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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

大津市内~あちこちウォッチ in 滋賀県大津市

2025年02月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市大谷町の国道1号線沿いにある「逢坂山関址」碑。その昔、逢坂越は、都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝でした。有名な百人一首の【これやこの行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関(蝉丸)】。この「逢坂山関址」を超えると、滋賀県大津市に入ったと実感します。

大津市観音寺、琵琶湖疎水が県道558号と交わる地点に「琵琶湖第一疏水揚水機場」。昭和28年に、琵琶湖疏水の取水量の不足分を揚水する為、三保ケ崎の取水場横に設置されました。

疎水脇の柵には、市の木「山桜」をあしらった第一隧道入口がデザインされています。

 

旧国道161号線で見かけた朱塗りの山王鳥居と桟橋。ここは琵琶湖舟運の拠点として、比叡山及び京都への荷揚げの中心港でもあり、また日吉大社の御祭神「三輪明神」が、大和から唐崎を経て坂本に向ったという伝承の地でもあります。毎年4月14日に行われる「日吉山王祭:船渡御」では、七基の神輿がここから湖上にでるそうです。

長等神社の楼門前にある「大津絵の店」。初代『高橋松山』が衰退する大津絵を憂いて店を構えたのが始まり。明治初年に三井寺参道から始まった大津絵。私たちが訪ねた当時は、四代目と五代目のお二人が制作をしておられました。

平野神社近く、一般家庭の屋根で見かけた「鍾馗様」

同じく平野神社近くで見かけた飾り瓦の「恵比須・大黒」

平野神社近くのお寺の山門で見かけた飾り瓦の阿吽の海亀。ひょうきんな顔が何とも面白可愛い(笑)

屋根の上には逆立ちの鯉。瓦止が鯉の口を塞ぐように掛けられているのが妙にツボ😅

大津市瀬田~唐橋町の瀬田川に架かる「瀬田の唐橋」。全長223.7メートルのこの橋は、京都の宇治橋、山崎橋(今は無い)とならんで「日本三大橋(日本三名橋・日本三古橋)」の1つとされています。

俵藤太が瀬田唐橋に現れた大蛇に頼まれ、三上山に住む百足を成敗したという「俵藤太のムカデ退治」。大蛇は瀬田川に住む龍王の化身とされ、橋の東詰には、この秀郷と龍王をまつる橋守神社があります。

「鳥居川水位観測所」は、明治7年(1874)2月4日にオランダ人技師:エッセルの指導によって瀬田の唐橋の近くに開設。 これによって基準水位(水位ゼロ)が定められ、琵琶湖の水位観測がスタートしました。

明治33年(1900)の設置から2003年までデータを記録しつづけた「自記水位計」

訪問日:2008年7月5日~2010年6月12日

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旧琵琶湖ホテル・滋賀県庁・大津教会 in 滋賀県大津市

2025年02月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市柳が崎、琵琶湖沿いの一画に桃山様式の華麗な「びわ湖大津館」が見えてきます。

外国人観光客の誘致を目的に、昭和9年(1934)、県内初の国際観光ホテル「旧琵琶湖ホテル本館」として建築。

設計は、東京歌舞伎座や明治生命館等の設計で有名な「岡田建築事務所」。桃山様式と呼ばれる特徴的な和風の外観と洋風の内観は、琵琶湖の風景と古都大津の風土に見事に調和したデザインとなっています。

当寺は『湖国の迎賓館』として昭和天皇を始め多くの皇族の方々、ヘレン・ケラー、ジョン・ウエイン、川端康成など多分野の著名人をお迎えし、名実ともに県下唯一の格式を持ったホテルとして営業されていました。

建物内外の細部にまで入念に施された細工の数々は、まさしく迎賓館の名に相応しいもの。できればもう少し、ゆっくりとお茶など楽しむ余裕が欲しかったな・・と、今ならそうした筈😅

大津市京町、市街地の大通りは車が多く、バイクと言えども目的地に近づくのは一苦労😥 それでも排気ガスや幅寄せにもめげず此処まで来たのは、県庁の建物を見たかったから。

総工費200万円(約13億円)をかけ、昭和12年より改築に着手、同14年5月に竣工。設計は早稲田大学大隈講堂、群馬県庁等を設計したことで知られる『佐藤功一氏』。鉄筋コンクリートの4階建で中央には塔屋がそびえ、左右に事務室、そして正面玄関には大きく車寄せを配したその容姿は、ルネサンス様式らしい格調高い存在感を放っており、本県を代表する近代建築の一つとされています。

