goo blog サービス終了のお知らせ 

車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 福島県白河市&旧大信村

2025年02月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

白河市(しらかわし)は福島県中通り南部に位置する市です。岩瀬郡天栄村、西白河郡矢吹町、西郷村、泉崎村、中島村、東白川郡棚倉町、石川郡石川町、浅川町、さらに県を跨いで栃木県那須町に隣接。古代より、白河は奥州の要として重要視され、白河の関が置かれて以来、みちのくの玄関口として知られるようになりました。「市の木:赤松」「市の花:梅」「市の鳥:ホオジロ」を制定。

キャッチフレーズは「しらかわいいし」

明治22年(1889)、町村制の施行により西白河郡白河町・大沼村・白坂村・小田川村・五箇村・表郷村・大信村・東村が発足。

1949年、白河町が大沼村と合併、市制を施行し白河市が発足。

1954年、白坂村、小田川村を編入。

1955年、五箇村を編入。表郷村関辺地区及び旗宿地区を編入。

2005年11月7日、 旧白河市、西白河郡表郷村、東村、大信村の合併により新たに白河市となりました。

マンホールは旧大信町デザインで「村の村:木スギ」「村の花:ヤマユリ」「村の鳥:キジ」、下に「しらかわし」の文字があります。

2005年11月7日制定の市章は「白河市の「白」の字を図案化し、中心の楕円は輝き集う市民の活力を、外側の楕円の濃い青は豊かな大地と清らかな水を、淡い青はさわやかな青い空を、上部はこれまで育まれてきた歴史と文化を表し、全体の右上がりのデザインは、これらが調和し、「白河市」が未来へ向け限りなく躍進していくことを表しています。」公式HPより

------------------------00----------------------

旧西白河郡大信村(たいしんむら)は福島県の南部に位置した村です。白河市、泉崎村、矢吹町、西郷村、岩瀬郡天栄村に隣接。「村の木:杉」「村の花:山百合」「村の鳥:雉」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により西白河郡大屋村・信夫村が発足。

1955年、大屋村、信夫村が合併、西白河郡大信村が発足。

2005年、(旧)白河市・表郷村・東村と合併、白河市となりました。

マンホールには「村の木:杉」「村の花:山百合」「村の鳥:雉」がデザインされていますが、自治体名が新白石市に変更されていました。

昭和38年(1963)9月制定の村章は「村人の融和と発展を円により力強く表現し、それらを支える行政が常に安定し建設的であるように不動の山で象徴している。また、進歩、堅実、正義を三角各々の先端に配している。」合併協議会資料より

撮影日:2015年7月3日

帰路の道で目に付いた白河市のマンホール、紹介できる他の画像も満足に無いのに、見つけてしまうと無視できない因果な性分なのです😓

------------------------00----------------------

マンホールカード、頂きました。

2017年4月3日、第4弾として全国42自治体で50種類(累計151自治体170種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「白河市」のマンホールカードは、「白河観光物産協会」でいただけます。

1992年に設置開始されたマンホールには「南湖公園」と「小峰城復元三重櫓」がデザインされています。

「南湖公園の千世の堤からの眺望を背景に、小峰城の三重櫓(やぐら)を描いたデザイン蓋です。 南湖は享和元年(1801年)、武士と民衆が共に楽しめる庭園として、当時の白河藩主・松平定信が築上したもので、現代の公園の先駆けとして知られています。 一方の小峰城は寛永6年(1632年)、初代白河藩主の丹波長重によって大改修され、本丸や二の丸が総石垣造りに生まれ変わるなど、名城としての風格をまといました。 その後、戊辰戦争「白河口の戦い」で大半を消失しましたが、1991年に三重櫓、1994年に前御門が木造で復元され、今では観光の見どころとなっています。 本デザインは、三重櫓の復元を機に制作しました。」

