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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 滋賀県旧愛知川町(愛荘町)

2025年05月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

旧愛知郡愛知川町(えちがわちょう)は滋賀県の中央部、湖東平野に位置した町です。彦根市、東近江市、神崎郡能登川町、犬上郡豊郷町、愛知郡秦荘町に隣接。中世から愛知川の渡河集落や近隣の交易の中心地として市が立ち、小幡商人・保内商人の活躍により栄え、近世には中山道の宿場町として発展。明治になると郡役所や警察などの官公署が置かれ、近江鉄道が開通するなど、古くから地方の中心として発展してきました。「町の木:モミジ」「町の花:ユリ」を制定。

登録有形文化財「旧愛知川宿:竹平楼」には、明治11年(1878)に北陸東山道をご巡幸された明治天皇の御座所が、今も往時のままに保存されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、愛知郡愛知川村・豊国村が発足。

1909年、愛知川村が町制を施行、愛知郡愛知川町となる。

1955年、愛知川町と豊国村が合併、改めて愛知郡愛知川町が発足。

2006年、愛知郡秦荘町と合併、愛荘町となりました。

マンホールには町内を流れる「愛知川・宇曽川・安壺川・新愛知川・不飲川」と、愛知川祇園納涼祭花火大会の花火、町章が描かれています。

淡海環境プラザ展示マンホール「古くから"川の流れ"とともに住民の生活があった愛知川町では「愛知川、宇曽川、安壺川(あんこがわ)、新愛知川、不飲川」の 5河川と夏の風物詩「花火」を図案化しました。上方の「町章」は、中央の白い部分がエチ川の「エ」と「チ」を表し三本線が川の流れをあらわしています。」

桝用のマンホールには、「びん手毬」と周囲に「町の木:モミジ」が美しく配されています。

愛荘町立愛知川びんてまりの館所蔵の「びん手毬」

昭和39年(1964)3月1日制定の町章は「中央の余白で「エ・チ」を、また周囲の三本線は、柔らかな川の流れを意味するもので、古風な中にも近代的な味を表している。」合併協議会資料より

撮影日:2008年7月26日&2015年7月16日

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ご当地マンホール in 滋賀県愛荘町

2025年04月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

愛知郡愛荘町(あいしょうちょう)は滋賀県の中央部、琵琶湖の東部地域に位置する町です。2006年2月13日、愛知郡愛知川町と秦荘町との合併により発足しました。彦根市、東近江市、犬上郡多賀町・甲良町・豊郷町に隣接。愛知川の右岸、湖東平野の東部に位置し、東方は鈴鹿山地の西麓にかかり、田畑が町域の約4割を占めます。江戸時代には愛知川宿が中山道の宿駅として栄え、また中世には北隣の沓掛地区も、鈴鹿山地越えで、伊勢地方との通商に従事する商人が集住し。近江商人の一翼を担ってきました。近江商人が扱った主力商品である麻織物(近江上布)は、当地を含む湖東地方が主産地で、国の伝統的工芸品に指定されています。町の中央部を流れる宇曽川の上流部には昭和54年(1979)ロックフィル式の宇曽川ダムが竣工。鈴鹿山系からの豊かな清水と自然に恵まれ、古くから水との関わりが深く、この地形が農業をはじめとするさまざまな産業を発展させてきました。「町の木:モミジ」「町の花:サクラ」を制定。

キャッチフレーズは「心ふれ愛・笑顔いっぱいの元気なまち」

2006年11月21日制定の町章は「愛荘町の「あ」をモチーフに「心ふれ愛・笑顔いっぱいの元気なまち」を目指して発展する「愛荘町」を象徴したものです。人々の未来への躍動と交流、町民の融和を表現。橙色は活力と未来へ輝く太陽、青は人々の活き活きとした活動、緑は自然に恵まれた豊かな暮らしを表します。」公式HPより

愛荘町イメージキャラクター『あしょうさん』。一説には、湖東三山まんなかのお寺金剛輪寺出身ともいわれています。愛知川びん細工手毬をモチーフにした兜をかぶり、近江の麻の服、腰にさしているのは、特産の山芋をかたどった刀で、年齢は永遠の5才です。

2014年3月に誕生した近江鉄道・マスコットキャラクター駅長の『がちゃこん』。「ガチャコン」は、県下で最も長い歴史を持つ私鉄「近江鉄道電車」の愛称。基本的には「猫キャラ」一押しですが😅、「狐キャラ」も有り!