滋賀県庁舎本館 は、2014年12月19日、滋賀県登録有形文化財(建造物)として登録されました。

大津市末広町、ここには大津市内では数少ないヴォリーズ建築「日本基督教団・大津教会」があります。昭和3年(1928)の建築で、内部を見ることは出来ませんが、いかにもヴォリーズ!な建物。

訪問日:2010年6月12日

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三尾(みお)神社 in 滋賀県大津市園城寺町

2025年02月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市園城寺町に鎮座される「三尾神社」。御祭神は『伊弉諾尊』

歴史「昔、長等山の山頂に腰に赤・白・黒の三つの帯を付けた伊弉諾尊が降臨し長等山の鎮守神となり、祀られた。腰の三つの帯が尾に見えた為、三尾明神といわれるようになった。ある時、その帯が赤尾神・白尾神・黒尾神になり、さらに赤尾神が本神として卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方より長等山の琴尾谷(琴緒谷)に現れた。白尾神は大宝年間(701年 - 704年)に現・三尾神社の地に、黒尾神は神護景雲3年(769年)3月14日(第2の卯の日)に鹿関に出現した。三尾明神は貞観元年(859年)卯の年に園城寺初代長吏「円珍」によって、赤尾神が現れた園城寺の境内の西方・琴尾谷(琴緒谷)に鎮守として祀ることとし、社殿を建立。南院の鎮守は三尾社となった。また、白尾神と黒尾神が現れた地はそれぞれ三尾社の御旅所となっている。明治9年(1876)5月12日、神仏分離により三尾社は社地を白尾神ゆかりの御旅所である現在地に移し、本殿なども移築して新たに三尾神社として独立した。」Wikipediaより

創建時の逸話から「兎」は三尾明神の使いとされ、境内の様々な場所から参拝者を出迎えてくれます。手始めは手水舎の鉄のかごに閉じ込められた吐水兎😱!!

大切なものである事は理解できますが、鉄の檻と言うのが何ともシビアで😣・・もしや鉄の籠と言えば良かったのか・・

石段参道の両側で足元を照らしていた石灯籠。竿の根元には阿吽の狛兎。

神橋の石段参道を進み神門へ

神門の屋根の留蓋には、後ろ足で耳を掻く仕草が可愛い飾り瓦の兎さん。反対側の画像がないのは、多分撮れない事情があったのでしょう😥

三尾神社の由緒碑と、園城寺鎮守であった頃の「経の巻(きょうのまき)」。中央には御神紋「真向きの兎」があります。

拝殿前には比較的新しい奉納と思われる「めおと卯」

更に拝殿後方、透かし塀の外より神域を守護されるのは、文久2年(1862)11月建立の狛犬さん一対。大口の阿形さんと角を持つ無口っぽい吽形さん。絶妙に面白い組み合わせです。

透かし塀の内より神域を守護される狛犬さん一対・・・吽形さんの位置が見事に木々にさえぎられて、まるでだまし絵のように一体化😲

本殿の縁には木製の神殿狛犬さんもお出ででしたが、画像に残せたのは阿形さんのみ。傷みが気になりますがとてもよいお顔をされています。

社殿向かって右手に鎮座される「境内社:日御前神社」。御祭神『天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神』。「境内社:白鬚神社」。御祭神『猿田彦命』。「境内社:夷子神社」。御祭神『えびす神』。「境内社:天満宮」。御祭神『菅原道真』。「境内社:白山神社」。御祭神『菊理媛神』。「境内社:愛宕神社」。御祭神『伊弉冉尊』。

「阪下茂畑稲荷神社」。御祭神は『稲荷神』

社殿の前左右より神域を守護される鍵を咥え神狐さん。社殿の扉の脇にも木製の神狐さんが見えます。もちろん上下いずれも反対側に神狐さんがいたのですが、位置的に画像に残せませんでした

大津市園城寺町にある天台寺門宗総本山「長等山(ながらさん):園城寺(おんじょうじ)」。一般には三井寺(みいでら)の呼び名で知られます。ここ「三尾神社」は、明治の神仏分離まで園城寺の鎮守の社として置かれていました。

参拝日:2010年6月12日(園城寺のみ2004年5月8日)

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長等(ながら)神社 in 滋賀県大津市三井寺町

2025年02月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市三井寺町に鎮座される「長等(ながら)神社」。御祭神は『建速須佐之男大神 ・大山咋神・市杵島姫神 ・三尾大神・ 八幡大神』