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 福島県下郷町

2025年01月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

南会津郡下郷町(しもごうまち)は福島県会津地方の南部に位置し、面積の約87%は森林に覆われる緑豊かな町です。南会津郡南会津町、会津若松市、大沼郡会津美里町、昭和村、西白河郡西郷村、岩瀬郡天栄村、さらに県を跨いで栃木県那須塩原市に隣接。町名は、古くから旧田島町を中心とした地域を上郷と呼んだのに対して、当地域が下郷と呼ばれていたことに由来します。「町の木:白樺」「町の花:藤」「町の鳥:ウグイス」を制定。

町内各地からは縄文、弥生式土器が出土しており、数千年前から人の営みがあったものと推測。鎌倉時代には長沼家の所領となり戦国時代まで約500年間その支配下にありました。寛永20年(1643)に保科氏が会津に入ると、当町を含む地域は南山御蔵入と呼ばれ、幕府の直轄領へと編入。江戸時代初期には下野街道(会津西街道)が、元禄年間には松川街道が開かれ、街道沿いには「大内宿」などの宿場が新たに整備されました。

那須山系などの山々に囲まれた町域の約87%は森林に覆われており、町のほぼ中央を南西から北東に阿賀川が貫流し、国指定天然記念物「塔のへつり」に代表される雄大な渓谷が形成されています。

キャッチフレーズは「いで湯と渓谷の里 下郷町」 

明治22年(1889)、町村制の施行により、南会津郡長江村・二川村・楢原村・旭田村が発足。

1928年、長江村、二川村が合併、南会津郡江川村となる。
1946年、楢原村が町制を施行、南会津郡楢原町となる。

1955年、楢原町、旭田村、江川村が合併、南会津郡下郷町となる。

残念ながら下郷町にはデザインマンホールは存在しません。代りと言うのも変ですが、阿賀川の旭橋で見かけた「町の花:藤」「町の鳥:鶯」のレリーフ。

昭和55年4月29日制定の村章は「下郷町の「しも」の字を図案化したもので、町民の融和と団結を表し、町勢の着実な前進を象徴したものです。」公式HPより

町の木でも、町の花でも無い「桜」がデザインされた側溝蓋。もしかしたら越境の側溝蓋かもしれません。

福島県旧船引町(現田村市)町章入り制水弁の越境蓋。

撮影日:2015年7月3日

------------------------00----------------------

下郷町の旅では、標高861、41mにある「道の駅:下郷」で車中泊をさせて頂きました。お友達お薦めの「とち蜜」を、自分用とお土産用に購入。閉店ぎりぎりだったので、間に合って良かった!!

高台から見る南会津の雄大な山並みは深い緑、その向こうにさらに連なる山々。あの右に見える高い山は・・あれは何という山なのだろう?

やがて沈み始めた夕日が最後の輝きを増した時、空はまるで燃えるように不思議な赤と、オレンジと、紫のない混ざった色に染まり、木々や山の緑までも同じ色に染め上げていました。

車で旅をする者にとってこの様な道の駅は本当に有難く大切な場所です。改めて、その折には本当に有難うございました。🙏🙏

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 福島県旧南郷村(南会津町)

2025年01月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧南会津郡南郷村(なんごうむら)は福島県南会津西部地方の、ほぼ中央に位置した村です。田島町、伊南村、只見町、昭和村、檜枝岐村に隣接。標高は村中心部で529メートルと高冷地で、村の中央には「日本一遅い鮎の解禁」で有名な伊南川が貫通。伊南川の両岸に集落が形成されています。

界長池沢口にある高清水自然公園はひめさゆりの群生地として知られており、開花の時期には、毎年1万人以上の観光客が県内外より訪れます。「村の木:ブナ」「村の花:ひめさゆり」「村の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、南会津郡大宮村、富田村が発足。

1955年、大宮村、富田村が合併、南会津郡南郷村が発足。

1968年、旧富田村大字和泉田の一部が只見町へ編入。

2006年、田島町、舘岩村、伊南村と合併、南会津郡南会津町が発足。

マンホールには「村の花:ひめさゆり」と「ひめさゆりの里」の文字がデザインされています。

昭和48年3月制定の村章は「この村章は南郷村の「ナ」の字を図案化したもので、全体的に躍動と躍進を表しており、上下の角は〝山〟を、横の曲線は〝
伊南川〟をそれぞれ表し、美しい自然を意味する。」合併協議会資料より

