ホリデイ現役添乗員日記

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マテーラ遺跡~南イタリアの栄光と闇~

2011-11-19 19:38:43 | ホリちゃんイタリア
ホリちゃんです。 今夏、南イタリアのツアーに出たとき、トンガリ帽子の屋根をもったアルベロベッロの家並みは、皆さん、メルヘンの世界で癒されていました。しかし、マテーラ遺跡に来たとき、皆さんの表情は一変し、緊張感というか、固唾をのむというか、怖いもの見たさというか、色々な意味での「ストレス」を感じながら、この遺跡をご覧になっていました。

       

       

       

ご覧のような奇観で、雨にほとんど恵まれない、砂漠のように乾燥した、石灰質な気候・風土です。有史以前から、この風土と景観はあったのです。そこに、人間が少しずつ手を加えながら、集落や住居群を作っていきました。

       

       

       

このとき、マテーラ遺跡を案内してくれたライセンス所持の現地ガイドです。彼女が色々と表も裏も、お話ししてくれました。

       

       

昔は異民族の侵入もあったため、巨大なすり鉢状の岩山を天然の要塞とせざるを得なかったし、それでも危ないため、「洞窟住居」という「隠れ家」を作らざるを得なかったのです。

       

       

       

入って見ると、間口の狭さに反して、奥行も広さもあり、一応の家具や調度品もそろっていて、ワインセラーのような「カルチャー」を感じさせるものまであって、サプライズでした。

       

洞窟住居のオーナーが見せてくれた、大家族が集まった写真です。こんなに大勢暮らせることも、またサプライズです。

       

キッチン、台所、居間、ベッドルームと分かれる様子は、3LDKくらいのマンションとあまり変わりません。

       

       

14~15世紀になると、マテーラの洞窟住居群も「都市化」し、人口も増加しました。そして、1663年にマテーラは、バジリカータ州の州都になります。ここまでが、地元民の叡智を結集した「栄光の歴史」です。

       

       

       

しかし、人口増加で、新市街地ができて、そちらに中心が移ったあたりから、マテーラは受難の時代を迎えます。近代化の波に取り残されてしまった旧市街の住居群がスラム化して、「国の恥」とまで蔑まされるようになったのです。その後、イタリアの高名な画家・作家であるカルロ・レーヴィが政治犯として逮捕され、この地に流刑となったとき、目の当たりにした、あまりにリアルな貧困と退廃と虚脱を克明に描き、大きな反響をよびました。第二次大戦後、「国民総立ち退き」と再開発がすすめられ、ついにユネスコの世界遺産にまでなるのです。

       

       

洞窟住居の中には、「観光地化」して、ちゃんと博物館のように入場料を取って中をみせるところもあります。要所には、洞窟住居案内の標識も出ています。

       

こうした、洞窟とも洞穴とも言えるなかに入っていくと、立派な洞窟教会がいくつもあって「祈り」の場所としても神聖で不可欠なものだったようです。

       

       

見学を終えて、遺跡の中の町並みを散策すると、この地の「栄光」と「闇」が交互に脳裏をよぎるので、それが良い意味での緊張感とストレスを感じさせるのだと思いました。連想はとめどなく広がり、スペインのサクロモンテの丘や、南フランス、エズ村の洞窟住居、トルコやギリシャの山上の住居にまで、想いが及びました。どこでも、栄光と受難の時代があり、地元の人は叡智で乗り切ってきたのです。ホリデイツアーは、一年中、もちろん冬の間も南イタリアのツアーを催行しています。

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