「天智天皇6年(667)に近江大津宮に遷都した際、長等山の岩座谷に『須佐之男命』を祭祀したことを起源とする。貞観2年(860)2月、園城寺初代長吏に就任した円珍が、園城寺の鎮守として当社に山王権現を合わせて祀り、園城寺の鎮守社とし、社名を新日吉社、またの名を新宮社とした。天喜2年(1054)4月、庶民も参詣できるようにと長等山上から現在地に遷座。建武3年(1336)に戦乱に巻き込まれて社殿が焼失するが、暦応3年(1340)に室町幕府将軍足利尊氏により再建。明治の神仏分離の中で園城寺から独立し、明治16年に名称を長等神社に改める。明治37年には楼門が建立され、明治43年県社となる。」Wikipediaより

楼門の左右、内陣より神域を守護される神像さん。一般的な矢大臣、右大臣と違って、まるで外国(とつくに)の軍人さんみたい😅

手水舎で参拝者を迎える吐水龍。手水鉢に巻き付いた尾の先までしっかり表現されています。

まるで玉をはめ込んだようなランランと光る目で・・ただ静かに、参拝者の一挙手一投足を見つめる龍。

参道を進んだ先に拝殿、後ろに拝所と御本殿。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、浪速タイプに近い狛犬さん一対。斜に構えて参拝者を見る姿に、つられてこちらも斜め目線😅

本殿透かし塀の前より神域を守護されるのは、護国タイプのブロンズ製狛犬さん一対。

驚いたことに、社殿の下は通路になっていて、特に制限も無く立ち入る事が出来るようです。こういう経験は初めてだったので、妙にワクワク😀

本殿の縁には木製の神殿狛犬もおいでになりますが、場所的にきちんと見られたのは阿形さんのみ。吽形さんも一応は写したのですが、目の部分が手すりで隠れて、まるで容疑者B😱・・・・😱

「摂社:栄稲荷神社」

神域を守護されるのは長い時代を経たと思われる神狐さん一対。阿は玉を吽形は巻物を咥えています。

長等神社の境内を出て、奥に見える急な石段を上っていくと、県指定有形文化財の「三井寺:観音堂」に行き着きます。西国三十三所観音霊場巡礼の第十四番目の礼所として有名ですが、むろんそこまで行く健脚も根性もありません😩

参拝日:2010年6月12日

 

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天孫(てんそん)神社 in 滋賀県大津市京町

2025年02月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市京町に鎮座される「天孫(てんそん)神社」。御祭神は『彦火火見(ひこほほでのみこと)・ 国常立(くにとこたちのみこと)・大名牟遅(おおむなちのみこと)・帯中津彦(たらしなかつひこのみこと)』

由緒「奈良時代(西暦782年 延暦年間)に創建され、平安時代(西暦806年 大同3年)10月には近江に行幸された平城天皇が、当社を仮の御所として禊祓いをされました。その後も(平安時代 西暦1190年 建久元年)近江の守護職で崇敬の厚い佐々木定綱により社殿造営され又神供田などを寄付されました。その後大津城が築城された折には、城下の守護神として町衆より崇敬されました。社号の由緒には数々ありますが、一つには近江の国には大変神徳の厚い社がありそれを昔の人々は一宮~四宮と称しました。一宮が建部大社、二宮が日吉大社、三宮が多賀大社そして四宮が天孫神社であります。」公式HPより

御神紋は「鷺(さぎ)丸」。鳩や鶴と同じく、鷺も神のみ使いとされていますが、あまり目にする機会は無いように思います。

境内入ってすぐにある手水舎の吐水龍、存在は珍しくありませんが、こちらの龍に関しては、多分、一度見たら二度と忘れられないインパクト・・口中を真っ赤に塗った龍と言うのは、迫力がありすぎて怖い😱