撮影日:2015年7月1日

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 福島県旧舘岩村(南会津町)

2025年01月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧南会津郡舘岩村(たていわむら)は福島県会津地方の南西部に位置した村です。伊南村、田島町、檜枝岐村、また県を跨いで栃木県 : 藤原町、栗山村に隣接。16世紀の終盤に横田城主・山内氏勝の家臣『小勝入道沢西』が移り住んだことから始まった曲り家の前沢集落や、標高795メートルに位置し、古くより“会津の隠れ湯”と呼ばれ、平安時代から続く秘湯「木賊(とくさ)温泉」など、一足余分に足を延ばしたい観光名所が多く残されています。
「村の木:シラカバ」「村の花:シャクナゲ」「村の鳥:ウグイス」を制定。

また標高500m以上の高冷地と、朝晩の寒暖差が大きい地域性を活かし「会津在来種そば」の栽培も盛んにおこなわれています。さらに地区内を流れる舘岩川の一部を特別漁区として、たのせ集落と南会津西部非出資漁業協同組合が共同で管理する特別漁区「たのせヤマメの里」も人気のスポットです。

明治22年(1889)、町村制の施行により、塩ノ原村・八総村・熨斗戸(のしと)村・湯ノ花村・宮里村・中ノ井村・森戸村が合併、南会津郡舘岩村が発足。

2006年、田島町、伊南村、南郷村と合併、南会津郡南会津町となりました。

マンホールには「村の花:シャクナゲ」と「村の鳥:ウグイス」、上に「村の木・シラカバ。 下に「自然健康村」「たていわ」の文字がデザインされています。

昭和44年4月制定の村章は「「たてい」を円形に構成し「い」を輪形にデザインして「いわ」とした。円形は村民の和を、中央の向い円は村民の大らかなこころを表し、「た」と「て」で構成する矢羽根で、村の限りない発展に志向する村民の意気を表現したものである。」合併協議会資料より

南会津そば振興協議会マスコットキャラクター『南会津蕎麦之介』。頭にはそばの花を咲かせ、右手にはそば切り包丁、左手には麺棒を持ち、背中にはのし板を背負う、全身からSOBAのオーラがあふれています。

前沢曲家集落のある南会津町舘岩地区は、蕎麦の名産地として知られる南会津全域の中でも、とりわけ蕎麦の栽培に適した気候とされます。舘岩産のそば粉を使った手打ち蕎麦が味わえる「そば処・曲家」。御亭主殿、後ろ髪引かれまくり😆

撮影日:2015年7月2日

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 福島県旧伊南村(南会津町)

2025年01月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧南会津郡伊南村(いなむら)は福島県の会津地方、伊南川流域に位置した村です。只見町、田島町、南郷村、舘岩村、檜枝岐村に隣接。坪入岳、高畑山に囲まれ、中央を伊南川が南北に貫流し、その流域に集落が点在します。352号線を走っていると見えてくる、東北一の高さを持ち、日本百名山のひとつである「燧ケ岳」。登山はからっきしですが、遠目で見るのは美しい。

檜枝岐村から檜枝岐川が、舘岩村から舘岩川が流れ込み、伊南村の南部で合流し伊南川となって村を北上。伊南川の急流が作り上げた屏風岩。武士道を悠久に受け継いできた歴史の史跡、農民文化の歌舞伎舞台など、村域には多くの名所旧跡が残されています。

伊南地区は源頼朝の奥州平定後から、約400年の河原田氏の統治があり文武両道の気風がありました。親から子へ、子から孫へ伊南地区の歴史と 風土の中で息づいた剣士の心は、「剣道の里 伊南」として引き継がれています。

「村の木:イチョウ」「村の花:サクラ」「村の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「人も自然も輝いています」

