渓谷は讃岐百景の一つになっており、水と緑の豊かな美しい自然が広がり、町内には約60基の古墳や推定200基以上の窯跡が残されています。「町の木:梅」「町の花:水仙」を制定。

キャッチフレーズは「いきいきと 笑顔あふれる 定住のまち あやがわ」

マンホールは旧綾上町のデザインで、「町の木:梅」と「綾川」。自治体名が「あやがわ」に変わっています。

旧綾南町のデザインで、「町の花:水仙」と「旧町の木:モミジ」。自治体名が「あやがわ」に変わっています。

2006年3月21日制定の町章は「綾川町の頭文字で ある「a」に「川」の流れを組み合わせたものです。アルファベットが若々しさを、「川」の 文字が町の由来(起源)を忘れないでもらいたいという願いを表現してい ます。」公式HPより

撮影日:2018年12月15日

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2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「綾川町A」のマンホールカードは、「綾川町役場建設課」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには、綾川の流れを背景に、「町木:梅」がデザインされています。

「町名の由来ともなっている、清流「綾川」をバックに、町木である「梅の花」をデザインしたマンホール蓋です。 「綾川」は、香川県下最長の河川であり、県のほぼ中心に位置する本町を北流しています。 また、さぬきうどん発祥の地として知られ、「うどん用ざる」のデザインも入れているところがユニークです。 梅をこよなく愛した菅原道真公ゆかりの地、滝宮天満宮は、梅の名所であり、学問の神様としても有名です。 境内に約150本の梅の木があり、早春には紅梅・白梅・枝垂れ梅などが咲き誇ります。 毎年2月末には、梅花祭が執り行われています。」

訪問日:2018年12月15日

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マンホールカード、頂きました

2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「綾川町B」のマンホールカードは、「綾川町立生涯学習センター」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには「町の花:水仙」と「旧綾上町の木:モミジ」がデザインされています。

「マンホール蓋の中央に描いた「スイセン」は綾川町の町花です。 綾川町南部に位置する西分地区には、「水仙ロード」があり、3月下旬ごろにはきれいなスイセンとしだれ桜とのコラボレーションが楽しめます。 マンホール蓋の周囲に描いた「もみじ」は旧綾上町の町木です。 町内を流れる綾川の上流には「水源の森百選」や「香川のみどり百選」に選ばれた約7kmにわたる渓谷「柏原渓谷」があり、秋にはもみじなどの木々が渓谷を彩る香川県屈指の紅葉スポットです。 渓谷にはコテージ等が整備されたキャンプ場「tatutaの森」があり、賑わいをみせています。」

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