車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

東光寺(とうこうじ) in 長野県安曇野市穂高

2022年06月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市穂高にある曹洞宗寺院「吉祥山:東光寺(とうこうじ)」。鎌倉時代作と伝えられる『馬頭観世音菩薩』を本尊とします。

信州七福神の大黒天札所。信州川西観音札所第八番札所。仁王門の内より仏域を守護されるのは、阿吽の金剛力士像。説明には「名力士:北の湖関」がモデルとあります。

門前の「願いがかなう 安曇野 吉祥仁王さまの下駄。 まず三門の吉祥仁王さまにむかって手を合わせて一礼してから願いをこめて下駄を履いてください。諸願が成就されます。脚下照顧 ― 禅の教え(自分自身の足元をしっかり見つめて、一歩一歩着実に歩む中で物事が成就される)旅の思い出に、どうぞ記念写真をおとり下さい。」現地案内

縁起「創建年代は不詳、穂高地方を支配していた等々力家が菩提寺として東龍寺を開基したと云う。当初、等々力家縁の貝梅城付近にあったが、天正年間に大洪水により貝梅城が大破した事から、当寺も甚大な被害を受けたと思われ、天正18年(1590)に現在地に境内を移し「東光寺」と改称した。」

向拝彫刻は玉を高々と掲げる僧と、それを奪い取ろうとする竜。もしくは玉をねだる龍に「マテ!」をする僧。う~~~ん、どっちだろう😄

「薬師堂」には、安曇野市文化財で室町時代作と伝えられる「薬師如来像」が祀られています。紋幕の「丸に三つ星紋」は、大将軍と左右将軍を表しており、将軍星ともいわれています。

本堂を背景に「念ずれば花ひらく」碑。鐘楼近くに「子育て道祖神」

衣冠束帯に十二単の両親、赤ちゃんはちょっと現代風。ぷっくり下膨れの赤ちゃんは、お父さん似?それともお母さん??

鐘楼と日本庭園

記念スタンプ「安曇野の鐘」

御詠歌

【 つみふかき  身もふかみ巾之 思い川   心のあかを すすぐながれに 】

「お仁王様」と「安曇野道祖神」の顔出しパネル。どうでも良い事ですが、束帯姿の男神の「袍」が「はんてん」なのは如何なものかと😩

「諸願成就・願いがかなう仁王様の下駄」記念スタンプ

参拝日:2016年4月19日

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安曇野穂高の道祖神:石仏~其の六 in 長野県安曇野市

2022年06月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市穂高柏原中下、〆鳥居の内に「握手双体道祖神」「中下中 天保十三年(1842)寅正月吉日 」の刻。

奉納年月の刻が額縁の飾りのように美しい道祖神。ふっくらとした顔立ちの男女神。重ねた男神の手の指がこれほど綺麗に彫られているのも珍しいのでは。

安曇野市穂高柏原長野、県道309号線に背を向けるように「酒器:祝言双体道祖神」「二十三夜塔像」「青面金剛像」各一基。

「安政六未年(1859)正月吉祥日 長野中 帯代十五両」の刻。巨大な瓢を持つ女神の顔と、その手元を覗き込むように見る男神の顔。似たシーン、似た表情、どこかで見たような😊

「馬頭観世音菩薩」が刻まれた二十三夜塔には、「二十三夜 安政六未年(1859) 正月吉祥日」の刻。「青面金剛像」の上には「日天・月天」の刻が有ります。

「旧柏原村郷蔵跡」の標柱

安曇野市穂高柏原倉庭に「握手双体道祖神」・「二十三夜塔」・「庚申塔」各一基。

 「 村中 寛政八丙辰年(1796)二月吉祥日」の刻。長い歳月の中で表情も仕草も失われつつある双体道祖神ですが、村の守りの神として変わる事無く静かに存在しています。

安曇野市穂高柏原中村に「双体道祖神」・「二十三夜塔」・「大黒天碑」・「庚申塔」各一基。

二世紀以上の時を過ごされてきた道祖神碑。摩耗が激しく、僅かに双体道祖神であった輪郭だけが残されています。

安曇野市穂高柏原倉平、覆い屋の下に、まるで二組の双子のような「酒器:祝言双体道祖神」・「握手双体道祖神」が並んでいます。

「上蔵平中 安政五午年(1858)正月吉祥日」の刻 。良き日を迎えた二人の表情はこの上なく晴れやかで嬉しそう。

「下蔵中 安政二卯年(1855)正月吉祥日 金拾両」の刻。とがらせた口元が物言いたげで、おもわず「お伺いしましょうか?」と尋ねたくなる可愛いカップル。

安曇野市穂高田中、あづみ野やまびこ自転車道沿い・用水路近くの交差点に「彩色握手双体道祖神」「彩色二十三夜塔」各一基。

「田中村中 文政七甲申年(1824)二月日 」の刻。もの凄~~く濃いキャラで有名なお笑いコンビを彷彿させる男女神。珍しく女神が男神の手を握っているように見えるのですが、彩色の所為ですか?しかも二神とも靴はいてるし😅

結局、~其の六まで続いてしまった穂高地区の「双体道祖神」その他諸々。これでも実際に設置されている数には遥かに及ばないのですから、安曇野・・侮れません!