撮影日:2015年7月16日

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ご当地マンホールとマンホールカード第9弾 in 滋賀県豊郷町

2025年04月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

犬上郡豊郷町(とよさとちょう)は滋賀県東部、湖東平野に位置する町です。彦根市、愛知郡愛荘町、犬上郡甲良町に隣接。中山道に沿って町域が開けており、米作・園芸が盛ん。また、中世近江商人の出身地の一つでもあり、蝦夷地の開拓・交易で成功、貧民救済事業でも活躍した「藤野家」や、伊藤忠兵衛(伊藤忠商事)などの豪商を輩出。また千樹寺は江州音頭の発祥地として知られます。「町の木:ウバメガシ」「町の花:ツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「江州音頭発祥のまち」・「もに ろこび らなる よさと」「コンパクトで便利なまち「とよさと」」

明治22年(1889)、町村制の施行により、犬上郡豊郷村・愛知郡日枝村が発足。

1956年、豊郷村と日枝村が合併、犬上郡豊郷村が発足。

1971年、豊郷村が町制を施行、豊郷町となりました。

マンホールには、町章を中心に「江州音頭を踊る人々」と、「町の花:ツツジ」、「江州音頭のちょうちん」がデザインされています。

淡海環境プラザ展示マンホール「“江州音頭”の発祥地として「提灯」と「踊る人」および「町の花(つつじ)」を図案化しています。中央の「町章」は、豊郷の「とよ」を図案化したもので、 円形は町内の「和合協力」を、上部の両端を 左右に出すことで「飛躍発展」を、図を斜めに切ることで交通の要所をあらわしています。」

豊郷町観光協会展示マンホール

小型マンホールには、町章の上で「扇踊りを踊る踊り子さん」と「町の花:ツツジ」が描かれています。

昭和41年(1966)9月30日制定の町章は、豊郷村章として制定され、町制施行後に継承されたもので「豊郷の「とよ」を図案化したもので、円形は町内の和合協力を意味し、上部の両端を、左右に出す事で町の飛躍発展を、斜に図を切る事で豊郷町が交通の要点にある事を表します。」公式HPより

豊郷町観光協会マスコットキャラクター『よいとちゃん』。名前は、江州音頭の掛け声「よいと よいやまか」と「よいとよさと」を掛けたもの。 頭に「絵日傘」、「扇」の絵柄をあしらった服を着た可愛い女の子ですが、お誕生日は天保11年(1840)8月17日生まれの大長老。

「旧豊郷小学校」の道路向いに見つけた「やりこの郷」モニュメント。

昔、旱魃に苦しんだ農民が「阿自岐神社」に祈願したところ、「安食南にある大木から矢を放てば、矢の落ちたる所から水が湧く」とお告げを受け、その通りに落ちた矢を抜くと水が湧き出しました。この時、矢を射た大木を「矢射り木」と呼び、それが訛って「やりこ」となったとか。この情報を事前に知っていれば「阿自岐神社」にも寄れたかも・・。

撮影日:2015年7月16日

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2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「豊郷町」のマンホールカードは、「豊郷町観光協会」でいただけます。

1991年に設置開始されたマンホールには町章を中央に「江州音頭のちょうちん」と「踊り子さん」、「町の花:つつじ」がデザインされています。

 

「日本最古の庭園の一つといわれる阿自岐庭園等、歴史を偲ばせる文化財が数多く残されている豊郷町は、まちの中心を中山道がとおり、この沿道には江州音頭が生まれた千樹寺(せんじゅじ)があり、この寺は戦火や村の大火によって焼かれましたが再建され、その落慶法要の中から「江州音頭」が生まれました。 豊郷町は華やかで陽気な唄と踊りの「江州音頭」発祥の地として知られ、江州音頭・扇踊り・絵日傘おどりを後世に伝えるべき伝統文化として保存・継承を行っており、マンホールふたは公募によって町章を中央に江州音頭のちょうちんと踊る人、町の花(つつじ)を図案化して生まれました。」

配布先で頂いた観光マップ

訪問日:2018年12月19日

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ご当地マンホール in 滋賀県旧蒲生町(東近江市)

