ホリちゃんです
1年ぶりのポーランドです
ショパン大好きなホリちゃんは、ポーランドと聞いただけで、甘く切ないショパンの旋律が
血管や神経と同じように体中かけめぐります
そして、今年は、早々とチャーター便のパンフレットに名前と写真が載ってしまって、
「指名手配」です。逃げられません! 「ポーランドをこよなく愛する添乗員」というコメントまで
載ってしまっていたので、けっこうなプレッシャーでした
実際、ツアーに行ってみると、お客様から、「ポーランド専門なんですか?」とか、「ポーランド語は
どこで習得されたんですか?」と聞かれました ポーランドは1年中ツアーが
あるわけではないので、ポーランドしか行かないというわけにはいきません。ヨーロッパならどこでも
できます!ということでないと、生活できないのです それから、自分が通訳しながら
話している言葉は「英語」であって「ポーランド語ではないのですが、なかなかわかっていただけないようで
ワルシャワ郊外のブロホフ村にショパンが洗礼を受けた聖ロブ教会があります
ショパンの生家は、そこからすぐ近くのジェラゾヴァ・ヴォーラにあり、家に隣接する広大な庭園は
市民公園のようです。ショパンの生家は、ミュージアムとコンサートホールを兼ねた名所です
今回は、このショパンの生家でホリデイのお客様だけのプライベート・コンサートが行われました。
まだ日が高いうちから、一般の入場者にお引き取り願ってから、行われる貸切のコンサートで、少々心苦しかったのですが、
興味をもった人が、窓から室内を覗いていたりするのがわかる、のどかな雰囲気のコンサートでした
ワルツにはじまり、前奏曲、ポロネーズ、マズルカなどを楽しみましたが、アンコールで誰もがよく知るノクターン(夜想曲の2番)を
弾いてくれて、みんな大満足でした
今回とくに、「ショパン党」とも言えるショパン好きな方ばかり集まって、「ショパン同好会」のような雰囲気になりました
日本から到着した日も疲れているのに、フリータイムの月曜日が休館日で入れないショパン博物館にみんなで行ったりしました
ワジェンキ公園の柳の木とショパンの像があるところでは、よく野外のショパンコンサートが行われていますが、
今回は、なんと日本人ピアニストの演奏が聴けたのは感動的な「未知との遭遇」でした
昼食レストランは、ショパンが通った、1827年創業の老舗レストラン「ホノラトカ」でした
ショパンも経験した「ショパンメニュー」を特別にオーダーする徹底ぶりでした
ショパンはポーランド貴族出身で、パリで活躍する前は、ワルシャワを拠点としていました。
ショパン家のサロンはじめ、ショパンが住んだ場所も何か所かあります。ヴィジトキ教会というバロック式の教会では、毎週日曜ごとに
ミサでショパンがオルガニストをつとめました
祖国愛に燃えたショパンは、ポーランド分割、ロシア帝国の支配という耐えられない祖国の現実に直面し、ロシア皇帝直属のピアニストという特別の待遇を断ったことがありました。それによって、国籍を失うというつらい現実に直面しましたが、ポーランド出身の貴族たちのひきたてもあってパリで活躍し、亡くなったときは、マドレーヌ寺院で国葬、墓地はペールラシェーズでした。しかし、故人の意思を尊重して、ショパンの心臓だけは故郷のポーランドに帰され、ワルシャワの聖十字架教会に眠っています。
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1年ぶりのポーランドです
ショパン大好きなホリちゃんは、ポーランドと聞いただけで、甘く切ないショパンの旋律が
血管や神経と同じように体中かけめぐります
そして、今年は、早々とチャーター便のパンフレットに名前と写真が載ってしまって、
「指名手配」です。逃げられません! 「ポーランドをこよなく愛する添乗員」というコメントまで
載ってしまっていたので、けっこうなプレッシャーでした
実際、ツアーに行ってみると、お客様から、「ポーランド専門なんですか?」とか、「ポーランド語は
どこで習得されたんですか?」と聞かれました ポーランドは1年中ツアーが
あるわけではないので、ポーランドしか行かないというわけにはいきません。ヨーロッパならどこでも
できます!ということでないと、生活できないのです それから、自分が通訳しながら
話している言葉は「英語」であって「ポーランド語ではないのですが、なかなかわかっていただけないようで
ワルシャワ郊外のブロホフ村にショパンが洗礼を受けた聖ロブ教会があります
ショパンの生家は、そこからすぐ近くのジェラゾヴァ・ヴォーラにあり、家に隣接する広大な庭園は
市民公園のようです。ショパンの生家は、ミュージアムとコンサートホールを兼ねた名所です
今回は、このショパンの生家でホリデイのお客様だけのプライベート・コンサートが行われました。
まだ日が高いうちから、一般の入場者にお引き取り願ってから、行われる貸切のコンサートで、少々心苦しかったのですが、
興味をもった人が、窓から室内を覗いていたりするのがわかる、のどかな雰囲気のコンサートでした
ワルツにはじまり、前奏曲、ポロネーズ、マズルカなどを楽しみましたが、アンコールで誰もがよく知るノクターン(夜想曲の2番)を
弾いてくれて、みんな大満足でした
今回とくに、「ショパン党」とも言えるショパン好きな方ばかり集まって、「ショパン同好会」のような雰囲気になりました
日本から到着した日も疲れているのに、フリータイムの月曜日が休館日で入れないショパン博物館にみんなで行ったりしました
ワジェンキ公園の柳の木とショパンの像があるところでは、よく野外のショパンコンサートが行われていますが、
今回は、なんと日本人ピアニストの演奏が聴けたのは感動的な「未知との遭遇」でした
昼食レストランは、ショパンが通った、1827年創業の老舗レストラン「ホノラトカ」でした
ショパンも経験した「ショパンメニュー」を特別にオーダーする徹底ぶりでした
ショパンはポーランド貴族出身で、パリで活躍する前は、ワルシャワを拠点としていました。
ショパン家のサロンはじめ、ショパンが住んだ場所も何か所かあります。ヴィジトキ教会というバロック式の教会では、毎週日曜ごとに
ミサでショパンがオルガニストをつとめました
祖国愛に燃えたショパンは、ポーランド分割、ロシア帝国の支配という耐えられない祖国の現実に直面し、ロシア皇帝直属のピアニストという特別の待遇を断ったことがありました。それによって、国籍を失うというつらい現実に直面しましたが、ポーランド出身の貴族たちのひきたてもあってパリで活躍し、亡くなったときは、マドレーヌ寺院で国葬、墓地はペールラシェーズでした。しかし、故人の意思を尊重して、ショパンの心臓だけは故郷のポーランドに帰され、ワルシャワの聖十字架教会に眠っています。
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