撮影日:2016年4月20日

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安曇野穂高の道祖神:石仏~其の五 in 長野県安曇野市

2022年06月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市穂高「矢原神明宮」境内東、注連縄、紙垂が掛けられた覆い屋の下に「握手双体道祖神」

「村中 文政二己卯(1819)三月吉日」の刻。くっきりと刻まれた鳥居の下。永遠の夫婦の契りを結ぶ二人はまるで双子のように瓜二つ。

安曇野市穂高矢原、「矢原神社」西側の道の奥、覆い屋の下に「彩色酒器・祝言双体道祖神」

「中木戸 明治廿五年(1892)辰二月吉日 」の刻。長い黒髪は美人の証。濃くて太い眉毛も・・多分美人の証😊 ほんわりとした雰囲気の素敵な男女神祝言の様子です。

安曇野市穂高矢原、あずみ野SS横道を入った先の覆い屋の下、「彩色:酒器・祝言双体道祖神」

「西村中 甲子 元治元年(1864)四月吉日」の刻。お顔と体のバランスがちょっとアレですが、ゴルゴ13眉の男神さんと姉さん女房のような女神さん、いつまでもお幸せに💏

安曇野市穂高矢原、覆い屋の下、「彩色握手双体同祖神」・「二三夜塔」各一基。

「仲間中 元治元甲子(1864)四月足日 矢原村」の刻。衣装から髪の装身具、眉の線まで綺麗に塗られた双体道祖神。握手と言うよりフォークダンスを踊っているように見えて、思わずクスっと一人笑い😄

安曇野市穂高矢原、覆い屋の下に「握手双体道祖神」「仲間中 元治元甲子(1864)四月足日 矢原村」の刻 。

画像の向きでこんなにも表情が違って見えるのも、人の手によって生み出されたゆえ。十二単も衣冠束帯も鮮やかに刻まれており、繋ぎ合う手の形までもくっきり。

安曇野市穂高柏原、等々力克彦美術館の横、覆い屋の下に「接吻双体道祖神」「2003年癸未」の刻

舌を絡めて愛を確かめ合う男女神・・・😅 実はまだまだお子様お断りの仕掛けがあるのですが、公のブログではここまでが精一杯。気になる方はぜひ現地で!👀!

それにしてもなんて楽しそうなんでしょう。ここだけ見ると一つのお餅を分け合ってる図にも見えますよね😅

安曇野市穂高有明耳塚、香取社内覆い屋の下に「笏扇双体道祖神」・「二十三夜塔」・「庚申仏塔」

「丁亥文政十年(1827) 四月吉日 耳塚村中」の刻。 スラリと細身の男女神。女神の手に握られた物が小さな扇だと分かるのが凄い👀

「庚申仏塔」

庚申仏塔の下部に何とも可愛い「三猿」

翌日20日も朝から道祖神巡り(笑)。明日はいよいよ~其の六、多分・・ラストです😅

撮影日:2016年4月19日

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安曇野穂高の道祖神:石仏~~其の四 in 長野県安曇野市

2022年06月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市穂高狐島、覆い屋の下に「握手抱擁双体道祖神」・「大黒天像」各一基。

幼さの残る女神の肩をしっかりと抱擁する男神。いかにも新婚さん的風味のお二人です💏

「大黒天像」「元治元年(1864 )」の刻

「双体道祖神」近くに、内容不明の碑と「庚申仏塔」一基。「長野県議会議長 高橋広躬君の碑」一基。

安曇野市穂高狐島、覆い屋の下に「祝言・酒器双体道祖神」「庚申塔」「大黒天」「二十三夜塔」他多数。

「明治元戊辰年(1868)十二月吉日 帯代五拾両 狐島薊中」の刻。昔の美人の代名詞だったおかめ顔の女神と、どこかで見かけたおじさん顔の男神。口をほんの少しとがらせて、頬を染める女神がとってもいじらしい😊

「大黒天像」「 元治元年(1864)甲子  帯代三拾両」の刻

「庚申仏塔」・「文字道祖神」

石碑 と「光明??碑」の間の空間に「ここの道祖神は穂高神社御船会館に道祖神特別展の期間中展示の為お還りしております。御覧になりたい方は穂高神社御船会館へ」の駒札😔