2025年04月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

旧蒲生郡蒲生町(がもうちょう)は滋賀県の東南部に位置した町です。東近江市、甲賀市、蒲生郡竜王町・日野町に隣接。鈴鹿山系に源を発する日野川とその支流になる佐久良川の流域にひらけた純農村地帯で、町の北東・南西部は海抜200メートル内外の古琵琶湖層の丘陵山林。東北部は、なだらかな布引山系が占めています。一帯は約1万年前、縄文時代より開発が進み、多くの遺跡遺物が残され、中でも県指定史跡の木村古墳群、日本最古最大の石塔寺(いしどうじ)石造三重塔などが知られています。また宮川地区には、かってその地が祗園神社感神院の領地であった頃に勧請された「八坂神社」が鎮座します。「町の木:桜」「町の花:サツキ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「田園風景が広がる 万葉ロマンあふれる町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、蒲生郡桜川村・朝日野村が発足。

1955年、桜川村、朝日野村が合併、蒲生郡蒲生町が発足。

2006年、能登川町と共に東近江市に編入されました。

マンホールには、町章を中心に毘沙門亀甲、周囲に「町の木:桜」が描かれています。

「淡海環境プラザ展示マンホール」「「町章」を中央に「町の木(桜)」を外周に配置したものです。 「町章」は、“がもう”の「が」「も」を図案化したものです。」

プラ汚水枡には「町の花:さつき」と「町の木:さくら」「町の鳥:うぐいす」に町章がデザインされています。

昭和32年10月1日制定の町章は「蒲生町の「ガモ」を表し、丸く抱擁していることにより町民の幸福と和を、また左右にひろげた羽型によって飛躍発展を願ったものです。」旧公式HPより

撮影日:2008年7月19日

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ご当地マンホール in 滋賀県旧能登川町(東近江市)

2025年04月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

旧神崎郡能登川町(のとがわちょう)は滋賀県の中央部、神埼郡の北西部に位置した町です。彦根市、近江八幡市、東近江市、蒲生郡安土町、愛知郡愛知川町に隣接。愛知川が繖山(きぬがさやま)山系を迂回して形成した堆積平野にあり、琵琶湖に面した北西部一帯は、弁天内湖と伊庭内湖の干拓地で広大な農地や葦原が広がり、野鳥や魚類の生息地となっています。また古くより麻織物の産地としても知られています。「町の木:マツ」「町の花:キク」「町の鳥:キジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「水・緑・人が輝く水車のまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、神崎郡能登川村・伊庭村・五峰村・八幡村・栗見村が発足。

1942年、能登川村、伊庭村、五峰村、八幡村、栗見村が合併、神崎郡能登川町が発足。

2006年、蒲生郡蒲生町と共に東近江市に編入。

マンホールには、町章を中心に能登川のシンボルである「巨大水車」がデザインされています。

淡海環境プラザ展示マンホール「河川の多い能登川町では、歴史的遺産である“能登川水車”を イメージし図案化しました。中央の「町章」は、能登川の「能」を図案化したもので、 “能力、能率、有能”等実力を持つ意味と、“飛躍躍進”をあらわし、円輪は“融和団結”を意味しています。」

能登川水車公園の巨大水車

集排マンホールには「巨大水車」と伊庭内湖で開催される「東近江市ドラゴンカヌー大会」がデザインされています。

「東近江市ドラゴンカヌー大会」の開会式が行われる水上ステージ。

シールタイプマンホールは、「東近江市ドラゴンカヌー大会」の、ドラゴンをかたどったカヌーと巨大水車のデザインです。(能登川駅西口のタイル舗道上)

昭和30年4月1日制定の町章は「能ある鷹は爪をかくす」能登川の能は、能力、能率、有能等実力をもつことを意味しているのである。町章の能の文字はこの能登川の飛躍躍進を表し、円輪は本町の融和団結を意味したものである。」旧公式HPより

樹木カバーにデザインされた巨大水車

街灯にデザインされた巨大水車

巨大水車を元にデザインされた能登川駅舎

撮影日:2006年8月11日&2008年7月26日

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ご当地マンホール in 滋賀県旧永源寺町(東近江市)

2025年04月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

旧神崎郡永源寺町(えいげんじちょう)は滋賀県の南東部に位置した町です。八日市市、甲賀市、蒲生郡日野町、愛知郡愛東町、犬上郡多賀町に。また県を跨いで三重県いなべ市、三重郡菰野町に隣接。町域の大部分は山地で古くから林業が行なわれ、愛知川支流御池川流域の政所は茶の産地。その上流域にある君ヶ畑・蛭谷は木地師発祥の地として知られています。耕地は西部愛知川沿いに開け、愛知川の谷口近くにある奥永源寺地域は、湖東平野への水源地として、また紅葉の美しさで知られる「永源寺」を有することで知られ、東部一帯は鈴鹿国定公園に属します。「町の木:モミジ」「町の花:ツツジ」「町の鳥:キジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、蒲生郡市原村・神崎郡山上村・愛知郡東小椋村・高野村が発足。