明治22年(1889)、町村制の施行により、南会津郡伊南村・大川村が発足。

1955年、伊南村、大川村が合併、新たに南会津郡伊南村となる。

2006年、田島町・舘岩村・南郷村と合併、南会津郡南会津町となりました。

マンホールには「村の木:イチョウ」と中央に枡型、その中に「いな」の文字がデザインされています。

天然記念物「古町の大イチョウ」。樹齢 800年、根回り 16m、樹高 35mで会津で一番の巨木。一気に落葉する時は根雪が早く、まばらに散ると雪が遅いとされ「雪見イチョウ」とも呼ばれています。

昭和48年9月制定の村章は「伊南村の「い」の字を図案化したもので、円形は円満無碍を、下のハネは自然の調和と求心力を、上のハネは内に漲った力が未来に向って限りなく躍進する若さのある村の姿を象徴したものである。」合併協議会資より

「村の木:イチョウ」と銀杏がデザインされた側溝蓋。

撮影日:2015年7月2日

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 福島県南会津町&旧田島町

2025年01月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

南会津郡南会津町(みなみあいづまち)は福島県の南西部に位置する町です。2006年3月20日、田島町・舘岩村・伊南村・南郷村が合併して誕生。大沼郡昭和村、南会津郡只見町、檜枝岐村、下郷町、さらに県を跨いで栃木県:那須塩原市、日光市に隣接。 総面積の95%が森林で占められており、国天然記念物に指定された駒止湿原などの豊かな自然に恵まれています。阿賀川(大川)沿いに国道121号や会津鉄道会津線が走り、町の北東部を流れる檜沢川や高野川に沿って、南郷村に通じる国道289号、昭和村に通じる国道400号、さらに阿賀川の上流では、舘岩村に通じる国道352号があり、交通の要所として位置づけられています。「町の木:ブナ」「町の花:ヤマツツジ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「互いを思いやり、人と自然がやさしさに包まれた、安心と信頼のまち」

マンホールは旧田島町のデザインで「ヤマツツジと鶯」。中央上の自治体章が南会津町章に変更されています。

2006年7月20日制定の町章は「南会津の「み」と、みんなの「み」をモチーフに、豊かな自然の中で元気に躍動する南会津町民を象徴的に表現したものです。橙は南会津町民の暖かい心、青は阿賀川、伊南川の清流、緑は森と大地で、自然の豊かさをイメージしています。」公式HPより

南会津町観光大使『んだべぇ』。食べるの大好きな食いしん坊の妖精。南会津のおいしい特産品が好きになり、いつの間にか住みついていた。笠と雪ぐつを着用しているのは、南会津の寒さを耐え忍ぶため、先人の知恵を借りたらしい。

南会津町産ひとめぼれ「奥会津雪の舞」イメージキャラクターは、『舞ちゃん』。お茶碗の体に真っ白なお米の女の子です。

撮影日:2015年7月2日

------------------------00----------------------

旧南会津郡田島町(たじままち)は福島県会津地方に位置した町です。舘岩村、伊南村、南郷村、昭和村、下郷町、また県を跨いで栃木県那須塩原市、藤原町に隣接。鎌倉時代には長沼氏の所領として田島地域に鴫山城が築かれ、江戸時代には、舘岩・伊南・南郷地域ともに幕府直轄「天領御蔵入」となり、その後も会津西街道の主要宿場町として栄えてきました。

「町の木:赤松」「町の花:ヤマツツジ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「自然が満天 人が真ん中」

明治22年(1889)、町村制の施行により南会津郡田島村・檜沢村・荒海村が発足。

1896年、田島村が町制を施行、南会津郡田島町となる。

1955年、田島町が檜沢村・荒海村と合併、改めて田島町が発足。

2006年、舘岩村、伊南村、南郷村と合併、南会津町となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:ヤマツツジ」、その上に二羽の「町の鳥:ウグイス」がデザインされています。