安曇野市穂高白銀。覆い屋の中に「握手双体道祖神」・天保六年(1835)の「二十三夜塔」・「庚申仏塔」各一基。

「文化三丙寅(1806)正月」の刻。嬉しそうな笑顔を見せる女神と、諦めました的な顔を見せる男神。はてさて、二人の間に一体何があったのか😅

「庚申仏塔」は、文政元年(1818)の刻。「お庚申さま」と呼ばれ、庚申信仰の御本尊「青面金剛像」が刻まれています。

安曇野市穂高矢原。覆い屋の下に「酒器・祝言双体道祖神」一基。「 北村中 安政五午年(1858)正月吉祥日」の刻

仏像のようなお顔で巨大な瓢を持つ女神。十二単の裾がでんでん虫のようで思わず笑ってしまったのですが、ご亭主殿はこの女神を見て、消防士がホースを構えているみたいだとぬかし・・もとえ!!言っておりました😅

安曇野市穂高矢原。矢原公民館近く覆い屋の下に「握手双体道祖神」「庚申仏塔」各一基。

制作年代不詳。男女神の表情は殆ど読み取れず、かなりの年代を経ていると思われます。それでも仲睦まじい雰囲気はしっかりと伝わって来る・・それこそが双体道祖神の魅力なのだと思います。「庚申仏塔」様が・・笑ってはる😊

安曇野市穂高矢原、のどかな風景を背景に覆い屋の下に「握手双体道祖神」。

「東村中 明治三十年(1897)酉二月吉日」の刻

お互いに両手で握手している姿ってちょっと珍しいのでは?少しメタボ気味の男神と、しっかり者タイプの女神・・どっかでみたようなカップル😄

路傍の神は人々の暮らしの中で息づく神でもあります。お庚申様という響きが何とも心地よく、それから庚申仏を見るたびに「お庚申様」と呼んでしまう私😄 そんなこんなで更に ~其の五へと続きます。

撮影日:2016年4月19日

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安曇野穂高の道祖神:石仏~~其の三 in 長野県安曇野市

2022年06月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市穂高等々力、覆い屋の中「彩色:握手肩抱き双体道祖神」・「庚申仏塔」・「二十三夜塔」各一基。

上部に菊水、「等々力邑新町中 天保十二辛丑年閏正月吉日」の刻。男神の着物の前がはだけている様に見える彩色は、ちょっぴり悩ましい😅

寛延2年(1749 )生まれの「庚申・馬頭観音」は、黒髪逆立てたヤンキー風のおっちゃんに見える・・😲

安曇野市穂高等々力、「握手双体道祖神」・「大黒天」・「二十三夜塔」各一基 。

上部に菊花と「仲間中 天保十己亥年(1839)正月吉日」の刻。結い上げた髪がとてもよく似合う美形カップル。この程よい距離感が好印象ですね。

台座の横にはかなりの数の「更新仏塔」や「文字碑」等が整然と並べられています。この石塔群に限った事ではありませんが、今思えば、一つ一つきちんと画像に残しておけば良かったと戻らぬ後悔。

安曇野市穂高等々力、「握手肩抱き双体道祖神」・「二十三夜塔」・「大黒点」各一基。

上部に菊花、「等々力耕地仲間中 帯代金五拾圓  明治十八年乙酉八月建之」の刻。時代が新しいせいか、二神ともしっかりした顔立ちで衣類の形も綺麗に決められています。

ちなみにブログ作成に当たって色々と調べている際に知ったのですが、こちらの双体道祖神「相愛道祖神」としてちょっとした恋愛パワースポットになっているそうです。その理由は男女神のつないだ手の形がハートに見えるからだとか・・言われてみれば確かにそんな風に見える・・・💗

安曇野市穂高等々力、「握手双体道祖神」・「大黒天」・「二十三夜塔」各一基。「庚申仏塔」二基。

「等々力邑 天保二辛卯」の刻。握手像だと言われるから握手像に見える・・それくらい摩耗が進んでいます。

「大黒天像」・「庚申仏塔」

傍らに「庚申仏塔」・「念仏碑」各一基。

安曇野市穂高等々力、東光寺境内入り口に「握手双体道祖神」・「二十三夜塔」・「大黒天」・「庚申仏塔」各一基。

「文政二己卯年(1819)二月吉日 」の刻。仲良く並ぶ男女神は、ひだの綺麗な袴を身に着け、女神の髷と男神の冠につけられた纓(えい)は仲良く同じ方向に。

傍らに「庚申仏塔」他、多数の碑

安曇野大橋:親柱の「握手双体道祖神」。時代が新しいと衣冠束帯も十二単も整った形になっています。

これも近くの橋で見つけた親柱ですが、どのあたりだったか記憶があやふや。 双体道祖神を前衛的に演出するとこうなるのです😄

某TV局:朝の連続ドラマ「水色の時」の撮影用に作成された「握手双体道祖神」二基。

彫像者『須藤賢』氏の厚意によりこの地に設置された二基の「双体道祖神」。有明山にわずかに残る雪の色も優しく、アルプスを背にした素朴な佇まいは、観光地の道祖神らしい素敵な演出です。