舞殿の左右より神域を守護されるのは明治20年代建立の狛犬さん一対。台座の文字が摩耗して読みとれず、詳細な建立年は不明。

何しろ「青葉茂れる・・」状態の境内、もっとアップでの画像が欲しかったのですが、これが精一杯😅

狛犬さんの撮影には邪魔いささか障りはありますが、涼やかな緑の葉陰に包まれる御社殿は、また格別の趣があり清々しい。

本殿透かし塀の内より神域を守護されるのは、京都市内でよく見かけるほっぺぷっくり顔の狛犬さん一対。いわゆる「えくぼ」が無い分、顔に迫力があります😅

境内の片隅に置かれていた明治30年2月建立の狛犬さん。かっては拝殿の左右で神域を守護されていたのでしょうが、相方を無くした所為か寂し気😥

でも大丈夫!近くには愉快な仲間もいるし、それなりに楽しく余生を過ごしています😀

参拝日:2010年6月12日

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御神名一口メモ

『帯中津日子尊(たらしなかつひこのみこと)=第14代:仲哀天皇』。応神天皇の父。日本武尊の第2子で、神功皇后の夫。九州の熊襲親征のため筑紫の橿日宮(かしいのみや)に下向し、ここで崩御した。

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平野(ひらの)神社 in 滋賀県大津市松本

2025年02月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市松本に鎮座される「平野(ひらの)神社」。御祭神は『平野大明神(大鷦鷯皇命=仁徳天皇)・精大(せいだい)明神(猿田彦命=蹴鞠の守護神)』

御由緒「社伝に、天智天皇が志賀の大津の宮に遷都された時都の三里以内に守護神として祀られたと伝えられ天智称制七年即ち白鳳元年(661)正月下旬に鎮座。藤原鎌足公の創立と伝えられる京都西洞院家の管領の社。「精大明神」(けまりの守護神)は猿田彦命で、三十五代皇極天皇の御代、京都西洞院滋野井に鎮座の精大明神を御神託により大津松本本宮狐谷に奉遷。応仁の乱で社殿等焼失したが、天正二年(1574)現在地に遷座された。」滋賀神社庁HPより

拝殿前より神域を守護されるのは、万延元年(1860)12月建立の尾うちわタイプの狛犬さん一対。蹴鞠の神社にふさわしく、阿形さんは蹴鞠を手にご機嫌なご様子。

御本殿の外縁にて神域を守護されるのは、玉眼が美しい木製の神殿狛犬さん一対。傷みも少なく、非常に良い状態なのが狛犬ファンとしては嬉しい!

さらに本殿の前より神域を守護されるのは、護国タイプを思わせる阿形さんと、たてがみを胸前に流す吽形さん。位置的に制限がある撮影は難しい。

本殿拝所の屋根に上げられた経の巻には、「桜花に「平」の文字」の御神紋。

本殿拝所に架かる「帳(とばり)」には「けまりの紋」

奉納用の絵馬にも蹴鞠に興じる貴族たちの様子が描かれています。

境内社:稲荷神社

社殿の前より神域を守護される神狐さん一対。阿形さんは玉を、吽形さんはおそらく鍵を咥えているものと思われます。

参道石段の鳥居の傍らに祀られる祠。内には綺麗に化粧を施された石仏様が奉納されています。

参拝日:2010年6月12日

 

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石坐(いわい)神社 in 滋賀県大津市西の庄

2025年02月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市西の庄に鎮座される「石坐(いわい)神社」。御祭神は『天命開別尊 (あめみことひらかすわけのみこと)(天智天皇) ・弘文天皇 ・伊賀采女宅子媛命(いがのうねめやかこのいらつめのみこと)・ 豊玉比古・ 彦坐王命(ひこいますのおうのみこと) ・海津見神』

由緒「創祀年代不詳。社家古伝に、近江国府の初代国造・治田連がその四代前の祖・彦坐王を茶臼山に葬り、その背後の御霊殿山を、神体山として祀ったのに始まると伝う。~略~天智天皇八年に旱魃があり、その時毎夜湖水から御霊殿山に竜燈が飛んでいった。里人の奏聞により派遣された勅使の前で、竜燈は小童の形に変じ、「われは海津見神の幸魂である。旱害を除いてやろう」との御託宣があった。天皇は御霊殿山上に海津見神を斎祀した。~略~壬申乱後、近江朝の神霊の「天智帝・大友皇子・皇子の母宅子媛」を弔祭できるのは一乗院滋賀寺のみとされた。持統天皇朱鳥元年、滋賀寺の僧・尊良法師が王林に神殿を建てて御霊殿山の霊祠を遷すと共に相殿を造って近江朝の三神霊をひそかに奉斎し、八大龍王宮と称え、石坐神社とも称した。光仁天皇の宝亀四年、石坐神社に正一位勲一等を授けられ、「鎮護国家の神社なり」との勅語を賜り、近江朝の三神霊が公に石坐神社の御祭神として認められた。」滋賀神社庁HPより

