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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

江州音頭発祥地&豊会館 in 滋賀県豊郷町

2025年04月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

「江州音頭発祥地」として知られる豊郷町。町中にはそれを示すものが沢山あります。私たちが豊郷訪れたのは7月半ば、各地区で催される盆踊りの案内がすでにあちこちに掲示されていました。
中山道沿いの下枝地区にある臨済宗永源寺派寺院「日吉山:千樹寺」。参道入り口には「江州音頭発祥地」の碑と、「江州音頭発祥の起源」碑が並んで建立されています。

奈良時代に行基が開創した48院の一つと伝えられる「千樹寺」ですが、戦国の世に『織田信長』の兵火にあい消失。その後、本能寺の変によって信長亡き後、近江商人となった藤野喜兵衛の先祖『藤野太郎右ェ門』が寄金し、天正十四年(1586)に再建。その落慶供養の余興として、当時の住職『根誉上人』が、経文の二~三句に節をつけて面白可笑しく唄い、手踊りをして見せたのが「江州音頭発祥の起源」と伝えられています。

以来、毎年7月17日(旧暦)にこの行事は続けられましたが、天明年間の大火で、またもや「千樹寺」は焼失。この時、北前船で活躍した近江商人『又十・藤野四郎兵衛』が、父の意思を継いで再建を果たします。古例通りに遷仏供養を行う際、『又十』は祭文作りの名人『西沢寅吉』を私邸に招き、経文祭文を唄いこんだ音頭を作らせ、また、踊り手に絵日傘や扇を与えるなどの工夫も凝らしました。当日、寺に集まった人々は、その節回しに釣られて次々と踊りに加わり、踊り明かしたと云います。

雨に濡れた「観音堂(千樹寺)」はひっそりと静まり返り、賑やかな音頭とは無縁に思えますが、盆踊りの夜ともなれば、境内には明々と提灯がともり、威勢の良い掛け声に合わせて踊りの輪が広がるのでしょう。

~コラ~ ヨイトヨイ~ヤマッカ ドッコイサッサノエイヤ~サ~~~~♪

多少の違いはあれ、関西人にとってこの独特の掛け声はとても馴染み深く、お盆シーズンに聞こえてくる賑やかな歌声に思わず釣られて口ずさんだものです。

今日はあいにくの雨模様で、境内もし~~んと静まり返っています。水路の側で耳を澄ませているのは、私たちと「亀さん」くらいのもの。

って・・!!えっ!!!か~~~~め~~~~????  ああ、びっくりした。それにしてもなんだってこんなところに亀の石像が👀

参拝を済ませて次に向かったのは、藤野家「又十屋敷」と呼ばれる「豊会館」。中山道に面した建物の前には、豊郷町石畑にあった「中山道一里塚跡」碑が移築されています。

屋敷は江戸時代中期に蝦夷地に進出した近江商人『藤野喜兵衛』の本宅だったもので、現在は歴史資料館として一般開放されています。

建物の玄関脇に展示された「逢坂山車石」。中央にえぐられたように溝があるのが分かるでしょうか。その昔、物資の輸送が盛んであった大津と京都を繋ぐ道の中でも最大の難所と言われた逢坂の峠。江戸時代になり、大津から京都三条までの約3里に、荷車往来用に轍を刻んだ敷石が並べられました。これにより荷車での物資運搬は格段に楽になったと言われます。敷石の溝は轍の為に刻んだのか、それとも長い年月の間に轍によって刻まれたものなのか・・本当の所はまだ謎だそうです。

訪問日:2015年7月16日


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