1943年、山上村、愛知郡東小椋村、高野村が合併、神崎郡永源寺村が発足。

1955年、神崎郡永源寺村と蒲生郡市原村が合併、神崎郡永源寺町が発足。

2005年、八日市市・神崎郡五個荘町・愛知郡愛東町・湖東町と合併、東近江市となりました。

マンホールには、紅葉の名所として知られる「愛知川」と「町の木:モミジ」が描かれています。

昭和32年(1957)4月1日制定の町章は「六角形は、滋賀県を表し、その中へ永源寺の頭音である(エ)を図案化したもの。円の中に配したのは円満和合を表している」合併協議会資料より。

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「木地師の里」として知られる奥永源寺。「木地師」とは、広葉樹の木を伐採し、轆轤(ロクロ)を使って、盆や椀などを作る職人たちの呼び名です。今から約1200年ほど前、山深い里に隠棲され、御名を『筭延』と改めた惟喬親王は、経典の巻軸が回転する様から轆轤を思いつかれ、その技術を家臣であった一族へ伝えたのが木地師の始まりといわれています。

愛知川を見下ろす地に鎮座される「歳苗神社」。御祭神は『武甕槌命、経津主命、天児屋根命』。仁和元年(885)2月の創立。惟喬親王が越智の深山に御巡幸のおり、当地に休憩所を設け川辺に斎殿を置き、三神を祀って五穀産業の神とされたのが歳苗の始めとされます。

鳥居の前より神域を守護されるのは浪花タイプの狛犬さん一対。時間的な余裕がなく、鳥居前での拝礼で終わらせてしまった神社ですが、叶うならもう一度、奥永源寺君ヶ畑・蛭谷の集落訪問も併せて、きちんと参拝したいと今も願っています。

撮影日:2008年7月5日

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ご当地マンホール in 滋賀県旧五個荘町(東近江市)

2025年04月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

旧神崎郡五個荘町(ごかしょうちょう)は滋賀県の東部、近江盆地(湖東平野)に位置した町です。八日市市、蒲生郡安土町、神崎郡能登川町、愛知郡愛知川町・湖東町に隣接。愛知川中流左岸にあり、米作のほか愛知川の砂利を原料とするコンクリートブロック製造や、繊維加工、織物の工場があります。古代には東山道、近世には中山道や御代参街道(伊勢道)が通り、交通の要衝としての利点を活かして、中世以降は近江商人発祥地の一つとして発展してきました。今も五個荘金堂地区には成功した商人の屋敷などが多く残り、その観光資源化が進められています。「町の木:五葉松」「町の花:サツキ」を制定。

旧キャッチフレーズは「近江商人発祥の地・てんびんの里」

「外村與左衛門翁頌徳碑」。世代を担う郷土青少年の育成に尽くした外村與左衛門は、財団法人日本青年協会結成に際し、土地建物一切の私財を寄贈してこの地に関西青年道場を作りあげた人物です。

明治22年(1889)、町村制の施行により、神崎郡東五個荘村・南五個荘村・北五個荘村が発足。

1890年、東五個荘村が神崎郡旭村に改称。

1955年、旭村、南五個荘村、北五個荘村、蒲生郡安土町の一部が合併、神崎郡五個荘町が発足。

2005年、八日市市、神崎郡永源寺町、愛知郡愛東町、湖東町と合併、東近江市五個荘となりました。

マンホールは町章のみの規格蓋です。

淡海環境プラザ展示マンホール「中央に「町章」を配置したものです。 

昭和30年(1955)4月1日制定の町章は、五個荘の「五」を図案化したもので、 力強く前進する五個荘町を象徴しています。」合併協議会資料より

プラ汚水桝には「五箇荘」「てんびんの里」の文字と、天秤を肩に担ぐ近江商人がデザインされています。

五個荘地区まちづくり協議会イメージキャラクター『三代目:てんびん坊や』。特技は算盤と貯金、趣味はお絵かき。好きな物は鮒ずし・梅干し・にぎりめし、おやつはでっち羊羹です。