三間社流造:檜皮葺の御本殿 

拝所前左右より神域を守護されるのは、昭和14年正月吉日建立の浪花系の狛犬さん一対。狛犬ファンの間ではオヤジ顔と言われていますが、それは多分に口元の毛が髭のように見えるからだと思います😊

回廊の隙間から見ているのは、本殿前より神域を守護される狛犬さん。

大きさはさほどではありませんが、がっつりと流れる毛並みに思わず目が奪われる慶應元年(1865)建立の狛犬さん一対。京尾太と呼ばれるタイプです。

境内の木陰の下に鎮座される祠には、石坐神社の御祭神『彦坐王命(ひこいますのみこ)』の像が安置されています。

「御霊殿山遥拝所」

ご神木前に設けられた絵馬掛け。沢山ではないですがきちんと絵馬が奉納されています・・・が、何か違和感を感じてよく見れば

京都府八幡市に鎮座される日本三大八幡宮の一つ「岩清水八幡宮」

和歌山市秋月に鎮座される「紀伊国一之宮 :日前(ひのくま)宮」

青森市安方に鎮座される「善知鳥(うとう)神社」

何故こんなに遠く離れた神社の絵馬が奉納されているのか??今も不思議は解明していません。

参拝日:2010年6月12日

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和田(わだ)神社 in 滋賀県大津市木下町

2025年02月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市木下町に鎮座される「和田(わだ)神社」。御祭神は『高龗神(たかおかみのかみ)』。

由緒「白鳳4年に創祀されたと伝えられています。 壬申の乱から間もない頃、湖に暮らす人々の安寧を願って「海津見(わだつみの)神」が祀られ、祭神の名にちなんで、和田浜や和田岬と呼ばれるようになりました。その後、八大龍王社や正霊天王社、など呼び名も代わり、明治維新の頃に膳所藩主の令達により、和田神社になったと言われています。」公式HPより

重要文化財の本殿は鎌倉時代後期の建築で、檜皮葺、一間社流造。正面に軒唐破風があり、側面のかえる股などに時代の特徴が現れています。

本殿拝所の前より神域を守護されるのは浪花タイプの狛犬さん一対。長い年月が作り上げた独特の色合いが、ふっくらと豊かな体格にとても似あっています。

境内の一角に聳える御神木は、大津市指定天然記念物の「大イチョウ」。樹齢約650年、樹高約25m・幹回り4.4m。県下でも例を見ないほどの巨木で、かつては湖上を行く船の目印になったと言われています。 関ヶ原の戦いに敗れた石田三成が京都に護送される途中、 このイチョウにつながれ小休止したという言い伝えが残っており、石田三成ゆかりの地として一部の歴史ファンには有名なんだそうです。

拝殿そのものの画像はありませんが、檜皮葺屋根に乗せられた経の巻には「五七桐」の御神紋。

大イチョウの横にある近未来を思わせる建物は「宝物庫」。五月の「五社まつり」の際に担がれる「大神輿」が収蔵されているものと思われます。

「末社:奥村稲荷」。御祭神は『稲荷大明神』

拝殿の内・外合わせて四対の神狐さんが奉納されているのですが、社のうち深く、金網のかごの中に鎮座されていた神狐さん一対が特に印象に残っています。手だけを伸ばして写させて頂いたのでこれが精一杯の画像。どのような謂れがあるのかとても気になります。

表門

神社の境内にある塀としては異質に見えた煉瓦塀。中央に「昭和十二年十二月建 延長三十間 寄進:西田九兵衛」の碑。

参拝日:2010年6月12日

 

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膳所(ぜぜ)神社と膳所城址 in 滋賀県大津市膳所

2025年02月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市膳所に鎮座される「膳所(ぜぜ)神社」。御祭神は『豊受比売命』

由緒「社伝によると、天智天皇が大津宮遷都に際し、此の地を御厨地と定められた。天武天皇六年に大和国より御食津神を奉遷して、大膳職の御厨神とした。 慶長年間に至り大政所豊臣秀頼、徳川家康等、当社を厚く尊信し、種々の神器の寄進があった。東山天皇は膳所大明神の宣下をされた。 尚慶長六年膳所城創始以来、藩主本多候は歴代崇敬が厚く、社領、社殿の寄進、造営が度々あった。現在当社表門は元膳所城の城門であり、重文指定である。」滋賀神社庁HPより