昭和33年(1958)1月制定の町章は「「南十字星」をかたどった「田」を図案化し、南に位置するシンボルと南を指向する意志とを表すものである。」合併協議会資料より

「町の花:ヤマツツジ」のカラー側溝蓋

撮影日:2015年7月2日

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 福島県檜枝岐村

2025年01月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

南会津郡檜枝岐村(ひのえまたむら)は福島県の西南端に位置する村です。南会津郡只見町、南会津町。県を隔てて東は栃木県日光市、南は群馬県片品村、西は新潟県魚沼市に隣接。東北最高峰の燧ケ岳等2,000m級の山に囲まれ、村中心部の標高は939m、村役場に隣接した集落の他は面積の98%が山林という峡谷型山村で、平均気温9℃、平均積雪が2m近い県下有数の豪雪地帯です。福島県内で人口が最も少ない村で、日本一人口密度の低い市町村ですが、大正11年(1922) に発電所が新設され、全村に電灯がつき、昭和48年(1973)には温泉が湧出。昭和50年に村内各家庭に温泉が給湯されました。

「村の木:ヒノキ」「村の花:水芭蕉」「村の鳥:コマドリ」を制定。

キャッチフレーズは「尾瀬のある郷「檜枝岐」」

明治22年(1889)、町村制の施行により、南会津郡檜枝岐村が発足。

特定環境保全公共下水道用のマンホールには村章を中心に「村の花:水芭蕉」が四方にデザインされています。

水芭蕉がデザインされた橋の高欄

昭和47年(1972)11月制定の村章は「「ひ」・「の」を合成し、図案化したもの」

設置場所の関係で真ん中部分しか写せなかった制水弁💦

撮影日:2015年7月2日

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 福島県只見町

2025年01月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

南会津郡只見町(ただみまち)は福島県の最西端、会津地方に位置する町です。大沼郡金山町、昭和村、南会津郡南会津町、檜枝岐村。さらに県を跨いで新潟県:阿賀町、魚沼市、三条市に隣接。四方を山々に囲まれ、町の中央に流れる伊南川や只見川の流れと、面積の94%を占める豊かな森林資源に恵まれ、わが国屈指の豪雪地帯という厳しい自然環境から生まれる四季の美しい移り変わりが、緑と水の郷・只見の源となっています。

また、戦後には只見川を利用した電源開発事業が大々的に取り組まれ、一大電源地帯として脚光を浴びるという歴史を持ち、さらに古く江戸時代には南山御蔵入と呼ばれる幕府直轄の地に編入されていました。「町の木:ブナ」「町の花:こぶし」「町の魚:岩魚」を制定。

キャッチフレーズは緑と水と心のふるさと………只見町」

明治22年(1889)、町村制の施行により南会津郡伊北村(いほうむら)・明和村・朝日村・南郷村が発足。

1952年、伊北村が改称。南会津郡只見村(第一次)となる。

1955年、明和村と飛地合併、南会津郡只見村(第二次)となる。

1959年、朝日村を編入、町制を施行し只見町となる。

1968年、南郷村大字和泉田の一部を編入。

マンホールには大きく町章、周囲には上から左回りに「町の花:こぶし」「只」「町の魚:岩魚」「見」「町の鳥:鶯」がデザインされています。

昭和43年(1968)10月制定の町章は「明治百年記念事業の一環として制定。三村合併を、只見の「只」の文字に合わせ図案化し、円の構成は融和と円満、外へ開く広がりは未来への発展をあらわしています。」公式HPより

 只見町公式キャラクターは、心優しいブナの精『ブナりん』。ブナ王国の王様で山の精のお父さんと、ブナ王国の女王で水の精のお母さんに大切に育てられました。ブナの木たちや森の仲間たちと話ができる不思議な力をもっています。

撮影日:2015年7月1日

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 福島県金山町

2025年01月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

大沼郡金山町(かねやままち)は福島県の南西部、奥会津に位置する町です。三島町、昭和村、河沼郡柳津町、耶麻郡西会津町、南会津郡只見町に、また越後山脈の急峻な山並みを隔てて新潟県阿賀町に隣接。町の周囲を800m~1300mの山々に囲まれ、町の総面積の90%が山林地帯。中央部には南西から北東に向かって只見川や、そこに流れ込む中小の河川が深い渓谷を刻み、町の東部には沼沢火山の噴火によって出来た二重カルデラ湖「沼沢湖」が神秘的な景観を見せています。中世には、会津四家の一人「山ノ内一族」の支配にあり、現在の集落はこの頃に形づくられ、江戸時代には尾瀬を含む広大な天領「南山御蔵入」の一角として栄えてきました。「町の木:桐」「町の花:こぶし」「町の鳥:カッコウ」を制定。