安曇野の景色に溶け込む双体道祖神。百年、二百年後にこれを見る人は何を思うのでしょうね。明日もしつこく安曇野穂高の道祖神~其の四に続きます

撮影日:2016年4月19日

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安曇野穂高の道祖神:石仏~其の二 in 長野県安曇野市

2022年06月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市穂高本郷。「彩色:握手双体道祖神」「上手村中 安政五午年(1858)三月吉祥日」の刻。「彩色:恵比寿天像」「彩色:大黒天像」各一基。

男らしい眉の恵比須様。赤い大きな鯛を小脇にご満悦。色白すぎる大黒様。大きな打ち出の小槌が重そうに見えますが大丈夫ですか?

恵比須大国の彩色に比べると何と言うか・・・もしかして小さいお子様が彩色されたのかな? でも、できるなら男女神の髪の毛は髷だけでなく全体に黒く塗って欲しかったかも😓  何ともお気の毒な頭にされた道祖神様でした。

安曇野市穂高本郷。穂高神社近くの民家の前に祀られていた「握手抱擁双体道祖神」

新しく作られた道祖神は男女神とも彫が深く、一瞥するだけで男女の別がハッキリわかります。いつかこうした「双体道祖神」も歴史の一ページになり、新たな路傍の神となるのでしょう。

穂高神社ご由緒額横に「文字碑道祖神」他一基

穂高支所前の「握手肩抱き双体道祖神」

昭和60年(1985)生まれの男女神は、少し大人の恋物語の挿絵に描かれる主人公のよう。固く握りあう手には、互いを思いやる優しさが溢れています。

穂高神社社前町「麺元 田舎家」さんの、駐車スペースの壁際に仲良く並んだ「双体道祖神」二基。

三角石の双体道祖神はちょっとアダルト。男神の手は女神の上半身のとある部分に😅 女神の左手は男神の帯下に・・・💏

こちらは母と娘の「握手抱擁双体道祖神」だと思うのですが・・見方を変えれば昨今良く耳にするLGBTの「Ⅼ・双体道祖神」・・👀。

安曇野市穂高神田町、シマヤ薬局近くの植え込みに「彩色握手双体道祖神」・「庚申仏塔」・「二十三夜塔」各一基。

「天保十二年(1841) 辛丑」の刻、上部に菊花の刻が有り、かっては彩色されていたとそうですが、今はその面影はありません。

「庚申仏塔」

安曇野市穂高等々力、「酒器:祝言双体道祖神」・「二十三夜塔」各一基。

「文政二己卯年(1819)二月吉日」の刻。女神の瓢も大きいですが、男神の盃はさらに大きい😄 飲み過ぎは良くありませんよ~。

その時々の願いを籠めて彫り上げられる路傍の神は、村の境、辻のそこかしこにいて、悪しきものの侵入を阻んできました。次はどんな道祖神様に会えるのでしょう🙏🙏

撮影日:2016年4月19日

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安曇野穂高の道祖神:石仏~其の一 in 長野県安曇野市

2022年06月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

「長野県道祖神一覧」によると旧穂高地区には双体道祖神だけで125基が掲載されています。と言う事は私たちがせっせと足を運んで画像に残せたのは四割そこそこ。う~~~ん、奥が深すぎて這い上がれないかも😓 でも欲を言えばキリが無く・・見つけられた範囲で良しとし、安曇野の双体道祖神紹介。トップは安曇野市穂高貝梅 。覆い屋の下に「握手双体道祖神」他三基

仲睦まじいお二人の姿をアップで・・男神が『津川雅彦』さんに似てると思っていると、ご亭主殿が「俳優の誰かに似ている」と言い出し、やっぱり思う事は同じみたい😄。女神も非常によく似たお顔だち、と言う事は津川さん女装バージョン?!

「天保十二丑年(1841) 貝梅中 帯代二十 五両 」の刻。 双体像の上部模様部分のみ彩色が施され、表札のように「道祖神」と 刻まれています。

覆い屋の横に「八王子大神」「秋葉神社:津島神社:〇〇碑」「馬頭観音」各一基

安曇野市穂高等々力町、丸山菓子舗横。覆い屋の下に「握手双体道祖神」二基、「庚申塔」「二十三夜塔」各一基。

左の道祖神には「下連中 寛政十戊午年(1798)三月」の刻。日差しを遮る覆い屋のせいで、表情は不鮮明。向かって左端、賽銭箱と同じ高さの小さな「握手肩抱き双体道祖神」には「〇高油屋」の刻。ちょっと小太りの男神と気の弱そうな顔立ちの女神。二人ともたっつけ袴のようなものを穿いています。