でも個人的には、枡蓋にも採用された近江商人キャラの方が好みだったりします😄

撮影日:2008年7月26日

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ご当地マンホール in 滋賀県旧愛東町(東近江市)

2025年04月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

旧愛知郡愛東町(あいとうちょう)は滋賀県の南東部、愛知川中流北岸に位置した町です。八日市市、神崎郡永源寺町、愛知郡湖東町・秦荘町、犬上郡多賀町に隣接。町域の東部は山地で洪積台地が広がり、西部は愛知川にかけて扇状地がつづき米作が行なわれ、大部分は湖東県立自然公園に属します。延暦寺領小椋庄や興福寺領鯰江庄など著名な荘園がおかれ、聖徳太子創建と伝えられる湖東三山の一つ「百済寺(ひゃくさいじ)」は、紅葉の名所として知られています。合併以前より「愛の田園(まち)」の町づくり計画が進められ、合併後にも継続されています。「町の木:カシ」「町の花:マーガレット&ウメ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により愛知郡角井村・西小椋村が発足。

1955年、角井村、西小椋村が合併、愛知郡愛東村が発足。

1971年、愛東村が町制を施行、愛知郡愛東町が発足。

2005年、八日市市、愛知郡湖東町、神崎郡永源寺町、五個荘町と合併、東近江市となりました。

マンホールにはハートで描いた「町の花:マーガレット」と、「Marguerite 愛Land」の文字があります。

淡海環境プラザ展示マンホール「「町の花(マーガレット)」が描かれています。 中央の文字は「マーガレット愛ランド」と書いてあります。」

愛知郡広域行政組合は、東近江市の愛東地区と湖東地区、愛荘町で構成される一部事務組合で、旧町域の空気弁・仕切弁には「愛知川上水道」と書かれています。

昭和46年(1971)2月11日制定の町章は「頭文字の「あ」と中央の余白で「い」 を描き、合わせて「あい」と町名を単的 に表現し、その両端の翼で町勢の飛躍、 発展を象徴している。また、全体を丸く おさめて町の融和、円満を願った姿を総 合的に強調している。」合併協議会資料より

旧町域に設置された街灯には、町の花「マーガレット」が綺麗に描かれています。

「八之塚古墳群と地蔵院」の看板は、旧町域池乃尻で見かけた7世紀代の群集墳の説明。愛知川の河岸段丘の上段に位置する古墳群は、古くから一帯が開けていた事を物語っています。

愛東総合センターの近くに「少女時代のヘレンケラー」像。三重苦と言う重い障害を負いながら世界各地を歴訪し、身体障碍者の教育福祉に尽くしたヘレンケラーは、日本にも三度来日しました。その際、滋賀県の彦根訓盲院も訪れたそうで、この銅像はその記念かもしれません。

撮影日:2008年6月14日&2015年7月16日

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ご当地マンホール in 滋賀県旧湖東町(東近江市)

2025年04月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

旧愛知郡湖東町(ことうちょう)は愛知郡のほぼ中央に位置した町です。八日市市、愛知郡愛東町・秦荘町・愛知川町、神崎郡五個荘町に隣接。町名は琵琶湖の東岸にある「湖東平野」に位置した事から、また「湖東中学校」の校名が地域に浸透していた事に由来。町域全体に条里遺構がみられ、奈良時代には奈良大安寺領庄・奈良元興寺領愛智庄が開墾された歴史を持ちます。滋賀県の東部に広がる湖東平野に位置し、昔から近江米の産地として農業が中心の町でしたが、最近は両経済圏にまたがる優位性から企業立地も進み、農工両面のまちとして、兼業農家が大半をなしています。「町の木:サザンカ」「町の花:サルビア」「町の鳥:ヒバリ」を制定。

湖東平野のほぼ中央に位置する「長(おさ)町」は、昔から鋳物師の村としてよく知られ、かつてはほとんどの家が何らかの形で鋳物と関わって暮らしてきました。湖東支所となった旧町役場の敷地には「長村の梵鐘」のレプリカが展示されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、愛知郡東押立村・西押立村・豊椋村が発足。

1954年、東押立村、西押立村、豊椋村が合併、愛知郡湖東町が発足。

2005年、八日市市、神崎郡永源寺町、五個荘町、愛知郡愛東町と合併、東近江市となりました。

集排用マンホールには、「中央に「町の鳥:ヒバリ)」、それを囲むように「町の木:サザンカ)」がデザインされています。

淡海環境プラザ展示マンホール

昭和39年11月3日制定の町章は「左右にのびるよくは、町の躍進、向上 全体の形にて町の融和、親睦、ひらがな の「ことう」を上図のようにまとめ湖東 町町民が一がんとなってますます発展す る様を示している。」合併協議会資料より