境内の左右より神域を守護されるのは明治36年12月建立の狛犬さん一対。阿形さんの手には見事に細工された蹴鞠。吽形さんは目いっぱい逆光の為、表情もあやふや😓。

拝殿奥に、透かし塀を張り巡らせた随身門

随身門の内側よりさらに本殿近くを守護されるのは、大きく開いた八つ手のような尾が特徴の狛犬さん一対。阿吽ともに迫力のある顔立ちで、下のようなぶしつけな輩を警戒しています(笑)

ぶしつけな輩😅

境内入り口近く、手水舎の横に建立されていた細身の石灯籠。なんと亀の背中に乗っています。亀の上って「亀趺(きふ)」の事だろうと言われそうですが、これは本当に、正真正銘の普通の亀さん😲

上部に注連縄が掛けられた石、下に「永代御百燈」と刻まれています。石灯籠の類と思われるのですが、定かではありません。

旧膳所城本丸の土橋門を移築した北門。

膳所城門一棟の碑と永代万御百燈

大津市街の東部、相模川河口付近にあった膳所崎と呼ばれる琵琶湖に突き出た土地に築かれた水城「膳所(ぜせ)城」。日本三大湖城の一つに数えられ、また大津城、坂本城、瀬田城と並ぶ「琵琶湖の浮城」の一つとしても知られていました。

こちらは膳所城の鎮守として祀られていた神々でしょうか?「地主大神」「浜弁財天」「白王龍神」、水城を守るにふさわしい神々が鎮座されておられます。

ギリシャ神殿を思わせる佇まいの中に座しているのは、右手に鳩。左手に幼子を抱いた観音像。台座には「英霊塔」の文字。滋賀県戦没者慰霊碑として昭和30年に建立されました。

本丸には4重4階の天守が上げられ、水面に映える姿は里謡に「瀬田の唐橋、唐金擬宝珠(からかねぎぼし)、水に浮かぶは膳所の城」と謡われていた程だったと云う膳所城。今は「膳所城跡公園」として整備され、往時を語るものはわずかに残る石垣のみとなりました。

参拝日:2010年6月12日

 

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御霊(ごりょう)神社(大友宮) in 滋賀県大津市鳥居川

2025年02月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市鳥居川に鎮座される「御霊(ごりょう)神社」。御祭神は『弘文天皇(大友皇子)』

御由緒「創祀年代不詳、社伝によると、壬申の乱後三年目の白鳳四年大友皇子の第二子興多王の指図により隠山に皇子の神霊を奉斎し大友宮または御霊宮と称し、これが当社の創祀とされる。寿永三年の木曽義仲と源範頼の戦斗・承久三年の鳥羽上皇軍と北条時房軍の戦い、建武三年の後醍醐天皇軍と足利尊氏軍の戦い、応仁の乱などの戦いの度に兵火により焼失。徳川時代に膳所藩より格別の崇敬があり、現在その城門が移設されている。」滋賀神社庁HPより

移築された城門の帳には「三ツ割の菊」の御神紋

本殿石段の左右より神域を守護されるのは、明治14年建立の狛犬さん一対。

流れるような美しいたてがみと対照的に鋭い牙を見せる狛犬さんたち。毬を手にして得意げに笑う阿形さん。不気味なくらいの歯並びの良さを見せつける吽形さん。それを見て驚く参拝客を見るのが楽しくて仕方ないと言いたげな吽形さんの上目遣いが、ものすごくツボ😅

入母屋造:間口四間四尺 奥行四間四尺の拝殿

御神木

移築された膳所城址黒門の前に建立された「大友宮」の鳥居

天智天皇崩御の直後の天智天皇10年(672)、天智天皇の弟、大海人皇子と、天智天皇の長子、大友皇子との間で、後に壬申の乱と呼ばれる皇位継承をめぐる争いが起こり、敗れた大友皇子は自害して果てます。長き時を経て明治3年(1870)7月、大友皇子に対し「第三十九代:弘文天皇」の称号が追号されました。

全国各地に鎮座される「御霊神社」ですが、その祭神・性格は様々で、今回のように、ある人物の御霊・怨霊を鎮めるために創建されたものもあれば、五柱の神(五霊)を祀る(祀っていた)もの。祖神・先祖の霊を「御霊(みたま)」として祀るものなどがあり、その御祭神は実に多岐にわたっています。

何故か御祭神とは一切無縁と思われる😅「二宮金次郎像」

参拝日:2010年6月12日

 

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