安曇野市穂高等々力町、奥まった塀の陰に「酒器:祝言双体道祖神」・「握手双体道祖神」、他一基。

「保高 井口氏 天保八年酉十二月吉日」の刻。幸せそうな男神に寄り添い小首をかしげて微笑む女神。二人の間に流れるのは、この上なく穏やかな時間。 

中央、体をかがめて女神を抱き寄せる男神。「保高 近江屋」の刻。双子と言ってもおかしくない瓜二つの顔で寄り添う二人は幸せオーラ満開。

安曇野市穂高等々力町、松本信用金庫前の植え込みに「文字碑道祖神」「庚申塔」「握手肩抱き抱擁双体道祖神」「二十三夜塔」二基、他一基。

「明治十九年丙戌」の刻。熟年のカップルと言うと叱られそうですが、頬を寄せ合う姿を見ていると、高砂の二人を見ているようで何とも微笑ましく、つられて笑みがこぼれます。

穂高駅前に昭和60年(1985)建立の「握手肩抱き双体道祖神」。年若い恋人の女神の肩を優しく包み込むように抱く男神。二人の間に流れる穏やかな時間が幾久しく続きますように。

穂高駅前に「握手肩抱き双体道祖神」。女神は木目込み人形の女雛を思わせる顔立ち。男神は唐子の大人版😅。でも仲良しの雰囲気はしっかり伝わってきます。

安曇野市穂高本郷。道標の横に「握手双体道祖神」・「大黒天」各一基。

「上原中 道下中 安政五年戊午年(1858)二月吉日」の刻。石の黒ずみが悪戯をして男神は髭を蓄えているように見えます。

安曇野市穂高等々力、「握手双体道祖神」・「大黒天」・「二十三夜塔」各一基 。

上部に菊花と「仲間中 天保十己亥年(1839)正月吉日」の刻。結い上げた髪がとてもよく似合う美形カップル。この程よい距離感が好印象ですね。

台座の横にはかなりの数の「更新仏塔」や「文字碑」等が整然と並べられています。

石塔群に限った事ではありませんが、改めて見直した時・・一つ一つきちんと画像に残しておけば良かったのに惜しい事をしてしまった。そうして戻れぬ後悔にほぞを噛み、安曇野の道祖神、さらに~其の二へと続きます。

撮影日:2016年4月19日

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穂高(ほたか)神社~其の二 in 長野県安曇野市穂高

2022年06月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

穂高神社表参道近くの駐車場に車を入れ、そのまま生垣沿いに進むと沢山の句碑や記念碑が建立された一画に出ます。お目当ては明治22年4月、芭蕉二百回忌に建立された句碑 【 木かくれて  茶摘も聞くや 杜宇(ほととぎす)】 

文政6年(1823)、臥明樓弘龍によって建立された。『桃青靈神(とうせいれいしん=芭蕉の神霊)』の碑。芭蕉は寛政3年(1791)、神祇伯白川家から「桃青霊神」の神号を授けられています。左に芭蕉の句【  雪散るや  穗屋の芒の 刈殘し 】 右に弘龍の句【  穗薄に  高く葺けるや 大宮居   明月踊る御手洗の川 】

堀金出身の俳句宗匠・篆刻家:『曽山 環翠(そやま かんすい)』:句碑 「九十一曳 柿ノ本環翆【  内外に  神徳尊し  宮の花  】昭和四十伍年九月建立」

長野県生坂村出身の法学博士・加藤正治氏(犀水)句碑「七十七曳 犀水 昭和二十二年春 喜寿記念【  安曇野や  宮居うららに  仰ぐ富士  】

「穂高神社御由緒(1964)」の著者『小平重明:顕彰碑』

昭和五十年秋 元法務大臣 「唐沢俊樹」【  故里を  佳しと思へり 花吹雪  樹子 】

「高島一翁 筆塚と歌碑」「松本藩医高島一翁は東水、章貞にと続く高島三代の初代にあたり、医業のかたわら家塾を開き 郷党に和漢の学と書道を教え 穂高町の文化の礎を築いた」

「飯島碑」「明治百年記念碑」

「文学博士宮地直一先生像」。高知県出身の神道学者。戦後、GHQと折衝し神社存続に尽力した人物です。 

二の鳥居前左手に明治十八年(1885)に作られた安曇野市指定石造文化財の手水舎。間口354cm、奥行290cm、流造、平入で、天井には『丸山雲章』氏の墨絵の龍が描かれています。

同じく安曇野市指定石造文化財の「手洗石」は享保十四年(1729)の作。紀年銘の入った石製手洗い石としては最も古いものと言われています。

手水舎の後方に神船「穂高丸」。東京多摩川最後の船大工『 久保井富蔵氏』が平安時代の資料を元に完成させ、1982年の大祭に奉納されました。

二の鳥居の手前右側に白馬の御神馬舎。「御神馬(唐鞍(奈良時代の馬の飾り)をつけた馬としては全国でも稀に見るもので、馬は純粋の木曽馬をモデルにしている 昭和二十四年 小川大糸)」

神馬舎から旧千石街道に向かう途中に、穂高神社を造営したといわれている「ものぐさ太郎」の碑があり、台座にはその伝説が刻まれています。この塚は「ものぐさ太郎」が何もせずに終日寝そべっていた場所だったとか。

「昔この地に ものぐさ太郎という男が草葺の小屋に寝転がって暮らしていた。 ある日 里人からもらった餅の一つを過って道に転がしてしまい、通りがかった地頭に拾ってくれとたのんだ。太郎のものぐさぶりに感心した地頭は、里人たちによく養うよう命じた。3年の月日が経った。この村にも夫役が割り当てられ、太郎はそれを引き受けて都にのぼり、秀でた才能が大宮人に知れて時の帝に仕え、信濃中将となって故郷に錦をかざり、甲斐・信濃両国を治めた。 太郎は穂高神社を造営し、120歳の春秋を送り、この神社の境内に若宮社の相殿神として祀られ、延命長寿・財宝沢山・立身出世の守神として信仰をあつめている。」

碑の傍らに国文学・民俗学の大家「釈迢空(折口信夫)」が、かつて穂高神社参詣の際詠んだ歌。 【  もの具()さ太郎 このよ悲(ひ)はや久(く) ね布(ぶ)る良志(らし) あづみの大野 こほ里(り)そめつゝ 】

境内を流れる「御手洗川」に架かる安曇野市指定石造文化財の石橋「神橋」。明治十六年(1883)造立で、年銘のある石橋としては市内で最古の一つです。

高さ1m、幅5m、全長2.3m。欄干の両側には龍の透かし彫りが施されており、雲龍の意匠は左右違った図柄となっています。

神橋を渡った先、境内の一画に「安曇節碑」

若宮社の西に聳える「大欅」。目通りの周囲:4.2m。高さ:18m。枝の広がり:20m。樹齢500年以上と云われ、安曇野市天然記念物に指定されています。

大欅の後ろに神馬舎があり、つやつやお肌の茶色い御神馬が愛想を振りまいています。と言っても、もちろん生馬ではないので、勝手にそう思っているだけ😄

神馬舎内に置かれた絵馬は「唐鞍を付け、背に幣を飾る木曽馬の御神馬」

境内を出た先、御船会館の前に「お船まつり」のお船の骨組みが並べられています。

こっちは歴史上の名場面や人物を表現した人形などが飾り付けられた「お船」。

「御船例大祭は「御船祭」と呼ばれ、毎年9月26日・27日に行われる。高さ6m・長さ12mにもなる大きな船形の山車(だし)「御船(おふね)」をぶつけ合う勇壮な祭で、長野県指定無形民俗文化財に指定されている。なお26日は神事のみで、本祭りは27日である。9月27日は天智天皇2年(663年)の白村江の戦いで戦死したという安曇比羅夫の命日と伝えられている。祭では、大小5艘の御船に穂高人形を飾り氏子が穂高の街中や田園地帯で御船を曳いて練り歩く。そして神社へと曳き入れられ境内神楽殿を練り、神前を曳き廻るうちに大船2艘は御船同士をはげしく衝突させ合う。その迫力と豪快さから多くの見物客が訪れる。御船の構造は、櫓(長立方形)4個の車輪、山(刎木、廻し木、架木)、腹(前部が男腹、後部が女腹)からなっている。神事の際御船のなかには若者が座り、笛・太鼓などの楽器を吹き鳴らす。」公式HPより

参拝日:2016年4月19日

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穂高(ほたか)神社の道祖神 in 長野県安曇野市穂高

2022年06月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

穂高神社の境内で一際異彩を放つステンレス製の「尉(じょう)と姥(うば)」。初めて見た時はそれはもうビックリ😲!。何故に?故に?高砂の主役がここに??と思ったのですが・・実はとんでもない勘違い😅

「境内にはステンレスで作られた日本唯一の「健康長寿道祖神」が祀られています。これは長野県が平成25年に長寿日本一として認められたことを記念して、ステンレス彫刻家として著名な当地在住の中嶋大道先生により制作されたもので、ステンレスの変わらぬ輝きのように健康長寿でありますようにとの願いが込められております。翁と媼が笑顔で寄り添う像の握手部分には健康長寿に加え、夫婦円満・縁結びの御利益を授かる「手撫で詣り」が行われています。穗髙神社参拝の折には、併せてお参り下さい。」公式HPより

という事で道祖神の御朱印を頂きました。少しずつお互いの年齢を意識し始めた二人、願うのは健康に裏打ちされた長寿。この二人のように何時までも、共に白髪だけになっても、その白髪さえ無くなっても😄、こんな風に寄り添って生きていたい。

さて、穂高神社の境内には文字碑、双体碑合わせて二十四基の道祖神が祀られています。中でもとくに観光客に人気なのが「餅つき双体道祖神」。現地駒札には、餅つき道祖神の由来と寄贈者の名が記されています。

「群馬県安中市上秋間二間茶屋に餅を搗いている男女の双体石像が有る。寛政八年(1796)と銘があり、部宅では昔から道祖神として崇められてきた。杵を男性、臼を女性に見立て、男女の睦事を「餅搗き」とし、夫婦円満の神として祀った。道祖神に餅搗き像を思いついた江戸時代の庶民感覚に感心する。~ 寄贈 穂高町有明 田中博氏」

穂高神社境内に、旧千国街道の名残がわずかに残された一画があり、二つの覆い屋の下に「塩の道 道祖神」が保存されています。

「千国街道 ( 塩の道 ) 道祖神  ここは昔、安曇野を南北に結んだ千国街道です 北は遠く日本海に通じ、上杉謙信が運んだ塩の道と呼ばれています過疎の村里に取り残された道祖神、三十三夜塔を関係者の願いにより由緒深いこの場所にお祀りいたしました安曇野に点在する道祖神とは違い砂岩で作られており趣が異なった道祖神です。」現地駒札より

「祝言:酒器双体道祖神」幸せのオーラに包まれた二人・・何という優しさでしょう。

「庚申仏塔」

摩耗が激しく種類の判別が出来ませんが、仲良く寄り添う姿から「肩抱き双体道祖神」と推測。

「双体道祖神」一基、「二十三夜塔」には「寛政八丙辰年(1796)五月天吉辰 新野氏 」の刻。

ぱっと見た瞬間「二人の仙人」・・と思ってしまった「双体道祖神」。男女神ともに、まるで双子のようにお揃いの不思議な髪型をしておられます。

「この道祖神は、元は北安曇郡美麻村高出品生にあり、昔から縁結びの道祖神として信仰され、一年に一回一月十五日に道祖神祭を行われていた道祖神です。」現地駒札より

大切に大切に・・遠い昔から縁を結ぶ神として祀られてきた双体道祖神。結んだ縁の数は数えきれない程であったと思います。

「馬頭観世音像」・「馬頭観世音菩薩文字碑」

道祖神ではありませんが、御祭神:穂高見神の化身とされる「日光泉小太郎像」。

「大昔この安曇野一帯が漫々と水を湛えた湖であった頃、この湖に犀龍と云う者が住んでおりました。この犀龍と東高梨の池に住む白龍王との間に男の子が生まれましたので、日光泉小太郎と名づけました。母の犀龍は自分の姿を恥じて水底深く隠れ住んでおりましたが、小太郎は母をたづねさがし熊倉下田の奥の尾入沢と云う処で初めて母に逢うことが出来ました。この時犀龍は「私は諏訪大社大明神の化身である、だからお前と力を合せて、この湖の水を落し陸地として人が住めるように致しましょう」と語って山清路の大岩をつき破り更に水内橋下の岩山を開いて安曇、筑摩両郡にわたる平野を作りあげそれ以来その川を犀川とよぶようになったと伝えられています。又、小太郎の父白龍王は海津見神であり小太郎は穂高見神の化身といわれ治山治水の功績を称えております。」公式HPより

境内の一隅、注連縄に護られた「仁王石」「穂高大明神地内に先年神宮寺これ有り候処。石川玄番の御代中におつぶし相成り。門前に仁王これ有り。其後浅間村へ盗み取られ、其の後右跡へ古木を仁王と唱え居り候えども、歳来る故霊木に相成り。4ヶ村一同談事の上、寄進にて牧村地内より大石を2つ引き当て、正月中より数日大勢罷り出で、2月8日引き付け立つる。後日の為斯くの如くに御座候。依って件の如し。現地駒札より 

穂高神社の紹介、ラストの明日は境内にある句碑・記念碑・文化財その他諸々、まとめて紹介します🌸。

参拝日:2016年4月19日

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穂高(ほたか)神社~其の一 in 長野県安曇野市穂高

2022年06月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市穂高に鎮座される「穂高(ほたか)神社」。式内社(名神大社)で信濃国三宮。御祭神は中殿に綿津見命の御子神である『穂高見命(別名を「宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)』。左殿に安曇氏の祖神とされる『綿津見命』右殿に『瓊々杵命』 「穂高岳」を御神体山とします。一の大鳥居、扁額には「安曇一郡之宗廟 穂高神社」の文字

「穂高見命は海神(わたつみ)族の祖神(おやがみ)であり、その後裔(こうえい)である安曇族は北九州方面に栄え主として海運を司り、早くより大陸方面と交流し文化の高い氏族であったようです。醍醐天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式神名帳には名神大社に列せられ古くより信濃における大社として朝廷の崇敬篤く、殖産興業の神と崇められ信濃の国の開発に大功を立てたと伝えられています。」公式HPより

「創建は不詳。当地は安曇郡の郡域にあり、定着した安曇犬養連氏によって当郡が建郡されたと見られ、その安曇犬養連氏によって祖神が祀られたのが創祀とされる。天安3年(859)2月11日に「宝宅神」に対して従五位下から従五位上への神階昇叙がなされたという記録が残る。松本市安曇の上高地に「奥宮」、奥穂高岳山頂に「嶺宮」があることから、「日本アルプスの総鎮守」と称される。」Wikipediaより

二の鳥居前左右より神域を守護されるのは、昭和15年建立の招魂社系狛犬さん一対。原型のデザインを『彫刻家:小川大系氏』(穂高駅前の「登頂」の作者)。『石工:野村保泉氏』。筋骨隆々と言う言葉がこんなに似合う狛犬さんも珍しいですね😊 

表参道大鳥居から二の鳥居を潜った先、正面にまだ木の香も新しい神楽殿

神楽殿の後方に、同じくまだ新しい拝殿。その後方に形式の等しい右殿・中殿・左殿が並ぶ三殿方式の本殿が鎮座。中殿は穂高神社だけに伝わる独特の形式の「千木(ちぎ)」「勝男木(かつおぎ)」が乗せられており「穂高造」と呼ばれています。勝男木は釣竿または船の帆柱を表していると言われていますが・・その姿を見る事はできません。

拝殿前に聳えるのは、樹齢500年以上の「御神木:孝養杉」。「昔、家族が重い病にかかり、一日でも早く元気な体に立ち返るようこの杉の木と穂高の神様に毎日お参りをしたところ、朝露が乾くがごとく、淡雪の解けるがごとく病を癒したと云われています。杉に手を当てて、明日の糧に健康とパワーをいただいて下さい。」

神楽殿の右手に『安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)』を御祭神とする「若宮社」。また相殿には『信濃中将(御伽草子のものぐさ太郎)』が祀られています。

若宮社の前より神域を守護されるのは、台座に「献主東都深川井口郡有」 「明和六年四月十四日」と刻のある、信州尾付きの狛犬さん一対。全体がコロコロと丸く、顔は別として可愛らしさが強調されています。顔と言えば吽形さんはのっぺらぼう・・・市内最古の狛犬さん・・時の流れは正直です。

若宮社の狛犬は奉納者である『郡有』が江戸で作って運ばせたとみられ、運搬中に最も細い前足部分の破損を防ぐ為か、足の間の石が彫り抜かれずに板状に残されています。調べれば色々と面白い狛犬たちの物語。だから狛犬巡りは止められません。

若宮社から少し離れた位置に『阿曇連比羅夫(あづみのむらじひらふ)命』の像。命が持つ槍には十四弁葉菊紋。「天地天皇の命により水軍を率いて朝鮮に渡り、百済の王 豊璋(ほうしょう)を助け、663年8月24日 白村江(はくすきのえ)で戦死。穂高神社御船祭りの起りと伝えられている。」境内案内より

若宮社の右手、鳥居の内に「穂高霊社」

毎年4月20日斎行される本祭では「みたまなごめの舞」が奉納されます。これは御英霊に捧げられた香淳皇后の御歌【安らかに 眠れとぞ思ふ 君のため いのち棒げし ますらをの友】を舞にしたものです🙏🙏。

「穂高霊社」に向かい合うように「明治天皇御製碑」・【 世と共に かたりつたへよ国のため  いのちをすてし 人のいさをは 】

穂高神社境内の一画、清らかな水を湛えて鎮まる「神池」

「嶺宮(みねみや)遥拝所」

嶺宮は白い石造りの小さな祠で、穂高見神が降臨したとされる奥穂高岳(3,190m)の頂上に鎮座されています。(遥拝所にある写真)。

奉納:穂高神社賛【安曇野に菊の御紋の宮居あり 穂高見命 海の祖神・・明神の碧連の池幽邃に 龍頭鷁首の御船は清雅に】

若宮社向かって左手に鎮座される境内社、左より「八坂社」「事比羅社」「子安社」「保食社」「四神社」

若宮社向かって右手に鎮座される境内社、左より「疫神社」「秋葉社」「八幡社」「鹿島社」。

駐車場手前「茅の輪くぐり」の向こうに鎮座される「境内社:八王子社:菅原社・歌神社」。

穂高神社の境内紹介、明日は安曇野とは切っても切れない「道祖神」を中心に紹介します。

参拝日:2016年4月19日

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