東近江市北菩提寺町(旧湖東町)に、実業家『松居泰次郎・房治郎』兄弟の寄付によって昭和18に建設された「旧西押立国民学校・木造校舎」があります。

木造2階建、コの字形平面の建物で外壁の下見板と屋根の赤色の桟瓦の対比に特徴があり、昭和56年に湖東町歴史民俗資料館として開館。1998年1月16日に国登録有形文化財(建造物)に指定されました。

撮影日:2008年6月14日&2015年7月16日

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ご当地マンホール in 滋賀県旧八日市市(東近江市)

2025年04月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・滋賀県

旧八日市市(ようかいちし)は滋賀県湖東地方の中央部に位置した市です。近江八幡市、蒲生郡 竜王町・蒲生町・日野町、神崎郡永源寺町・五個荘町、愛知郡愛東町、湖東町に隣接。市域は愛知川の旧流路によって形成された堆積平野にあり、北東部が愛知川沿いの低位氾濫原であるのに対して、南部・西部には布引山系・箕作山系の丘陵地帯が連なり、また東部から中央部にかけてはほぼ東西に八日市段丘の平野が広がっています。河川は北東端を愛知川が北西流するほか、八日市丘陵を挟む形で北を筏川、南を蛇砂川が西流し、市辺付近で合流。市域中央部を東西に旧八風街道が横断し、これと交差する形で南北に旧御代参街道が走り、市名はこの両街道の交差点に発達した市場町の八日市にちなみます。「市の木:赤松」「市の花:ツツジ」「市の鳥:ヒバリ」を制定。

旧キャッチフレーズは「大凧と緑のまち八日市」

今は東近江市役所となった敷地内に「八日市市都市基準点」の石盤が残されています。(土木工事などの公共測量や一般測量の共通の測量基準点)

明治22年(1889)、町村制の施行により、神崎郡八日市町・御園村・建部村・蒲生郡平田村・市辺村・玉緒村・中野村が発足。

1952年、八日市町が蒲生郡中野村と合併、改めて神崎郡八日市町が発足。

1954年、八日市町が神崎郡御園村・建部村、蒲生郡平田村・市辺村・玉緒村と合併、市制を施行し八日市市が発足。

2005年、 愛知郡愛東町・湖東町・神崎郡永源寺町・五個荘町と合併、東近江市が発足。東近江市八日市となりました。

マンホールは、中央に「市章」をあしらった一般的な規格蓋のみ。

淡海環境プラザ展示マンホール

昭和29年(1954)11月10日制定の市章は「六角形は、佐々木六角の領地であった ことにより滋賀県をシンボライズし、そ の中へ八日市の八日を充填単純化したも の、白い輪は円満和合を表す。」合併協議会資料より

八日市駅付近にのみ設置された「大凧まつり」の大凧がデザインされた仕切弁。良いデザインなのにマンホールに採用されなかったのは残念。

八日市市のシンボルマークがデザインされた側溝蓋。

八日市駅では大凧のモニュメントが乗ったポストを発見。ご当地ものと聞けば、手あたり次第に手を出す私としては、かなり嬉しい。

八日市の大凧の特徴は、上部に魚・鳥などを墨で描き、下部に赤色文字を書いて意味を持たせる「判じもん大凧」。大空に舞い上がる100畳凧(縦13m、横12m)の重さは700キロ。全国にも類を見ない「切り抜き工法」で風の抵抗を少なくした工夫がなされています。このような特徴は他に類を見ないとして、昭和33年(1958)に滋賀県選択無形民俗文化財に。また1993年には「近江八日市の大凧揚げ習俗」として国選択無形民俗文化財に選ばれました。

最後は「東近江大凧会館」建物横にあった洒落た大凧のレリーフ。

物のついでで、八日市市は「飛び出し坊やの発祥地」としても知られています。旧八日市市社会福祉協議会の発案によって、昭和48年(1973)6月に、地元の看板製作会社「久田工芸」で、男の子型と女の子型の11体の飛び出し人形が製作されました。ちなみに二人の名前はどちらも『飛出とび太』と言います😄

撮影日:2008年6月14日&2015年7月15日

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