キャッチフレーズは「自然の恵みと笑顔あふれるかねやま」

明治22年(1889)、町村制の施行により、大沼郡川口村・沼沢村・本名村・横田村が発足。

1955年、川口村、沼沢村、本名村、横田村が新設合併、大沼郡金山村が発足。

1958年、金山村が町制を施行、大沼郡金山町となる。

マンホールには町章を中心に「妖精」と、「町の花:こぶし」がデザインされています。沼沢湖に残る大蛇伝説から、金山町は「妖精の里」として知られており、毎年8月には大蛇伝説を模した沼沢湖水まつりが開催されます。

昭和41年(1966)3月1日制定の町章は「金山町の「カ」の字を天に、「山」の字を地に図案化したもので、町民の和と積極的に町づくりに取り組む姿勢を表しています。」公式HPより

金山町公式キャラクターは、町の特産品「奥会津金山町赤カボチャ」の妖精『かぼまる』。頭はカボチャ、リボンは炭酸水、身体は温泉を表現しています。

撮影日:2015年7月1日

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 福島県三島町

2025年01月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

大沼郡三島町(みしままち)は福島県会津地方の中西部に位置する町です。昭和村、柳津町、金山町に隣接。尾瀬を水源とする只見川が町の中央を貫流し、冬季には積雪が2m近くなることもあり、特別豪雪地帯に指定されています。町の大部分は森林で典型的な山村であり、町名は旧宮下村にある「三島神社」に由来します。「町の木:桐」「町の花:大山桜」「町の鳥:ヤマガラ」を制定。

キャッチフレーズは「豊かな自然と溢れる人情「桐の里」みしま町」

明治22年(1889)、町村制の施行により大沼郡川西村・原谷村・三谷村・西川村が発足。

1889年、 西川村、原谷村、三谷村が、西川村外二ヶ村組合村となる。

1917年、川西村が、大沼郡西方村と改称。

1942年、西川村外二ヶ村組合村が、大沼郡宮下村となる。

1955年、宮下村と西方村が合併、大沼郡三島村となる。

1961年、三島村が町制を施行、大沼郡三島町となる。

マンホールには「町の木:桐」が対角にデザインされています。

昭和40年(1965)11月3日制定の町章は「三島町の「ミシマ」を図案化し、3文字を組み合わせることによって町民の団結を表し、円は和を、鋭角的な図案は躍進を意味しています。」公式HPより

三島町マスコットキャラクター『みしまる君』は、三島町特産の会津地鶏がモデル。日本一と言われる三島産会津桐の下駄をはき、桐の花の色のはっぴを着ています。

正面からでは会津地鶏なのか、ヒヨコなのか判断がつきにくい・・ので、横から・・・でもやっぱりヒヨコ🐤 マンホール画像が少ないので遊んでみました😅

三島町宮下田中にある「JR東日本 只見線:会津宮下駅」。雨の日に出会う駅舎は、どんなに小さくても古くても、何故かしら温かく感じるもので、それがこんなに素敵な佇まいだと、その思いはより一層強くなります。

ホームから見る雨に濡れた線路・・・こんな景色は昔々の切ない思い出に繋がって、油断したら泣いてしまいそうなレッドゾーン・・

見知らぬ町を車で走り抜けるには、お世辞にも快適と言えない雨の中。それでも見方を変えれば目に入る景色はしっとりと美しく、特別な顔で私たちを歓迎してくれます。

宮下発電所の看板近くにあった「只見川三峡21景」。私たちが出会えるのはこの中のどの景色でしょうね。

撮影日:2015年7月1日

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする